第二章 黒い森と、捨てられたはずの命が歩き出す
真っ暗だった。
いや、正確には、黒い雪が視界でふわふわ漂う“暗がりの残像”がまだ脳にこびりついていた。
意識を失っていたらしいけど、まぶたの裏に黒い粉雪がこびりつくような感覚だけが残っている。
なんだろうこれ。悪夢のアフターフィーリングってやつ?
「あ……れ……?」
喉が、砂利を噛んだみたいにガラガラしていた。
あたしはゆっくり起き上がり――そして固まった。
周囲は、黒。黒、黒、黒。
森の木々は、焦げた針金をねじったみたいな幹で、ところどころに煤けた黒い胞子が転がっている。
空には、黒い雪が舞っていて、視界の奥にゆらっと緑色のガスが漂った。
「ここ……あの森の中じゃないの……?」
たしか、あのケバい継母が、あたしの作業服をハッキングして凍らせようとして――
そのまま意識が途切れて……死んだか、死にかけたかのどっちかだったはずだ。
でも、あたしは生きていた。
身体に痛みはほとんどなく、スーツも正常稼働している。
こんなに無傷なのは逆に不安しかない。
「え、ちょっと待って……誰よ、あたしをここまで引っ張ってきたの!? むしろなんで生きてるの!? あたし、氷像コースじゃなかったの?」
思わずスーツの胸パネルを乱暴に叩きながら叫んだ。
(現在、全身の皮膚が、二度の凍傷状態です。ナノマシンと鎮痛剤で痛みと炎症を抑えています)
すると、――冷静すぎるメッセージが表示された。
「いやいやいや! 正常じゃないでしょ? 心情的には“今すぐ混乱に陥ってください”よ!?」
文句を言ったところでスーツは無反応だ。でも、確かに、皮膚が引きつって半分、痺れている感じはある。だけど、こういうときだけ、AIが妙に落ち着いているのは腹立つ。
とりあえず、スーツのアシストで動くのに支障はなさそうだ。あたしは周囲を見回した。
遺跡の入口が、ほんの数メートル先に口を開けている。
あたしが倒れたのは荒野の方なのに、なぜか今は森の入口の近くに移動している。
「え……歩いた? いや、歩いてない。歩いた記憶ない。となると……」
誰かが運んだか、何かが引っ張ったか、遺跡のオート機能が救助したか……。
でも、あの遺跡が救助機能なんて持っていたら……って、そんなの聞いたことがない。
「なんか、焦げ臭いわね……」
スーツには、外部の化学物質を分析して、臭いの化学物質を再生する臭覚シンセサイザーがついている。
外の森には、何かが妬けたような臭いがするようだ。
そう思ってみると、確かに、周囲に何か焼けたような跡があった。
先程の戦闘の余波だろうか? でも、こんなところまで、レーザーとかが届くことはないはずだ。
「もーわけわかんない! でも、生きてるなら、それに文句つけたらバチ当たるか……」
そう吐き捨てながら、あたしは遺跡の中へと戻った。
このまま外にいて、あの女に見つけられたらヤバそう、って思ったのだ。
「うっわ……なんか嫌な静けさ……」
遺跡の内部は、さっきの通路が静かに光を灯していた。自己修復金属が、うねるように表面を再配置している。
外で倒れていたのは幻じゃなく、本当に生きて戻ってきたんだと実感する。
「しかし……なんであたし逃げてんのよ? これあたしの星よ? あのケバい女の庭じゃないんだけど!」
遺跡の中で、叫んでしまったけど、ほんとその通りだ。
ここは本来、執政官の娘――つまりあたしの“ホーム”のはず。
それを今は、純粋に“生命の危機があるから逃げてる”という情けない状況だ。
ええ、全部、あの継母のせいです。
あの女、表向きは執政官代理とか名乗ってたけど、さっきの話だと、裏の顔は――『ウィッチーズ・ファミリー』というギャングの幹部だったようだ。
その、『ウィッチーズ・ファミリー』という名前は、聞いたことがある。
銀河系で有名なギャング連合の一つで、武器密売、違法遺伝子編集、人工麻薬、惑星開発詐欺まで……この銀河の人類の領域で悪どいことをやっている。
この星のような辺境にも進出してきていると、パパが治安担当者と話していたのを横耳で聞いた。
そのファミリー内で、どれくらい偉いか知らないけど、あの女は、あたしの人生を滅茶苦茶にするには十分すぎる経歴を持っていた。
この手際の良さを考えると、きっと、この星の鉱山資源を裏ルートで売りさばき、政治家を丸め込み、企業を脅し、警備隊を牛耳り、ついには執政官であるパパに謎の“事故”を起こさせて昏睡状態に追いやった、という感じだろう。
そして、次に狙ったのが――そう、あたしの命だ。
「ギャング女が……こんなか弱い娘にまで手を出すとか、倫理観どこに置いてきたのよ。宇宙の果て? ブラックホール? そこに吸われた?」
ぶつぶつ呟きながら、ふと壁を見ると、そこに薄い焼け跡があった。
レーザーの照射痕のような……円形の焦げだった。
「なにこれ。あたしが倒れてるときに、なんか起きた?」
遺跡が生きているように動くのに加えて、謎の焼け跡がある。
