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Day2

Day 02 (火) 05:30


「逃げて! 古谷ちゃ――」


 またあの夢を見た。

 鋭い鎌が仲間たちに何度も振り下ろされる夢。

 仲間の死体がびくびくと脈打ちながら黒緑色に変色していく夢。

 それを崖の上から成す術なく、ただただ見ているだけの夢。


 もう何度目かも分からない。未だに毎日のように夢に見るから、だんだん辛いとか悲しいとか思うこともなくなってしまった。あるのはただ『事実』だけ。私の仲間はもう全員死んでいるという事実だけが心に重くのしかかる。

 あの時、私は崖の上で迷っていた。今からでも崖下に飛び込んで、私も一緒に死んだほうがいいんじゃないか、と。そうすれば苦しまなくて済む。こんな光景を一生引きずったまま生きていかずに済む。本気でそう考えていた。

 迷っている内に救助のヘリが駆け付けて、真っ先に降りてきたのは意外にも手塚司令官だった。

 すぐに合点がいった。いつの間にかナービィになっていた仲間たち。理屈は分からないけれどそれは軍が秘匿する秘密で、手塚司令官はそれを隠すためにここに来たんだって。

 震える私を司令官は抱きしめてくれた。

 その直後、首の後ろに衝撃が走って、次に目を覚ましたのは基地の病院のベッドだった。




Day 02 (火) 07:00 


「おや、古谷じゃないか。そろそろセラフは呼べるようになったかな?」

 朝、学舎前を通りがかると、ちょうどカフェテリアで朝食を終えてきたであろう樋口さんに、すれ違いざまに嫌~な感じで絡まれてしまった。

「いえ、相変わらずです」

 私が嫌そうな顔で返答すると、樋口さんは玩具を見つけた子供のように、ニヤッと口端を吊り上げた。

「さて本当かな、最後にいつ試した?」

「‥‥‥試すまでもなく、分かるんです。自分のセラフですから」

「案外気付かない内に呼べるようになってるかも知れんぞ。ほら、電子軍人手帳を天にかざしてセラフィムコードを唱えてみたらどうだ?」

 樋口さんは私の胸元を指でトントンしながら嬉しそうに煽ってくる。

「唱えません。それに、基地内でのセラフの召喚は禁止されていますよ」

「いや、どうせ呼べないんだから別にいいだろう」

「万が一呼べてしまったら大変なことになりますから」

「でもどうせ呼べないんだろう? なら唱えるくらい別にいいじゃないか」

「うっかり呼べてしまったら大変なことになりますから」

「おやおや随分慌てるじゃないか。まあ無理もない。うっかり呼べてしまったら違う意味で困るだろうからな。ただでさえ人手不足だ。もしまたセラフが召喚できるようになったらすぐに最前線で戦わされるだろう。欠員中の31Bに配属される可能性もゼロじゃない」

 樋口さんはこちらの傷を抉るような言葉を易々と使ってくる。人を馬鹿にしてる時の樋口さんは本当に活き活きしていて手が付けられない。セラフが出せなくなった直後は、毎日のように樋口さんに経過観察をしてもらっていた。そして毎日のように心無い言葉を浴びせられたものである。

「‥‥‥もう散々言いましたけど、私あなたのこと嫌いです」

 私は士官にあるまじき暴言を吐いた。まあ、樋口さんとの関係はセラフ部隊だった頃からの名残だし、仕方ないだろう。

「ふん、貴様の好意なんざどうでもいいさ。セラフが出るようになったらいつでも見せに来るんだな」

 そう言うと、心底興味が無くなったような顔で樋口さんは研究室に歩き去っていった。

 あの人のことはよく分からない。研究にしか興味がないと思っていたのに、何故か今期からセラフ部隊に志願して戦っているし。隊長の蒼井さんを失ったのに変わらず飄々としているし。でも以前よりはちょっと社交的になっているし。プラスなのかマイナスなのか分からないけれど、セラフ部隊に入って、樋口さんも何かが変わりつつあるのだろうか。


