無理な依頼
「手紙、か…」
正直想定外の依頼だった。
以前、似たような状況の女性から依頼を受けたことがあった。
確か、突然亡くなった父の遺産についてだったと思う。
このあたりに昔から土地を所有していたらしく、金以外の多くの資産を上げることが出来た。そして調べていくうちに、隠し子が居たことが分かった。
その結果、遺産相続は泥沼化。
その後の事は、担当の弁護士から聞いたが、あまり思い出したくねぇな…。
この件から俺は、隠し子を作ったならばせめて突然死だけは避けようと心に決めた。
まぁ、最悪、ダイイングメッセージとして遺言くらいは書いておくか。
性欲に負けて若い女と生でヤっちゃったら、子供出来ちゃってました!隠しててゴメンね!隠し子ちゃんにも遺産分けて頂戴!
こんなところか。嫌すぎるな。これ書くくらいなら自殺するか。あ、もう死んでるか!
「すまない。少し情報が少なすぎて、俺が調査をして解決出来るかそうではないかが分からない」
流石にもう少し事情が知りたい。
解決させる事が不可能な依頼を簡単に受け入れるほど、悪徳商売をしている覚えは無いのだ。
「そうですよねぇ。とは言え、私もこれといった情報を持っていないんですよ。少なくとも可能な範囲で調べましたが…無駄骨を折るっていう奴です」
あはは、と笑い紅茶に手を伸ばした。
「どんな情報でもいいんだがな。いつ、何処でそれが書かれたのかを一応教えてくれないか?」
「えっと…。丁度亡くなる三週間前からでしたね。父が入院していた時です。父ももう長くは無いことを悟っていたんでしょう。見舞いに行く度、看護婦さんから、父は手紙を書いていた、ということを教えてもらっていました」
「直接聞かなかったのか?」
「実は父とはあまり仲が良くなかったもので…。入院中の会話も必要最小限の事しか話さなかったんですよ」
相変わらず苦笑いを浮かべているが、その表情の中に、後悔を読み取れ無い程、俺は人間観察が下手ではない。
「では、分かっている情報としては、入院中の手紙だという事、宛先と内容は一切分からないという事くらいかな?」
「そうなりますねぇ」
正直、これだけの情報から手紙の行き先を調べるのは難しいだろう。
「病室の中に置いてあった、とかは無いんだよな?」
「一応家中も探しましたけどねぇ…。結果は言うまでもないって感じです」
「何か、入院中の親父さんの行動で変わった点は?」
少しの間の後、ぴこーん、という擬音が出そうな表情を彼女は作った。
「一回だけありました。普段は大人しい、これは精神的にも行動的にもですが、はずの父が急に病室から抜け出したんです。亡くなる二週間程前でした。症状が重かったこともあり、病院から近い路上で息を切らしているのを看護婦さんが見つけてくださったそうです」
ふむ…。
その時に手紙を出したと考えても良いだろう。
一応質問しておこう。
「病院って何処だったんだ?」
「すぐそこの大学病院です。うちの県の病院ではとても扱えないということだったので、こちらの病院に紹介してもらいました。そのせいであまりお見舞いに行けなかったんですけどねぇ」
どうやら紅茶が気に入ったらしい。
さっきまで事務所に入り込む街灯の光を反射していたコップの水面が、今ではそれを吸収している。
路上で発見された場所も聞くと、病院と、最寄りのポストを結ぶ道の上だということが分かった。
手紙を出した状況というのは大方、予想がついた…が、それ以外は何の手掛かりも無いらしい。
一通り話を聞き、引き受けるべきかを悩む。
沈黙が俺とこの彼女の間に立ちふさがっていた。
この壁は、時間とともにその厚みを増していき、それが物質ではなく、精神であることを忘れる程だった。
難しい。
あまりにも手掛かりが少なすぎる。
解決させる自信が無い。自信が無い仕事を引き受ける程安い男ではないのさ!
しかし、断る上で沈黙はよいものでは無い。
間を置かずに理由という名の御託を並べ立てることが、依頼主に気持ちよく諦めてもらうコツだ。
やってることはパチ屋と変わらねぇな…。
「気持ちよく負けてもらう」こととの相違点は、俺の慎ましい財布には一銭も入らないことだろうか。
しかし、慎ましいお胸をお持ちのこの少女は食い下がってきた。
どうやら彼女に気持ちよく帰ってもらうための言い分は、喉元で急ブレーキを必要とされたようだ。
「難しいですか?」
「ああ、正直な。解決出来る自信が無い依頼を引き受けて金をもらうのは…」
俺のモットーに反する、と言いかけたところだった。
「前金50万円でも無理ですか?」
「やりますやらせてください靴舐めでも口付けでもなんでもします」
50万に比べれば俺のモットーなんて水素よりも軽い。
「良いお返事です探偵さん!」
ドヤっという顔がうぜぇ…。
貧乳のくせに生意気だな…。ちなみにお胸のサイズは、セーラー服の上からでも分かっちゃいましたよ ^^) (汗)
「いや、しかし何処にそんな金があるんだ?あ、あれか。最近流行りの援交とk…」
「父の遺産です。怒っちゃいますよ」
ドヤ顔から一変、今度はぷいっとそっぽを向いてしまった。
表情がころころ変わるやつだな。
感心してしまう。
一つ、気になることがある。こう言う疑問を投げかけることは、探偵として好ましいものでは無いのは理解しているが、相手は未成年だ。消費者基本法とかで後で訴えられたらめんどくさい。
「一個質問がある。そこまでして何故、親父さんの手紙について知りたいんだ?無論、親の最後の手紙を知りたいだけだと言われたらそれまでなんだが」
「うーん。自分でも少し分からないんですよねぇ。でも、私と父って仲があまり良くなかったじゃないですか?」
いや、知らんがな。
「それは、私が養女であったこともあると思います。父とちゃんと言葉を交わした時の記憶すらあまり記憶に無いんですよ。それは今では後悔でもあります。もっと感謝を伝えておけばとか考えちゃいますよ。だからせめて、この父が残してくれたお金で父の事を知りたいと思ったんですよ。誰と仲が良かったとか、どんな人と交流があったかも知らない、そもそもどんな人だったのかすらもきちんと知らない、それだと父を供養することなんて許されない気がするんです」
彼女は残された者としての使命を語った。それは後悔によるものかもしれない。それらを無視して前に進むことも許されるだろう。それでも前に進むことを辞め、一度後ろを振り向くことを選んだ。
外套から取り出した煙草に火を付ける。
コーヒーカップに手を伸ばし、冷えてしまった紅茶を飲み切る。
やはり煙草には紅茶である。
「改めて言うが、この依頼を君が満足する結果を得られる可能性は低いだろう。それでもいいのか?」
俯いていた顔を上げ、彼女はこちらを向く。
「私が調べられることはもうやったつもりです。探偵さんで難しいのであれば受け入れられます」
「そうか。その依頼、引き受けよう」
照明の明るさが上がったような気がした。
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、だ。一つ条件がある」
「なんとでもおっしゃって下さい」
煙を吸い込み、元に戻りそうもない照明に受けて紫煙を吹きかける。
「この調査の助手として君を付ける。だから、君も本気でこの依頼を調べ上げろ。これが条件だ」
「私に負けないで下さいね!久崎探偵」
俺と彼女の間を塞いでいた紫の靄が晴れた気がした。彼女の笑顔がまぶしかったからだろうか。
そんなことは何でも良い。
この少女には笑顔が似合う。
不意にそんなことを考えてしまった。