第二十九章 「二十世紀の高校生」だったはずの私
(視点:ナルディア)
美優は、最初のうちは“現状確認”をしていた。
混乱して泣き叫ぶでもなく、いきなり暴れるでもなく、ただ、静かに周囲を見ていた。
それが逆に怖い。
人間って、混乱したら声が出る。
でも美優は、声を出す前に、何かを計算しているみたいだった。
「……あの、さ」
あたしが言葉を選びながら話しかけると、美優はゆっくり顔を向けた。
「……あなた……誰……?」
「ナルディア。GDC所属で、『チーム・ラシード』で研修してる。……で、あんたは、ほんとに、高校生?」
美優の視線が泳いだ。
泳ぐというより、焦点が“合わない”感じだった。
過去の映像を探してる目。
「……制服……」
美優が小さく呟いた。
自分の胸元を見て、何もないのを確認して、眉をひそめる。
「……教室……窓……春……」
断片だった。
それは一枚の絵じゃなくて、破れた写真の切れ端だった。
「……猫……」
そこで、美優の声が少しだけ震えた。
感情が混じった。
「……猫が……車道に……」
美優は、目を閉じ、次の瞬間、目を開いた。
その動きが、やっぱり人間の“決断”の動きだった。
「……走って……抱えて……」
言葉が、詰まる。
その後が続かない。
続かないのに、痛みだけが先にきた。
あたしは、その痛みを知ってる――言葉にできないところで、胸が張り裂ける、ってやつだ。
「……トラック……」
美優が、吐き出すように言った。
「……痛かった……はず……なのに……」
美優は、自分の指を見た。
爪が整いすぎていた。
皮膚の質感が均一すぎる。
血色も、ない。
震えても、ない。
震えたくても、震え方が分からないみたいな手だった。
「……痛く……ない……」
その言い方が、泣き声より痛い。
美優は、自分の腕をつねった。
強く。
でも、表情が変わらない。
変わらないのに、視線だけが苛立っているように見えた。
「……ねえ……」
美優は、あたしを見た。
「……これ、夢……?」
「夢じゃない」
源一郎が、ぶっきらぼうに割って入った。
整備用の端末を片手に、配線のログを追いながら。
「夢なら、こんな面倒な起動手順は、ない」
「……面倒って……?」
美優が、かすかに笑った。
笑い方が、ぎこちなかった。
「……わたし……面倒な、もの……?」
その瞬間、あたしは言いかけた。
違う、と。
でも、言葉が喉で止まった。
“違う”と言うのは簡単だ。
でも、現実は、簡単じゃない。
だから、あたしは別の言い方を選んだ。
「面倒なのは、状況。あんたじゃない」
美優の目が、少しだけ揺れた。
「……状況……」
「そう。あんたは、何かに巻き込まれた」
美優は、喉のあたりに手を当てた。
喉に、脈がない。
ないのに、手を当てる。
そこが“自分”だと思っているから。
「……わたし……死んだ……?」
その問いは、宇宙より冷たかった。
あたしは、一瞬、答えられなかった。
源一郎が、ぶっきらぼうに言った。
「死んだかどうかは知らねえ! だが、ここにいる。動いてる。それが現実だ」
「……現実……?」
美優は、何度も繰り返す。
現実を口に出して、手触りを確かめるみたいだった。
美優の視線が、ふとコックピットの外へ向いた。
宇宙。
黒い海。
漂うデブリの群れ。
「……ここ……宇宙……?」
「そう」
あたしが答えると、美優は、小さく息を呑んだ。
息を呑む動作がある。
でも、肺があるのかは分からない。
その矛盾が、いちばん怖かった。
「……わたし……家……」
美優が言いかけて、言葉が崩れた。
「……お母さん……」
そこだけは、機械じゃなかった。
そこだけは、ちゃんと人間だった。
美優は、両手で顔を覆った。
覆ったのに、涙が出ない。
出ないから、余計に苦しい。
「……泣けない……」
声が震えていた。
「……泣き方……忘れた……?」
あたしは、そっと美優の肩に手を置いた。
金属の冷たさが伝わった。
でも、その冷たさの奥に、熱がある気がした。
「泣けなくてもいい。……いま、ここで、ちゃんと苦しいなら、人間だよ」
美優は、顔を上げた。
目が、あたしを見た。
「……人間……?」
「少なくとも、あたしはそう思う」
源一郎が、ぶっきらぼうに言う。
「気休め言ってる暇があるなら、本人の情報引き出せ。原因が分かりゃ、対処もできる」
「……対処って……元に戻せるの?」
美優が縋るみたいに訊いた。
源一郎は、少しだけ黙った。
黙ったあと、短く言った。
「簡単じゃねえ。だが、ゼロとも言ってねえ」
その言い方が、優しさだった。
雑で、不器用で、でも嘘じゃない。
美優は、ゆっくり頷いた。
「……じゃあ……協力する……」
そして、小さく付け足す。
「……わたし……ここで、消えたくない……」
その言葉に、あたしの胸が熱くなった。
怖い。
でも、守りたい。
この矛盾を抱えたまま、ここから出るしかない。




