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飯部!  作者: 大月宗
1/1

1章 カレーライスと体験入部

 やりたい事を見つけるために、ここに来た。

 僕、葉山創はやまつくるは先日入学した大学の門の前で、改めて決意を固めた。

 この大学は日本で三本の指に入るマンモス校だ。そして、サークルの数が日本一であるということでも有名だ。

 僕は進路を決めるとき、何もやりたいことがなく困り果てていた。これからの人生、楽しんで生きたいなら、まずはやりたい事を見つけなければならない。日本一のサークル数を誇るここに入学すれば一つくらいはやりたい事を見つけられるだろうという魂胆で受験を決意した。

 人間は目標が定まるとやる気が出る生き物らしい。悩んでいた日々が嘘のように集中して勉強に打ち込めた。そして、無事に合格と奨学金を勝ち取り、入学を果たしたわけだ。

 そして今日は、サークルの仮入部の初日だ。恐ろしい数のサークルが存在するこの大学では、授業日を丸三日潰してサークル体験日を設けている。サークルに入りたい人は、この日に興味のあるサークルを体験し、サークルに興味がない、別の事をやりたい人たちはその期間は休日になる。

 絶対に一つはやりたいことを見つけて、どこかのサークルに入部するんだ!僕は固い決意の下、構内に踏み込んだ。

 ………。や、やばい…。

 サークル体験日が始まって、三日目。僕は構内のベンチで菩薩の様な表情で宙を眺めていた。春だというのに、真夏のような陽の光が僕をジリジリと焼いている。

 やりたい事が分からないのを言い訳に自分の能力を測ることを怠っていたとばっちりが今になってやってきた。

 僕は自分が想像していたよりもずっと、運動音痴だった。そりゃそうだ。小学校から高校までの体育はいつも見学だったし、部活だって人生で一回も体験したことなどなかったのに。

 初日はスポーツ系のサークルを見に行ったが…。テニスサークルではサーブで特大ホームランをかまし、バレーボールサークルでは、こちらもサーブで部長の後頭部をブチ抜いた。

 二日目、ならば芸術系は、と期待を込めて見学に行くも、そもそも漫画やアニメーション、絵画に何も触れてこなかった僕は皆の話を全く理解できなかった。初心者でも大丈夫!という言葉は初心者でも「好きなら」大丈夫!だったのだと痛感する。

 極めつけに、本日の朝っぱらからいかにも怪しい先輩が僕の肩に手をおいて、

「君、探偵倶楽部に入らないかい?」

と至極真面目に絡んできた。

 マルチか?と身構えたら、その先輩の後ろから、もう一人の先輩(こちらはとてもマトモそうな人だった)が彼にヘッドロックをかまし、

「ホントにすまないね。気にしないでくれ。困った時にこの人を頼るのは得策だが、日常生活でこの人に関わると碌なことがない。」

と強制連行して行った。怪しい方の先輩に渡された名刺は捨てようか迷ったけれど、捨てるのも申し訳ないのでリュックに突っ込んだ。

 そんなこんなで、あっという間に時が過ぎてしまった。

 確かに今日までに焦ってサークルを見つける必要はない。でも、今日以降サークルを見たいなら、そのサークルが活動している中入っていかなければならない。断言しよう。そんな度胸、僕には無ェ!

 途方に暮れていると、

「ぎゃあああああ!」

と、悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 思わずそちらを見る。すると、一面に広がったじゃがいもが目に入った。どうやら、叫び声の主である女性が段ボール五箱分のじゃがいもを地面にぶち撒けたらしい。

 「だ、大丈夫ですか?」

 僕は慌てて彼女に駆け寄った。

 「わ、私は大丈夫です。でも、食材が…。私、仮入部なのにこんなに迷惑かけて…。」

 「ひ、拾えば大丈夫ですよ!一緒にやりますから!」

 そこからは、彼女とひたすらじゃがいもを拾い集めることになった。サークルは見つからず、季節外れの炎天下の中、ちまちまじゃがいもを拾う僕。何やってんだ。

 無事に全てのじゃがいもを回収し、段ボールに詰め直した。彼女は固辞したが、目的地まで一緒に台車を押して行くことにした。彼女も先程の二の舞いを危惧したのだろう。比較的素直に僕がお供することを了承してくれた。

