第十九章 ヴェシルドの月に着陸 ―― 先客? いやいや多すぎでしょ!?
宇宙の暗がりの向こうに、灰色と群青が入り混じった球体が浮かんでいた。
――ヴェシルドの月は、生命の気配の薄い、黄色い岩の星だった。
火山活動のせいか、クレーターとは違う感じのブツブツが表面を覆っている。
アーマッドが、操縦席について、一言、告げる。
「着陸態勢に入る。各自ベルト着用。楽しめ」
源一郎は副操縦席、あたしは後ろ側の予備席に急いで座った。
「未知の遺跡に行くのに、楽しむんですか?」
ついつい、ツッコミを入れてしまう。
「未知だからこそテンション上げるのさ」
「あんた、誰よりも肝が据わってるよ!」
あたしは、必死で安全ベルトを締めた。
その前でアーマッドは、シートに深く腰掛け、腕を組んでいた。身を乗り出して見ると……目を閉じている?
「……寝てません?」
「寝てない。瞑想だ」
「絶対寝てるやつの言い方!」
一方、源一郎はといえば――。
「おい新人、着陸時は変なボタン押すなよ。前の研修生は間違って緊急噴射したからな」
「研修生の死亡例みたいな話しないでください!」
「死亡まではいってねぇよ。ただ船が一回転しただけだ」
「それ十分に大事件!」
すでに出発前よりツッコミ数が倍増している。冒険者実習、怖すぎる。
***
シラトリが降下軌道に入ったと思ったら、あっという間に、地面が迫ってきた。
「ちょ、凄いスピードじゃないですか?」
「これでも、いつもより遅くしている」
ちらりと振り返ったアーマッドが、そう告げる。
Gキャンセラーがあるので、まったく加速度を感じないが、まるで軍用の軌道戦闘機みたいなスピードだと思った。
「遺跡の位置を確認した。そこに最短機動で向かう」
アーマッドが告げた。
そのとき、レーダーを見ていた源一郎が言った。
「おい、地上に先客がいるぞ? 投影する」
「ん?」
正面のパネルに、見覚えのない小型シャトルが写った。
自動的にAIが拡大する。光沢のある白い船体、企業ロゴが見える。
「あれ……地球企業のシャトル……?」
「なんであいつらがここにいるんだ?」
アーマッドが、眉をひそめる。
「GDCの依頼って、基本“冒険者優先”って聞いてたんですけど……」
「冒険者優先と言っても、例外は多いのだ」
アーマッドが低く答えた。
(例外多いの!? そこ大事なとこ!)
さらに嫌なことに――そのシャトルのすぐ側に、別の連中がいた。
「こいつを拡大だ」
アーマッドが告げると、AIが画像を引き延ばす。
黒いマントのような外套を着た、大柄の男がいた。大気がないせいで、遠くなのに、すごくはっきり拡大された。
目つきが鋭い。
雰囲気が完全に“裏社会の人”だ。
「……あれ、ウィッチーズ・ファミリーの幹部、グリム・バーロックじゃないか?」
アーマッドが、小声で言う。
「バーロック? えっ、犯罪組織の人? ウチの事件の黒幕?」
その人物は、以前の事件のとき、アーマッドに見せて貰ったファイルにあったはずだ。
「ああ。いつの顔は“要注意人物データベース”の表紙レベルだ」
アーマッドが、淡々と言った。
「なんでそんな人がここにいるんですか!!?」
「さあな。だが、好かれる存在ではない。
挨拶されたら逃げろ」
「アドバイス雑!」
「とにかく、あいつらに見つからない方向から着陸する。ちょっと辛抱しろ」
「え、きゃー?」
シラトリは、突然、急機動をした。流石にGキャンセラーが効かなかったのか、ぐっとお腹に詰まる感覚があった。
やがて、船体が軽く振動して、ヴェシルドの月の地表に着陸した。
窓の外は、一面グレーの大地だった。
薄く積もった氷が光を吸い込み、まるで世界が静止しているようだった。
「よし。外気は、想定どおり低温。放射線も安全圏」
源一郎が、機械的に読み上げる。
「うん、そういうのはもうちょっと安心させる言い方で教えて欲しかったです!」
「安心は自分で探せ」
「メカニック口調まで厳しいわ!」
あたしは、深呼吸し、船の降り口へ向かった。
