第三十六章 フランケン一家、グリム・バーロック
(視点:ナルディア)
――綺麗な理屈で人を壊すやつが、一番嫌い
補給区画の奥は、ファナークの“裏の裏”だった。
表の廊下は白くて、床が光って、空気が軽い。
でもここは違う。油の匂いがする。配管がむき出しで、塗装は剥げ、照明は古かった。
この場所が存在する時点で、ファナークは綺麗なだけの場所じゃない。
足音。
見えない相手の足音が、少し先で消える。
迷彩は光を隠せても、重さは隠せない。
その重さが、あたしを誘導しているのが分かる。
分かるのに、追うしかない。
「……美優……」
名前を口に出すと、怒りが一段深くなる。
怒りは燃料。
でも燃料は、操縦しないと爆発する。
分かってる。分かってるのに、爆発しそうだ。
通路の角を曲がった。
そこに、薄い光の帯――監視カメラの赤外線スキャンが走っていた。
表にある“監視”とは別の監視線だ。
GDCの研修によれば、これは、犯罪者が使う類いの監視線だろう。
「……なんで?」
あたしは、息を呑んだ。
ファナークの中に、こんな“別系統”がある?
研究ステーションの裏側に、犯罪者の目が張られているのだ。
背中が冷えた。
冷えるのに、怒りが熱かった。
さらに奥へ行くと、扉があった。
貨物扉、古い気密扉があった。
なのに、鍵は新しかった。
最近付け替えられている感じだ。
「……ここか」
耳を澄ますと、扉の向こうから音がする。
低い音楽。笑い声。金属を叩く音。
場違いな賑やかさだった。
あたしは、端末を握り直した。
緊急権限――ここでは効かない。
別系統の鍵だ。
「……じゃあ、物理で」
源一郎の真似をするみたいで嫌だったけど、真似るしかない。
床に無造作に転がっていた工具箱から、重いレンチを掴んだ。
手に馴染む重さだ。
“道具”の重さは、いまだけは味方だ。
レンチを扉の隙間に突っ込み、体重をかける。
金属が悲鳴をあげる。
ロックが一段、ずれる。
もう一段。
――開いた。
中は、ネオンと煙と安い酒の匂いだった。
宇宙で酒の匂いを嗅ぐと、吐き気がする。
逃げ場がない匂いだから。
クラブみたいな空間だった。
でも、クラブのふりをした、犯罪者の拠点だろう。
壁際に武器。天井に監視。出入口は少ない。
動線が上手すぎる。素人じゃない。
「……フランケン一家か」
ファナーク周辺の“便利屋”を装って、裏では横流し、拉致、改造をしてる黒い連中だ。 便利なものほど、誰かが血を流している。この仕事をするときに、『予習』して知っていた。
「おい、誰だ」
受付の男が睨んだ。
その目は濁っていたが、動きは鋭く、訓練されているのが分かった。
「客じゃない」
あたしは、言った。
声が低かった。
自分の声が、いつもより怖い。
「取り返しにきた」
空気が変わる。
音楽は鳴っているのに、周囲の視線が一点に寄った。
視線は刃だ。その刃が一斉にこっちを向く。
「女一人で?」
「うるさい。関係ない」
その瞬間、背後の扉が閉まった。
鍵の音だ。
逃げ道が消えた。
「……あー、最悪」
最悪でも、進むしかない。
視線の向こう――二階のガラス張りの部屋に、ストレッチャーが見えた。
その上に、美優がいた。
「美優!」
叫んだ瞬間、何かが動く。
男たちが囲む。
距離が詰まった。
手が伸びて、あたしの腕を掴もうとする。
――捕まる。
「離せ!」
レンチを振る。
一人の手を弾いた。
でも、数が多い。
背後から腕を取られ、脇腹に鈍い衝撃。
膝が落ちかける。
「女は縛ったほうが静かだ」
耳元で囁く声。
気持ち悪い。
怒りが爆発しそうになる。
そのとき――拍手が聞こえた。
パン、パン、パン。
綺麗すぎる拍手。
この場に似合わない拍手だった。
「素晴らしい。勇敢だね、黒雪姫」
声が、上から落ちてきた。