 なんとなく、黙っているのが気まずかったのか、彼女が自己紹介を始めた。

 「さっきはすみません。ホントにありがとうございます…。私は、栗田みどり。平仮名でみどりです。農学部の一年です。」

 律儀に台車を停めて、深々と礼をしてきた。僕も慌てて自己紹介。

 「そんなに気にしないで下さい。…えっと、僕は、葉山創はやまつくるで、字は創造の創です。総合教養学科の一年です。」

 「「………。」」

 沈黙が戻ってきた。じゃがいもの台車を挟んでいるので、なんともシュールな光景だ。再び歩き出しながら、今度は僕から話す。

 「同学年でしたね。何のサークルの体験中なんですか?」

 「飯部めしぶです!」

 「…何ですって?」

 僕の問いかけに彼女は嬉しそうに答えてくれた。

 ただ、僕の脳は彼女の言葉を漢字変換できなかった。

 「飯部です。色んなご飯を作るサークルです。兄がもともとこのサークルにいて、私もずっとこのサークルに入りたくて、よくイベントのたびにお邪魔してて。だから、食材置き場も知ったので、一年だけど、大丈夫だって言って一人で運搬してたんですけど…。」

 「あぁ、お兄さんが。大学にあまりにも馴染んでいるので、先輩かと思いましたよ。」

 「馴染んで見えるなら嬉しいです。…あ!あそこの屋台です!」

 彼女が指す方向を向くと、確かに屋台の横に筆で力強く、且つ美しく『飯部』と書かれた大きな看板があった。

 「あの看板は、お弁当を依頼してくれた書道サークルの方が飯部のご飯の味に感動して書いてくれたらしいです。」

 「へぇ…。」

 ぼうっと看板を眺めていたら、急に声が飛んできた。

 「お!遅かったなみどり!やっぱ一人じゃきつい量だったよな。ゴメン。ん?この子は…?」

 「兄さん!この人は…。」

 「あ、もしかして体験?」

 栗田さんの言葉を遮って、栗田兄上が僕にグイッと顔を寄せた。僕は思わず後ずさる。

 「いや、き、決めてなくて…。」

 「じゃあ、体験していかない?いや、体験してくれ!今、クソほど忙しくて、猫でも、ネズミでも手を貸してくれる人を探してたんだ!」

 「…異物混入じゃないっすか…。」

 「大丈夫!君は人間だから!」

 がっちり腕をホールドされて、屋台の中に連れ込まれ、エプロンと三角巾を押し付けられた。つい、流れで身に着けてしまう。

 「葉山さん!うちの兄がなんかごめんなさい!嫌だったら…。」

 栗田さんが慌てて言ってくる。でも、僕はなんとなくやってみようかなという気になっていた。

 「いや、やらせてもらうよ。…縁あるものは何でもやってみるって決めてるんだ。せっかく機会をもらったんだ。食わず嫌いはもったいない。」

 ふっと栗田兄上が笑った。そして、流しのところにいる男性を指差し、言った。

 「やってくれるか!ありがとう!じゃあ、あそこで人参切ってる藤田に聞いてくれ!」

 「あ、ハイ。」

 栗田兄上が指差す方向を見ると、人参をこの世のものとは思えない速さで刻む藤田さんの姿があった。

 「体験の人か…。じゃあ、ここのじゃがいもを剥いて、大きめに切ってくれ。」

 「ハイ。」

 それ以降、会話はナシ。言われたとおりにじゃがいもを剥きながら藤田さんを盗み見る。ガタイがよく、筋骨隆々、強面の彼は大学生とは思えない貫禄だ。どちらかというと、百戦錬磨の板前さんの肩書の方が似合う。こんな人が店で出迎えてくれたら、毎日通うかもしれないな…。

