第三十二章 緊急出航、テューロ鉱山、結晶の影
――子供は残る。大人は出る。宇宙はそれでも容赦しない
(視点:ナルディア)
GDCの白い腕章が背後に残ったまま、あたしたちはドックを抜けた。
ランキスの空は明るいのに、胸の奥がざらついた。
綺麗に整えたはずの現実の隙間から、また別の現実が覗いてくる予感がする。
アーマッドが歩きながら、淡々と告げた。
「ムゥ・アルシウムの輸送任務だ。期限が短い」
「短いって、どれくらい?」
あたしが訊くと、アーマッドは端末の数字を確認して言った。
「四時間」
「四時間? 短いのレベルがおかしい!」
美優が、小さく息を呑む。
源一郎は、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「半減期が短いってやつだろ。遅れたら“荷物”が“別物”になる」
「別物になる危険物って、言い方だけで最悪!」
そこで、背後から小さな足音が追いかけてきた。
「待って! 僕も行く!」
トーマスだ。
目が真っ直ぐで、息が切れてて、肩が小さく上下している。
子供のくせに、無理して大人のスピードに合わせて走ってきたんだろう。
その“背伸び”が、今は痛い。
「今回は、だめだ」
アーマッドが即答した。
声は静か。だから、余計に逆らえない。
「でも――」
「だめだ。通常任務に、子供は出せない」
当たり前なのに、言われると胸が締まる。
宇宙は、当たり前を簡単に壊すから、当たり前を守る言葉が逆に重く聞こえる。
トーマスの唇が震えた。
「僕だって……役に立てるのに。墓場でも、戦闘も手伝った」
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「役に立つな。ここで生きてろ」
「言い方!」
あたしが思わずツッコむと、源一郎は、面倒そうに肩をすくめた。
「生きてるやつが一番役に立つ。死んだらゼロだ」
トーマスが、ぐっと堪えた顔をした。
泣きそうなのに、泣かなかった。
その我慢が、子供の我慢で、胸が痛い。
あたしはトーマスの前にしゃがんだ。
目線を合わせる。
こういうときに大人ぶると、余計に子供は傷つく。
「トーマス。今回、残って。お願い」
「……お願いって……ずるい」
「ずるいよ。分かってる。でも、ずるくても頼む」
トーマスは、唇を噛んで、やっと頷いた。
「……分かった。じゃあ僕、基地で待つ。連絡、絶対して」
「絶対、する」
「こちらからも、定時連絡を入れる」
アーマッドが、短く言った。
トーマスは、それで少しだけ救われた顔をした。
“仕組み”があると子供は安心するのだ
大人も、同じだけど。
シラトリの乗り込み口で、トーマスは最後に、美優を見た。
美優もトーマスを見て、小さく頷いた。
「……帰ってくる」
美優は、小さく告げた。
トーマスは、ぎゅっと拳を握った。
「うん。……帰ってきて」
そのやり取りが、出航前の空気を少しだけ柔らかくした。
柔らかくしたぶん、これからの硬さが怖い。
***
艦内に入ると、音が変わった。
人の街の音じゃなく、船の音だ。
生き物の呼吸じゃなく、機械の循環音がする。
『シラトリ、緊急出航シークエンスを開始します。承認:アーマッド』
シラトリのAIの声だった。緊急出航だから、ほとんどAIに任せるんだろう。
「承認」
アーマッドが、淡々と言った。
AIが航行しても、最終の責任は人間が持つ。
アーマッドが“面倒を見る”って、たぶんそういう意味だ。
面倒を見るって言葉は軽いけど、やってることは首を差し出すことに近い。
源一郎が、補助席に座り、ぶっきらぼうに端末を叩いた。
「機関、武器系統、チェック。……くそ、またこの配線、癖が悪い」
「癖って何!?」
「癖は、癖だ。言葉の癖みたいなもんだ」
「言葉の癖の例に出すな!」
あたしは、この間は、トーマスが対応していた係も担当する。
