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宇宙の冒険者アーマッド 〈先住者〉の謎  作者: 謎村ノン
Vol. II『深淵のほとりを行くもの』

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第九章 人魚(アンドロイド)エル

 暗がりから現れたのは、人魚だった。

 私は、反射的に武装の安全装置へ指をかけたまま、呼吸を浅くして相手の動きを読む。深海で「人型」が近づいてくるというだけで、脳が勝手に最悪の想像を始める。武器を持った敵か、罠の誘導か、あるいは私の知らない海洋生物の擬態か。コープニックのライトが相手の輪郭を捉えた瞬間、私はそのいずれでもないと直感した。

 相手の下半身は鱗の尾で、尾鰭がゆったり揺れている。上半身は人型で、胸から肩にかけてのラインは柔らかい。ただし、生体の質感とは違った。水中なのに髪が不自然に乱れず、皮膚は艶があるのに毛穴の陰影が見えない。関節の動きは滑らかすぎて、逆に機械的でもある。私はセンサーを切り替え、熱源と生体電位の分布を確認した。

「……生体反応は、ない。熱も、生体の波長とは違う」

 つまり、アンドロイドだ。しかも、センサーは、彼女の内部に分子機械のネットワークがあることを示している……つまり、高度に自己修復可能な機械生命だ。

 私は、先程のガーディアンを思いだした。しかし、目の前の存在からは殺意が感じられない。そもそも「警戒」すら薄いと思われる。単独行動しているのに、こちらを脅威として扱う気配がない。

 ……しかし、どうしたことか。この人魚は、〈先住者〉と対立関係にあり、戦争によって共に絶滅したと考えられている別の異星人、「マルモ人」の伝えられる容姿と酷似している。〈先住者〉の方は、一見して半魚人のような外見なので、ある意味よく似ているといえる。

 人魚は、私のライトに照らされると、一瞬だけ目を細め、次の瞬間には満面の笑みを作った。

『わあ……でっかい!』

 第一声がそれか、と私は心の中で突っ込んだ。間違いなく、〈先住者〉語を話していると、サポートAIが、ディスプレイに注釈を入れた。そうなると、これも、試験艦に付属する機械生命なのか? 何故……? と、疑問ばかりが募っていく。

 どう対処しようか迷っている間に、彼女は、尾鰭をばたばたさせてこちらへ近づいた。水圧の影響を受けないはずの機械の動きなのに、泳ぎ方は子どもが水中で遊んでいるみたいに落ち着きがなかった。

 私は、反射的に後退し、距離を取った。

「待て。近づきすぎるな!」

『え? 近づくと危ないの? あ、もしかして、巨人さんって“さめ”なの?』

「違う」

『じゃあ“くじら”?』

「違う」

『じゃあ……“でっかい村の人”?』

 私は、一度目を閉じた。AIによる翻訳の問題ではない。彼女の分類体系が素朴すぎるのだ。深海にいるのに、脅威認識が「さめ・くじら・村の人」で止まっている。私は、自分の緊張が少し緩むのを感じた。危険な相手だったら、こんなふうに話が噛み合わないこと自体が演技に思えるはずだ。しかし、彼女との会話は、本当に噛み合っていない。

「私は、人間だ。氷の上から来た。君は誰だ」

 人魚は胸を張った。胸を張るという動作が、水中では妙に思えた。

『エル! エルだよ! えっとね、ここでいちばん早く泳げる! あと、いちばんよく転ぶ!』

「転ぶ?」

『転ぶよ! ほら、そこの岩でね、さっきも尾っぽを“ごん”って……あっ、見て!』

 エルは、自慢げに尾の横を指さした。確かに鱗の一部に擦れた跡がある。自己修復が追いついていないのか、あるいはその程度の損傷を気にしていないのか。彼女の感覚は、繊細さよりも勢いが勝っているらしい。

 私は、彼女の身体表面をスキャンし、識別用のマーカーを探した。微細な刻印が尾鰭の付け根にあった。文字体系は古いジャープッカ由来のものに見えるが、読み取りは難しい。私は、さらに内部構造を推定し、人工筋肉の束と分子機械の経路を確認した。高度な技術で作られているのに、制御アルゴリズムは意外に単純そうだ。まるで「賢くしすぎない」という設計思想で作られたかのようだ。

