聞き取り調査1
大原家からの電話で起きたのは11時だった。
依頼人からの、「久崎さん、まだ寝てるんですかぁ?子供じゃないんですから早く起きて下さい~」という一方的なメッセージで切られた電話は、寝起きの俺にとっては昨日のパチンコ屋の騒音と同じように頭に響いた。
昨日つけっぱなしにしていたのだろうか、暖房が効いてて温かい。
パジャマを脱ぎ、無機質な音が響く受話器を叩きつけ、デスク上のマッチと茶色と白の斑点のフィルターが特徴の煙草を手に取る。倒れるようにソファーへ寝転がり、今にでも熱病で倒れてしまいそうなラクダがプリントされているマッチ箱の中を見てみると空っぽであることに気付いた。煙草を咥え、マッチ箱を握りつぶし、それをゴミ箱へ投げ入れたが、数センチの所でリノリウム造りの地面へと不時着した。しぶしぶジッポライターで火を付けると、吐き出した煙は薄暗いこの部屋に差し込む光を乱反射させた。
今日も煙草が旨い。
上半身を起こし、灰を吸殻へ落とし、台所へ向かった。湯を沸かし、簡単に紅茶を作る。普段使わない換気扇を回し、SOSを要請しているラクダを拾いなおし、ゴミ箱に入れてやった。
朝一番に吸う煙草というのは何故、こんなに旨いのだろうか。湯が沸くのを待っている間に煙草を吸いきってしまった。燃え残ったプラスチックをシンクに投げ捨て、もう一本の煙草を取りに行った。
あまり普段は考えないようにしているが、マッチよりもジッポで付けた煙草の方がやはり旨い。
茶葉をティーポットに入れ、湯を注ぎ、デスクへ持って行った時にドアをノックする音がした。
それと同時にドアは開いた。
「おはようございま…。って、なんで上半身裸何ですか!?」
ノックの主は山郷千里だった。
「さっき起きてパジャマを脱いだところだったんだよ。それに俺は入ってもよいとは言っていないぞ」
「ノックと同時に着てください!」
「無茶を言うなあほ」
女は何故、ノックと同時に部屋を開けるのか。オナニーをしていたら、ノックと同時に部屋に入ってこられたという話を高校時代に聞いたことがある。なんなら部屋を開けながら、ドアをノックする母親もいるという。俺自身と言えば、母親という存在が居なかったこともあり縁もゆかりもない話であった。だが、ヤクザに絡まれたり、不良に因縁を付けられ、殴りかけられた経験のある俺としては、この話の方が余程、恐怖体験である。
フジテレビだったら、正装した子役が、「はい、吾郎さん」と言って手紙を読み始めるところである。
手紙、で思い出したが、今日はこの娘の父親の担当看護婦と話をすることになっていた。
予約していた時間は12時半である。
「今日から聞き込みですよ久崎さん、早く準備をしてください!」
「眠いんだよ俺は。まだ12時間しか寝ていない」
「充分寝ているじゃないですか!」
「昨日からこの国は冬になったんだよ」
「あなたはクマですか…。あなたの場合、食べ物ではなくニコチンを吸い貯めしそうですけれど」
分かってきたじゃないかこのお嬢さんも。二本目の煙草を吸いきってしまい、寝室へ戻りシャツを着て、ネクタイを結ぶ。
「もう少しで準備出来るから、あまりの紅茶でも飲んでおいてくれ」
「やったー。ありがとうございます。コップ貰ってもいいですか?」
キッチンを指さし、俺は洗面所に向かった。歯を磨き、髭をそり、髪は…今日は面倒くさいから寝ぐせだけ直しておこう。5分ほどで準備を終えた。
「すまない、待たせた。一旦店に寄って行く」
「了解です!」
「その前にもう一本吸っておく。歯磨きの後はヤニでコーティングしないと落ち着かないからな」
「…ほんっとヤニカスですね…。血液の半分近くはニコチンで汚染されてそうです」
溜息を付きながらもどうやら待ってくれるようだ。
調査料、割引しておいてやるよ。
計3㎎のニコチンを貯チンし、ようやく俺たちは事務所を出ることが出来た。
階段を降りつつ振り返ると、何故か千里は笑っていた。いや、押さえている笑いをどうにか押し殺している、そんな表情だった。
「…なぁ、君はどうしてにやにやしているのかな?」
「いや、だって」
と言った所で、彼女は吹き出した。こんな朝一番から笑えるとは羨ましい限りである。
「だって、ソファーの上に置いてある、久崎さん、の、パジャマ、あれなんですかぁ!?クマさん柄じゃないですか!なんかギャップ凄くて」
はぁはぁ、と千里は少しづつ笑いを収めていく
