第三十四章 ファナーク到着、ホテル待機という罠
(視点:ナルディア)
――安全って言葉は、だいたい裏切る。しかも疲れてるときに限って。
また超高速モードで飛ばして、ステルスのまま、ロンド星系まで到着した。
宇宙ステーションのファナークが見えたとき、あたしはまず「綺麗だ」と思ってしまった。
思ってしまった自分に腹が立った。
研究ステーションは、夜空に浮かぶ白い骨格みたいで、余計な装飾がなかった。
ランキスの軌道エレベーターのゴテゴテとしたステーションと違って、無駄を削った清潔感があった。
清潔は、外から見ると安心に見える。
でも中に入ると、安心はだいたい“監視”の別名になることは、知っている。
『ファナーク:入港許可。航路誘導を受領。推進抑制。ステルスモード、解除』
航行AI――シラトリの淡々とした声が告げた。
淡々が、今日はありがたい。
感情がある声だと、こっちの感情が揺れる。
「ステルス解除、嫌だなあ……」
あたしが、ぼやくと、源一郎が、ぶっきらぼうに返した。
「解除しねえと、入れねえ。それに、ずっと吹かしてきたから、SERとキャパシターの負荷が大きい」
「そりゃそうだけど、追撃戦の後に解除するの、裸で歩く感じ」
「裸で歩くな。装甲で歩け」
「言い方!」
船体は、右舷側に焼け跡が残っていた。
外装は、補助隔壁で閉鎖済みだ。
致命傷ではない。
でも、こういう“致命じゃない傷”が積み重なると、最後に死ぬ。
宇宙は、そういう足し算が好きだ。
アーマッドが、淡々と指示を出す。
「入港後、ムゥ・アルシウムは研究所へ。こちらは状況報告。源一郎は、艦の応急点検。ナルディアは――」
「レーダーと通信ログまとめ?」
「そうだ。追撃のパターン、火球と光刃の挙動、媒介反応の座標変化を全部残す」
「了解。……吐きそうだけどやる」
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「吐くな。吐いたら掃除回数が増える」
「そこに戻るな!」
美優は、座席で静かに呼吸していた。
金属の身体なのに、疲れているのが分かった。
めくらましで、センサーを騙した反動があったのだろう。
「とりあえずは、二人で休め。まとめは、後でいい」
アーマッドの言葉に、頷く。
おそらく、美優自身の葛藤――“自分が武器として役に立ってしまった”という嫌な実感も、残っているのだと感じた。
「……美優、大丈夫?」
あたしが聞くと、美優は、一度だけ頷いた。
「……大丈夫、たぶんね。……でも、怖いのは、残っている」
「残ってていいよ。怖いのが、正常」
そう言った瞬間、ステーション側のドッキングライトが、やけに眩しく感じた。
眩しいのに冷たかった。無菌室みたいな光だった。
***
ドックに入ると、人の動きが早かった。
早すぎる。
歓迎というより“処理”っぽい。
シラトリを、あたしたちを、貨物と同じラインに載せて流していく動きだ。
GDCの腕章があった。
ファナークにも、当然、いるのだろう。
だけど、当然、腹が立つ。
「……追っかけてきた?」
あたしが小声で言うと、源一郎がぶっきらぼうに返した。
「追っかけじゃねえ。元からいる。ここは、研究ステーションだ」
「それも嫌!」
アーマッドが、GDC職員と短く言葉を交わした。
ムゥ・アルシウムの受領。
遮蔽室への搬入。
そして――美優への視線があった。
視線は、言葉より痛い。
白い手袋の職員が、形式的に言った。
「……技術協力者の方にも、後ほど簡易確認をお願いします」
簡易確認。
便利な言葉――だいたい、嫌なことをオブラートで包んでいるタイプのやつだ。
「私の同席が条件だ。記録も残す」
アーマッドが、淡々と応える。
「承知しました」
承知しました、の発音が綺麗すぎて信用できない。
綺麗な言葉は、だいたい刃を隠している。
手続きは流れるように終わった。
終わり方が、早すぎた。
疲れている身体に、早さは麻酔みたいに効く。
麻酔が効いた瞬間が、一番危ない。
***
その後、結局、あたしたちは「ホテル待機」という名目で区画を移された。
待機。
その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感が皮膚の下で跳ねた。
「……待機って言葉、嫌い」
あたしが言うと、美優は枕を抱えたまま小さく頷いた。
「……置いていかれるみたいで、嫌」
「置いていかない。絶対」
言い切った。
言い切ったのに、言い切った言葉が喉の奥で引っかかる。
宇宙は、言い切った言葉を折るのが好きだ。
アーマッドは、状況報告へ。
源一郎は、シラトリの応急点検へ。
残ったのは、あたしと美優だ。
部屋は、綺麗すぎた。
床が光り、空気が軽い。
そして――見えない“誰か”の気配がした。
綺麗な部屋で、異物が混じると分かりやすいはずなのに――分かりやすいはずの異物が、分からない。
照明がふっと“色を失った”。
暗くなるんじゃない。色だけが抜けたように思った。
世界が一瞬、白黒になる。
「……え?」
耳が変だ。
雑音が小さくなる。
心臓の音だけが近い。
そして空気が“濃く”なった。
湿度じゃない。圧だ。
――来る。
あたしは反射で立ち上がり、端末を掴む。
通信。
……圏外じゃない。
なのに、繋がらない。
妨害。
また妨害。
「くそ……!」
美優が息を呑んだ。
「……いる」
「どこ」
問い返した瞬間、背中に寒気がした。
見えない視線。
見えない輪郭。
部屋には二人しかいないはずなのに、“立っている”圧があった。
床がきしんだ……気がした。
本当は、音が鳴っていないのに、脳が「足音」と判断する。
もし光学迷彩だったら、光は隠される。
でも、重さは隠せない。
空気の揺れも、残る。
「……どこ?」
言い終わる前に、空気が裂けた。
輪郭が現れた。
細い人型だ。
関節の動きが滑らかすぎる。
姿勢が不自然に正確だ。
人間の“迷い”がない。
アンドロイドだ。
「待っ――!」
あたしが叫ぶ間もない。
腕が伸びる。
速い。避ける余地がない。
とっさに、テーブルの花瓶で殴りかかる。
ヒットした!
すると、手首の先で青白い火花が散った。
「スタン……っ!」
電撃が皮膚を貫いた瞬間、感覚が“まとめて黙らされる”。
痛いじゃない。熱いでもない。
神経が一斉に落とされる感覚。
身体が、命令を受け取らなくなる。
声が出ない。息が止まる。視界が揺れる。
倒れる瞬間、あたしは美優を見た。
美優も固まっている。
いや、固まっているというより、動けない。
機械人形が背後に回り、首筋に何かを当てた。
美優の瞳が大きく開く。
「……ナル……」
呼びかけが途中で切れる。
美優の身体から力が抜ける。
倒れそうになったところを、機械人形が支えた。
あたしの意識が沈む直前、見えたのは――
美優を抱え上げ、光学迷彩が再起動して輪郭が薄れていく光景。
そして最後に、耳の奥でシラトリの淡々とした警告が遅れて届いた。
『異常電磁パルス検知。局所。発信源――』
途切れる。
妨害。
遅すぎる。
――くそ。
追撃戦を抜けたのに、ここで奪われるなんて。
待機はフラグだって、知ってたのに。
暗転する視界の中で、あたしは誓った。
次に目が覚めたら、絶対に取り返す。
もう二度と、置いていかせない。




