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Case File1  作者: 安原颯
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メイドの視線

日差しがモザイク模様にブラインドを透過している。窓から外を覗くと一瞬の眩暈の後に通行人が何人かを確認できた。どうやら通勤のピークは疾うに過ぎてしまったのだろう。事務所に沿って走っている県道の向かいに一人の老人が歩いていた。70は過ぎているだろが、この距離では何も観察することは出来なかった。陽光がどうにも眩しい。溜息を付きつつ、デスクに置いてあった煙草を手に取り、マッチで火を付ける。朝一番の煙草はマッチと決めている。別にこれといった理由は無い。ただ親父がそうだったから。それだけだ。歯を磨き、紅茶を汲み、もう一本煙草を吸う。太陽はいつもより機嫌がよいらしい。俺の機嫌が悪いのはいつも太陽のせいである。真上から差し込む太陽という物が嫌いだ。

さて、問題です。

今は何時でしょう。

正解は正午12時でした。

うん、まぁ、起きた瞬間に色々察してはいたけれどね!これでも早起きの方なのだ。

寝室には、ゴッホのひまわり程度の大きさの窓が一つしかない。ゲルニカ程度の大きさがあれば俺の寝起きも治るだろうに、そんな壁一面のガラス張りの窓を有するのは、美術館か日本庭園位なものだろう。仮に朝起きた時にゲルニカが目の前にあることを考えよう。

きっと寝起きは悪いだろう。

今日は朝早くにわんコーヒーへ行って、千里と依頼の詳細、そして今後の事について話そうと思っていた。

しかしまあ、寝坊したものは仕方がない。別に、いつもと違い誰かに迷惑を掛けた訳でもない。もう一本煙草を吸ってから今日の事を考えるとしよう。

そんなことを考えている瞬間に電話が鳴った。わんコーヒーからだった。

「多分おはようなんだろうな」

「よく分かったな。君は探偵にでもなった方が良い」

「勘弁だよ。忙しいから要件だけを言う。ヘルプに来てくれ」

一方的に伝えられたメッセージに返事をする自由は残されていなかった。

まぁ、普段はクソ暇だしな…。


普段、日中にこの喫茶店に来ることは無い。無論、俺の本業は探偵であるからだ。しかし、毎日依頼人が来るほど大盛況という訳でもない。平日の真昼間の駄菓子屋もこんな感じなのだろう。そんな暇な日は今日の様に、喫茶店のシフトに入っている。尤も今日は、急な呼び出しであった訳だが。喫茶店の前に一匹の犬が眠たげにあくびをしている。

「カズ、おはよう」

今日もあくびで返されるだけである。これが老犬なりのもてなしなのだろう。

昨日と同じく、重いドアを開け、バックヤードから入る。昨日以上に煙草の香りがきつい。喫煙者の俺としては特に気にしないが、煙草嫌いならば堪えるものがあるだろう。

白シャツの制服を着て、サロンエプロンを巻く。厨房に出るとおっちゃんが居た。

「おはよう、おっちゃん」

「おう、おはようさん。突然だが、新人研修を任せたい」

は?

新人?

いつ入ったんだ?

そんな疑問を投げかける前にホカウンターから見知った顔がぴょこっと顔を出してきた。

「新人として入りました、山郷千里です!昨晩から朝に弱いって聞いていましたけれど久崎さんってそもそも朝が無いんですね!」

にひひ、と笑う俺の依頼人がそこには居た。

手は水浸しになっているようで雫がぽたぽたと降り注いでいる。

まぁ、このタイミングで入る人間が居るとしたらこいつしか居ない。

「私もいるよ!」

少なくとも有希は学校をさぼったようだ。


「お前ら学校はどうしたんだよ?」

答えが既に分かっている問題を解くことはつまらない。しかし探偵という職業はどうにも答えありきのものが多い。不倫調査なんてその良い例だろう。殺人事件に直面して、安楽椅子の上で犯人を特定したり、冒険をしつつクローズドサークルで怪しい人間を監視したりする必要などないのだ。