***
とりあえず企業のシャトルとバーロックには近寄らず、彼らの反対側から、あたしたちは遺跡のある谷へ向かった。
地面は硬く乾いた氷の層に覆われ、足を踏みしめるたびに“ピキ…ピキ…”と小さな音がした。
(なんか……嫌な静けさ)
谷の奥には、異様に黒光りする岩の塊があった。
近づくと、表面が金属みたいに滑らかで、静電気を帯びている。
「これが……〈先住者〉の遺跡……?」
「そうだ。人類のどんな技術でも、こういう加工はできない」
アーマッドが触れずに距離を測るようにして見つめていた。
「近づきすぎるなよ」
源一郎がぶっきらぼうに言う。
その声は冗談ではなく、警戒の色を帯びていた。
「え、源一郎さん、珍しく真面目……?」
「俺はいつでも真面目だ。特に危険物の前ではな」
「危険物って言っちゃった!」
「だって危険だろ」
「正直でよろしいけど怖い!」
その時――足元の地面が、カッ……カッ……、と規則的に振動した。
「っ……? 何の音?」
「地面の下だ」
アーマッドが、素早くあたしの前に出た。
「まさか……」
源一郎が、険しい声を出した。
(こんなとき、“まさか”って言葉やめてほしいんですけど!)
「スキャンしろ!」
「もうやっている……ノイズが……っ!」
その瞬間――地面が割れた。
いや、“裂けた”というべきか。
乾いた氷の層が内側から押し上げられ、白い破片が宙へ舞った。
「ちょ、ちょっと待って? 地面が……地面がめくれてる!」
「落ち着け、ナルディア!」
アーマッドが、あたしの腕を引く。
「落ち着けるかーーー!」
まるで巨大な影が、地中からゆっくりと這い上がってきた。
その形は――鯨の骨格を機械にして、何倍にも巨大化したような異形だった。
光を反射する半固体金属の表面が、まるで“息をしている”ようにうごめいていた。
「っ……〈先住者〉の機械か……?」
「まずいぞ!」
源一郎が、叫ぶ。
「ナルディア、下がれ!」
「下がっている! 全力で下がっている!」
その機械は、動いた――地表を叩きつけるように、地鳴りをあげて。
そして次の瞬間、その視線が、はるか先で光っている地球企業の白いシャトルへ向いた。
「あれ……狙われてない……!? っていうか企業さん、逃げて!」
叫んだあたしの声よりも早く――機械体の胸部が光り、ビームが放出された。
「ぎゃーーー?」
「〈先住者〉の遺跡のガーディアンの一種だろう。源一郎! シラトリの防御モードを起動! ナルディア、伏せろ!」
「伏せてます! ずっと伏せてます!」
地面を砕く振動が足下から響いた。
あたしは、息を飲んだ。
これが、“〈先住者〉の遺物”で、“宇宙の未知”――研修どころじゃない。
生きるか死ぬかの現場だ。
源一郎の指が手首コンソールの上を素早く動いた。
「防御モードを起動。シールド待機中――」
二本目の光線が地面をかすめ、氷に明るい線を刻んだ。
ブーツの下の氷が震えた。歯がカチカチと鳴った。
アーマッドの目は、機械から一瞬も離れなかった。
「シャトルを狙っている。まだ、チャージが終わっていないはずだ」
「あと何秒?」
私は、歯を鳴らした。
「つまり、数秒あるってことだ」
秒単位。つまり、数秒で死ぬこともあるということだった。
アーマッドは通信機をタップした。
「AI。企業シャトルからの信号は?」
ノイズが返事をし、その後に細く壊れたピン音が響いた。
AIは混沌の中でも滑らかな声で翻訳した。
『通信は弱い。複数の生命反応』
「複数だって?」
あたしは、喉を詰まらせながら繰り返した。
「つまり、誰かいるのね?」
源一郎は小声で呟いた。
「もちろんいるさ。もちろん、この酷いのの隣に着陸したんだ」
アーマッドの視線は機械から遠くの残骸現場へと移った。冷静かつ速い計算。
「俺たちはGDCの契約でここにいるんだ」
源一郎は、言った。まるで、アーマッドに、そしておそらく自分自身に思い出させるかのように。
「救助は、契約外だ」
