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第九章 彗星の軌道

(フィオレンの瞳の色だわ……)

アルシアは窓際に手を差し出し、手のひらの上で宝石を転がした。入学式の時に授かった原石が、今や深い群青の光を湛えている。夕暮れの光が石畳を黄金色に染める中、アルシアは工房の近くを歩いていた。磨き上げた石は、光を集めるように輝き、掌の上で瞬く。


そう思いながらフィオレンを探していると、通りの向こうで、ひとり歩く彼の姿を見つけた。


「フィオレン!」


駆け寄ると、彼はわずかに顔を上げ、いつものように穏やかに微笑んだ。


「ねえ、見て。入学式の時の石を磨いてみたの。そしたら……」


宝石を差し出すと、フィオレンはそっと手に取り、じっくりと眺める。青紫の光が彼の瞳に映り込んだ。


「……これは、すごいな。本当にお前が磨いたのか?」


「もちろんよ!」


アルシアは胸を張る。しかし、フィオレンは手の中の宝石をじっと見つめたまま、どこか遠くを見ているようだった。


「フィオレン?」


呼びかけると、彼ははっとしたように顔を上げ、いつものように頭をぽんぽんと撫でる。ただ、その手には力がない。


「……悪いな、アルシア」


その言葉に、アルシアの胸がざわついた。同時に、違和感に気づいた。

フィオレンの顔色が悪い。いや、それだけではない。声をかけて会話しているのに、まるで別の世界にいるかのようにぼんやりしている。


「何か、あったの?」


問いかけると、フィオレンはほんの少し目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。


「……伝説の宝玉が盗まれた」


静かに告げられた言葉に、アルシアの心臓が跳ねる。


「え?」


「このままじゃ王太子が即位できない。犯人は王国の側妃一派らしい」


もはや隠しておく価値もない情報だ。明日の朝の新聞……いや、夕刊で皆が知ることになるだろうから。


「……?」


状況が呑み込めない様子のアルシアは、フィオレンの次の言葉を待つ。


「だから、俺は逃げることになった」


一人でな。フィオレンは努めて冷静に言った。まるで当たり前のことを語るように。


「なぜあなたが? だって、何もしていないじゃない。宝玉だって、王城にあったものなのでしょう? おじさま達は何の関係もないわ」


アルシアの疑問も当然だ。一つため息をついて、フィオレンは説明する。


「この間親父が拾ってきた石、彗星の欠片だったんだよな。俺が鑑定したら王城の伝説の宝玉より希少性が高いものが埋まってる可能性が高かった。それをさっき王城に持っていったんだが……どうやら事態を改善させるほどのブツじゃないらしい」


フィオレンは肩をすくめた。


「王国が欲しがっているのは公国自身だ。今回、公王の即位を左右する宝玉が運よくかどうか知らんが王国の手に渡ったから、この機会に公王指名の正当性を王国に戻し、公王を公爵家に押し戻そうとしている。領土ごとだ。そんなの許せるわけ、ないだろ」


フィオレンの背中が次第に丸くなり、声が震える。それがアルシアには痛ましかった。自信に満ちたフィオレンが、ここまで小さく見えたことはなかったから。


「どこかで盗難の責任を取った人間がいたら、そいつに罪を全部かぶせて、公国側は被害者ぶることができるんだよ。今後即位の際に伝説の宝玉を使わなくても良いって、どさくさに紛れてしれっと公布したらいいし、ほとぼりが冷めてから隙をみて王国の側妃から宝玉を買い取るのが一番スムーズかな。だから、それまでの間はさ……」


───家族の平穏な暮らしを守るためには、俺が犠牲になったら良いと思ったんだ。


アルシアには、その淡々とした態度の裏にある彼の本心が痛いほど伝わった。アルシアは家族からの愛情をほとんど知らない。だけど、フィオレンの家族を見て、愛されて育ってきたんだということがどういうことかは予想がついた。


愛情で満たされたフィオレンのような人間を、いつの間にかアルシアは好きになって、アルシアはフィオレンに何かしてあげたいと思うようになった。フィオレンは家族に愛情のお返しをしようとしているんだ。ひとり、覚悟を決めて。自分ひとりが犠牲になれば、それでいいと思って。でも……。


