第一章 黒い雪と、あたしの不運
古の太陽系の土星の衛星タイタンに似たこの惑星では、大気上空で太陽風に晒された炭化水素化合物が、黒い雪になって降る。
地球の“雪”という言葉のイメージとは程遠く、清涼感も幻想性もゼロだ。たとえるなら、宇宙の奥底から降ってくるスス。あるいは、巨大な墨汁の入った風船を成層圏で破裂させて、そのカスだけを丁寧に撒き散らしているような……とにかく、風情という概念が死んだ雪だ。
けれど、兄は言った「これでも、見慣れたら綺麗だよ。私は、もっと、アグリーな惑星をいくつか知っている」って。
兄は、あたしより十五歳年上で、いつも少し先の未来を歩いていた。
礼儀だの家柄だの、そういう檻の外へ、あたしの視線を押し広げてくれたのも兄だった。
その兄は今、銀河系開発株式会社――通称GDCに所属している。
表向きは、星を開発して売る、いかにも胡散臭い“銀河規模の会社”だ。
でも、本当は公社だ。地球人の星系進出が異星人に警戒され、政治的な摩擦を避けるために、わざと「民間会社」に見える仮面を被せて作られた。
つまり、GDCは偽装カンパニーで、裏では各星系政府と連合して、航路,資源,遺跡案件を静かに遂行している。
兄は、そんな組織の中で惑星探査師――つまり、“山師”として生きている。
交渉と嘘と度胸で、命を金に換えながら、それでも「守るべき線」だけは踏まない。
あたしは、そういう兄のやり方が腹立たしくて、でも、どこか誇らしかった。
「困ったら合言葉を使え」
兄は、あたしの掌に、小さな薄い金属片――一見ただの古い記念メダルみたいなものを押し込んだ。
縁に、雪の結晶と、羽のような模様が刻まれている。
「黒雪の姫は、氷の海を渡る。……この言葉を言えば、連合の誰かが拾う。俺じゃなくてもな」
兄は笑っていた。
あたしは舌打ちして、メダルをポケットに放り込んだ。
その時は、こんなふうに“拾われる”側に落ちるなんて、考えもしなかった。
***
気がつくと、あたしはスノーローダーの与圧区画の床に寝かされていた。
頭の裏がズキっとして、視界の上半分に黒い雪がキャノピー越しにちらついていた。
「う……何、ここ。何よこれ、動かないんですけど?」
外骨格の制御系に呼びかけても、ポンともピッとも言わない。物理的にリアクターを外されてるんじゃないの? ってくらいの無反応だ。
あたしの装備、安物じゃないはずなのに……と、文句のひとつでも言いたくなった。
すると、操縦席から、萎れた声が聞こえた。
「お嬢様……す、すみません……奥様のご命令には逆らえず……すみません、すみません……」
ああ、こいつ――ウチの使用人、その三だ。名前は知らないし、覚える気もなかった。
いつもオロオロしてて、何かあると“すみません”を連打してくる、いわゆる“謝罪の権化”ぽいヤツ。
そのくせ、こういうときだけ仕事が早いのは、腹が立つ。
「ちょっと待ちなさいよ! これ、どういう状況よ!」
問い詰める前に、使用人その三はあたしの身体をガシッと抱え、装甲扉を開けて外に放り出した。
「ぎゃああああああ! なにすんのあんた!」
気密作業服の外は、濃いメタン大気と極低温の世界だ。
地面は、カチコチの氷岩で、呼吸したら肺が粉砕される温度だ。そこに黒い雪がしとしと積もって、地獄のアート作品みたいになっている。
「すみません! 本当にすみません! この制御ユニットは奥様に渡さないと……で、でも! これのコピーがあります! 逃げてください!」
使用人その三は、オリジナルの制御カードをポケットにしまい、代わりにコピーらしきカードを差し込んだ。
すると――機密作業服が起動した。
「あ、動いた……って、待ちなさーい!」
使用人その三は、返事をする暇もなくスノーローダーに飛び乗ると、噴射煙を残して逃げていった。
「あの女ぁあー! 絶対、ただの継母じゃないと思ってたけど!」
怒りで、頭の血管がぷちっといきそうになった。
あたしの父は、この惑星の執政官だ。
その後添えに来たのが、ケバい継母だった。最初から怪しい雰囲気はあったけど、まさか“継娘追放 in 氷点下メタン地帯”とは思わないでしょ、普通!