「任務環境が変わるなら、それは大事だ」
アーマッドは告げた。これは、非常にアーマッド的な言い方で、仕事が台無しになるなら人を死なせてはいけないという意味だった。
背後の廃墟――黒く、光沢があり、滑らかすぎて――足音とは合わないパターンで振動していた。
「アーマッド! あの機械が――」
「見えた」
彼は遮った。
「源一郎。企業シャトルへの最も安全な接近経路をマークしてくれ。視線を避けろ」
源一郎は、瞬きをした。
「行くのか?」
アーマッドは彼を見つめた。それは、既に決めていて、現実がついてくるのを待っている男の表情だった。
「おう」
源一郎は、息を吐いた。
「分かった。こりゃ、普通の一日じゃなかったな?」
アーマッドは私の方を向いた。
「研修生。これは訓練じゃない。」
「わかってるよ」
あたしは、か細く応えた。
「よかった。なら、訓練された通りにやれ」
「見てて――生き延びるわ」
アーマッドは、満足げに一度うなずいた。
そして彼は、肩の力を抜いて、言った。
「動け」と彼は「今すぐに」
私たちは半分しゃがみ、半分ドライアイスの上で滑りながら、凸凹を盾にして全力疾走した。数歩ごとに地面が軋み、その度に心臓が叫んだ。
しかしヴェシルドの月は静かで、ささやきさえも犯罪のように感じさせた。
機械のビームは、パルス状に放たれた。発射されると、氷は白く燃え上がり、世界は一本の鋭い光の線となった。
源一郎の声が通信越しに聞こえた。
「急な動きはなしだ。撃たれそうになったら、凍りつくんだ」
「像みたいに?」
「骨を残したいみたいに」
彼は応えた。
アーマッドの声は耳元で落ち着いていた。
「ナルディア。距離を置くんだ。」
私は、顔を上げた。
企業シャトルは思ったより近くにいた――なぜなら私たちは狂ったようにそれに向かって走っていたからだ。
船体の片側は裂けており、白い装甲は剥がれた皮膚のように外側に曲がっていた。薄い霧のような空気が真空に漂い、消えていった。
スーツ姿の人物が、裂けたベイから這い出てきた――ゆっくりと不器用で、片手を胸に当てて、まるで意志の力で自分を保っているかのようだった。
彼らは私たちを見上げた。バイザー越しでも、彼らの目は大きく見開かれていた。
彼らは「もっと厄介なのがきたのかか?」と思っている顔だった。
アーマッドは片手を上げて――手のひらを外に出し、武器を下ろした――「撃つな」という意味だ。
「俺たちはGDCの契約者だ」
彼はオープン通信で落ち着いた声で言った。
「俺たちはバーロックと一緒じゃない。」
スーツのヘルメットが傾いた――笑うべきか泣くべきか分からないかのようだった。
そして壊れたシャトルの中から、こもった音がした。
また一人の生存者。
さらにもう一人。
「生存者を移動させろ」
アーマッドは命じた。
「隠れて! 谷の影へ」
企業の警備員が必死な声で何か叫び返した。
源一郎は、通信で、どこにでもいる平静な声で応えた。
「黙って歩け、命を守りたいなら。」
私は、最も近くにいた生存者の腕を掴んで引っ張った。
重かった――スーツの質量、恐怖の質量、そして「30秒で死ぬかもしれない」という質量があったのだ。
「早くして!」
彼らは、よろめき、やがて私のペースに合わせた。
私たちは、ギザギザの尾根の隠れ場所にたどり着いた――影が氷をナイフのように切り裂いていた。
企業の生存者たちはその背後で崩れ落ち、ヘルメット越しに息を呑み、声が重なり合った。
「何人だ?」
アーマッドは問い詰めた。
「4人」と一人が言った。
「まだ中に二人いるはずだ」
「源一郎?」
アーマッドが言った。
「了解」
源一郎はすぐに応え、動き出していた。アーマッドは、私を見た。
「隠れていろ。合図したら、シラトリまで走れ」
私の内なるヤジが唯一の結論をささやいた。
ここから契約書が単なる書類ではなくなる部分だ……非常に具体的な死亡条項を思い出していた。
そのとき、また〈先住者〉の巨大機械が、企業シャトルを撃った。