『まあ無理もない。うっかり呼べてしまったら違う意味で困るだろうからな』


 樋口さんの言葉が、頭の中で呪いのように反芻される。

 うっかりセラフが呼べてしまって、また戦えるようになったら。私はどうするんだろう。また戦うくらいなら、記憶操作を受け入れて民間人に戻りたいと思うのかな。

 だって、やっぱり、死ぬのは怖い。

 セラフ部隊だった頃は、死ぬことなんて全然怖くなかったのに。

 ただ漫然と、この世界を平和にするために、命を懸けて戦えていたのに。

 今思えばあれば、ナービィの適応能力の副産物だったのかも知れない。周囲の環境に馴染むための特性。それを軍が悪用して、「突然兵士として戦わされること」にも違和感を覚えない状況を作った。だから私は、すべての秘密を知ってしまった後、夢から覚めたように、洗脳が解けたように、選手からコーチになったように、もう最前線で戦いたくないと思うようになってしまった。


 今はとにかく死ぬわけにはいかない。それは。


 痛いのが怖いから? 違う。

 無に還るのが怖いから? 違う。


 私には生き続けなければいけない理由があるのだ。





Day 02 (火) 19:00


 夜、私は教官用宿舎をふらりと抜け出した。

 門衛所を通過してふれあい通りに向かう。ここの階段を降りてすぐの左手の一帯は、昔はただ鬱蒼とした森があるだけの場所だった。あの頃は人通りもかなり少なくて、日没後なんかは不気味で近寄り難かったなぁ。いつの間にか立派なショップとジムなんかが建築されて、随分と雰囲気が変わったように思う。土地の開墾には月城さんが関わったらしいけれど、なんで月城さんだったのかは当時から謎とされていた。ナービィ広場だけは昔と変わらない。「あそこは低地にあるから、階段で上に戻れなくてナービィが溜まりやすいんだよ」って、当時の先輩部隊の人に教わった記憶があるけど本当だろうか。確かめようにも、その人ももう亡くなってしまった。

 ナービィ広場に着くとお目当ての人物がいた。

 前情報通り、広場の木の下で立ったまま目を瞑って、なんだろう、瞑想? みたいなポーズをしている。噂の例外少女、31Aの逢川隊員である。

 私は目を瞑ったままの逢川さんを刺激しないよう、恐る恐る近づいた。この状態の逢川さんって話しかけてもいいのだろうか。素人目にもただならぬ雰囲気を感じる。精神統一中なのであれば、邪魔するのは悪いだろうか。恐らく就寝時間までには終わるだろうし、それまでここで待っていようかな。

 そんなことを思いながら真横で突っ立っていると、逢川さんが突然、


「せやから瞑想すな!!!!!」


 と大声で叫んだ。

 あまりに急だったので、私は驚いて「ひぃ!!」と短く悲鳴を上げてしまった。

 逢川さんはこっちを見るなり、げ、間違えた、みたいな様子で慌てて謝罪を述べた。

「あー、すまん! 人違いやったわ。いつものクセでツッコミが出てもうた」

「いつものクセ?」

「瞑想中に無言で隣に立たれると条件反射的にこれが出てまうねん」

「‥‥‥はあ」

 ちょっと何言ってるかよく分からないけど。

 この数秒のやりとりだけでも、ヘリポートで見送った時とは随分印象が違って見えた。自信が無くて悲壮的な、あの姿の印象が強かったから。なんだかすっかり元気そうで拍子抜けである。

 逢川さんは最初、知らない人相手に叫んでしまって恥ずかしいし申し訳ないという様子でわちゃわちゃしていたが、落ち着いて私の顔を数秒見つめると、すぐに背筋を正して真面目な表情になった。

