第二十五章 アルムニナ宙域、墓場の入口
――静けさって、宇宙ではだいたい罠
母船の中は、がらんとしている。
それが怖い。
シラトリの船内は、軽い振動と、細かい電子音と、人間の気配が混ざって「生きてる」感じがある。
でも母船は違う。
鼓動が深い感じがする。
壁の向こうで反応炉が眠っていて、その眠りが浅くなると、船体が“ふう”と息をするみたいに微振動を返してくる。SER、真空がもつ情報、つまりダークエネルギーを純粋なエネルギーとして取り出せるリアクターだ。
皆、今は艦橋に集まっていた。
艦橋――地球人類の大型戦闘艦は、船体から重力磁場バリアーの密度を最大限にできる箇所に突出した区画を、CIC兼コントロールルームにすることが多い。歴史的な経緯から、それが艦橋と呼ばれる。
艦橋の照明は、格納庫と同じ白さなのに、少し色温度が高い。
顔が青く見える。
これは、戦うための照明だ、と直感する。
現場の人間の肌がどう見えるかより、計器がどう見えるかが優先されている。
緊張させる仕様だ、と思う。
でも、緊張を隠すのも、上手い。上手いせいで、余計に怖い。
「ストライプドリープ航法は、高速インフレーション・パルスモードでいく。……揺れるぞ」
「お前さんも知ってるだろうが、ストライプド・リープ航法は、υ空間で、|疑似インフレーション現象をミリ秒単位でパルス的に起こして、光速を超えた移動する。つまり、『高速』モードでパルスの間隔を短くすると、調整が完璧ではなくなる――揺れる、というこった。まあ、高速モードにしても、大した到着時間の差はねえがな」
源一郎が、ぶっきらぼうに言う。
「揺らさない航法があるなら、そっちを使ってくださいよ!」
あたしが言うと、源一郎は当然のように返した。
「この船は大きいから、酷くは揺れねえ。それに、停泊すれば、揺れなくなる」
「それは航法じゃない!」
「この船は、元々、軍艦――水雷母艦だ。速い方が似合っている」
アーマッドが短く割って入る。
「行く」
それだけで、冗談は終わる。
トーマスがスロットルを押し込み、空間が薄く引き伸ばされた。
星が線になった。
見慣れているはずなのに、母船で見ると、圧が違う。
視界の奥が“持っていかれる”感じがする。
胃が、ほんの少し遅れて追いついてくる。
揺れ。
いや、正確にいうと、揺れじゃなかった。
重力の方向が、ほんの一瞬、曖昧になる。空間跳躍のパルス駆動が速すぎて、Gキャンセラーが働かないせいだ。
足裏が床を探して、床のほうも足裏を探しているみたいな感覚だった。
「……嫌い」
あたしが小さく言うと、源一郎が返す。
「好きなやついねえよ」
妙に優しい言葉だったので、余計にムカつく。
優しい言葉を優しく言わないから、ツッコミが追いつかない。
***
二日をかけて進み、船の揺れに慣れたころに、ストライプド・リープ航法が終了した。
計器が一斉に現実の数字を示すようになった。
その瞬間、艦橋の空気が変わった。
静かすぎた。
宇宙の静けさは本来、当たり前だ。
音がないのが標準だ。
でも、計器が示している静けさが“静かすぎた”。
通信ノイズがあまりなかった。
中立宙域なら、商船の微弱ビーコンが散るはずだ。
辺境でも、ジャンクの反射もある。
なのに、アルムニナ宙域の入口は――妙に整っていた。
「……おかしいね?」
現在、レーダー員を担当していた、トーマスが呟いた。
あたしは、顔を上げた。
「何が?」
「反射が少ないよ。デブリが“掃除されてる”みたい」
源一郎が、鼻で笑う。
「墓場の入口で掃除? 趣味悪い管理人がいるんだろ」
アーマッドは、笑わなかった。
視線が、スクリーンから動かなかった。
「索敵」
短い命令。
トーマスは、即座に動いた。
複数帯域のレーダー、ニュートリノ、重力波センサー、熱源解析、その他を詳細索敵モードにした。
すると、画面に点が増え始めた。
増える。
増える。
増える。
「……うわ。艦影、多数、います! 機動戦闘機多数、巡洋艦級2、です」
トーマスの声が一段低くなる。
あたしは、喉が乾くのを感じた。
母船の艦橋にいるのに、砂漠みたいに口の中が乾いていく。
「海賊か」
アーマッドが、呟いた。
「え、いきなり! 歓迎が雑すぎません?」
「歓迎は、だいたい雑だ」
源一郎が、ぶっきらぼうに言う。
「いや、そこ肯定しないでください!」
画面に映る艦影は、編隊を組んでいる。
しかも動きが揃っている。
海賊なら、“欲”の匂いがすると、GDCのシミュレーションで習った。
獲物を取り合う焦りとか、隊列の乱れとか……。
でも、これは……整然としている。
――嫌な予感がする。
アーマッドが言う。
「交戦だ。主砲準備」
その言葉を聞いたAIが、「了解」の表示を返した。
「問答は? 問答はないんですか?」
「ない」
源一郎が肩をすくめる。
「ビーコンも呼びかけもない。相手が撃ってくる前提だ。ここは、墓場だぜ?」
「墓場だからって撃っていい理由にならない!」
「宇宙では、なる」
源一郎が、短く言った。
その言い方に、あたしは腹が立つより先に、背筋が伸びる。
“宇宙の常識”は、普通の惑星の倫理より冷たいのだ。
だからこそ、現場では準備がいる。
アル・サファーが動いた。
重いはずの船体が、意外なほど滑らかに、横へ流れた。
機動というより“ずらす”のだと思った。
そう、敵の照準線から、ほんの数メートル、ほんの数十メートル、ズレるだけでいいのだ。
宇宙では、その“ほんの”が生死を分ける。
艦橋の床が、低い唸りを返した。
反応炉が目を覚まし、船体の骨格が戦うために固くなる音だ。
あたしは、ハーネスを握り直した。
指先が少し冷たい。
怖い。
でも、ここで怖がっても、誰も代わってくれない。
アーマッドが言う。
「撃て!」
アル・サファーの主砲が、唸った。




