11.炎の番人・狼男ライカ
朱に染まった島の空気は、息を吸うたびに肺を焼いた。熱気が地を這い、足もとで火花が散る。ラウスは思わず身構えた。目の前に立つのは――灰色の狼の男。筋肉の流れがしなやかで、全身に淡く銀の毛が走っている。黄金の双眸が、鋭く三人を射抜いていた。
「ここは“朱雀の領”。人の足で踏む場所ではない」
声は低く、静かに燃える炎のようだった。
ラウスが前に出ようとすると、グンザが手を上げて制した。
「待て、ラウス。……おれたちは戦いに来たんじゃねぇ」
「ふむ。そう言う者ほど、牙をむくのが早い」
ライカが片眉を上げる。尾が揺れた。
「名を名乗れ」
「俺はラウス。ヒグマ獣人だ。……で、こっちはグンザ。俺のじっちゃん。同じくヒグマ。あと、このでっけぇ鳥が――」
「鳥ではない」ギンシュが静かに言った。
「不死鳥ギンシュだ」
その瞬間、ライカの金の瞳が細くなった。熱風が渦を巻き、砂と灰が舞い上がる。睨み合う二つの炎――赤と金。
「……ギンシュ。久しい名を聞いた」
ライカの声は低く、しかしその奥に警戒があった。
「お前がこの島に何の用だ」
「朱雀の炎が乱れている。放ってはおけぬ」
ギンシュの声は穏やかだった。
「私たちはその原因を探り、助けに来た」
「助け?」
ライカが短く笑った。
「この島の炎は、他者に救われるような生き物ではない」
「それでも――燃え尽きようとしているなら、見過ごせぬ」
ギンシュの眼差しが真っ直ぐにライカを射抜いた。
「朱雀は“再生”の象徴だ。けれど、再生は死ののちにある。死が早すぎれば、世界の均衡もまた崩れる」
ライカは一瞬だけ沈黙した。熱風の中で、彼の尾の毛が逆立つ。
「言葉だけなら立派だ。不死鳥は誰もかれも、いつもそうだ」
次の瞬間、地面が鳴った。足もとの岩が割れ、熱気が吹き上がる。ライカの姿が揺れ、瞬く間に炎の中に消えたかと思うと――ラウスの背後に回っていた。
「早っ――!?」
ラウスが振り向くより早く、首筋に冷たい爪先が触れた。
「落ち着け」
ギンシュの声が鋭く割り込む。赤い羽が一枚、炎の中に散った。
「我らは敵ではない。もし敵であれば、この島に降り立った瞬間、燃え尽きている」
炎が一瞬、鎮まる。ライカは爪を下ろし、距離を取った。鋭い瞳が、ギンシュを真っ直ぐに見据える。
「ギンシュ……お前。変わったな」
「変わった?」
「ああ。不死鳥はどれも誇り高く、他を顧みぬ。だが、お前の炎は違う」
ライカがゆっくり言葉を続けた。
「ほかの不死鳥よりも、深く、あたたかい。そして“誰かを癒すための炎”のようだ」
ギンシュは微かに笑んだ。
「癒し……心当たりがある。我が血に溶けた、優しい水の癒しの血の力がある」
(ああ……)とラウスは理解する。(ルルの人魚の血だ。青龍から繋がる癒しの血だ)
「水の癒し……なるほど。朱雀が待っているのは、もしかしたら――お前かもしれない」
ライカの瞳が細められた。
「朱雀は、燃え尽きる前に“誰か”を待っていた。転炎の刻――炎を受け継ぐ儀を、共に行える者を」
ラウスが眉を上げた。
「転炎の……儀式? それって、どんなやつだ?」
ライカは静かに息を吐き、灰色の耳をわずかに伏せた。
「炎を分け合う儀だ。己の命を燃やし、もう一つの命に火を渡す。それは力ではなく、“共鳴”によって行われる。心が同じ温度になった者だけが、それを成せる」
熱風が島を渡った。遠くで雷鳴のような爆音が響く。ライカの金の瞳が、その音の先――外輪火口の方角を見据えていた。
「朱雀は、もう長く持たぬ。炎が乱れ、いずれ自らを焼き滅ぼす。……その前に、“火を継ぐ者”が要る」
ギンシュが、静かに頷いた。
「ならば、急がねばなるまい」
「導こう」
ライカが背を向ける。銀色の尾が揺れるたび、火の粉が舞った。
「火の窟まで案内する。朱雀は……その奥で、苦しみ、眠りかけている」
ラウスがグンザと目を合わせ、息を呑んだ。灼熱の島を吹き抜ける風が、一瞬だけ冷たく感じられた。
歩き出しかけたライカに、グンザが尋ねる。
「答えてくれ。つまり、ギンシュは、新たな朱雀となるのだな? 」
ライカは振り返る。
「……おまえは、ギンシュのなんだ?」
ためらいなくグンザが即答する。
「友だ」
ライカの耳がぴくりと動いた。
「友、か。……ならば充分だ」
金の双眸が、静かにギンシュとグンザを見比べる。
「炎を継ぐ者には、炎を見守る者が要る。朱雀が火を渡すなら、その火を護る手もまた選ばれねばならぬ」
短い沈黙ののち、ライカが低く言った。
「――お前たちで、ようやく条件が揃ったのかもしれん」
その言葉を最後に、ライカは再び背を向け、燃える火口道を進み始めた。
灰の匂いの中、ラウスは小さく呟く。
「……なんか、すげぇ話になってきたな」
グンザは苦笑しながらも、胸の奥で熱くなるものを感じていた。
不死鳥と、炎を見守る者。
――それが、次の朱雀に託される“絆”のかたちだった。