「エル。ここは危険だ。私の潜水艦は、さっき番人みたいな機械に襲われた」

 エルは、ぱちぱちと瞬きし、そして笑った。

『あー、タコのやつ? あれね、たまに来る。尾っぽ引っ張られると、すっごくむかつく!』

「君、襲われたことがあるのか」

『あるよ! でもね、逃げるとね、すぐ飽きる。たぶん、タコはね、勉強がきらいなんだよ!』

 私は、思わず咳払いした。深海で咳払いをする羽目になるとは思わなかった。彼女の推論は雑だが、現象としては正しい可能性がある。ガーディアンは捕獲と識別を優先し、強制排除を最終手段にしているように見えた。つまり、ターゲットが低価値の存在だと判断すれば、追跡を打ち切るのだ。

 エルが逃げて助かっているのなら、番人は、彼女を排除対象としていない。

「私は、海底に沈んだ大きな金属の船を探している。見たことはあるか?」

 エルは、ぴたりと動きを止めた。次の瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなる。

『神殿のこと? あれなら知ってる!』

 神殿。私はその言葉を聞いた瞬間、頭の中の歯車が一つ噛み合うのを感じた。深海に宗教は不自然だ。しかし、遺跡が巨大で、理解不能で、なおかつ危険を孕んでいるなら、共同体はそれを「神殿」と呼ぶだろう。名前が先に意味を作るのだ。

「案内できるか?」

『できる! できるよ! ……あ、でもね、巨人さん、泳げる?』

「私は、ここでは泳がない。歩く」

『歩くの!? 水の中で!? すごい! じゃあ、エルが“道”を泳いで教える! ついてきて!』

 エルは、勢いよくターンし、尾鰭で水を蹴った。勢いがありすぎて、彼女は最初の一蹴りで近くの岩に尾をぶつけた。鈍い音は聞こえないが、ライトの反射で衝突の瞬間がわかる。エルは一瞬固まり、それから何事もなかったように泳ぎ始めた。

『いまのは……えっと……岩が悪い!』

「君が突っ込んだように見えたが……」

『違うよ。岩がね、急にそこにいたの!』

 私は、短く息を吐いた。笑いそうになるのを堪えたつもりだったが、ヘルメットの内側で口角が上がるのを感じた。恐怖と緊張で張り詰めていた神経が、エルの突飛な言い訳で少しだけ緩んだ。

 私たちは、海底を進んだ。

 エルは時々、見当違いの方向へ泳ぎかけては、「こっちじゃなかった!」と言って戻り、私の前へ回り込んだ。

 私は、歩行モードのコープニックで彼女の後を追い、地形を記録しながら進路を確定していく。エルの案内は雑だが、完全に間違ってはいない。むしろ、彼女が見ている「ランドマーク」は、私のセンサーが重要視しないものだった。海底の微妙な窪み、マリンスノーがよく溜まる場所、岩の割れ目の形……生活者の地図だ。

 やがて、海底の暗がりに洞窟の連なりが見えてきた。入口は複数あり、センサーによると、互いにトンネルで繋がっている。洞の前には、畑のように区画された窪地が並び、そこへマリンスノーが降り積もっていた。白い粒子がふわりと沈み、区画の縁に溜まっていく。

 私は、ライトを落とし、外光を最小にして観察した。窪地の周囲で、複数の人魚が粒子を掬い、口へ運んでいる。食料として利用しているのだろう。

 その光景は、奇妙に穏やかだった。深海という環境に似合わないほど、生活が成立している。私は、「不自然さ」に改めて気づく。ここには、資源の循環がある。外部から落ちてくるマリンスノーを、計画的に集める仕組みがある。誰かが、長い時間をかけて生活様式を固定したのだ。