成程、しかし別に何も面白くない。いいじゃないか、喫煙者の男がイラスト調の子グマが、無数にプリントされているパジャマを着たって。
「俺がどんなパジャマを着ようが何か問題でもあるのか?君に迷惑でも掛けたのか?いいや掛けてないね。今、目の前を歩く女性にも掛けていない。誰にも迷惑など掛けていない。公共の福祉にでも反するのならば兎も角、平和的、民主主義的一市民である俺が、夜に着るパジャマの事を人にとやかく言われる必要があるのかね?」
一気に話したせいで少し息が切れる。
「いや、別に問題無いです…。なんかすいません?」
「分かればいいんだ。今後はこの反省を胸に刻んで人生を歩んでくれ」
今日もまた罪深き青少年を救ってしまった。
俺は一人、満足げな顔を浮かべていると後ろからぶつぶつと何か聞こえてきた」
「久崎さんって、雰囲気だけは一丁前ですけれど、実際はクソガキですよね…」(小文字)
「おい、なんか言ったか?」
「いいえ!久崎さんもまだまだ可愛いお子様な一面があるんだな~って思っていただけです!」
…まぁ、良いだろう。
そんな会話をしていたら喫茶店に着いた。
今日も老犬は日向のもとでぐっすり眠っていた。
「ところで」
思い出したような口ぶりで千里が言った。
「胸元にあった傷って何があったんですか?」
多分、心臓近くにある6㎝幅の傷の事だろう。
「昔、ヤンキーと喧嘩した時に出来たやつでな。未だに古傷が痛むぜ」
「それ、本当ですか?」
「どうだろうな」
俺はどんな表情をしていたのだろうか。自分では分からなかった。
中に入るとおっちゃんだけだった。
「おっちゃんおはよう。有希は?」
「やっぱり今起きたのか…。有希なら学校だぞ」
おっちゃんは呆れたように返事をする。
「そりゃそうか。昨日は夜、手伝えなくてすまなかったな。パチ屋行って、飯食ったら寝てたわ」
「そんな事かとは思ってたよ。別にいいって。今日は千里君の依頼を進めるんだろ?千里君、しっかり引っ張ってやれよこのへぼ探偵を」
「ええ、任せてください!今日から久崎さんを弟と思って、引っ張っていきますよ!」
このクソガキィ…。
5分ほどの滞在の後、俺たちは病院へ向かった。
俺たちの住む津坂市最大の病院、津坂市立医科大学付属病院は最近の改修工事のお陰で、かなり清潔感のある大病院へとなっていた。待ち合わせの10分ほど前に3階の食堂に着いた俺たちは、自動販売機で買った炭酸水で時間を潰していた。
「ジュース、ありがとうございます久崎さん。私これ大好きなんですよ~」
「安心しろ、請求書に載せておく。利子は十日で十割。因みに俺は本気だぞ」
「さっきは調子に乗ってごめんなさいでしたぁ!」
まぁ、別に怒ってもいないわけだが、男の威厳が廃れるのも嫌だったので意地悪を言ってみただけだ。
千里から、昨日のバイトの感想をつらつらと聞かされること5分、一人のナースが俺たちの座っている机に近づいてきた。メイクは薄めで、髪は少し茶色が混じっている。ポニーテールに纏めている髪質から、この茶色が天然のものであるかは判別できなかった。
有希も、少々認めたくはないが千里も美人と言えるが、この看護婦もまた違った美人である。
見た所20代半ばと言った所だろうか。
「ごめんなさい。待たせましたか?」
俺と千里が立ち上がり彼女を迎えた。
「真由さん!今日は本当にありがとうございます。私たちも丁度今来た所ですから気にしないで下さい」
俺の前では見せたことの無い立ち居振る舞いで千里は挨拶をした。
「千里ちゃん、そんな堅苦しくなくてもいいよ~。私もまた会えて嬉しいから!」
植田真由子
山郷敏郎氏の担当看護婦である。名前を千里から聞いて、入院中の山郷医師について話を伺いたいと、昨日アポイントメントを取った。本来、こう言うことは個人情報の観点から難しいと言われたが、当人の娘も希望しているという旨を伝えた所、千里ちゃんが来るなら、という話になった。
「私もです!あ、こちら父の事を一緒に調べてくれている久崎さんです」
この場は千里に話の進行は任せることにしよう。
「昨日電話をさせて頂いた久崎と申します。お忙しい中申し訳ございません」
俺は名刺を差し出した。角が少し欠けていたのは失敗だ。
「いえいえ、山郷さんが入院していた時に千里ちゃんとは仲良くなって、そんな子の頼みですから、私も喜んでです!」
植田さんは名刺を手に取り、少し驚きの入った表情を演じつつ、「探偵さんって半分フィクションの世界の方だと思っていました」と続けた。
