13.転炎の刻
火の窟を包んでいた爆炎が、次第に静まっていった。朱雀の咆哮が止むと、残ったのは――静寂。耳の奥で、かすかに灰が降る音だけが響いていた。
洞の奥、朱雀の身体はまだ炎に包まれていた。しかしその炎は、さきほどの狂乱の赤ではない。どこか、淡く、白く、揺らめいている。
「……穏やかになった」
ラウスが低くつぶやいた。
ギンシュの光が、その傍らで静かに明滅している。朱雀の怒りと苦しみが、少しずつ鎮められていくのが分かる。まるで、二つの炎が呼吸を合わせているかのようだった。
「これは……“共鳴”だ」
ライカの声が、低く震える。
「朱雀が、ギンシュを受け入れ始めている」
朱雀の瞳が、ゆっくりと開かれた。紅の奥に、青の光が差し込む。
「……おまえか」
その声は、もう怒りではなかった。
「わたしの炎を継ぐ者は」
ギンシュが頷く。
「炎は終わりではない。あなたの命もまた、次へと受け継がれる」
「転炎の……刻」
朱雀の声が揺れる。
「我は、燃え尽きる。だが、おまえが新たな炎となる」
狼男ライカが膝をついた。
「朱雀よ……あなたの灰は、私が守る。再びこの世に羽ばたくその日まで」
朱雀の瞳が、ほんの一瞬だけ優しく揺れた。
「ありがとう、ライカ。……長い間、宝珠を護ってくれたな」
その言葉に、ライカの喉が詰まった。朱雀はもう、自分を忘れていない。記憶が戻ったのだ。ライカの銀の尾が喜びをかみしめるように、ゆったりと左右に振られた。
ギンシュが一歩、朱雀の前へ進む。
「朱雀。共に炎を分け合おう」
「応えよう。転炎の刻、始める」
朱雀の翼が広がる。紅蓮の炎が空間を満たし、洞窟の壁が光の波に飲まれる。ギンシュの羽にも赤くそして青い火が灯る。二つの炎が向かい合い、ゆっくりと円を描いた。
「転炎の儀――始まるぞ」
ライカが静かに立ち上がる。グンザとラウスは一歩下がり、頭を垂れた。
炎が呼吸する。空気が震え、岩が脈打つ。朱雀の身体が崩れはじめた。燃え尽きていくのではない。――燃えながら、生まれ変わっていく。
ギンシュがその身を寄せる。青い炎が紅に触れた瞬間、世界が一閃した。音も光も、時間すらも飲み込むような一瞬。それが――転炎の刻のはじまり。
「朱雀の炎が……ギンシュの体に……!」
ラウスが息をのむ。
炎が流れ込んでいく。だが、焼くことはない。朱雀の炎とギンシュの光は、互いを焦がさず、抱き合っていた。
朱雀の声が低く響く。
「ギンシュよ。お前の炎は、水のようだな」
「お前の火があったからこそ、私は燃えることを覚えた」
ギンシュが答える。
「我らの炎が交われば、それは癒しと再生の火となる」
紅と青の光が絡まり合い、ひとつの渦となって昇っていく。その中心に、命のように明るい光が生まれた。
ライカが胸もとから、ひとつの小さな赤い石を取り出した。長年、命をかけて守ってきた朱雀の宝珠。石の中で炎が揺らめいている。命そのもののように。
静かに両手で掲げると、朱雀とギンシュ、ふたつの炎が同時にそれを見た。
「朱雀の始まりの火……」
ギンシュが呟く。
「転炎の儀を完成させる最後の欠片だ」
「どうか――還れ」
ライカがそっと宝珠を炎の中心へ放つ。
宝珠は紅い光を帯びながら宙を舞い、渦巻く紅と青の炎の中に溶けていった。次の瞬間、光が深く、強く、脈動した。
どれほどの時が流れただろう。やがて炎が静まる。
朱雀の身体は、すでにほとんどが灰になっていた。その灰が、金の粉となって舞い、ギンシュの翼の上に降り積もる。
ギンシュの身体が淡く燃え始める。まるで、朱雀の命をそのまま写し取るように。紅の羽が水色を帯び、青の羽が紅を吸う。
「ギンシュ!」
ラウスが叫ぶ。だがギンシュは微笑んでいた。
「これが、転炎の儀だ。――わたしもまた、燃える。そして生まれ変わる」
光が頂点に達した。洞窟が昼のように輝く。朱雀の形が完全に崩れ、ギンシュが炎の中心に包まれた。
やがて――爆ぜる音。紅と青の光が溶け合う。ひときわ眩しく光ったなかに残ったのは、炎と灰とがひとつになって出来た、宝珠。
新旧二代の朱雀の、その身の炎と灰を継ぐ、新たな宝珠だった。青とも赤ともつかぬ、揺らめく炎の結晶。
ライカがその光を見つめながら、低く言う。
「……終わった。いや、始まったのだな」
ギンシュの身体は灰となって崩れた。だがその灰は、優しく光っていた。ラウスは手を伸ばし、そっと掬う。
「……まだ、あったかい」
「それが、不死鳥の“癒しの灰”だ」
ライカが頷く。
「そして、いま、新たな宝珠が生まれた。次の転炎の刻まで、護り続ける者が必要だ」
グンザが静かに前に出た。
「ならば、俺が預かろう。――新たなる朱雀の宝珠、たしかに受け取った」
朱雀の宝珠はグンザの掌に。
そして、ギンシュの灰が形をとっていく。燃え立つ朱の羽、水色を帯びた尾、揺らめく金の双眸。
――新しき朱雀が、誕生した。




