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「立ってください」
これは治療のためと自分に言い聞かせて目の前で倒れている人間に命令する。
見えない手で持ち上げられたかのように立ち上がる彼女はその恐ろしいほど整った容姿も相まって操り人形のようだ。
弱くて無抵抗の人間に何かを強制するなど、私が一番嫌いなことだ。だが体調を崩しこちらへ助けを求めている人間を無視するわけにもいかない。家に帰ってから助けるべきだったと後悔したくない。それに、彼女を無視するのは今後の学校生活のことを考えたとき、賢い選択とは言えない。
彼女は才色兼備のクラスメイトで生徒会長様だ。見捨てれば次学校で会ったときに気まずい。それに同じ学校の人にバレたら白い目で見られる。あっという間にスクールカーストからこぼれ落ちて居ない人になってしまう。
そんなのは御免被りたいのでしぶしぶ彼女の相手をする。
「よくできました」
機械のように決められた手順通りに褒める。必要なことだから褒める。そこになんの感情も生まれない。強いていうなら馬鹿らしさ、くらいだ。立ち上がっただけで「よくできました」なんて赤子を扱うみたいだ。目の前にいるのは私と同い年の女だ。自分より少し背が低いだけで赤子でも、ましてや年下でもない。それどころか自分より社会的立場が上の人間だ。今すぐにでも投げ出してしまいたいくらい馬鹿らしい。
「こっちに来てください」
まるで肉体を手に入れたばかりのようなぎこちない動きで私の元までやってくる。ふらふらと左右によろけながら歩いてきて、私の胸元へぽすんとおさまった。
どういうつもりなのだろうか。私は手が届く範囲に来るよう命令しただけだ。ハグしろとは言っていない、はずだ。
急な接近に驚いていると、猫が甘えるときのように顔をぐりぐりと押し付けてきた。褒めろということらしい。
「はいはい、いいこですね」
頭に手を伸ばしかけて、止まった。綺麗に整えられた髪を崩すと怒られそうだ。宙ぶらりんの手を背中に回してさすってやると嬉しそうに擦り寄ってくる。ほぼ猫だ。もう喉をグルグル鳴らされても驚かない。
全くどうしてこんなことになっているのだろうか。
今日はテスト終わりの日だった。家に帰ってテスト期間に徹夜した分だけ昼寝するつもりだった。明日は一人でテストお疲れ様会でも開こうかと考えていた。お菓子を買い込んで、ぐーたらアニメでも観ながらゆっくりしようと思っていた。
それがどうだ。帰り道にクラスメイトで生徒会長の笹川さんが倒れていた。
彼女は私が知る人の中で最も「高嶺の花」なる言葉が似合う人である。外見中身問わず隙がなく、完璧で近寄りがたい人である。顔は手を加えるまでもなくお人形さんみたいに整っていて崩れない。すらりと手足が長く、美術館にある彫刻を思わせるバランスの取れた体つきをしている。その体でもって紺のブレザーを綺麗に着こなし、歩調は乱れることなく、姿勢は崩れることなく、一日中何かと忙しそうに生徒会長の仕事をしていらっしゃる。
去年の生徒会長なんか酷かった。過去の慣習など興味なし。生徒から集まる要望なんて知らんぷり。毎年恒例の挨拶運動でさえもしなかった。何もしていなかった。
それが今年はどうだ。
会長選挙で前に他の生徒と並べば一目瞭然。圧倒的な美しさを持っていた。それに加えて成績は常に学年トップ。勉学だけでなく運動や芸事もできるという隙のなさ。彼女が美術の授業で描いた自画像を見た時には、絵の上手さと彼女自身の美しさに圧倒され、こんな人間が存在していいのかと心の中で叫んでいた。
そんな彼女が道端に倒れ、荒い息を吐きながら何かを堪えるように手を噛んでいた。自分でアイロンをかけているらしいスカートには皺がより、土汚れがついている。目は焦点が合わず、ふらふらと宙を彷徨っていて危なっかしい。真っ白な手に並んだ赤い噛み跡が唾液で濡れている。この強すぎる色気に当てられて、呆然と立ち尽くしていた。だが。
