私たち≠友達、恋人.4
これにて三章は終了です。
夕方からは四章を更新致します!
あっという間に一曲目が終わり、私はふぅっと息を吐く。夜重がいることを忘れてしまうくらい、ぼんやりと歌っていたみたいだった。
「…」
次の曲は始まらず、また広告が画面に流れ出す。
まだ歌いたい歌が決まってないのかな、と対面に顔を向ければ、ぼうっとした面持ちで夜重が私を見ていた。
「え、どしたの」
思わずマジトーンで問いかければ、夜重はハッとした感じで我に返った。
「いえ、その…いつもと、違ったから…」
「いつもと?何が?」
カラオケは初めてなのに、何を言っているんだこの子は。
「…声」
「へ?」
「だから、声よ」
「あぁ、なるほど」
そりゃそうだ。オクターブが一つ高いだろうからね。
「変だった?」
「変というわけではなくて…ちょっと、可愛い声だと思っただけよ」
可愛い。
私の、声?
「そ、そう」
いつも聞いているものとは違ったから、そんなふうに思うんだろう。そうに決まってる。
「ちょっとよ」と念押ししてくるから、私は気にしてないフリをして、「はいはい」と適当に流し、夜重が曲を入れるのを待っていた。ところが、夜重はどれだけ待っても歌い始める気配はなく、じーっとパッドと睨めっこするばかりだった。
「使い方、分からないの?」
「ええ…」
簡単だと思うけどね、と考えながら、夜重の隣に移動する。夜重は昔から、きちんと理解してから行動したいタイプだった。行き当たりばったりで動く私とは真反対である。
でもそれって、二の足踏んでるとも思うんだけどね。
夜重くらいなんでもできる人なら、急な問題だって対処しちゃうだろうに。
「で、なんの曲を歌いたいの?」
「えっと…」
夜重が口にしたのは、一昔前の曲の名前だった。流行に乗っかることを重視しない夜重は、自分が本当に良いと思ったものにしかなびかない。そのせいで、ノリが合う人合わない人の境がハッキリしすぎているし、正直、敵も多い。ただ、それすらねじ伏せる――というか、歯牙にもかけず我が道を行くのが蒼井夜重という女だった。
適当に合わせて、色んな人と友だちになる私とはやっぱりタイプが違う。友だちは多いほうが楽しいよ、と夜重の振る舞いを柔らかくしようと試みたことがあるが、それに対し夜重は、『私には関係ないわね』とあっさり斬り捨てた。
それを聞いて、いつか、その刃が私との縁も切っちゃうんじゃないかって、心配になったんだよね…。
そのうち流れ始めたのは、夜重の寡黙なイメージからは想像できない、激しめのロック。まあ、中身をきちんと知っている人なら、夜重っぽいとも思うかもしれない。夜重は、自分の主張が強いタイプだから。
歌い始める前、ちょっとだけ夜重は緊張している感じだった。だから私は、夜重になだれかかりながら、「気楽に歌いなよ。音痴でも死んだりしないよ」と冗談を口にする。
「音痴なもんですか」
反抗心に火がついたふうな口ぶりの夜重。負けん気は夜重も強い。
歌い始めると、私はめちゃくちゃびみょーな気分にさせられた。
(えー…うまぁ…)
ゆったりとした曲より、激しい曲のほうが難しい気がするものだが、夜重は想像以上に綺麗な声と滑舌とリズム感、音程で言葉を奏でていく。
普段からカラオケに行き慣れている私のほうが、絶対に歌は上手いと思ったのに、これじゃあそう断言することもできなさそう。
あと、夜重だって普段の声とは違って、激しい感情が逆巻いているような声だった。ロック調であることも相まって、当然と言えば当然だけど、新鮮な感じがした。あんまり認めたくないけど、かっこいい。