二階のガラス部屋から、男が出てきた。
スーツが上等で、靴が磨かれていた。
笑顔が優しいのに、目が冷たかった。
丁寧な人間のふりが上手いヤツだった。
――グリム・バーロックだ。
名前だけで悪いし、本人は、名前以上に悪い。
そもそも、人間じゃない、らしい。
「……何?」
あたしが吐き捨てると、バーロックは丁寧に頭を下げた。
「久しぶりだね。ここでは“管理者”とでも呼ばれている。……フランケン一家も、君がいま睨んでいるこの場所も、私の“下部組織”だ」
下部組織。
その言い方が、犬の首輪みたいで腹が立った。
「つまり、あんたが美優をさらわせたの?」
「さらわせた、とは語弊がある。回収だよ。……本来、私のものだ」
あたしは、思わず笑ってしまった。
笑いが出た。
まあ、怒りで息が詰まるより、笑って吐き出したほうがいい。
「は? 何それ。所有権主張? 宇宙は、幼稚園じゃないんだけど!」
バーロックは、微笑んだ。
微笑み方が、綺麗すぎる。
「幼稚園ではない。だからこそ、所有権は重要だ。……私は、グラブール人の門外不出のテクノロジーで作られた“機怪人形”を、正当に頂いたのだ」
「正当にって、犯罪者が言う?」
バーロックは、肩をすくめた。
「犯罪者……いい響きではないね。私は合理主義者だ。――だがまあ、指名手配で顔が割れてしまった。表の世界では生きづらい」
言い方が軽かった。
“顔が割れた”を、少し不便になった程度に言う。
その軽さが、残忍さの一部だ。
バーロックは、わざとらしく溜息をついた。
「それなのに――横取りしたのは、君たちだろう?」
「は?」
あたしの眉が跳ねた。
「宇宙船墓場で拾っただけだ。横取りって言うなら、そっちが先に何かしたんだろ?」
「君は本当に、物語の外側を見ない。……あの機体は、私の拠点で回収される予定だった。グラブール人の技術は、扱える者が扱うべきだ」
「扱える者? あんたのこと?」
バーロックは、笑った。
笑って、平然と二階のガラス部屋へ目を向ける。
「そうだ。私は“器”が必要なんだ」
器。
その単語が、背骨を冷やす。
「器って……?」
「身体だよ。新しい身体。……私のように顔が割れた者は、身体を替えるのが最も合理的だ」
淡々と。
合理的と言いながら、目は楽しそうだった――オモチャを解体する前の子供みたいだ、と思った。
あたしは、歯を食いしばった。
「美優は“身体”じゃない。人だ」
バーロックは、首を傾げた。
わざとらしく。
「人? 面白いね。君は、あれを人と思っているのか?」
「思っている。あんたの許可は、いらない」
バーロックは、さらに穏やかに言った。
「では説明しよう。あのアンドロイドは、彷徨う魂を捕獲して――」
その言葉で、空気が変わった。
美優の肩が、微かに揺れた。
眠っているはずなのに、反応したみたいに。
「捕獲して?」
あたしが反射で訊き返すと、バーロックは丁寧に続ける。
「そう。魂とは、情報の束だ。その“機怪械人形”は、彷徨う情報を捕まえ、器に入れ、人格を“シミュレーション”する。……人間のように振る舞い、泣き、怒り、愛するように見せる。素晴らしい技術だろう?」
「見せる、って……」
「本物かどうかは関係ない。重要なのは機能だ。――君の美優は、誰の魂を捕獲したのだろうね?」
バーロックの視線が、源一郎のいない、こちら側をわざと見た。
まるで、既に答えを知っているみたいに。
「……源一郎の……?」
あたしの喉が、乾いた。
バーロックは優しく言った。
「そう。君の仲間の守護霊。先祖霊。あるいは――長い間、彼の背後に貼りついていた何かだ。あの器は、彼に付随していた彷徨う魂を捕獲し、元々の情報がもつ“高校生”という形式で再構成したのだ」
言葉が、刃みたいに胸に刺さる。
美優が“源一郎に憑いていた魂”だって?