パパが事故で昏睡したと聞いたときも、正直「事故じゃないんじゃない?」と思ってた。
でも、その疑念を裏付けるための“動かぬ証拠”が今ここにころがっている。
この気密作業服の制御ユニットをハッキングして殺す気満々だったなんて、悪役のテンプレートでももう少し遠慮するわよ。
――とにかく、立ち止まっていても仕方ない。
ドームシティに戻っても捕まるだけだし、宇宙港も、おそらく継母の手の下だ。
「あーもう……非常用ポートしかないじゃん。めんどくさ……」
あたしは、地図を投影し、黒い森の奥へ歩き出した。
森は、黒い針金をグニャグニャ曲げて植物の仮装をさせたような奇妙な形状で、たまに胞子が爆ぜて黒い粉塵がふわーっと漂っている。
こんな極低温でも生きている生物だから、普通の地球型炭素系の代謝じゃない。人工生物なんじゃないか、って話を聞いたことがある。
そもそも、この粉、何かの毒じゃないでしょうね……と疑いながら、気密作業服のフィルターを二重強化した。
歩いていくうちに、いつの間にか、足音も風音も聞こえない静寂があたりを包んでいた。
なんだろう、この音の消え方……まるで、森そのものが“聞いてる”みたいな、不気味な沈黙に感じる。
「……やな感じ」
あたしが文句を言ったそのとき、視界の奥に建物の影が見えた。
「は? 非常用ポートまで、まだ距離あるはずなんだけど……」
近づいてみると、その建物は、まだ稼働しているようだった。量子力学的な自己修復技術を実用化した異星人の超テクノロジーのお陰だろう。
鋼でも石でもない、〈先住者〉と呼ばれる異星人特有の分子機械――“半固体金属”のような材料だ。
「遺跡……だったんだ、ここ」
あたしの心臓が、ポクっと跳ねた。
実は、学校でのあたしの専攻は、異星人の技術一般だ。
この惑星は、エキゾティック物質の鉱脈の影響で上空からのスキャンができないから、まだ未知の地域が残っている。あたしは、授業の合間を縫って、そういう地域を探索していた。
でも、最近は、未知の遺跡は、もう流石に存在しないだろうなあと、半ば諦め気味だったのだのに、これだ。
「まあ……今日のあたし、不運と幸運の振れ幅が、ジェットコースター並みよね」
入口のセキュリティは、異星人のスタンダードのままだから、たわいなかった。早速、コンピュータに解読させ、内部へ入る。
すると――七体の戦闘用ドローンが整列していた。
これは、小型無人戦車で、『ドワーフ』と呼ばれているタイプのヤツだ。
異星人の超技術兵器で、地球製とは比べ物にならない性能のものだ。
あたしは一台に近づき、状態チェックを始めた。こんな朽ち果かけた遺跡でも、動力は死んでなくて、量子修復機能が働いていた。内心で、ガッツポーズをする。
「いいじゃない……全部生きてる! 主電源も正常ね。よし、起動!」
ドワーフの人工知能が起動し、異星人語で話しかけてくる。
『アナタハ、マスター、デスカ?』
「もちろん! あたしが新しいマスターよ! ついてらっしゃい!」
七台のドワーフが、黒い雪の中で目を光らせて一斉起動する。
その様子はちょっと怖いけど、頼もしい……いや、正直めちゃくちゃ、かっこよかった!
あたしは、ドワーフの一台に乗り、荒野へ向かった。
――ここから反撃開始だ。
継母? 待ってなさい、ただで済むと思うなよ!
黒い森を抜け、あたしは荒野へ出た。
そこに、継母のケバい顔が大写しになった通信画面が浮かび上がった。
「オーホホホホ! よくもまあ、のこのこと戻ってきたものねぇ! あなたの生命反応か消えないから、おかしいと思って半田のヤツを問い詰めたら、コピーのカードを持っていたっていうじゃないの。たしかに、アイツは、チンケな偽造IDの作成なんかで食っていたヤツだからね。でもあたしに逆らうなんて思わなかったわよ」
「やっぱり、貴方は、カタギの人間ではなかったのね!」
「オーホホホ。だからどうだっていうの? あなたのお父さんには、マインド・コントロールが結局効かなかったから、低酸素症になってもらったわよ。あとは、あなたを始末すれば、晴れてこの星は、あたくし達、ウィッチーズ・ファミリーのものよ! ……きゃっ、何?」
継母が、ベラベラと悪事を自慢げに語る間、あたしはドワーフに攻撃指示を送った。
ドローンの備える百二十五ミリ自由電子レーザー砲は、一撃で、女の乗車する装甲スノーローダーの外壁を焼いていた。火炎が上がる。
「やったわね!」
慌てて、女の周囲の他の装甲スノーローダーからミサイルが発射されるのが、もう肉眼でも見えていた。
しかし、戦闘用ドローンが、ミサイルを全てレーザー砲で撃破する。
「こんな、へなちょこ兵器じゃ、ドワーフの相手にもならないわよ!」
「ちっ。でも、これでお前も終わりさ!」
火の手が上がり、煙のもうもうと立ちこめる車内から、女が何か操作をした。
――その次の瞬間、機密作業服が警告音を鳴らし、視界に赤い警告サインがでた。
「え? は? ちょ、待っ……!」
次の瞬間、大きなぼんという音とともに、冷気が侵入してきた。あの女、制御ユニットをハッキングした?
それで、この服の非常弁を勝手に開けたの?
猛烈な冷気が襲いかかり、身体の感覚が一気に奪われた。
「……っ、く……そ……」
視界が白く、そして黒く。思考が凍りつく前に、あたしは最後の悪あがきをした。
たしか、完全に身体が凍り付いても、ナノマシンで蘇生が可能のはずだ。
一瞬、旧地球世紀の童話のことが頭をよぎった。薄れゆく思考の片隅で、誰か、キスで目を覚まさせてくれる王子様がいればいいな、と思った。
オヤスミナサイ……。
意識が、とけていく。
新シリーズです……とはいえ、こちら、2014年にアップした『黒雪姫』の長編版です。次章から、今回の追加分になります。RoyalRoad(作者名Enigvill)に、英文アップしているので、比べてみてください!




