第三十九章 ログの穴、名前の縁、そして席が増える
――一段落は、終わりじゃない。次の始まりを折り畳む場所だ
(視点:ナルディア)
医療区画の白い光は、目に優しくない。
優しくないのに、ここにいると安心してしまう――安心してしまう自分が怖い。
ファナークは、安心の顔をした罠が多すぎる。
美優は、ベッドに横たわっていた。
横たわっているのに、寝ている感じじゃない。
目を閉じていても、どこかが起きている。
機械の身体だから、ってだけじゃない。彼女は、おそらく、意識の置き場所をまだ探しているんだ、と思った。
「……痛い?」
あたしが聞くと、美優はゆっくり首を振った。
「痛みは……あまりないけれど、変な感覚が残っているわ」
「変な?」
「……引っ張られた感じ。……中身が、椅子ごと動いたみたいな」
椅子。
バーロックが言っていた“座席”か、と思った。
その言葉が、また胸を刺す。
「……ごめん。あたし、間に合わなくて」
美優は、少しだけ眉を寄せた。
「謝らないで。……ナルディアがいたから、戻れたよ」
戻れた。
その言い方が、人間の帰宅みたいで、喉の奥が熱くなる。
ドアの外で、ぶっきらぼうな声がした。
「泣くな。泣くと説明が長くなる」
源一郎だ。
いつもの言い方だが、今日は、それがありがたい。
「泣いてない!」
「目が赤い」
「宇宙の粉塵!」
「ファナークに、粉塵はねえ」
「言い返せないのが腹立つ!」
アーマッドが、部屋に入ってきた。
淡々とした表情をしている。
でも、手にはデータパッドを持っていた。
淡々に見えて、仕事は増えている。
「ログ解析が終わった」
「早い……」
口から出たのは、感心じゃなくて、ちょっとした恐怖だった。
早い仕事は、次の現実を早く連れてくる。
アーマッドが、パッドを置く。
投影されたのは、フランケン一家の内部ネットワークの断片だった。
暗号化の癖、プロトコルの癖、妨害の波形が示される。
そして、追撃戦で見た“媒介反応”に似た痕跡があった。
「同じだ」
あたしが言うと、アーマッドは、頷く。
「同じ系統の干渉だ。追撃と誘拐は、繋がっている可能性が非常に高い」
美優が、小さく呟いた。
「……グラブール人?」
源一郎が首を振り、ぶっきらぼうに言った。
「グラブールが直で来たとは限らねえ。バーロックが“持ってる”だけで、使ってるのは下の連中だ」
「下って、フランケン一家?」
「そうだ。下部組織だ。雑魚は雑魚なりに働く」
「言い方が、ひどい!」
「ひどくないと、死ぬ」
嫌いな現実。
……でも、現実だ。
アーマッドが続けた。
「バーロックの精神体離脱の方向も、シラトリのログに残っている。外壁側。そこに、微弱なシャドー・マター反応が残留していた」
「追える?」
「いまは追えない。追うためには、準備がいる」
準備……準備って言葉は大事だ。
でも、準備って言葉は“先延ばし”にもなる。
嫌なバランスだ。
源一郎がパッドを覗き込み、ぶっきらぼうに言った。
「……これ、識別子が変だな」
「変?」
「名付けの癖が古い。……古いっていうか、地球の古い工学屋の癖がある」
あたしは眉をひそめた。
「なにそれ。癖で分かるの?」
「分かる。分かるやつには分かる。……この命名規則、俺の家の資料で見た」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「……先祖の話?」
あたしが言うと、源一郎は短く頷いた。
ぶっきらぼうなのに、声が少しだけ硬い。
触れたくない話の硬さだ。
「確定じゃねえ。だが、匂いがする。だから調べるぜ」
「調べるって、どうやって?」
「検索だ。……地球側の古い特許、論文、軍需の型番。引っかかるまで掘る」
美優が、ゆっくり目を開けた。
その目が、源一郎を真っ直ぐ見た。
「……わたしの魂の記憶、それと関係ある?」
源一郎が、一瞬だけ黙った。
黙ったのは、珍しい。
「……あるかもしれねえ」
あたしは息を吸った。
ここで、怖がって止まると負ける。
怖がったまま進むしかない。
「じゃあ、掘ろう。掘って、全部繋げよう」
口に出したら、少しだけ身体が落ち着いた。
アーマッドが淡々と頷く。
「今後の運用を整理する。――美優」
美優が、小さく身構える。
その身構えが、少し痛い。
言葉ひとつで“処理される”経験をした子の身構えだ。
「君は、いまここにいることを望むか?」
望むか。
命令じゃない。確認だ。
アーマッドの面倒の見方は、こういうところに出る。
美優は、少しだけ目を伏せた。
そして、あたしを見た。
あたしは何も言わない。
言ったら誘導になるから。
誘導したら、彼女の席がまた奪われる気がする。
美優は小さく息を吸って、“息を吐くふり”をしてから言った。
「……望みます」
短い言葉。
でも、短い言葉ほど重い。
「理由は?」
アーマッドが訊く。
美優は、少し考えて、答えた。
「……わたしは、人として、働きたい」
その言葉で、胸の奥がきゅっと鳴った。
本人の宣言だ。
それが嬉しいのに、怖かった。
働くってことは、戦いに入るってことだから。
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「働くなら、ルール守れ。勝手に魔法撃つなよ」
「勝手には、撃ちません」