私は夜重が歌っている間も、ずっとそのオニキスの瞳を盗み見ていた。
黒々としたガラス玉がディスプレイから放たれる閃光を反射させる度に、その美しさは際立つ。ずっと見ていられる。そんな気すらしていた。
一曲歌い終えた夜重に拍手を送れば、夜重はちょっと汗ばんだ額を拭ってから、たいしたことないわ、とでも言いたげに髪を後ろに払った。
「上手じゃん、夜重。カラオケ初めてとは思えないよ」
「そうかしら。…まあ、決められたことを正確に守るのは得意なのよ。作業も、問題も、音程もね」
「なんか腹立つなぁ」
「ふふっ、歌なら勝てると思っていたのでしょう?」
「むっ」図星を突かれて、つい私はムキになってしまう。「いいよ。じゃあ、ちゃんと採点機能使って勝負しようよ」
「採点機能?」
それがカラオケの機能の一つであることを私が説明すると、夜重はなぜか少しだけ楽しそうに口元を綻ばせて私の挑戦を受けた。
「なに、その余裕。自信ある感じ?」
「いえ、別に自信があるわけじゃないわ。ないわけでもないけれど」
「ややこしいなぁ」
「貴方が聞いたのでしょう。私はただ、祈里と点数を競うなんて久しぶりだと…懐かしくなっただけよ」
たしかに、テストの点数を競えたのは小学校低学年までだったなぁ。
嫌味か貴様、と口にしかけたが、私はその言葉を飲み込まざるを得なくなった。
過去を懐かしむ夜重の顔は、カラオケルームという薄暗い一室の中で、ぼんやりと、六等星みたいに弱々しくも優しい光を放っていたからだ。
「な、なんでだ…」
机に突っ伏し、冷たいテーブルの感触に頬をこすりつけながら、私はトドメを刺されそうになっている悪役みたいに繰り返す。
「私のほうが、圧倒的に経験豊富なはず…なのに、どうして夜重の点数を超えられないんだ…」
採点開始から数時間が経ち、そろそろフリータイムも終わりという頃合いにも関わらず、私は開始数分後からずっと、夜重が叩き出した『98点』の壁を越えられずにいた。
ってか、なに?98点って。初めて見たし。夜重ずぅっと90点台なんだけど。私、得意な曲が90点をぎりぎり超えるくらいなのに…。いや、まじもう、は?本当、神様って夜重とか私を生んだ頃、なにしてたの?ぼさっとしてたの?サボってた?そうとしか考えられないスペックの差なんだけど。
「祈里は雑なのよ。色々と」
ぶちっ。
私の細い堪忍袋の緒がまた切れる。
「もぅ、なんでもいいから夜重に勝ちたぁいっ!私もそういう、『諦めなさい』みたいな顔をしたいよぉ!」
「ちょっと、祈里…」
こうなりゃ、駄々こねて困らせてやる!それが私なりの戦い方だっ!
「たまにでいいからさぁ!私にもマウント取らせろぉ!」
そうして、喚いて、机を叩いて夜重を困らせてやろうとしたとき、不覚にも手が私のグラスに当たった。
「あっ」
カラン、と音を立てて倒れたグラスの中から、しゅわしゅわ弾けるスプライトが飛び出し、隣に座っていた夜重の膝にかかる。
「うわっ!ごめん!」
やばい、調子に乗ってた。
慌ててポケットからハンカチを取り出し、悲鳴を上げて硬直していた夜重の足元に屈み、それから、スカートや膝からジュースを拭う。
「あー…!おろしたてのスカートなのにぃ…本当、ごめん」
でも、よかった。無色透明なスプライトならスカートにシミを残すことはないはず。いや、まぁ、だからってOKってわけじゃないけど!ジュースだから、肌がべたついて気持ちが悪いこと間違いなしだからね、丁寧に拭かないと…!
