第四章 約束の石
エーデルシュタイン公国の貴族学校では、座学だけでなく実技も重視される。最初の試験では、生徒たちはペアを組み、課題の石を鑑定し、適切に加工する能力を試されるのだ。
試験を目前に控えた学院内は、活気に満ちていた。
生徒たちは中庭や実習室に集まり、それぞれの課題に取り組んでいる。彫刻用のハンマーが原石を削る音、ルーペを覗き込む生徒たちの真剣な視線、研磨台の上を滑る手の音——学院全体がひとつの工房のように騒がしくも、規則的なリズムを刻んでいた。
アルシアは、その喧騒を少し離れた場所で眺めていた。
(ペア……私は誰と組むことになるんだろう)
寮でも、授業でも、アルシアは誰かと親しくなることはなかった。メイドも連れてきていない侯爵家の娘として、最初は嘲笑され、その後は哀れまれ、今は距離を置かれている。
そんな彼女が、試験で誰かとペアを組めるのか——不安だった。
「試験のペアは、各自で決めるように。なお、一度組んだペアは、特別な事情がない限り卒業まで固定される。慎重に選ぶように」
試験監督の言葉に、生徒たちはざわついた。仲のいい者同士でペアを組む者もいれば、実力のある生徒を探す者もいる。
活発なやりとりの中、アルシアは誰に声をかけるべきか迷っていた。
(……どうしよう)
そんな彼女の前に、フィオレンが現れた。
午後の日差しが彼の黒髪を照らし、石の影を濃く落とす。何気ない足取りで近づくその姿は、どこか落ち着いていて、迷いがなかった。
「お前、まだペアが決まってないんだろ?」
「あ……ええ」
「なら、俺と組めよ」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、フィオレンは少しばかり面倒くさそうに肩をすくめた。
「別に気を遣ってるわけじゃない。ただ、俺もまだ決めてなかったんだ」
「……いいの?」
「お前、復習頑張ってたじゃないか。試験で困ることはないだろ」
アルシアは一瞬、言葉を失った。
彼がこちらを見て、当然のようにそう言うことが、ただ、少しだけ信じられなかった。
「……ありがとう」
「礼を言うのはまだ早い。どうせなら、いい成績を取ろうぜ」
そう言って、彼は軽く笑う。
〜 〜 〜 〜 〜
試験のために、アルシアとフィオレンは放課後の工房で練習することになった。
工房の扉を開けると、空気がひんやりとしていた。夏が終わりつつあるこの時期、学院の建物の奥深くにある工房は、昼間の熱をあまり含まず、涼しさを感じさせる。窓の外には、まだ蝉の声が微かに残っているが、吹き抜ける風にはほんのり秋の匂いが混じり始めていた。
「さて……試験の課題として出る石は、あらかじめ渡されているはずだ」
フィオレンがそう言うと、アルシアは自分のポケットから、小さな石を取り出した。
無造作に置かれたそれは、一見するとただの石ころのようだった。くすんだ表面には無数の傷があり、曇ったガラスのように光を吸い込んでいた。
「……なるほど」
フィオレンはそれを手に取り、じっくりと観察した。
光に透かすと、内部にかすかに虹色の反射が見える。それは、ごく一部にしか現れないが、しっかりと存在していた。
「これは……おそらく……」
彼が口を開く前に、アルシアがそっと言葉を挟む。
「クォーツ……水晶の一種……?」
フィオレンは少し驚いたように彼女を見た。
「お前、ちゃんと見極められるようになったんだな」
「……あなたのおかげよ」
そう言うと、フィオレンはふっと笑う。
「じゃあ、どうする?」
「どう……する?」
「この石をどう磨くか、どう価値を引き出すか。お前なら、どうしたい?」
アルシアはしばらく考えた後、小さく息をついた。
「……磨いてみたい」
「ふむ」
フィオレンは石を机に置くと、指で軽くなぞった。
石の冷たい感触が指先に伝わる。
「こいつは、少しの欠けが致命的になるタイプの石だ。お前、慎重になりすぎる癖があるが……慎重すぎるのもよくないぞ」
「え?」
「石の本来の輝きを見極めないまま、形だけ整えても意味がない。お前はいつも基礎をきっちり固めようとするが、それだけじゃ石は光らない」
「……」
「大事なのは、信じて磨くことだ」
アルシアはじっとフィオレンを見た。
彼の手元の石は、まだ光を持たない。だが、彼の言葉の中には確かに何かが込められていた。
「……」
「そうだな……お前は、磨く側じゃない」
一瞬、アルシアの表情が強ばった。
(私は……磨く側じゃない?)
「お前は……『自分を磨く』側だよ」
「……!」
「今はまだ曖昧な原石かもしれない。でも、それをどう輝かせるかは、お前次第だ」
彼は穏やかに笑った。
窓から差し込む夕陽が、工房の中を赤く染めている。アルシアは、その光の中でじっと自分の手の中の石を見つめた。
(自分を、磨く……)
彼の言葉が、すっと心に入ってくる。
「……うん」
彼女は、自分の石をしっかりと握りしめた。
(私も、少しずつでも……変わっていけるのかな)
そう思いながら、アルシアはフィオレンとともに試験の準備を進めていった。
〜 〜 〜 〜 〜
数日後、試験の日がやってきた。
学院の試験会場には、緊張した面持ちの生徒たちが並び、それぞれの課題に取り組んでいた。
アルシアはフィオレンとともに、持ち込んだ石を審査官の前に差し出した。
「これは……」
審査官は驚いたように石を手に取り、慎重に光にかざした。
加工の精度、光の屈折、透明度——どれも完璧に仕上げられていた。
「素晴らしい出来だ」
その言葉に、アルシアは小さく息を吐いた。
彼女が磨いた石は、確かに輝いていた。
試験の結果は——
「アルシア・トラクタ・ディヴァリウス、フィオレン・エクサルディス・カエレスティス、両名とも最優秀評価」
教官の声が響くと、周囲からざわめきが起こった。
アルシアは目を瞬かせた。
(私が……優秀な成績を?)
フィオレンは笑い、彼女の肩を軽く叩いた。
「言っただろ。信じて磨けば光るって」
その言葉に、アルシアは思わず微笑んだ。
学院の外では、夏の余韻を残しながらも、秋の気配を孕んだ風がそっと吹いていた。