これは、どう考えても“あたしだけで終わり”の状況じゃない。
「はぁ……もー、ひとの命狙ってくるなら、もうちょいドラマ性のある手口にしてよね……。いや、手口そのものはドラマ性抜群なんだけど!」
そうだ、問題の原因はあの継母――あの悪役界のテンプレートを踏み外した“ウィッチーズ・ファミリー”の女ボスだ。
あたしを殺そうとしたあの女、その一味――あいつらはまだ生きている。
あたしの体が完全に凍らなかった理由も、分からない。
でも、生きてる以上、逃げ続けるわけにはいかない。
「……ドワーフたちを回収しないと。あの子ら、まだあの辺にいるはず」
あの強さなら、あたしの“反撃”の要になってくれる。
「おーい、ドワーフちゃんたち、生きてるー?」
あたしは、通路を下りながら大声で呼んだ。
返事はない。
まあ、ドワーフのAIは“口で返事”はしないけど、起動音くらいは返ってきてもいい。
しかし、静かだ。
さっきまでよりもさらに静かで、空気が粘るような気持ち悪さがあった。
「……嫌な予感しかしないわね」
そのまま一番奥の格納室へ入ると、予感は的中した。
ドワーフの七台が――跡形もなく消えていた。
壁面には無数の細かな引っかき傷があって、床にはススのような黒い粉があった。
そして、建物の奥に向かって、何かを引きずったような長い溝が描かれている。
「は? ちょっと待って。ドワーフ七台を引きずるって、どんな怪力よ! え、誰? 何者? あたしのドワーフ返せ!」
叫びたい気持ちが爆発する……こんなに、怒りで頭が回るのは初めてだ。
そのときだった。
遺跡の天井がグワンと震えた。
建材がきしみ、上の層がまるで巨大な力で押されているように揺れた。
――ドォォォン。
外で何かが爆ぜた。
青い炎が外光とともに薄く差し込む。
「何……何が起きてるのよ……!」
あたしは、遺跡の出口へ駆け寄った。
すると、森の中に煙が立ち上っているのが見える。
極低温の無酸素の星だから、火災は起きない。ミサイルが爆発した煙だろうか?
(ギャウウウウウウッッッッ!)
森の奥から、重低音の轟音が響く。
獣の咆哮にも似ているが、その低さは生き物というより――金属と振動の混ざった、不自然な鳴き声だった。
「嘘でしょ……生き物? 機械? どっちなのよ……?」
全身に鳥肌が走った。
その瞬間、スーツのモニターが自動で点灯し、視界の中心に警告を表示する。
(注意:広範囲エネルギー放出検知)
「はあぁ!? 今度は何よ!? さっきから、あたしの人生イベント密度が高すぎるでしょ!!」
だが、文句を言っても状況は待ってくれない。
森の方で動く影、遺跡と森の間の荒野に、巨大な焦げ跡、何かが暴れて、あたしのドワーフたちを引きずっていった痕跡……。
あたしの胸に、怒りと恐怖が同時に湧き上がった。
「……なんなのよ、このままじゃ、何も分からないわ!」
あたしはスーツのロックを確認し、出口に立った。
継母の一味か、未知の機械兵器か、黒い森に潜んでいた怪物か――あたしを凍り殺そうとした連中か、何かは分からないが、ともかく状況を把握しなければ。
――黒い雪が降り注ぐ中、あたしは走り出した。
気密スーツの補助脚力をフル稼働させて走る。
黒い雪が視界を染めて、地面は氷の岩がゴツゴツしている。
足を滑らせたら最悪、尻もちの勢いで尾てい骨が折れそうだ。
息切れしながらも、なんとか森を抜け、視界が少し開けたところで、あたしは思わず立ち止まった。
――荒野の地面に、巨大な“タイヤ痕”が残っている。
ただのスノーローダーの痕じゃない。
幅が異常、深さも異常――まるで“ビルを引きずった”みたいな跡だ。
「なにコレ……え、ウィッチーズ・ファミリーって、こんなデカブツ持ってたの? 聞いてないんだけど!」
おそらく、大きなギャングだから、武力も結構あるんだろう。でも、こんな大きな武器まで持っているなんて……。
これぐらいのサイズだと、かなりの大きさの陸上装甲プラットフォームもあり得る。辺境パトロール軍が持っているようなヤツだ。もちろん、個人で持つのは、当然、100%、違法である。
と、そこへスーツのセンサーが小さく警告した。
あたしが深呼吸したそのとき。
――ズシャアッ。
森の奥から、何かが地面をえぐりながら前に出てくる音がした。
ドン……ドン……
振動が近づく。
いや、これ絶対軽トラじゃない。戦車とも違う。あまりにも音が重い。
あたしは思わず空を見上げた。
黒い雪が降りしきるその向こうで、薄い影が揺れている。
(大型物体接近 推定質量:50トン以上)
「50トン? 何持ってきてんのよ『ウィッチーズ・ファミリー』! ギャング連合の装備の範囲を超えてるでしょ!」
息を呑むあたしの前で、森の木々をかき分ける影があった。
ドン、ドン、と地面が震えて、黒い雪がパラパラと頭上から落ちてくる。
「おいおい……なにを連れてきてんのよファミリー……」
あたしは、岩陰に身を隠しながら様子をうかがった。
ここから、今回の追加分です!