「休んだよ」

「元々一週間ほどの休みを貰ってました、こっちにしばらくはいる予定だったので」

「おっちゃん、どういうことだ?」

「千里君が少し営業中の店を見てみたいと言ってね、そしたら有希が、どうせしばらくうちに泊まるんだから、千里ちゃんさえ良ければ一緒に働こうよ、とか言い出してな。それ以降は俺の出る幕は無かったよ」

おっちゃんは苦笑しつつも、嫌みは無い笑顔で答えた。

カウンターで楽しそうに談笑しながらコップを拭いている二人を見ると、その答えは聞くまでもなかった。

…しばらく泊まる?

「さらりとしばらく泊まるとか言ったけどどういうことだ?」

ああ、とおっちゃんはフライパンを振りつつ答える。どうやらオムライスの注文らしい。

「泊まる場所も無いって話だったから、依頼が解決するまで泊まっていくことを提案したんだよ。最初はそこまでしてもらうなんてとか言って申し訳なさそうにしてたんだがな。有希がここで働くことを提案して、それなら労働でお礼させてください、ということになった」

「なるほどな、まぁ理解したよ。それで俺に何を教えろと?バイトの飛び方とか、労働基準法を無視する雇用主との戦い方とかか?」

「お前、うちを何だと思ってるんだ…。兎に角、ホールでの接客を教えてやってくれ。バイトしたことが無いらしいから」

ホールを覗くと、大体三分の二程度の席が埋まっていた。

この時間としてはまずまずな人入りだろう。

カウンターへ出ると相変わらず女子二人が楽しそうに談笑していた。

「久崎さん、この店凄いですよ!?メイド服ですよメイド服!しかもクラシックの!女子の憧れの衣装を着れるなんて」

この店の女性従業員は有希だけであるが、その本人の強い要望により、女子の制服はクラッシックなメイド服になった。曰く、スカートの丈が長いものこそがメイド服らしい。

しるか。

ただ、まぁ、有希自身容姿は整っている。有希が日中に働いている土日は基本満席だ。おっさんおばさん問わず、ファンが居るというのは流石である。

「はいはい、俺らでホールやるからこっち来い」

話足りないのだろうか、少し名残惜しそうにこちらへ向かってきた

「はーい」


各メニューの際に出す食器、それと共に出す調味料、そしてオーダーをどのように厨房へ伝えるか。この辺りの基本的な事を教え、後は実践の場で学んでもらうことにした。少年漫画の主人公は戦いの中で強くなるのだ。

新しく入ってきた客数人は俺がお手本を見せ、常連が入ってきた所で任せてみることにした。

「あのお客さん、常連だし、いつもブレンドしか頼まないから行ってこい」

「任せてくださいパイセン」

ふん、と鼻息を鳴らし、客の方へ向かっていく。

おぁ、なんとも逞しい。まぁ、オーダー聞くだけの簡単なお仕事だ。心配はいらないだろう。

「イ、イラシャイマセ」

いや、どんだけ緊張しているんだよ!?

千里がおっちゃんや有希と会った時もそこそこに緊張していたしそんな気はしていたが…。

危うく少年漫画のツッコミ担当宜しくずっこけてしまいそうになる。

顔も感情を知る前のロボットみたいな表情してるし…。

「お、新入りさんかい?」

てっぺんから薄くなり始めたであろう頭皮が逆に似合っている紳士は笑顔で訪ねた。

ガチガチに固まっている千里に代わって皿を洗い終えたらしい有希が代わりに答える。

「今日からバイトに入って貰った、千里ちゃんです」

「チ、チサトデス」

なんか死にそうな声で答えてやがる…。

チサトDEATH!

