16.いつか、また
夜が来た。
紅蓮の島に夜が訪れるのは、いつぶりのことだったのだろう。
火口の光が和らぎ、空に星が浮かぶ。赤と青の炎が混じった空気が澄み、息ができるほどの静けさが戻っていた。
ラウスは火の窟の外に立っていた。
ギンシュ――いや、朱雀は、まだ完全には動けないようで、火口の上で羽をたたんで休んでいる。朱の羽の隙間から、微かに水色の光が漏れた。
「朱雀は、紅蓮の島を見守る。次の転炎の刻までは、わしらはここに在る」
グンザの声は静かだった。すでに身体の傷は跡形もない。だが、目の奥に宿る光は、確かに変わっていた。
人間でも獣でもなく、炎の色を映した光――不死鳥の側の瞳。
「じっちゃん……本当に残るのか」
「おう。島の火の番人だ。悪くねぇ仕事だろ?」
グンザが笑い、火の粉を掴むように手を伸ばす。
「それに、ここなら寒くねぇ。薪もいらねぇ。食い物さえ何とかなりゃ最高だ」
「だから食い物が問題だろ!」
ラウスの突っ込みに、ふたりの笑いが重なった。
笑い声の先で、銀灰色の狼がゆっくりと歩いてきた。
ライカだ。今は狼男ではなく、狼の姿で。
金色の瞳が、焔の中でも凛として輝いている。銀の毛並みは月光を弾き、傷跡のひとつもない。
その立ち姿は、獣というよりも、炎を司る古き神のようだった。
「おまえも、眠るのか?」
ラウスが尋ねると、ライカは穏やかに頷いた。
「朱雀が安らげば、私も眠れる」
その声は低く響き、どこか満ち足りていた。
「……長い番だった。もう少し夢を見ても罰は当たるまい」
ラウスはその言葉に深く頷いた。
「……あんた、立派なやつだな」
ライカの黄金の目が細められる。
「狼は、誇りより眠りを好む。……夢の中で、また会おう」
ラウスはしばらく、その姿を見つめていた。
「……すげぇな。やっぱり、かっこいいよな、狼男って」
思わず本音が漏れる。
グンザが肩をすくめた。
「お前も十分かっこいいぞ。ヒグマだし」
「フォローしてるつもりかよ」
ふたりのやり取りに、ギンシュがくすりと笑った。
「帰るのだろう、ラウス。友が待っている」
「でも……どうやって帰るんだ?」
問いに、ギンシュは軽く翼を振った。
「帰りの翼を呼ぼう。ラウス、おまえを送る者がいる」
朱の炎が空へ舞い上がり、火の輪を描く。しばらくして、南の空から光の影が近づいてきた。風を裂き、翼の音が響く。
姿を現したのは、青年のような不死鳥――
赤金の羽を背に広げ、腕から翼へと繋がる流線形のシルエット。髪は炎色、瞳は琥珀。どこか無邪気で、それでいて凛々しい。
「兄上、呼ばれましたっス!」
軽やかな声。ラウスが目を丸くする。
「え、誰!?」
「不死鳥のファルクだ」
ギンシュが紹介する。
「まだ若き翼。だが空を渡らせれば、右に出る者はおらぬ」
ファルクは胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、熊の兄貴! ギンシュ兄上のお言葉により、お送りいたしますっス!」
「兄貴って俺か!? なんで敬語で“っス”なんだ!?」
「炎の掟っス!お待たせしました!さあ、お乗りくださいっ!」
ラウスが頭を抱えた。
「……なんか、タクシー……」
グンザが腹を抱えて笑った。
「ははは、行ってこいラウス。火の道を覚えとけ。おまえの旅は、まだ続く」
その声に、ラウスの胸が詰まった。
「じっちゃん……また会おうな」
「ああ、必ずだ」
ファルクの翼が広がる。炎の軌跡が夜空に弧を描き、風が巻き起こった。
「乗ってくださいっス。発進しますよー!」
「お、おう!」
ラウスは大きく息を吸い、ファルクの背に飛び乗った。その瞬間、紅蓮の島の風が舞い上がり、空がひらかれる。ファルクが翼をはためかせるたびに、光の粒が尾を引いた。
下に残るのは、朱の鳥と、火を見張るヒグマと、眠りにつく狼。
紅蓮の島の夜明け。空を渡る炎の道を、ラウスは振り返らずに進んでいった。
「門なんか開けさせねえ。EOとかいう身勝手な奴らの思い通りになんかさせるか」
ラウスは胸の奥で、炎のようにその言葉を刻んだ。
――紅蓮の島が、夜明けを迎えた。
帰りの空は、静かだった。ファルクの背に座り、ラウスはずっと下を見ていた。燃える島が遠ざかり、やがて青い海が広がる。熱気が薄れ、風は涼しく、どこか懐かしい匂いがした。
陸地が見える。森の緑が近づいてきた。ファルクは静かに高度を下げ、ヒグマの里の近く――かつてのグンザの家の前に降り立った。
「……ここでいい。ありがとな」
ラウスが降りた瞬間。
「ラウス!」
「帰ってきたか!」
「坊っちゃま!」
ルル、岩尾、そして宗田エムが一斉に駆け寄ってきた。
ルルの瞳は涙で光り、岩尾は拳をぶつけてくる。宗田はいつもの糸目のまま、少しだけ怒ったように言った。
「まったく……坊っちゃまは、いつも命を落とす勢いで帰ってこられるんですから」
ラウスは肩をすくめて笑う。
「ただいま。……お前たちが一緒だったら、もっと楽だったのに」
岩尾が笑う。
「おいおい、朱雀の島なんて聞いたら、俺なら三歩で溶けてるぜ」
「わたしも炎はちょっと……」ルルが笑って肩をすくめる。
宗田エムは両手を腰に当てて言った。
「どんな炎の中でも、坊っちゃまは戻ってこられる方ですから」
その声には、確かな誇りがあった。
ラウスは笑ってうなずいた。窓の外、夜明けの空が淡く色づく。遠い南の空に、一瞬だけ赤い光が瞬いた。
――朱雀の羽のように。
「ええと、こちらの不死鳥さんは?」
「ご挨拶遅れました! ファルクと申しまっス。不死鳥タクシーです!」
「まじかっ!不死鳥のイメージ崩れるな」
「いつでも呼んでくださいっス! 朱雀兄上の許可もらってますから! お得意様割引で!」
「お得意様て……」ラウスがあきれた顔をする。
岩尾が吹き出す。
「便利じゃねぇか。空の交通インフラだな」
「タクシーっていうか、召喚獣だろ……」
ファルクは翼を広げ、朝焼けの空へ飛び立っていった。朱の羽根が陽を受けてきらりと光り、やがて小さな点になる。
ラウスは小さく呟いた。
「じっちゃん。……それに、ギンシュ。いつか、また」
朝の風が吹いた。
紅蓮の島で灯った炎の記憶が、まだ胸の奥で、静かに燃えていた。