レーダー、通信、状況把握、雑用全部。
“その他要員”って、便利な言葉だ。
便利な言葉は、だいたい胃にくる。
「レーダー、グリーン。外部通信、GDC監視回線、まだついてる……」
「切れる?」
美優は、前にヴェシルドの月に行ったときのあたしの席に座っている。
あたしは、舌打ちしたいのを飲み込んだ。
源一郎が告げる。
「切ると面倒が増える。……増えた面倒は、向こうの口実になる」
「今回は、繋いでおけ。必要なら、こちらから切る」
アーマッドが淡々と言った。
「“必要なら”って言い方、怖い」
「それが現実だ」
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
言い方が嫌いなのに、納得してしまうのが腹立つ。
***
『目的地:ランガータ星系、惑星テューロ。到着予定:六十分以内。通常航行では間に合いません』
AIが言った。冷静すぎる声が、逆に怖い。
アーマッドが告げる。
「〈先住者〉リアクターの超高速インフレーション・パルスモードを使う」
あたしの胃が沈んだ。
さっきまで少し柔らかかった空気が、一気に硬くなる。
「……それ、例の“内臓が滑る”やつ?」
源一郎が、ぶっきらぼうに即答する。
「そうだ」
「即答しないで! 否定して!」
「否定できねえ」
美優が小さく呟いた。
「……空間、膨らませる……?」
『説明:ストライプド・リープ航法の際、υ空間に働きかけるインフレーション・スキッドの間隔を最大限に膨張させ、その位相差を利用して、速度を稼ぎます。人体への影響:重力感覚の乱れ、前庭器官の混乱、吐き気』
AIが、淡々と追加する。
やめろ。丁寧に言うな。吐き気は吐き気だ。
「シラトリ、黙って!」
……通常、船のAIには、その船と同じ名前が付けられている。だから、このシラトリのAIは、『シラトリ』なのだ。
『黙る機能は、搭載されていません』
「最悪!」
今回は、前よりシラトリが饒舌になっているように思える。ひょっとしたら、あたしへ遠慮していたのが、学習されてなくなったのか?
「開始」
……あたしが考え込む間もなく、アーマッドが淡々と命じた。
『超高速モード、起動。安全拘束、再確認』
ハーネスが締まった。
船が息を吸う。
次の瞬間、世界が伸びた。
星が線になる前に、視界が“薄い板”みたいに感じられる。
薄いのに、圧は重い。
身体が押され、脳が揺れ、胃が置いていかれる。
「っ……うぇ……」
情けない声が漏れた。
レーダーの数字が踊る。
踊るな。お前まで酔うな。
『位相安定。超光速パルス、進行中』
「うえぇ……」
源一郎が、ぶっきらぼうに言う。
「吐くな。吐いたら掃除回数が増える」
「そこ? 心配の方向性!」
美優が、こちらを見て、少しだけ眉を寄せた。
「ナルディア……」
「だ……いじょ……ば……ない……」
「うん、知ってる」
「知ってるなら、せめて手を握って!」
美優が一瞬迷って、でも手を伸ばした。
冷たい手だった。
でも、握られると“人”に戻れる気がした。
身体が“追いついた”と思った瞬間にまた置いていかれる。
宇宙は、意地悪だ。
頑張って耐えながらも――ほとんど戻しそうになったところで、突然、圧が抜けた。
視界が厚みを取り戻した。
星がまた点になった。
『到着しました。ランガータ星系外縁、テューロ降下軌道へ移行』
AIの声が、やっと普通に聞こえた。
普通の声がこんなに嬉しいの、嫌だ。
「……しぬ……」
あたしが絞り出すと、源一郎がぶっきらぼうに返した。
「死ぬな。レーダー見ろ。仕事しろ」
「仕事の振り方が鬼……」
「鬼でいい。現場だ」
「また……現場万能説……やめて」
でも、レーダーを見る。
見ると、少し、落ち着いてきた。
GDCで入れたナノマシンは、酔い止め機能もあるらしい。
すっと不快感は消えた。
***
惑星テューロは、上空から見ただけで疲れている感じの星だった。