「それはそれで幸せだと思いますよ。警察、弁護士そして探偵、この辺は特に関わりを持たない方が良い人種ですよ」
「あら、それを言ったら医者も看護師もそうですよ」
「違いないですね」
軽い雑談を交え、相手を観察するのも探偵の仕事らしい。とは言え、数分の面接でその人の為人を見抜くことが出来るのであれば、大企業の面接官も苦労しないだろう。
「さて、今日植田さんにお伺いしたいのは、山郷さん、失礼ここでは便宜的に山郷医師と呼ばせてもらいます、彼が書いていた手紙についてです」
詳しいことは千里に任せることにした。
その手紙の内容について知っていることは無いか、何故その手紙を気にしているのか。
傍から聞いてはいたが、中々に上手くまとめて話してくれた。彼女からは事前に、昼休憩の30分だけしか取れないということを聞かされていた。
植田さんは数週間前のおぼろげな記憶を引っ張ろうと努力はしてくれたが、内容とその宛先までは見ていないという事だった。
「ごめんなさいね千里ちゃん、あんまり人のプライバシーには踏み込まないようにしているので…。手紙の内容は意識的に見ないようにしていたの」
「いえいえ、こちらこそ二週間以上前の事を思い出してほしいなんて無理言って!私なんか一昨日の晩御飯も思い出せないのに」
植田さんに配慮するように笑って見せる千里。
…うむ、このままだと話は進まないだろうな。ここは角度を変えて聞いてみるか。
「植田さん、例えば捨てられた手紙などに記憶はありませんか?ゴミ箱に入っているのを偶然目にしたとか」
うーん、とうなりながら、植田さんはゴミ箱の淵に溜まっている埃のような小さな記憶を掘り返そうと努めてくれるが、「ごめんなさい、やっぱり思い出せないですね…」、ということだった。
「一応封筒とかは覚えていませんか?」
「…やっぱり思い返せないですね…。お力になれなくてすいません。ごめんね、千里ちゃん」
「いえ、思い出せないのが普通の事ですよ。逆に、そんなことが簡単に思い出せたら、怖っ!手なっちゃいます」
苦笑いをする千里だが、その表情は落胆を完全に隠すことが出来る程、上手いものでは無かった。
現状、この場で尋ねることも思い浮かばなかったので、この件についての話は一旦お開きにした。彼女たちは、先ほどまでの少々重い雰囲気はどこの風か、明るくスイーツの話をしていた。どうやら彼女たちが、患者の家族と看護婦という無機質な関係から交友を深めたのは、売店で甘いものを探していた千里に、植田さんが声を掛けたからだそうだ。最初は千里が緊張していたようだったが、スイーツが好きな二人はそれ以降、病室にケーキを持ち込み、交換し合っていたらしい。何とも仲睦まじい関係である。可能ならば俺も交じりたい。
「それでですね、この久崎さんの副業が実はわんコーヒーのウェイターなんですよ!?意外ですよね、こんな感じなのに」
「おい、それはどういうことだ。俺ほどゲストに寄り添い、もてなし、そして愛想の良い店員も居ないぞ」
「嘘だぁ~。お客さん言っていましたよ。玲二君は相変わらず今日も不機嫌なのかな?って」
えぇ…、まじで…。そんなつもりは無かったんだけどな…。
偶々訪れたホリプロらへんのスカウトマンが、健気にそして明るく働いている俺をスカウトするという俺の人生計画がはかなく散っていった瞬間である。
「でも、マスターは凄く優しいし、看板娘的な私の友達も凄く可愛くて、明るいんですよ!?」
「そうなんだ!わんコーヒーってちょっと渋いイメージがあったから行ったこと無かったけれど今度行ってみようかしらね」
「一緒に行こうね、真由ちゃん!」
そんな会話を背後に俺は紅茶を買ってくることにした。千里と植田さんも紅茶が欲しいという事だった。最初は遠慮していた植田さんであったが、「私が雇っている、言わば召使みたいな感じなので遠慮なんてしなくていいですよ」という千里の言葉に、「それじゃあ…お言葉に甘えて」ということだった。
俺はいつからこのクッソガキの召使になったのだろうか。どうせなら性奴隷が良いですね!
自販機でストレート、レモン、ミルクの三本の紅茶を買い、席へ戻ろうとした所、一人の白衣を着た医師が席に近づいてくるのが見えた。
二人に紅茶を渡して、お礼を言われたタイミングで、トレイに昼飯を乗せた男性がこちらへやってきた。
川上紀之、首から下ろした名札から読み取れる情報は医師であるということだけだった。