鼓動の音に問いかけて.1
これより2章のスタートです!
ちまちま進めていますが、楽しんで頂けると幸いです。
私は教室の窓越しに、雨で霞む山々をただ上の空で見ていた。
考えるのは、莉音のこと――ではなく、昨日、唐突に意味の分からないことを口走った蒼井夜重のこと。
――『試すのなら、私とにしなさい』。
うぅん…わけ分からん。
その前のやり取りから考えると、まるで私が女同士でも恋愛感情を持てるかどうかを夜重自身で試せ、といったような感じだ。
だけど、そんなのありえない。
夜重がそんなことを言わなきゃいけない理由が、一つもないじゃん。
頭はいいけど、時々よく分からなくなる幼馴染のことを考えてたせいで、あっという間に放課後になっていた。
(ま、考えても仕方がないか)
一日かけて出した答えを無造作に頭のゴミ箱にぽいっと放り込んだ私は、いつものように夜重の姿を探したのだが、彼女の影一つ教室には残っていなかった。
「あれ、夜重は?」
青葉を呼び止めてそう尋ねると、「夜重なら、放課後になった瞬間外に出てったよ」と言われた。
おのれ、夜重め…。意味の分からないことを言ってきたくせに、私を避けてやがる。
お互い、部活に所属してないから、帰り道はだいたい一緒。示し合わせるでもなく、いつも一緒になる。それが普通だった。
「ちぇっ、ありがと」
「ん?なに?すねてんの?」
「は?」青葉の煽るような声に、唇を尖らせて私は答える。「違うよ。夜重がなんの説明もしないから怒ってんの!」
すると、青葉が首を傾げて尋ねてきた。
「説明?なんの?」
「え、あ、いやぁ…」
やばい。これは説明できない。なんでか分からないけど、べらべらしゃべらないほうがいい気がする。
私は適当にその場を誤魔化すと、自分もバックを持って教室を出た。
昇降口に着いて、もしかすると、ここで夜重が待ってないかなぁと期待したが、彼女の影はやはり残っていない。
(…夜重の馬鹿。いつもいつも、勝手なんだから)
そうしてイライラしたまま校門を抜けたとき、不意に背後から声をかけられて、私は飛び上がって驚いてしまった。
「祈里」
「ぴぃっ!?」
変な声出た。従兄弟の飼ってるモルモットの鳴き声みたいな。
慌てて振り返れば、そこには先に帰ったとばかり思っていた夜重が立っていた。風に流れる髪を片手でなんか抑えたりして、本当に絵になる美少女だ。
それでさらなる怒りに目覚めた(大げさ)私は、両手を振り下ろしながら夜重に文句を叩きつける。
「もう、夜重!びっくりするじゃん!」
「ご、ごめんなさい」
率直に謝られ、私は不覚にも言葉を失う。てっきり夜重のことだから、『私がいなくなった時点で、予測ぐらい立てなさい』とでも言うと思っていた。
こいつ、本当に夜重か…?
疑いの眼差しで夜重の顔を見つめていると、その視線に気がついた夜重がさっと顔を俯かせた。照れたような行動と染まった頬に、初なアイドルみたいな魅力を覚えたのだが…。
「ん…?」
まじまじと見つめた夜重の顔。ほんのりと赤い頬は、ただの赤面ではなさそうだった。
「あれ?夜重、ちょっと化粧してる?」
「え、ええ」
花の女子高生だ。うっすらと化粧をしている生徒なんてそう珍しくもない。そういうのに興味がなさそうな夜重でさえ、二人で出かけるときは軽く化粧をしてくる。
でも、夜重が学校で化粧をしているなんて初めてのことだった。ってか、さっきまでしてたか?
「珍しいね、学校で化粧なんて」
「まあ…ね。変、かしら?」
変か、だって?
私はじろり、と夜重を睨みつける。
本来、化粧がいらないくらい整った顔立ちにきめ細やかな肌をしているのだ。そんな人間界のメスゴジラみたいなやつが完全武装を始めて、弱くないわけがないだろう。
「なにそれ、嫌味?」と嫌味で返そうとすると、夜重は、「え?」と間抜けな顔をしてみせる。どうやら、嫌味じゃないらしい。
…だったら、しょうがない。真剣に答えてやるか。
「はぁー…変なわけないじゃん。そういうのもかわいいよ、夜重」
「…ありがとう」
「ぐっ」
嬉しそうな顔で俯く夜重に、妙な声が出る。
なんなんだ、今日の――いや、最近の夜重は。全く意味が分からん。女性ホルモンが暴走していて、情緒があれなのか?
