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しかし嘘であってほしいことこそ現実として私を追い込んでくる。
翌日、学校で朝から彼女が私に話しかけてきた。昨日までさして関わりがなかった。ならば話題は一つしかない。絶対昨日のことを言われる。
「もう一回だけ一緒にPlayしてみない?」
「あれは応急処置です。試しません」
「つれないね」
スタスタといつも通りの理想をなぞったような動きをしている。それなのに砕けた話し方をしている。まだ知り合って二日目のはずなのに距離感の近い人だ。彼女は特別仲のよい人以外とはもっと畏まった口調で話していたと記憶している。いつもは、普段はと考えてみれば知らない人の割には彼女をよく見ていた気がする。やっぱり彼女は目立つ人だからか。今だって色んな人に見られている。もっとも、声量を落としているから彼女のイメージが壊れることはないだろうが。
私に聞こえる声だけが昨日の気配を残している。声を聞いているだけなのに体があの興奮を思い出しそうになる。彼女を叱ったときのゾクゾクした感じがよみがえってくる。これが彼女の狙いなのだろうか。こうやって思い出させて、私から彼女のもとへ行くのを待っているのだろうか。なんて怖い人だ。
彼女の罠に引っ掛かりそうになるのを搔き集めた理性で必死にとどめる。私はDomの力を持っている。力がある人間は人を無理に従えてはいけない。当たり前のことだ。当たり前のことなのに、上手に心を制御できない。心の中に巣食う醜い感情を封印できない。
人を傷つけるのは恐ろしいことだ。人を傷つけて死ぬくらいなら傷つけられてでも生きていこうじゃないか。
過去に誓ったことを思い出す。そうだ。傷つけられるほうが、まだマシなんだ。
小学校の何年生のときだったか。叩かれるのが怖くて先に相手を殴ったことがあった。迫り来る平手がまるで毒が塗られたナイフのごとく恐ろしく感じて、手が出てしまった。
相手は大号泣。私は非難轟々。相手は一軍女子。部が悪い。その上相手は友人に撫でようとしただけなのにと嘘をついた。誰も三軍で加害者な私の主張など聞かない。私の居場所は消滅。スクールカーストから転げ落ち存在しない人になった。学校という社会において私は死人となった。
あれは本当に恐ろしい体験だった。自分の存在が曖昧になったことはもちろん、一軍女子一人の命令で人があそこまで冷たくなれるのかと怖くなった。あの恐怖は二度と味わいたくない。だから私は傷つくことも甘んじて受け入れようと思った。叩かれる痛みも死ぬ恐怖に比べたらなんとでもない。決して過去の自分のような加害者にならないように。決してあの時の一軍女子のような支配者にならないように。それが私の合言葉だ。
あの時から私は一生懸命気をつけて生きてきた。傲慢な支配者とならないようこの忌々しいDomの性とも戦ってきた。それを彼女がぶち壊そうとしている。酷いもんだ。身勝手ったらありゃしない。生徒会長様はなんとも傲慢だ。溜息が出る。
その日は憂鬱を抱えながら一日を過ごした。
そこから二、三日は耐えられた。しかし五日もすれば体に限界がくる。お腹が空くとか、眠くなるとか、そういった次元でSubを従えたいという欲求が強くなる。心が飢えている。支配し、従え、自分のものにしたい。Dom特有の汚い欲求が強くなっていった。体の内側から欲が膨らんで大きくなって爆発しそうになる。身も心も自分のものなのに制御できなくて、とても恐ろしかった。授業中、気が付いたら彼女を目で追っていた。ふとしたときに彼女のことを考えていた。彼女を滅茶苦茶にしてしまいたいと思うようになった。ずっと本能が飢えていた。
元々私は飢えていた。状態としてはいつも通り、何も変わっていない。だが私は満たされた状態をしってしまった。溢れ出る欲求が満たされる感覚を知ってしまった。飢えを自覚してしまった。
だからもう一度を求めて身体が暴走しそうになる。
学校で笹川さんを見るたびに手にシャーペンを突き刺すようになった。酷い時には手の甲を噛んでいた。自分が暴走しないように戒めとして痛みを与えたが、その感覚も一週間ほど経てば曖昧になっていた。
満たされたくて、ずっとあの感覚が欲しくてたまらない。Playのことしか考えられない。彼女とのPlayから二週間が経てばもう限界だった。
欲求不満でカリカリしている時に彼女に話しかけられた。ちょうど昼休みが始まって購買で買ったパンを食べようとしていた時で本当に鬱陶しかった。けれど彼女を傷つけないため、できる限り苛立ちを抑えて努めて優しい声で応対した。
「どうしました?」
「もう一度、私とPlayをしてくれない?」
「無理です!」
口から出そうになった命令を押し除けて拒絶の意を突き出し、その場から逃げ去った。ほぼ限界状態で、おかしくなりそうな時にそんな魅力的な提案をされたら、困る。暴走してしまう。おかしくなってしまう。
勢いだけでトイレまで来てしまった。もうお昼は食べれそうにない。彼女の顔をみるだけで、いや彼女の香水の匂いを感じるだけで決意が崩壊してしまいそうだった。もう限界だとわかっている。けれど、だからといって彼女を傷つけるわけにはいかなかった。他の人に申し訳なく思いつつも、落ち着くまで20分ほど個室で過ごさせてもらった。
予鈴で教室に戻ったが彼女はいなかった。珍しいこともあるものだ。いつもの彼女なら既に授業準備をして教師が来るのを待っているはずだ。全ての行動が学校で求められる理想をなぞっているので意識しなくとも覚えてしまう。
結局、授業が始まっても彼女が戻ってくることはなかった。体調不良で早退したらしい。あんな意味のわからないことを言い出したのも同じ原因だろう。納得だ。
この時間は不思議と集中できた。やっぱり笹川さんがいないからだろうか。警戒するものがいなければここまで気が楽なのか。Playのことも彼女のことも忘れて落ち着いていた。