「撃ちそうだ」
「撃たない、って言っています!」
「口だけで信用できねえ。……訓練する」
美優が、ほんの少し笑った。
「……先生みたい」
「先生じゃねえ」
「ぶっきらぼうな、先生ね」
「黙れ」
あたしは、思わず口元が緩んだ。
こんな状況で笑うなって、自分にツッコミたくなる。
でも笑えるのは、生きている証拠だ。
アーマッドが淡々とまとめる。
「GDCとは、条項を更新する。接触は同席。記録は残す。検査は同意が前提。運用はチームが握る」
「首輪の締め具合、こっちで調整ってことね」
あたしが言うと、アーマッドは否定しなかった。
「盾として使う。首輪にしない」
言い切った。
言い切りが、頼もしい。
***
その夜、シラトリに戻る前に、あたしはホテルの部屋へ一人で戻った。
ファナークの“ホテル待機”なんて言葉を、もう二度と信用しない。
廊下は白くて静かで、さっきまでの騒ぎが嘘みたいだった。
でも静かな場所ほど、耳が余計なものを拾う。
換気の音、遠くの足音、ドアの電子錠が噛む音がした。
全部に「誰かいる」と言っている気がして、背中が落ち着かない。
部屋に入ると、床の上に枕が落ちていた。
美優が抱えていたやつだ。奪われたときに残された状態のままだ。
“置いていかれた証拠”みたいで、あのときは見るだけで腹が立った。
でもいまは違う。
奪われて、取り返して、まだここに戻って来られた――その証拠でもある。
枕を拾うと、布が少しだけ温かい気がした。
気のせいだ。
でも気のせいに救われることもある。
宇宙で暮らすと、気のせいを全部否定できなくなる。
否定しすぎると、心が折れる。
「……持って帰ろ」
声に出して言ったら、少しだけ胸が落ち着いた。
小さな“帰る行為”を積むと、人は戻れる。
大きな戦いより、小さな持ち帰りのほうが効くときがある。悔しいけど。
廊下へ出ると、壁のどこかに監視の目がある気配がした。
目を向けても、そこにはただのパネル。
見えないのに見られている。
この感覚が嫌いだ。
でも嫌いでも、いまは“盾”で受け止めるしかない。首輪にしないために。
シラトリに戻る途中、あたしは何度か立ち止まった。
後ろを振り返るんじゃなくて、足元を確かめるために。
走ると転ぶ。転ぶと死ぬ。源一郎の言い方はムカつくけど、現場はたいていムカつくほうが正しい。
それでも早足で歩いた。
早足は、あたしの譲歩だ。
***
シラトリの通路は相変わらず狭い。
狭いから、すれ違うと肩が触れる。
触れても、誰も謝らない。
謝ると距離ができる。距離ができると、また奪われる気がする。
だから、触れたまま進む。
こういう距離感が、チームだ。
コントロールルームに行くと、美優がいた。
「これ、持ってく? 気に入ってたでしょ? 使い捨てられたら、もったいないでしょ?」
あたしが言うと、美優は少しだけ驚いた顔をして、頷いた。
「……うん」
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「席を作る。余計な配線は引くな」
「余計とは、何でしょうか?」
「俺が余計だと思ったら余計だ」
「独裁ね!」
あたしが言うと、源一郎は面倒そうに鼻を鳴らした。
でも、工具箱を開ける手は、早かった。
“席”という言葉を口にしたくせに、結局は配線と固定具と、落ち着く場所の角度を本気で考えている。
ぶっきらぼうは、たぶんこの人の照れ隠しだ。
照れ隠しができるくらいには、いまは余裕が残っている。
それが、ありがたい。
美優は、コントロールルームの隅で、枕を抱えて立っている。
さっきまでベッドにいたのに、もう自分の足で立っていた。
強い、と思った。
強いのに、目の奥はまだ揺れていた。
リセットされかけた子の揺れだった。
“自分が自分である根拠”を探している目だ。
「……わたし、席があるんだ」
美優は、言った。
その言い方が、確認みたいで、胸が締まった。
椅子の席じゃない。
存在の席。
ここにいていい、という席。
「ある」
あたしは、即答した。
即答しないと、また奪われる気がした。
「勝手に奪わせない」
言い切って、拳を握った。
次に奪いに来るなら、次はこっちが先に見つける。
先に気づいて、先に動いて、先に守る。
怒りだけじゃなくて、手順で勝つ。
やり方で勝つ。
それが、バーロックみたいな“綺麗な理屈の残忍さ”に対する、あたしなりの答えだ。
***
美優は枕を抱えたまま、小さく頷いた。
その頷きが、少し遅れて、少しだけ強くなる。
まるで心が“席”に落ち着いていくみたいに。
ファナークの白い光は、まだ信用できない。
GDCの腕章も、まだ信用できない。
でも――狭い通路のこの距離だけは、いま信じられる。
肩が触れても謝らない距離。
怒鳴っても戻ってくる距離。
そういう場所を、ひとつずつ増やしていけばいい。
美優は、『チーム・ラシード』の一員として働くことになったのだった。
(了)
後書き:このシリーズは、ここで終了いたします。読了ありがとうございました。近日中に、同じ世界観の別のシリーズを開始します。ある程度書きためてから投稿しますので、しばらく、お時間ください。主人公は、別の人物になりますが、後ほど、アーマッドやナルディアも出てくる予定です。応援宜しくお願いします!