「ねえ、ダイナミクスは何?」
妖艶な雰囲気とはこんなにも簡単に立ち去るものなのか。
いつもとは違うゆるい口調で言われた言葉で急に冷静さを取り戻した。
ダイナミクス。この世界の人間をDomとSubに二分する、忌々しい第二の性別だ。
状態を見る限り、彼女はSubだ。命令をもらえなかったか何かで発作を起こした可哀想なSubだ。そして残念ながら私はDom。気分は最悪だった。
Domとして支配する、つまりは人の上に立つということは多くのことを求められる。
適切な指令を出す能力。人を魅了し好かれ憧れられるカリスマ感。人の上に立つものとしての威厳。人を従えても増長しないある程度の謙虚さ。
どれも私にないものだ。私はDomにふさわしくないのだ。それなのにSubを従えたいという欲求と実際に命じ従わせる力だけはご立派にある。本当に困ったものだ。
「助けて。私Subで、薬で抑えてたんだけど、ダメだったみたいで。Play、してくれない?」
やはり、予想通りの嫌な展開。普段の彼女からは考えられないほど弱々しい声で助けを求められた。彼女に目を向ければ今にも霧となって存在ごと消えてしまいそうな儚さをまとっていた。「助けたい」「守りたい」などと飢えていたDomとしての本能も呼び起こされた。
自分の欲求を満たすためではない。社会的立場を守るためだと自分に言い訳をした。例えるなら限界まで空腹になったときにご飯を食べようと伸ばす手を止められないように、私は彼女に命令していた。
「本当に無理な時はSafewordを『嫌い』を言ってくださいね」
完全に倒れ込んでいる彼女に聞こえているかはわからないが、一応Safewordを決めておく。Safe wordを発したら全ての命令は無効化される。
Subを守るためのお守りのようなものだ。決めておかないと命にかかわる。そうやって最低限の準備だけをしてPlayに挑んだ。
幾度か指示と褒めるを繰り返すとかなり体調が回復したようだ。顔色がよくなり、虚ろだった目には光が宿り、居心地悪そうに揺れている。
もういいだろうと離れようとすると、撫でていた手をギュッと掴まれた。普段の気高い彼女とはかけ離れた幼ない仕草に背中がゾクッとする。彼女はこんなにも可愛らしいことをする人だったのか。ギャップ萌えとかいうやつでちょっとマズイかもしれない。
「もう大丈夫そうですね。じゃあ私はこれで」
私は逃げるように立ち去ろうとした。懐かしの匂い玉のような甘い香りでもしてきそうな彼女から一刻でもはやく逃げなければならない。そうしなきゃ、何かがおかしくなってしまいそうだった。
しかし彼女に手をギュッと掴まれて離れられない。
「まだ、一緒にいて?」
こてん、と首を傾げる様子は3つも4つも年下の少女に見える。いつもの彼女とのギャップもあってとても可愛らしい。それに、私なんかが彼女をこんな風にしたと思うと、ゾクゾクしてしまう。これはよくない。本当によくない。悪い子になってしまう。
「私、家帰らないといけないから」
「じゃあついてく。絶対に離さない」
「無茶言わないでくださいな」
私の脳のまともな部分がはやく離れるべきだという。
けれど既に私は征服欲が満たされておかしくなっている。彼女を自分の意志で好き勝手できる状態にあることに興奮してしまう。可憐な花のように純真無垢な彼女を汚して穢してぐちゃぐちゃにする、そういう選択肢があることに気が高ぶってしまう。「幼く可愛くなった彼女を放置したら危ない」そんな言い訳が浮かんでしまった。そうだ。私みたいなことを考える人は他にもいるはずだ。彼女が他の悪い人に傷つけられるくらいなら、私が保護すべきだ。
理性なんてものは存在しなかった。
「散らかっていても大丈夫なら、いいですよ」
本能に負け、そんなことを口にした。彼女はおもちゃを買ってもらった子供のように無邪気に喜んでいる。心の中に芽生えた罪悪感でさえスパイスとなって興奮を高めるのだから私は本当にどうかしている。