そのときの私は、またドジをやっちゃった、という焦燥感でいっぱいになっていたんだと思う。だから、勝手に足を開かれたり、膝を立てられたりしている夜重がどんな顔をしているかなんて、考えもしなかったんだ。
体を近づけて、夜重の内ももをハンカチでこすっていると、不意に、夜重がぐっとスカートの裾を下ろしたため、私は顔を上げた。
「夜重、ちゃんと拭けないんだけど…」
その瞬間、私と目が合った夜重の顔は真っ赤に染まっており、黒曜の瞳はうるうると涙ぐんでいた。
やえ。
言葉が上手く喉を通らず、唇だけが動いてしまう。
さっと、夜重が顔を背ける。顔は彼岸花みたいに真っ赤なのに、彼女は何も言葉にしなかった。
でも、いくら私だって、今の夜重の気持ちは想像できた。というか、自分が今夜重にやっていることの際どさを考えれば、悩む必要もない。
タイトスカートの太ももを押し上げたり、開いたりすれば、自ずと煽情的なラインに手を伸ばし、覗くことになる。
見えてはならない部分まで見えてしまいそうだった。だけど、カラオケルームという、ある種、異質な空間が私から逡巡だとか、不安だとか、羞恥だとかいうまどろっこしいものを奪い去ってしまっていた。
「ごめんね、夜重。ちゃんと拭くから」
蚊の鳴くような声で謝りつつ、私はほぼ無理やりに夜重の片膝を曲げさせる。夜重が小さな声で、「やっ」と発しているのが、もう、どうしようもないくらい頭の中をかき回してしまって、とてつもない勢いで心臓が動いている。
黒の下着。大人びた夜重らしい。なんか腹が立つけど、本気で抵抗しない夜重を前に、私は完全に興奮していた。
今、夜重を掌握しているのは誰でもない私だ。
得も言われぬ高揚感。もっと夜重を困らせたかったし、もっと夜重にドキドキしてほしかった。そうして、『私の負けよ』と言わせてやりたかった。
だけど、やっぱり夜重はしつこくて…。
「い、祈里」
「なに」
「み、見えているでしょう。やめなさい」
「見えてるって、何が」
「だ、だから、その、色々と…私だけじゃなくて、祈里のほうも、その、また…!」
顔を上げて上目遣いに夜重を覗く。すると、彼女もまたこちらを覗いていた。ただ、視線は私の目とおそらくは胸元を行ったり来たりしている。このムッツリめ。まぁ、人のこと言えないけど。
「よく分からないけど、拭かなくちゃ。スカート、新品なんだし」
「貴方、さっきからスカート拭いてないじゃないっ…」
「拭いてるよ」
わざとらしく、ぐっとスカートの内側から押し上げるように布地を拭けば、慌てて夜重はそれを両手で抑えつけた。
「祈里…!」
夜重。
夜重…。
素直になりなよ。
私より先に。
じっと、穴が開くほど下から夜重を見つめ続ける。そうして、視線で縫い留められたみたいに夜重が私から目を逸らせなくなったのを確認してから、私はゆっくりと言った。
「ねぇ、夜重――ドキドキしてる?」
互いに呼吸を忘れるほどの、くらくらする閉塞感。それなのに、心地が良かった。
今、この狭い世界の中には私と夜重しかいなくて。
今まで全然追い付けなかった夜重を、わずかな言葉と行動だけで引きずり下ろせている私がいて。
あぁ…星に、手が届きそうだ。
手が届いたなら。
一つの口づけを、その漆黒と白の光に落そう。
いつしか抵抗はなくなっていた。
それは間違いなく、私の問いへの答えだった。
そして同時に、私自身からの答え。
たまらなくなった私は、夜重の両足の間に片膝立ちになってから、彼女の首に自分の両手を絡めた。
残る問題は――どっちから先に認めるか。
早く認めちゃいなよ、夜重。
莉音のことなんて、もうどうでもいい。
だから、早く、早くしてほしい。
私たちはそうして見つめ合い、せめぎ合っていた。
二人を無慈悲に引き裂く、『お時間残り五分となりました』のコールが鳴るまで…だけど。
後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。
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