不便だっていいじゃない……と、己をなぐさめてみた
折角のハロウィンですが、残念なことにこちらは雨模様です……まあ、昨日も書いた通り、参加予定なんて微塵も無いので気落ちするのも図々しい話なのですが……。
これはあれでしょうか、お祭り気分で浮かれて無いで、偶には真面目な話を書けという神様の采配でしょうか。しからば、なんかそれっぽい話題を……うーん……あ、そうだ。
最近、「AIで物語を書くこと」についての意見を目にすることがとても増えました。
私自身はパソコンを指先ひとつでダウンさせられる能力を有しておりますから、AIを駆使して物語を書くなど夢また夢な状態ですが、そういう技術を使ってお話を書かれてらっしゃる方も結構いらっしゃるみたいです。
書く側からすると「機械に丸投げのストーリー」なんてのは感心しませんし、折角の「話を書く」醍醐味が無くなっちゃうやん! とも思いますが、上手に付き合っていく分には、時代の流れからしても止められないだろうなーとも感じます。そもそも読む側からすれば、人間が書いたものだろうとAIが書いたものだろうと自分の好みに合っていればどちらでもいいという方が殆どでは。
こうして考えると、機械的なものや人工知能は、一昔前では想像の中でしかなかった所にまで入ってきているのですね。車両にはAIが搭載され、ペットを飼えない環境の方は動物を模したロボットを抱くのなんて、当たり前。冷蔵庫だって、庫内をカメラで観察して食材の有無を判断し、それに合わせたメニューを提示してくれたりします……ふふふっ、勿論、我が家の冷蔵庫は冷蔵・冷凍オンリーの寡黙な職人タイプですよ。
今時の機械たちは、至れり尽くせりで、色々なことをそつなく熟せる器用なタイプが求められているという事なのでしょう。
なんかこれって、今時のお子さん達に通ずるものがあるように思うのです。勉強も、スポーツも、習い事の数々や友達付き合いもサラッと熟し、周りの空気を読んだ言動をして、お洒落へのアンテナだってちゃんと張り巡らせてる。そういうことを当たり前に出来るお子さんが多いように思えます。
……凄くないですか⁉ 自分を振り返ると、もっと油断して生きていましたもの。あの頃は、ぽんこつでも許される時代だったのかもしれませんね(本当に許されていたのかは疑問ですが)。
若い役者さんや著名な方を拝見してると、本当に皆さん器用だなと思います。特化型ではなく、万能型。それも、何処かがおろそかになってる訳じゃないんですよね。満遍なく才能を発揮してる方を目にする度に、なんかこう、「とうとう人類の新たな進化が始まったのでは……!」と思うのです。ある業界に一人の天才が現れると、天才に合わせるかのように業界全体が一斉に底上げされるカンジ。
……とはいえ。どんなに便利な世の中になっても、やっぱり古くからあるものが消えることはそうそうないんですよね。洗濯機が発明されて久しいけれど、未だに洗濯板だって売っているし。古の形態が残っているものには、必要とされるシーンがあるということです。水拭きも出来るル〇バが無くたって、箒と雑巾を使えばいいんですよ! 進化に置いてかれても、まだ大丈夫(の筈)!
「他所様に迷惑にならないなら、多分ちょっとアレでもギリ生き延びられる」。この言葉を胸に、今日を生きていこうと思います。
……あれ? 「真面目な話」は何処に??