くすんだ茶色の地表には、わずかばかりの薄い雲がかかっている。
赤道付近に、鉱山の傷跡がいくつも口を開けていた。
巨大な人工の谷間に灯りが点々とあって、星の皮膚が縫い跡みたいに見えた。
『降下開始。大気薄。粉塵濃度:高』
シラトリが、大気へ滑り込んだ。
揺れはあるものの、重力磁場バリアーの流体制御を完璧にしているから、まったく船外にプラズマはできない。マッハでいったらもの凄いスピードなのに――と、あたしは、故郷の星で、最初にアーマッドと出会ったときのことを思いだした。
でも、粉塵のせいで、視界が茶色に濁った。
口の中がざらつく気がして、嫌になった。
シラトリは、急制動をかけると、すっと鉱山基地の搬出用ポートに降りた。
その鉱山基地は金属の骨組みでできていた。
足場、パイプ、コンテナがあった。
せわしなく、無人の鉱山機械が行き交っている。
通路がつながって、建物に入ると、人は多いのに、皆、顔色が薄かった。
ここで働くってことは、体力も心も削られるってことだろう。
「GDCの依頼の『チーム・ラシード』だ」
アーマッドが代表して言うと、すぐにロビー側の部屋に案内された。
「こちらです」
受領手続きは、異様に早かった。アーマッドが端末をかざしただけで終わった。
早すぎる。
でも時間がない。裏を嗅ぐ余裕がない。
その余裕のなさが、一番の敵かもしれない。
あたし達がシラトリに戻ると、小さな黒いコンテナが、すぐ搬出されてきた。
シラトリの格納庫で待機していると、直接、ドローンで係留された。
すぐハッチを閉めて、コンテナの固定を確認する。
その遮蔽は、厚かった。
触れると冷たい。
冷たいのに、背中が熱くなる気がした。
嫌な圧を感じる冷たさだった。
「……確かに、感じる」
美優は、箱の前で立ち止まった。
目が箱の表面を見ていない。
中の“影”を見ているように思えた。
「分かるの?」
あたしが訊くと、美優はゆっくり頷いた。
「……これは、シャドー・マターの結晶です」
結晶。固まった影の物質――固まった危険――そして、固まった欲。
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「詩にすんな。物理的に説明しろ」
「四次元の物理じゃ、拾えないわ」
美優が珍しく即答した。
その反抗が、少し嬉しい。
生きている反抗だ。
美優は、コンテナに手を当てた。
「……安定化、できる」
「どうやって?」
あたしは、尋ねた。
「影が、漏れているの。閉じ方が雑ね。漏れ方が荒い。……整えます」
美優が、目を閉じた。
息を吸う動作が自然で、胸が少しだけ痛む。
“高校生だったはずの子”が、宇宙で影を整えている。
次の瞬間、世界に薄い膜が張ったような気がした。
密度が変わる感覚だ。
すると、コンテナ表面に、淡い光る線が走った。
何かの式みたいにも見える線だった。
何か、怖い美しさだった。
「……できた」
美優が、そう言った。
すると、先程から感じていた嫌な圧が少しだけ引いたように思えた。
源一郎が、ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「……余計なことすんな。だが……効いてる」
「それ、褒めてるの?」
「観察だ」
「観察、万能説!」
あたしがツッコむと、美優が小さく笑った。
粉塵の星の中で、笑いがやけに眩しかった。
『積載完了。出航準備。目的地:ロンド星系、宇宙ステーション“ファナーク”』
AIが告げた。ファナークは、全体が大きな学園都市のようになっている研究用の宇宙ステーションだ。
時間がない。
鉱山の空気は重かった。
重い場所には、欲が沈んでいる。
欲はだいたい、あとから追ってくる。
あたしはレーダーを見た。
上空の反応は――まだ、ない。
でも、“まだ”が怖い。
宇宙はいつも、遅れて牙をむく。