 エルは、洞窟の前でくるりと回ってみせた。

『ここ! ここがエルの村! えっとね、村っていうか、洞穴っていうか、えっと……とにかく、ここ!』

「村の名前はあるのか?」

『あるよ! たぶん! ……えっと……忘れた!』

 私は、頭痛がしそうになった。彼女は無知というより、知識の格納が雑だ。必要な情報と、どうでもいい情報の優先順位が逆転している。

 洞の外縁で、農夫らしき男の人魚が私を見上げて固まった。口が開いたまま閉じない。

 こちらのライトが眩しすぎたのかもしれない。私は、急いで照度を下げたが、遅かった。

『このヒトは、偉い学者さぁで、氷の上から来なすっただよ』

 エルが、いきなり大声で、少しなまりのある〈先住者〉語で説明し始めた。私は、思わず彼女を見た。

「学者?」

『うん。だって、でっかい箱に入ってるし、強そうだし、なんか、むずかしい顔してるし。学者だよ、きっと!』

「その根拠は、雑すぎる」

『でもね、エルの勘は当たるよ。さっきもね、マリンスノーの山が崩れるのを当てた』

「それは“当てた”と言うより、君が崩したのでは」

『ちがうよ。山がね、急にそこにいたの!』

 同じ理屈を二回使うな、と言いかけてやめた。相手は、真面目に言っている。真面目に言っているから余計に面倒だ。

 村人たちがざわつき、洞の入口へ人魚が集まってきた。警戒の視線もあるが、恐怖より好奇心が勝っている。私は武装を完全にオフにし、手のひらを見せる姿勢で静止した。言語が通じる可能性がある以上、最初にやるべきは敵意の否定だ。

「ぬ?」

 ……その村人達の中に、〈先住者〉と同じ半魚人が混じっていることに、私は驚いた。

 近親憎悪なのか、マルモ人と〈先住者〉とは非常に仲が悪かったらしく、何度も大規模な戦争をしていた記録が残っている。〈先住者〉とマルモ人が両方とも滅んだのは、その戦争で使われた何らかの超兵器が原因ではないかといわれているほどだ。

 おそらく同じ機械生命のアンドロイドだろうが、この二種族が同じ「村」にいるという環境は異常すぎる、と思った。それにどんな意味があるのか――。

 そんなことを考えていると、エルが、村人達に、得意げに胸を張って言った。

『長老のところに連れて行ぐだ! 長老はね、いちばんえらい。あと、いちばん怖い。でも、だいたい眠い』

 眠い長老という情報が役に立つのか分からないが、私は頷いた。

「案内してくれ」

『まかせて! エルは道を知ってる! ……たぶん!』

 彼女は、また勢いよく泳ぎ出したが、今度は壁にぶつからなかった。

 私は、その後ろ姿を見ながら、胸の奥の緊張が少しだけ溶けたのを感じた。未知の遺跡に対する緊張は消えていない。ただ、孤独な緊張ではなくなった。隣に、無鉄砲で明るい案内役がいる。

 しかし、洞窟は、思ったような自然の構造物ではなかった。

 洞窟の奥へ進むほど、人工的な構造が増えていった。自然の岩肌に、後から削り足したような平面が現れ、通路の幅が一定になり、曲がり角が「迷わせない」角度で配置されていた。私は、この洞窟が、自然にできたものではなく、誰かに整備されたものだと確信した。

 エルは、振り返って言った。

『ここね、昔はもっとぐちゃぐちゃだったんだよ。でもね、神殿の人がね、きれいにしたって』

「神殿の人?」

『うん。神殿の人。神殿にいる。たぶん。えっと……いるって言われてる!』

 私は、急いでメモリへ記録を残す。情報の取捨選択が重要だ。

 やがて、開けた空間に出た。そこには、古びた人魚が座していた。皮膚に皺が刻まれ、鱗が剥げ、目だけが妙に澄んでいる。

 エルが、小声で囁く。

『あのね、あれが長老。あとね、長老はね、エルが宿題をさぼったのを全部知ってる。なんでかな?』

「宿題が、あるのか?」

『あるよ! “まいにち、マリンスノーを数える”とか! 数えられるわけないじゃん! 空からいっぱい落ちてくるのに!』

 私は、返す言葉を失った。長老の教育方針がどこかおかしいのか、エルの理解がどこかおかしいのか、判断がつかない。たぶん両方だ。

 長老が、私を見て目を見開いた。

『これはこれは、天からのお客人とは。そっだなこどがあるとは、代々伝えられでだべが……』

「こんにちは、ご老人。私は、アーマッドと申します。冒険者――探検家をしています」

 私は、一礼し、できるだけ落ち着いた声で名乗った。深海の村に、氷の上から来た異邦人が現れる。その異常を、私は、礼節で薄めようとした。礼節は万能ではないが、最初の橋にはなる。

 エルが、横でにこにこしている。彼女は、状況の重大さを理解していないのか、理解していても平気なのか、どちらなのか分からない。ただ、彼女が明るいことだけは確かだった。

 いきなり拒否されることはなくて、良かったと思った。

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