9.茜色の夕暮れ。金色の朝
夕暮れ。山の稜線が茜色に染まり、グンザの家の窓からも橙の光が射していた。外の風は初夏の緑を運んでくる。
ラウスたちは泥のついた靴を脱いで、黙って上がり込んだ。グンザと宗田が、低いテーブルの向こうで待っている。そして羽を起用に丸くしたギンシュも傍らにいた。
「戻ったか。遅かったな」
「いろいろあったんだよ……」
ラウスが頭をかきながら座る。ルルは静かにうなずき、胸に抱えた宝珠をそっと握る。
「わたしが浅はかで……宝珠を奪われました。でも取り戻すことができました」
ルルの声は静かだった。
「人を……巻き込んでしまいました。でも、母子は無事に警察に保護されて。……思い出したんですって。自分の息子を」
捜索を始めた警察に、男の子を引き渡すことができた。
「EOのやつが、母親とその幼い子を利用してた。精神に干渉する、ってやつだな。宗田のような」
ラウスも静かに語る。
「……だけど、俺が母親を追いかけているとき、その子に呼ばれて戻ったんだ。『お母さん』って一言で」
ラウスの声に、かすかな尊敬が混じる。
「すげぇよな。人間の“心”ってやつ」
ルルも頷いた。
「ほんの一瞬でも、あの子の声を覚えていた。……あれが、“愛”の力なんですね」
「おおげさな言葉は好きじゃねえが、まあ……」とグンザが笑う。「たいしたもんだ。それに」
グンザはラウスとルルを温かな目で見る。
「おまえたちは、またぐんと、大きくなったな」
ラウスとルルは顔を見合わせ、うんと頷いた。
重かった気分が少し軽くなる。
今日のできごとを話し終わったころには、すっかり日も落ちていた。
「それにしても」宗田が湯を差しながら言った。「今回の一番の功労者は、どう見ても岩尾さんですね」
「いやいやいや。相手、赤ん坊だぜ? まあたしかに、ちょっと浮いてたけど」岩尾が苦笑する。
「浮いてんのはふつーじゃねえし!」すかさずラウスが突っ込む。
「でもよ、特に戦って勝ったわけでもないしなあ」
「でも、あの時のけんごー先輩、かっこよかったです」
ルルが真顔で言う。
「仔猫をお仕置きする親猫みたいでした」
「いやルル、それ褒めてる?」「褒めてます」
ラウスが言う「にゃあん? 」
「こんなでっかくてごつい猫はいないだろ! 」自爆する岩尾。
宗田がすっと立ち上がる。
「では念のため。EOの残滓がないか確認させてください」
宗田が岩尾の正面に座る。おそらくは、瞳の中心が縦に細く割れ、淡い光を放っているのだろう。でも岩尾以外は無意識のうちに、その眼を避ける。
少しして岩尾がけろっと言う。
「特に何もないっすね。不思議な形の眼でしたけど」
「あなた、本当に常識外です」宗田が苦笑する。「自信を失いそうです」
グンザが笑いながら大声を上げた。
「お前は世界最強かもしれん!」
「やっぱすげーよ!」ラウスも驚愕する。
「ほんとにもう、なんなんだよ俺」
岩尾が頭をかき、笑いながら座り直した。
「さて――」
グンザが立ち上がる。
「EOは一度退いたが、油断はできねぇ。ルルの守りには、岩尾と宗田が残れ」
「了解」「はい」
「わしとラウスは、紅蓮の島へ行く。朱雀のもとに。」
「よし!」ラウスが力強く返事をする。
「ギンシュ、頼んだぞ」
「頼むのはこちらだ。朱雀が燃え尽きる前に」穏やかなアルトの声でギンシュが答える。
ルルがそっと宝珠を抱きしめた。青い光が、彼女の指の間で揺れる。
「どうか、みんなが無事でありますように……」
その光を映すように、ラウスの瞳にも明るい炎が宿った。
小さく息を吸って、言った。
「行こう。不死鳥に乗って、朱雀のもとへ」
翌朝。山の空気はひんやりとして澄んでいた。霧が畑の上に薄く流れ、空は群青から金色へとゆっくり変わっていく。
ラウスは荷物を背負いながら肩を回す。
岩尾が玄関先でパンをかじりつつ言った。
「朝っぱらから飛ぶのか? 鳥の人と」
「鳥の人言うな。ギンシュさんは神聖な不死鳥なんだぞ」
「でも空飛ぶ乗り物つきの出張って、待遇いいよな」
「おい、観光じゃねぇ」
ラウスが睨み、ルルが吹き出した。
「はい、これ。朝ごはん」
ルルが包みを手渡す。
「蜂蜜と鮭のおにぎりです」
「おお、最強コンボ!」
ラウスが嬉しそうに受け取ると、グンザも鼻を鳴らした。
「蜂蜜とな……巣ごと持っていくか」
「ダメです!」
宗田、岩尾、ルルの声が三重奏で響く。
「グンザさん、それ生き物! 飛び立つ前に刺されます!」
「蜜が供物としてふさわしいのだ」
「だから瓶詰めでいいんですって!」
ギンシュが腰を落とし、美しい朱金の羽を広げる。もう傷一つないほどに回復しているようだ。
「出発の刻だ。紅蓮の島は遠い。風に乗るぞ」
その声に、空気が少し張り詰めた。
グンザが腰を上げる。
「朱雀の炎が乱れているという。理由はまだわからんが……燃え尽きてしまえば、この星の循環そのものが止まりかねない」
「だから俺たちが行って確かめる」
ラウスが拳を握った。
「それともうひとつ。朱雀の宝珠を狙ってるやつがいるんだろ? そいつを、先にぶっ倒す」
その言葉に、ギンシュがわずかに目を細めた。
「勇ましいことだ。……その覚悟、しかと受け取った」
ルルが心配そうに言う。
「でも、気をつけて。朱雀の地は“火”が強い。水の加護は届きにくいの」
「わかってる。だから蜂蜜と鮭で体力キープだ」
「食べ物の理は万国共通ですからね」宗田が淡々と補足する。
「お前ら、緊張感……」岩尾が呆れながらも笑った。
ギンシュが羽ばたく。朱金の羽根が朝の光を反射し、庭の草を照らす。
「では、ゆこう。紅蓮の島へ」
ラウスは一度だけ振り返った。
「ルル、宗田、岩尾――留守は頼んだ」
「任せて」ルルがうなずく。「ラウスこそ、無理しないでね」
「無理しかしねぇ男だからな」岩尾が笑って手を振る。
「俺だって成長するんだよ!」
風が巻き起こり、木々がざわめいた。朱金の翼が一度、大きくはためくと、ラウスとグンザを乗せたギンシュは空へと舞い上がる。朝日が、その影を山々の彼方へと伸ばしていった。
――紅蓮の島へ。炎が消える前に。
その頃。
家の裏手の木の上には、赤ん坊が浮いていた。
――「朱雀の……宝珠……」
甲高い囁きとともに、赤ん坊の体がだんだんと白い“繭”に包まれていく。
宗田が何かを感じ、空を振り向いたとき、そこにはもう何もなかった。




