第二十四章 母船、アル・サファー
――宇宙では、「研修」って言葉ほど信用できないものがない。
格納庫の照明は、いつも白すぎる。
白すぎて、工具の影が硬く見えるし、金属の粉が妙に目立つ。
白い光は、現実だけを選んで浮かび上がらせる。
それは金属の埃を浮かび上がらせるし、工具の影を硬くするし、なにより「ここは生活の場所じゃない」という現実を、しつこいくらい突きつけてくる。
でも、あたしは、もう知っている。
この格納庫の奥で、光が白くても黒く見えるものがあるのを。
アーマッドが使うスターシップの一つ、『母船』と呼ばれているアル・サファーだ。
以前、アーマッドが、あたしの星に来たときに、シラトリから見たことがある。
シラトリと違って、「でかい」「古い」「悪そう」な船だ。
“初めて見る”わけじゃない。
あたしは、この船を、出航の前にすでに触っていた。
触って、汗をかいて、油にまみれて、配線の癖を覚えた。だから、知ってる。知ってるはずだ。
――知ってるはずなのに、目の前にあると圧が違う。
シラトリが細長い影だとしたら、アル・サファーは黒い岩だ。
船というより艦。
ただ置いてあるだけで、周囲の音が少し静かになる感じがする。
巨大なものが、黙って“重さ”を主張している。
そして、悪そうなのに“ただの悪”じゃない。船体の曲線に、妙な品がある。
戦争の道具でありながら、誰かが「美しくあれ」と思ってしまった痕跡が、どこかに残っている。
アル・サファーの腹の下に立つと、空気が少し重くなる。
気のせい、じゃない。
船体の磁場と人工重力の残り香みたいなものが、皮膚の内側に押し返してくる。
それが生き物みたいで、嫌いには、なれない。
そう、元は富豪の豪華船だという――確かに、整備で中に入ったとき、居住区がやけに良かった。
軍艦にありがちな“生き延びる最低限”じゃない。
空調が静かで、ベッドがちゃんとしていて、廊下の角が丸い。
壁の一部に飾りパネルまで残っていた。
豪華船の名残が、わざとらしいくらいに生きている。
――それが嫌だ。
快適な軍艦って、長く戦えるってことだから。
そして豪華船は、戦争に巻き込まれると改造される。
アル・サファーは水雷母艦になった。
腹の中の余白が、ラックと射出機構と補給設備に置き換えられた。
贅沢の余白が、いまは積載能力になっている。
スクラップ扱いになったのに、捨てるには強すぎる。
それも、知ってる。
知ってるのに――目の前にあると、改めて思う。
これ、本当に軍艦だ。
あたしが圧を感じる理由は、サイズだけじゃない。
外装の一部――装甲の質感が、明らかに違う部分がある。
――〈先住者〉テクノロジーだ。
整備のとき、源一郎に「触るな」と言われた箇所。
触ると、皮膚が嫌な冷たさを覚える。
金属なのに、生き物みたいに反発してくる感じ。
あたしは触らなかった。
触らなかったのに、覚えている。
怖いから。
“地球の戦艦とも渡り合える”武装……この言葉も、整備の合間に聞いた。
聞いたときは、半分は誇張だと思ってた。
工学屋は、話を盛る。
源一郎は、盛らないけど、他の人が盛る。
だから、脳内でちょっとだけ距離を取っていた。
でも今は、距離が取れない。
艦の腹の下に立つと、空気が重い。
磁場、慣性制御の残り香、人工重力の縁。
皮膚の内側に圧がかかる。
巨大な生き物の腹の下にいるみたいで、本能が警戒する。
そのままアル・サファーを眺めていると、源一郎が声をかけてきた。
「普段は、シラトリだけで十分だが。ちょっと遠くへ行ったり、サルベージしたりするときには、こいつを動かす。少し、面倒だ」
白衣“みたいな”作業着で、袖の焦げと油の匂いが残っている。徹夜のせいか、目の下にクマが薄く残っている。
あたしが来た頃から、ずっと、この男は“寝ていない顔”をしている気がする。たぶん、それが、通常運転だ。
「面倒って言うわりに、顔がちょっと嬉しそうなんですけど?」
「気のせいだ。勝手に、読心すんな」
「読心じゃなくて観察です。技術屋さんの顔って、だいたい分かりやすいんで」
「うるせえ。荷物、そこ置け。通路を塞ぐな」
彼は、ぶっきらぼうに、言った。
でも、こういうぶっきらぼうは、嫌いじゃない。
とくに源一郎のは、“怒り”じゃなくて“手順”の匂いがするからだ。
優しく言ってる余裕がない、というより、優しく言う必要がないと思っているタイプだ。
「ところで……ねえ?」
ぶっきらぼうに返されるのは分かってる。
でも、聞かないと落ち着かない。
「この武装さ。整備してるときに見た……あれ、いつ積んだの?」
源一郎の足音が止まる。
「いつ、って聞き方が雑だな」
「雑でいい。経緯が知りたい」
「……手に入れた時点で、もう半分付いてた」
「半分?」