「自分、あの時の士官さんやんな」

「はい。ずっとあなたと、お話がしたいと思っていたんです。少しお時間よろしいでしょうか」


          ◇


 私たちはナービィ広場のステージに腰を下ろした。

「まずは改めて自己紹介をさせてください。私は士官の古谷といいます。もっとも、普段は裏方に近い仕事をしているので、あまり関わる機会はないと思いますが」

「せやな。うちもはじめて見る士官さんやと思っとった。役職とかはよう分からんけど、その服、七瀬と同じやろ? やっぱりお偉いさんなんか?」

「役職だけで言えば、確かにお偉いさんですね。でも士官の中ではまだまだ若輩者ですよ。実は私も、数年前まではセラフ部隊にいたんです」

「‥‥! せやったんか。数年前までっちゅうことは、蒼井とか月城とも近い世代やったんか?」

「はい。月城さんとは元々同期でした。私は28Dという部隊の所属だったんです。もっとも、」

 私は足元を飛び跳ねるナービィを一人捕まえて、両手で抱きしめた。

「私以外の部隊員は全員こうなりました。私はセラフが召喚できなくなり、士官に転属したんです」

「‥‥‥‥‥‥」

 私の言葉に、逢川さんは複雑そうな顔をした。この子もまだ秘密を知って数ヶ月しか経っていない。あまり傷を抉るような話はしないよう気を付けよう。

「私、逢川さんが帰ってきたと聞いて、すごく驚いたんです。除隊した隊員が戻ってきたなんて例、今までありません。私も理由があって、戦えなくなり士官になった身です。だからずっと知りたかったんです。逢川さんがこの基地に戻って来た理由を」

「うちなんかの話でええんか? 自分の方がよっぽど壮絶な体験してると思うで」

「セラフ部隊においては、私の過去の方がよっぽどありふれたものですよ。だから、あなたの話が聞きたいんです」

 私が目を見て懇願すると、逢川さんはしゃあないな、と前置きして、これまでのことを話してくれた。

 サイキッカーとして有名になったこと。本物のサイキッカー集団にスカウトされたこと。リーダーの予知能力のこと。セラフ部隊に配属され、蔵さんの死をきっかけに秘密を知ったこと。除隊を選んだ理由。そして、習志野ドームでの出会いと別れ。

 それは逢川さんという人間の人格形成の変遷とも言える話だった。

 彼女の心の中には誰かを救いたいという気持ちが確かにあるんだと思った。習志野ドームの生活の中で彼女はそれを自覚した。セラフィムコードには自身の士気が最も高揚する言葉が選ばれると言うけれど、彼女の場合は正しくそれが、誰かを救うことなのだ。だから逢川さんは戻って来れたんだと思う。

 逢川さんが話終わると、私は深々と頭を下げた。

「貴重なお話をありがとうございました」

「頭なんか下げんといてくれ。それより、今度は自分の話も聞かせてくれんか」

「私の話、ですか。やめておいた方がいいですよ。暗い気持ちになるだけです」

「そうかもしれへんな」逢川さんは私に抱かれたナービィを優しく撫でた。「でも聞きたいんや」

「‥‥‥分かりました。今日はもう遅いですから、また明日お時間を頂けないでしょうか」

 私の問いに、逢川さんは「ええで」と力強く頷いた。

 そんな逢川さんを見て私は。

 もしオペレーション・アルゴルで31Aの仲間が亡くなっていたら、彼女はそれでも戻って来れただろうか? なんてことを思った。



Day 02 (火) 22:00


 入浴を済ませてベッドに横たわる。

 今日も死なずに済んでよかった。私は電子軍人手帳の写真フォルダを開いて、今は亡き仲間たちの、在りし日の写真を見返し始めた。あの頃は楽しかったなぁ。あれからもう3年も経とうとしているけれど、思い出すのはいつもあの頃の記憶ばっかりだ。

 電子軍人手帳にはセラフィムコードも記載されていて、開く度に毎回目について嫌な気持ちになる。


『世界が平和になりますように』


 それが私のセラフィムコードだった。かつての私は心からそう思っていた。世界が平和になってほしい。そのためにキャンサーと戦うんだと。

 けれど仲間が全滅してからは、一度もセラフを召喚できないままで居る。精神的なストレス? もちろんそれもあるだろうけど、根本的な原因は、セラフィムコードに共感できなくなってしまったことにあると思う。

 今の私は、世界が平和になってほしいとは心から思えていない。ドームの住民を守りたいとも、四国や九州を奪還したいと思っていない。何より大事なのは、他でもない、自分の命だ。


 だって、私が死んだら、誰があの楽しかった日々を思い出せるのだろう?

 大切な仲間たちとの大切だった時間を覚えているのは、この世界に私一人だけなのだ。

 私こそが、私を私たらしめる大切な思い出の入れ物なのだ。

 世界の平和のために命を懸けて戦うなんて馬鹿げている。


 世界なんてどうでもいい。

 ただただ、私が無事であるならばそれでいい。

 そう思ってしまう私は、セラフ部隊失格なんだと思う。

 だからセラフが呼べなくなったのだ。

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