そんなの――
「……嘘」
あたしが吐き捨てると、バーロックは楽しそうに頷いた。
「嘘であってほしいかい? だが、君たちはもう気づいているはずだ。彼女は、人類の単純な機械のような“ただのアンドロイド”ではない。だから恐怖なのだ。だから美しい。だから価値が、ある」
価値。
その言葉が、最悪に気持ち悪い。
「価値って言うな!」
あたしが言うと、バーロックは笑ったまま、手を伸ばした。
ガラス部屋の端末へ。
そこに、赤い文字が表示される。
『RESET』
あたしの心臓が跳ねた。
「やめろ!」
「君たちは勘違いしている。私は彼女を壊すつもりはない。……“初期化”するだけだ」
「初期化って、壊すのと同じ!」
「違う。壊すのは無駄だ。初期化して、魂の座席を空ける。……空いた座席に、私が座る」
その言い方が、あまりにも平然としていて、吐き気がした。
自分が座る。
人を椅子みたいに扱う。
しかもそれを、礼儀正しく語る。
「……あんた、最低」
バーロックは穏やかに言った。
「最低でもいい。私は生き延びる。生き延びるために、他者の人生を資源として扱う。それが宇宙だろう?」
「宇宙を言い訳にするな!」
あたしは暴れようとした。
でも、腕を押さえられている。
膝が床に押し付けられる。
骨がきしむ。
怒りが爆発しそうで、視界が赤い。
バーロックが端末に指を置く。
ゆっくり。
わざとゆっくり。
残忍なやつは、急がない。
相手が壊れるのを見たいから。
「最後に、君に選択をあげよう、黒雪姫」
バーロックは笑った。
「君がここで跪いて、彼女を“物”と認めるなら、私は初期化を少し遅らせてもいい」
「……っ」
「認めないなら、すぐ押す」
指が、スイッチの上で止まる。
止まっているのに、押されたのと同じくらい恐ろしい。
あたしの喉が、熱くなった。
言葉が出ない。
出したら負ける。
でも黙ったら、美優が消える。
その瞬間、あたしの身体の奥で、ナノマシンが“ぞわ”と動いた気がした。
怒りと恐怖で、心拍が上がったのを補正しているのだ。
勝手に冷静さを作ってくる。
腹立つけど、いまは必要だ。
――考えろ。
ここで跪くな。
でも、美優を消させるな。
あたしは歯を食いしばって、低く言った。
「……押すなら、押せばいい」
自分でも意外な声が出た。
震えていない。
怖いのに、声が震えない。
バーロックの眉が、ほんの少し動いた。
「ほう」
「押したら、あんたを殺す。今すぐじゃない。宇宙のどこに逃げても。魂だろうが器だろうが、絶対に追い詰めて……叩き潰す」
言い切った瞬間、周囲のフランケン一家の奴らがざわついた。
女一人の脅しに反応するのが、こいつらの小ささだ。
でも、脅しは脅しで終わらせない。
「ナルディア……!」
誰かが叫んだ気がした。
遠い。
アーマッドか、源一郎か。
まだ来ていないのに、気配だけが近づいている。
バーロックは、楽しそうに笑った。
「怒りは美しい。……私は、君の怒りが好きになったよ」
「好きとか言うな!」
「だが君はここで死ぬ。……そして、彼女は私になる」
指が、押し込まれそうになる。
その瞬間――天井の換気口が、金属の悲鳴を上げた。
嫌な音じゃない。
“味方がくる音だ”
同時に、照明が一斉に明滅した。
迷彩が乱れた。
監視が乱れた。
一瞬だけ、手の束縛が緩んだ。
あたしは、その一瞬に全てを賭けた。
腕を捻る。
掴んでいた男の指を逆に折る。
痛覚を期待する動きじゃない。
関節の限界を叩くだけ。
男が悲鳴を上げた瞬間、あたしは床を蹴った。
レンチを掴み直し、二階のガラス部屋へ投げた。
「――やめろ!!」
レンチがガラスに当たり、蜘蛛の巣みたいにひびが走る。
ひびが走っただけなのに、バーロックの“余裕”が一瞬だけ揺らいだ。
その揺らぎが、あたしには勝ちだった。
勝ちを、次に繋げる。
あたしは、叫んだ。
「美優は物じゃない! 誰かの魂だろうが何だろうが、いまここにいる“美優”だ! あんたの座席じゃない!」
叫びの最後が掠れる。
でも掠れてもいい。
声が届けばいい。
届くべき場所に、届けばいい。
バーロックは、笑った。
笑いながら、冷たい声で言った。
「素晴らしい。……だからこそ、初期化は価値がある」
指が、再びスイッチへ。
――間に合え!
あたしの中で、時間が伸びた。
パルスのときみたいに。
苦しい瞬間ほど、時間は伸びる。
でも、伸びた時間の端で――
換気口が割れた。
光が落ちる。
重い影が落ちる。
そして、あたしは確信した。
――来た