「……そんなの、おかしいわ」


アルシアの声が震えた。


「知ってるわ。こういうことを理不尽っていうのよ」


こんな事が許されるはずがない。

昨日まで、さっきまで、ただ宝石を磨くことに夢中になっていた。

フィオレンに見せたら、きっと褒めてくれる。そして頭をなでてくれるかもしれない。

そんな些細な幸せを信じていたのに――。


「泣くなよ、アルシア」


 フィオレンの手が、ぎこちなくアルシアの頬に触れる。

 優しく、拭うような動き。

 でも、その言葉はひどく下手くそだった。


「泣かせたくなかった」


 ぼそりと漏らしたフィオレンの声に、アルシアは拳を握る。

 涙なんて止まらないのに。


「……大丈夫だ」


 言葉だけは優しい。けれど、ひどく残酷だった。


「俺ひとりで逃げるから。お前は幸せになれ」


 アルシアの涙が、ぴたりと止まった。


「……何を言っているの?」


 静かに、怒気を滲ませる。


「だから、お前は関係ないんだ」


「関係ない?」


 アルシアは思わず、フィオレンの袖を掴んだ。

 怯んで遠ざかろうとするフィオレンの腕を握り、力いっぱい引き止める。


「関係ないですって……? 冗談でしょう?」


「アルシア……?」


「関係、あるに決まってるじゃない!」


 怒りと悲しみがないまぜになった叫び。

アルシアはフィオレンから彗星の欠片を奪い取り、腕を引っ張るように工房へと駆け込んだ。工房の扉が閉まると、彼女は無言で灯りを灯し、作業台に彗星の欠片を置く。


「……何をする気だ?」


フィオレンが、驚いたような顔で問う。アルシアはその問いに答えず、静かに砥石を手に取った。


「……あなたは私の人生に光をくれた人よ」


手のひらに乗せた彗星の欠片を、指先でそっと撫でる。


「だから、あなたを輝かせるために、私が磨く」


彼女はそう言うと、すぐに作業に取り掛かった。

夜の工房に、鉱石を削る微かな音が響く。アルシアの手は迷いなく、ただひたすらにその石の内に眠る光を引き出そうとしていた。


アルシアが、宝石を磨く姿を何度も見てきた。

そのたびに、彼女の指先は迷いなく、まるで石と語り合うように滑らかだった。

今日もそうだ。


フィオレンは、息を呑んだ。


磨かれる彗星の欠片は、まるで新たな光を宿すかのように、その輝きを増していく。


(……すごいな)




フィオレンは最初、彼女の様子を呆然と眺めていたが、やがて言葉を失った。


かつては、ただの貴族の令嬢で、「磨かれる側」だと思っていた少女が、今、目の前でひとつの石を研ぎ澄ませている。

そこにあるのは、確固たる意志だった。アルシアの指先が生み出す光景から、目が離せなかった。思い返せば、彼女と入学式で出会った日から、すべてが始まった。最初に石を磨いた日、初めての実習、工房での試行錯誤、貴族学校でのあれこれ――彼女は成長し続けていた。


(今、この瞬間も)


気づけば、どれほどの時間が経ったのか。

やがて、長い沈黙を破るように、アルシアがそっと息をついた。


「――できたわ」


アルシアが顔を上げた。


彼女が差し出した彗星の欠片は、まるで夜空に放たれた星のように青白く、しかし燃えるように輝いていた。


フィオレンはそれを手に取り、光に透かす。


「……すごい。こんなもの、見たことがない」


彼の言葉には、これまでで一番の驚きが混じっていた。


「これなら戦えるわね」


アルシアは真っ直ぐにフィオレンを見つめた。


「……戦う、か」


「逃げるなんて言わないで。私たちには、この石がある」


フィオレンは、目の前の宝石と、アルシアの瞳に宿る光を交互に見た。そして、ゆっくりと口角を上げる。


「……ああ、そうだな」


彼はそう言って、アルシアの手を取った。


「行こう。王国へ」


明日の朝で完結予定です。

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