 「なんだ?」

 僕の視線に気が付いた藤田さんが聞いてくる。僕は焦って思ったままのことを言ってしまう。

 「…いや、藤田さん、板前さんの格好したら格好良いだろうなって」

 すると、藤田さんはひどく驚いた表情をした。

 「え、あ、すみません!馴れ馴れしいですね!ゴメンなさい!」

 「いや、違うよ、すまん。俺、初対面の人には怖がられたり、無口ゆえに気味悪がられて来たから。」

 怖い?気味が悪い?カッコイイじゃないか。

 「え?藤田さん、カッコイイですよ。藤田さんさえ良ければ、仲良くしたいです。」

 すると、藤田さんはポカンと僕を見た。そのまま、なんとなく僕は言葉を紡ぐ。もちろん、じゃがいもを剥きながら。

 「僕は今まで何も経験してこなかったんですよ。だから、自分に合うかもしれないもの、合わないかもしれないもの、好きかもしれない人、嫌いになるかもしれない人、楽しそうなこと、怖そうなこと、ひっくるめて全部やってみたり、話してみたりしたいんですよ。…自分のこと何も分かってないような人間ですけど、仲良くしてもらえると嬉しいです。」

 沈黙が下りた。語りすぎた!一年の分際で横暴だったかな。そう思って慌てて顔を上げると、なぜか藤田さんは泣きそうな顔をしていた。

 そんな藤田さんの横から、栗田兄上が顔をのぞかせ、豪快に笑った。

 「良かったね藤ちゃん!だから言ったじゃん、お前の魅力に気が付く奴は絶対にいるって!その強面はお前の敵じゃなくて、ろくでもない連中から守ってくれる鎧だって!」

 「…鎧って重いんだぞ。」

 「重さに耐えたお前は立派だよ、ホント。」

 「うるさい。さっさと玉ねぎ刻め。」

 「素直じゃねえなあ。」

 よく分からないが、藤田さんとは仲良くさせてもらえそうだ。そう思っていると、栗田さんが声をかけてきた。

 「葉山さん。そろそろ具材を炒めます。手伝ってくれますか?」

 「あぁ、ハイ。」

 コンロの前に行くと、栗田さんがとてつもなく大きな鍋をドカンと置いた。

 「でか!」

 「びっくりしますよね。こういう大量生産するイベントの時に使うんです。」

 「給食の調理場とかで使うやつですよね!?」

 「そうです。パワーはいりますけど、私はこういう風に沢山作るほうが好きです。」

 「そういや、何作るんですか?聞いてなかった。」

 「なんだと思います…?」

 はち切れんばかりの笑顔でそう聞かれて、考える。大きな鍋。イベント。じゃがいも、人参、玉ねぎ。やっぱり、アレか。

 「カレー!」

 「正解!昼前には完成させないと。やりましょう!」

 栗田さんの号令で、鍋に火をかける。僕は指定された量の油を鍋に入れる。鍋がデカいので、入れると言うより、注ぐって感じだ。栗田さんが冷蔵庫から何やら取り出した。

 「うわ!でけー…。」

 「前日のうちにカレー粉をまぶしておいた豚肉です。十キロありますよ!」

 「すげぇ…。」

 鍋が熱くなったところで、玉ねぎを入れる。ちなみに玉ねぎもえげつない量だ。これまた大きな木べらで鍋をかき混ぜる。鍋からの熱気を受け止め続ける額に汗が滲む。 

 玉ねぎが飴色になったら、豚肉を放り込む。じゅわぁぁぉぁと音が上がり、木べらにかかる重みが増す。ぐぐっと腕に力を入れて掻き回すが、もう限界。

 そう思った時、栗田さんが交代してくれた。腕をぐるぐると回して力を抜く。脱力した瞬間、豚肉にまぶしてあったカレー粉の匂いが鼻をくすぐった。ぐううっと腹が鳴る。

 「葉山さーん。まだ早いですよ〜。」

