第七章 氷の裂け目
第二巻『深淵のほとりを行くもの』
私、宇宙の冒険者アーマッド・L・ラッシードは、降下シークエンスの最終チェックを終えると、操縦席の背に深く体重を預けた。艦載コンピュータが淡々と読み上げる数値は、どれも許容範囲を示している。しかし、数字が整っていることと、現地が安全であることは別の話だと、私は何度も痛い目で学んできた。
ビーブ3αは、M型の小さな恒星ビーブの周囲を回る第三惑星の二重惑星の一つで、ハビタブルゾーンの外縁に浮かぶ氷殻惑星だ。薄い大気はあるが、呼吸に使えるほどではない。磁気圏は弱く、宇宙線の線量は高い。長居をする場所ではないし、長居をする理由も本来はないはずだった。それでも私はここへ来た。
理由は一つだけで、深海に沈む「影」を掴んだからだ。
惑星周回用プローブから照射したミューオン・ニュートリノ複合レーダーは、氷の下での異常な吸収を示した。金属質の巨大構造物だ。形状は、完全にははっきりしないが船体だと思われ、海底に横たわっていた。
私が骨董屋で手に入れた古い記録片は、そこに「試験艦」が沈んでいると示唆していた。問題は、その「試験艦」を製造した〈先住者〉が、地球年号で一万年前に滅んだという点だった。伝承と遺物は残っても、当事者はもういない。つまり、残っているのは機械と、仕掛けと、運が悪ければ、まだ動いている警戒装置だけだ。
私は、操縦桿を軽く握り直し、着地ロッドの展開を指示した。
小さめのサルベージ用シャトル、アンダーソン二世号が氷原に降り、着地脚が沈み込むと、機体が小さく揺れた。
風は、ほぼない。だからこそ音が際立つ。船体が冷えていく微細な軋みが、内壁越しに耳へ届く。
(外気圧、低下。放射線、許容上限内。ただし長時間暴露は推奨されません)
艦載サポートAIの声を聞き流しながら、私は船外スーツへ身体を通した。パッキンの密閉、微小漏れのチェック、循環水の温調、予備電池のレベルのチェックをする。手順は体に染みついているのに、今日に限って、指先の動きがわずかに重かった。
私は、緊張しているのだと認めた。
未知の遺跡はいつも危険だが、恒星ビーブの近くに他の人間は――異星人も含めていないだろう。ただでさえ孤独な宇宙にあって、助けを求める相手が「近く」にいない危険は、別種の圧力を私に与えるのだ。
ハッチを開けると、薄い空気が白い霧のように流れた。
氷面に降り立つと、重力は地球よりわずかに軽く、足取りが頼りなく感じる。視界は一面の氷だが、平坦ではない。東西に走る大きなヒビが、遠景まで続いている。潮汐力が岩盤を引き裂き、氷殻をねじり、裂け目を育て続けているのだろう。私は、その裂け目の一つへ向かった。
裂け目の縁へ近づくほど、氷が鳴いた。きしむ音というより、低い笛のような共鳴が足元に感じられた。氷が薄い場所ほど、その振動は長く伸びた。私は、慎重に体重を移し、レーザー距離計で縁の厚みを確認した。暗い穴が、覗き返してくる。冷たい空洞の向こうに、深海がある。
「コープニック、展開」
格納庫から小型潜水艦コープニックを引き出した。この潜水艦の先端には量子ドリルが装備されているので、掘削しながら適切なスピードで推進させられる。
電源を入れると、ドリル内部の位相制御リングが微光を帯び、淡い渦が生まれた。私は、温度上昇曲線と出力波形を見ながら、いくつもの異常兆候がないことを確認した。ここでドリルが止まれば、私は氷の下で身動きが取れなくなる。
コープニックを裂け目に降ろし、私はそのまま搭乗する。気密が閉じる音が、やけに大きく聞こえた。私は、深く息を吸い、ゆっくり吐いた。緊張が消えるわけではない。しかし、緊張を扱うための呼吸だ。
量子ドリルが氷を掻き分け、トンネルを作り始めた。氷層を抜けると、透明度の高い海が開いた。冷たく、暗く、そして静かだ。氷裏には藻類のような微生物が付着し、薄い膜のように広がっている。私は、サンプルを採取しながら、生命の気配を計測した。単細胞生物由来の生体信号が散発的にある。しかし、規模は小さかった。この惑星は、大型生物が繁栄可能な条件を満たしていない。
深度計の数値が増えていく。マリンスノーが舞い、ライトに照らされた粒子がゆっくり落ちていく。私は、その落下速度から、海流がほとんどないことを読み取った。
そのとき、警報が鳴った。
センサーが、こちらへ向かう人工物を捉えた。速度は異常に高く、軌道は修正を繰り返している。私は、直感的に悟った。これは「生き物」ではない。狙っている。
私は、喉の奥が乾くのを感じながら、コープニックを戦闘モードへ切り替えた。ここからが、本当の探索の始まりだった。
ここから、アーマッド視点の話です。『深淵のほとりを行くもの』は、今はなき、ゆきのまち幻想文学賞に投稿……しそこねたものを長編化したものです(『ゆきのまち』シリーズで載せていません。今回初アップです)。