そんな今にも砕け散りそうな氷を気にせず紳士は、煙草を取り出し、マッチで火を付けた。

確かハイライトを吸っていたと思う。

「よくこの店で休憩させてもらっている児玉という者です。今後もよろしくね」

にっこりとした優しい笑みにどうやら緊張がほぐれたようだ。

初めてのオーダーを任せたのがあの人で正解だったな。

初めてを任せた、と書くと売春を斡旋しているヤクザみたいで嫌だな…。

…そういう人間を知っているから尚更だ。

「…はい、覚えることは多いですが頑張っていきます!」

「それじゃあ、ブレンドコーヒーを頼もうかな」

「かしこまりました!」

ぴょこぴょことこちらへ戻って来る。

「カウンターさん、ブレンド、お願いします!」

「「「はい!」」」

三人の息が合った。

その後も、オーダーは千里に任せた。

緊張は完全にはほどけていなかったが、時計が五時を回るころには充分仕事をこなせていた。

とは言え、まだ慣れていないということもあるので、今日の所は料理は俺が出したが。

「お疲れ様、千里君も有希も、ついでに玲二も」

急に呼び出されて、新人の教育係を押し付けられて、挙句の果てについで扱いの俺、可哀想。

「千里ちゃん、初めてなのに凄く上手だった!お疲れ~。後、怜も」

俺はついで扱いでも感謝しなければならないのかもしれない。

私の世界ランク低すぎ…。

有希が千里の頭をなでなでする。

それにしても、こいつら一日足らずで仲良くなりすぎだろ…。

やっぱ裸の付き合いというやつか、俺も押しかけておけば良かった…。

「ありがとうございます!これも有希ちゃんやマスターが優しく教えてくれたからです。後、久崎さんも、悪くない教え方でしたよ」

へいへい。

「後は俺と有希でやるから、二人はやるべきことをやってこい」

おっちゃんが俺と新人メイドに呼びかける。

完全に忘れてた…。

だがどうせ今日は打ち合わせだけだ。

「おつかれさん、後でこのガキはそっちへ強制送還するよ」

バックヤードへ戻り先に着替えを済ませる。

外で煙草でも吸って待っておこう。


着替えを済ませた千里と共に俺の事務所へと向かう。店の中は暖房が効いていて、あまり季節の事は感じられなかったが、やはり今日から12月であるという事実を痛感せざるを得ない。

十字の交差点まで歩くと、反対側の歩道に、帰宅途中の学生がポケットに手を入れ、顔を下へ向けているのが見えた。横の友人と何か話している。その友人の手には数学Ⅲの参考書があった。俺も高校時代に使っていた、難易度の高い問題集だ。高校三年ならセンター試験を控えているこの時期に数Ⅲはやらないだろうし、一年としてはあの参考書は難しいだろう。となると高校二年か…。きっと、来年に控えた受験やつまらない教師、そして不安定なご時世というものに対する不安でも語り合っているのだろう。そんな漠然とした不安を抱いた学生とは対象的に、千里は満足げな表情を浮かべている。

「いや~、今日はほんっと楽しかったです。お客さんは優しかったし、有希ちゃんもマスターも…久崎さんも優しかったですし、ね!最近、こんな風に楽しめてなかったので良い息抜きでした!」

「そこは久崎さんは聖人君主のようでした、だけで十分だぜ」

「うん、それは言ってないです」

一瞬真顔になるの辞めてください…。

労働を楽しめるというのは見事なまでの社畜精神である。その社会の歯車として最も大切な精神に敬礼せざるを得ない。

交差点が青になり、先ほどの高校生二人とすれ違う。その瞳は、傾ききった太陽の光すらも吸収し尽くしている様に見えた。

「まぁ、兎も角、とっとと打ち合わせをしてしまおう。聞き取りをするなら早いほうが良いだろうし」

「確かにそうですね。頑張りましょう、探偵さん。足を引っ張ったら許しませよ」

殊勝な笑みを浮かべて、千里は挑むような視線を向けてきた。日光が反射して眩しい。

いい視線だ、と俺は素直に感じた。

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