普段のツンケンしている感じは、それはそれで頭にくるときも多いが、やっぱり落ち着くのはそっちだ。
今の夜重は…こう、むず痒い。
このままこうしているとなんか余計な話をしそうだと思った私は、「ほら、バス来ちゃうよ」と歩き出したのだが、夜重は動き出すことなく立ち止まっていた。
「夜重?」と声をかける。
「…祈里、久しぶりに歩いて帰らないかしら?」
私たちの住んでいる街は山際にある。そこから大きな川に向かって道を下ると国道沿いの高校に辿り着けるわけだが、小学生の頃は地元の学校に通うため、ずっと山沿いの田んぼ道を歩いていた。
自然あふれる、大好きな道だ。この時期はショッキングピンクのタニシの卵があるから、げぇ、となるが、それでも、やっぱり大好きなんだ。
あの頃も、隣にはこうして夜重がいた。あー、小学生の頃は私と身長も変わらなかったんだけどなぁ。メキメキ伸びやがって、こいつぅ。
今では、夜重と私の間には色んなものが横たわって、溝を作っていた。
身長、モテ具合、頭の良さ、見た目の良さ(…は、昔からあんまり変わらないか)…溝がないのは、心くらいかも――なんて、カッコつけてもしょうがない。
人口の少ない田舎町だから、夕方前のこの時間も人の気配は少ない。遠くに見える県道には車がちらほら通っているが、ここにはまるでない。
色んなものが変わっても、この場所だけは変わらない。それはまるで、私と夜重の関係みたいだった。
私の心の中にある、美しい思い出と風景。色褪せない水の反射と、そこに映った青空に段々と気分が高揚してくる。
「懐かしいー!よくここ通ったよね」
「ええ、そうね」と夜重が田んぼの一角を指差す。「ここ、覚えている?」
「もちろん覚えてるよ!二人して落ちたんだよね、ここ。めちゃくちゃ怒られたからなぁ」
「…じゃあ、どうして落ちたのかは?」
「え?」
どうして田んぼに落ちたか?
かけっこか?影踏み?んー…思い出せない。
無言で頭を抱えた私を見て、夜重は少しだけ呆れたふうに笑う。
「もう、本当に覚えていないのね」
「え、夜重は覚えてんの?」
「もちろんよ。人は、『かけられた迷惑』はよく覚えているもの」
うっ、意味深な表現。やっぱり、これって私への嫌味?
それから夜重は、白魚のような人差し指でおぞましいタニシの卵を指差すと、抑揚のない声で言った。
「祈里、貴方がアレを持って私を追いかけてきたんじゃない。やめろと言っても貴方がやめないから、思い切り蹴り飛ばしてやったら、そのまま貴方に引っ張られて…」
「うえぇ、うそぉ、私がアレを?」
ぷつぷつとしたタニシの卵。あんな見ているだけで鳥肌が立ちそうな物体を、私が夜重をからかうための道具にしただと…?
信じられないといった気持ちが顔に出ていたのだろう、夜重は次に、すぐそこの民家を指さして、覚えがあるかをまた確認してきた…もちろん、私に記憶はない。
「そこの家先に犬がいたでしょう」
「うん」
犬。それは覚えてる。ドーベルマン。怖かったわぁ。
「その犬を祈里がからかっているうちに、鎖が外れて追いかけられたのよ。大人の人がたまたま通りかかったからいいものを、私たち、二人揃って泣きじゃくったのよ?」
「ぐえぇ、覚えてなぁい」
「…はぁ、納得いかないわ」
心の底から不服そうな夜重。こればかりは私も勝ち誇ることはできない状況である。
そのうち夜重は、あれもこれもと私の失敗談を持ち出し始めた。よくもまあ、そんな変なことばかり覚えているなと感心しそうになるが、どれもこれも私が間抜けかクソガキであることは不可避だったので、とりあえず、大声を出してそれを中断させた。
「あー、もう!そんなことは忘れていいよぅ!」
夜重の中の私像がヤバいやつなのは十分に理解できた。そりゃあこんなヤバいやつだったら、憐れみと嘲りの目を向けられるわな。
だけど――。
だけど、直後に夜重が私へと向けた眼差しは、憐れみでも、嘲りでもなかった。
「嫌よ」
夜重がたまに私へと向ける、優しく、穏やかな光。
それはいつも、私の心をざわつかせた。
星が降ってくるみたいだった。
いつの間にか、届かぬ高さまで昇った、美しい黒い星が。
「祈里との思い出は、全部覚えていたいもの」
ぐっ、と胸を押さえつけられたみたいに呼吸ができなくなる。
ふざけた言葉の一つでも返さないと、このまま何かが押し流されてしまいそうな気がしているのに、その言葉の一雫でさえ振り絞れない。
そのうち、夜重がゆっくりと私の隣に移動してきた。横顔は、朱色を帯びつつある光に照らされて艶やかに色づいていた。
「変わらないでと願っていても…変わっていくものばかりだから…」
なんだ、それ。
なんだ、その寂しそうな声。
なんなんだよ、その悲しい顔は。
何も変わらないでしょ。別に。
この道と同じで、何も。
美しいものは、永遠に美しいまま。
当たり前だ。
そうでしょ?
そうじゃないの?
「変わらないよ、夜重」
黒曜の瞳が、すぅっと横目で私を捉える。それだけで心臓が握り潰されそうだった。
「心配しすぎだよ。この道だって、変わってないじゃん」
夜重は弱々しく首を振る。
「家先の犬は、死んでしまったわ」
「それは、でも、仕方がないことで――」
「そうよ。仕方がないことなのよ」
夜重が、ゆっくりとこちらを向き直る。
どうしてだろう、それだけで心臓の鼓動が加速して、足が震えた。
「私も自分にそう言い聞かせたわ。何年も、何年も…。でも」
すっ、と自然な動作で私の手が絡め取られる。指の間に滑り込んでくる指は、自分が落ち着いてはまり込める場所を探しているようだった。
(夜重の手、熱い――…)
いや、どうだろう。熱いのは、私の手かもしれない。
「祈里、貴方が変わろうとするから…私も変わらなければならなくなる」
「え、え?どういう…」
刹那、ぎゅう、と手を握る力が強くなった。そのせいで、私と夜重のつながりを意識せざるを得なくなる。
「や、え」
「どう?祈里」
「…え?どうって…」
「女の子同士で手を繋いで…ドキドキ、するかしら?」
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