「元の改造で残ってた部分がある。水雷母艦にした連中が、出所不明の部品を混ぜてる。完全な〈先住者〉じゃねえ。だが、中核がそれだ」
言い方が嫌だ。
“出所不明”。
宇宙でいちばん怖い言葉のひとつ。
「……残り半分は?」
あたしが訊くと、源一郎はぶっきらぼうに言った。
「増設した」
「誰が」
「俺とアーマッド。……正確には、アーマッドが拾ってきた。俺が繋いだ」
「拾ってきたって、どこから」
「船の墓場だよ」
胃が、嫌な形で縮む。
墓場。
今回の行き先。
点と点が繋がって、線になる。
線になると、怖さが具体的になる。
「……つまり、武装の“補修”をするために、また墓場に行くってこと?」
あたしが独り言みたいに言うと、背後から声が返ってきた。
「今回は調査任務だが、ついでに、サルベージもする予定だ」
「肯定じゃん」
源一郎が鼻を鳴らした。
「現場は肯定と否定の間にある」
「現場万能説やめて!」
でも、訊いてよかった。
訊いたら、余計に怖くなった。
それでも、怖さは“分からない怖さ”よりマシだ。
分からない怖さは、足を止める。
格納庫の中心から、アーマッドの声が響いた。
「ナルディア。こっちだ」
アーマッドが、格納庫の中央から手を上げた。
いつもと同じ落ち着いた声だ。
いつもと同じ、背筋がまっすぐな立ち姿をしている。
なのに、今日はその周りの空気が違う。
母船を動かす日っていうのは、チームの空気が少し硬くなるんだね。
さらに、その背後で、忙しなく動いている影があった。
「アーマッドさーん! 航法ログ、更新しました!」
トーマスが、走ってきた。
雑用とパイロットと伝令と、たまにクッション役をしている子だ。
本人は「僕、雑用じゃないからね!」と言うけれど、雑用を一番うまく回してしまう人間は、だいたい雑用の才能があるよね。
「今回は“特別研修”って名目でね、一緒に行けるんです!」
トーマスが、小声で言う。
名目、って言い方が、もう名目だった。
「研修って、シラトリで近場の調査じゃなかったの?」
あたしが言うと、アーマッドは平然と答えた。
「近場だ。二日だ」
「二日が近場? 宇宙の距離感おかしい!」
二日もかければ――この大きな船だったら速いだろうから、ヘタをしたら、数百光年くらいは進めるはずだ。
「慣れろ」
「慣れたくない!」
源一郎が、横から何かを投げてきた。ハーネスだ。
「文句言う暇があるなら、そいつを締めろ」
「言い方が怖いんですけど!」
「怖がるな。怖がると手が震える。手が震えると――」
「危ない、ですね。はい」
あたしが先に言うと、源一郎は鼻で笑った。
「分かってんなら、黙ってやれ」
この人、ほんと口が悪い。
でも、その口の悪さが、あたしを現場モードに引きずり上げる。
“可哀想な研修生”にしない、っていう雑な優しさだと、分かってきた。
アーマッドが、要件だけを簡潔に言った。
「アルムニナ宙域の“宇宙船墓場”へ行くが、今回は、いつものサルベージではない。妙な目撃情報が出た。人類連邦の影響圏内なのに、別勢力が出入りしているらしい。それを調べる」
あたしの胸の奥が、嫌な熱を帯びる。
人類連邦の影響圏内……なのに別勢力がいる?
影響圏にあったとしても、厳密に国境が決まっている訳ではないから、侵犯事件はしょっちゅうおきる。今も、人類は、いろいろな他種族と「やりあって」いる。だから、民間体裁の冒険者がいるのだ。
つまり、政治の匂いがする。
政治の匂いがする現場は、だいたい命が軽い。
「この高火力の母船まで動かすってことは……相当、面倒なんだよね?」
「そうだ」
アーマッドは、それだけ言って、アル・サファーを見上げた。
その視線が“船”を見ているのに、“仲間”を見ているみたいで、あたしは少しだけ息を止めた。
アル・サファーのタラップは、いつもより低い音を立てた。
金属が金属に触れる音なのに、どこか骨っぽい。
この船は、死体じゃない。
死体の上に立ってきた生き残りだ。
「乗れ。出るぞ」
アーマッドの声で、空気が締まる。
良い寝床がある軍艦って、いちばん嫌だ。
“長く戦える”ってことだから。
「……ねえ、アーマッド」
あたしは最後に、もう一つだけ訊いた。
怖いから。
知りたいから。
そして、確かめたいから。
「アル・サファーってさ……地球の戦艦クラスと、本当に渡り合えるの?」
アーマッドは一瞬だけこちらを見た。
瞳が静かで、だから怖い。
「渡り合える」
それだけ。
余計な説明なし。
自慢もなし。
ただの事実みたいに言う。
その言い方が、いちばん怖い。
あたしは息を吸った。
あたしはハーネスを確かめ、タラップに足をかけた。
――黒雪の姫は、氷の海を渡る。
今度の海は、宇宙だ。
しかも、墓場に向かう海だ。
しかも行き先は、墓場。
研修?
知らない。
これはもう、現場だ。