 栗田さんに笑われた。恥ずかしい。

 それからは藤田さんが刻んだ人参と、僕が拾って、剥いたじゃがいもも投入する。

 鍋の中で踊るじゃがいもを見ていると、不思議な気分になる。まさか、お前のおかげで飯部に出会うなんてなぁ…。

 遠い目をしていたら、栗田さんが二リットルペットボトルから水を鍋に移し始めた。僕も慌てて参加する。

 「しばらく煮込みます。火のそばは離れられないので、暑いままですけど、休憩しましょう。」

 「はい。」

 パイプ椅子に座って鍋を眺めながら、ペットボトルのお茶を飲む。思った以上に汗をかいていたらしく、麦茶をすっかり飲み切ってしまった。

 かすかに吹いている風を額に感じながら、僕は栗田さんに話しかけた。

 「あの、栗田さん。」

 すると栗田さんは笑って言った。

 「みどりでいいですよ。栗田って呼ばれると、兄も反応しちゃうし、私もどっちが呼ばれてるのか分からなくなっちゃうので。あ、ちなみに兄の名前はれんです。」

 「え、あぁ…。じゃ、じゃあ、みどりさんで。あの、僕のことも創って呼んでくれていいですよ。」

 「じゃあ、創さん。いい名前ですね。創造の創の字ですよね。」

 「ま、まあ、名前負けしたのか、創造どころか、何もしてきませんでしたけどね…。」

 名前で呼んだだけなのに、先程よりも距離が縮まった気がする。そして、何故かそれがひどく嬉しかった。

 「あの、みどりさん、ちょっと聞きたいんですけど…。」

 「何ですか?」

 「あの、このえげつない量の食材費、どこから出てるんですか?最近は野菜も高いですし、肉も十キロも買ったら馬鹿にならない金額でしょう?」

 「自作ですよ。」

 「…はい?」

 「農学部生産科の、将来、直接食材を栽培したい学生さんたちが講義で作ってます。野菜や米、小麦なんかもそうです。」

 「え、じゃあ、肉は…。」

 「そっちは畜産科さんですね。牛豚鶏やってます。結構有名ですよ?」

 そんなにサラッと言われましても…。どんだけ土地持ってるんだよ、この大学。

 「あ、ああ…、実は僕、この大学は日本一の数のサークルがあって、総合教養学科もあるって理由で受験したもんで…。あんまり他のことは調べなかったんです…。」

 「そうでしたか。総合教養学科に入ったのって…。」

 「ああ、ハイ。色々なことを学べるかなって…。やりたいことを見つけるためです。上手くいくかは分かりませんけど。」

 「見つかると良いですね。いや、創さんには絶対に見つけて欲しいです。応援します。」

 「あ、ありがとうございます…。」

 思った以上に熱が入った言葉が返ってきたので、驚いた。

 「創さんみたいな素敵な人って応援したくなります。」

 「す、素敵?僕が?」

 「はい。チャレンジ精神とか、損得抜きに私が困ってた時にすぐに助けてくれたりとか…。あと、初対面の人ともしっかり会話してくれたり。簡単にこういう人になりましょうね〜とか教えられてきましたけど、相当難しいことですよ。凄いことです。」

 あぁ。藤田さんが僕が褒めた時に何故泣きそうな顔をしたのか、分かった。自分を肯定されるというのは、こんなにも暖かくて、泣きたくなるくらい嬉しいことなんだ。

 今まで、全てを否定されてきた僕にとって、みどりさんの言葉は、とても暖かかった。

 「え、え!?なんで泣きそうになってるんですか!?私、何か失礼なことを…?」

 「いやいやいや!嬉しくて…つい…。」

 「はあい、若人たち。語り合うのもいいけど、そろそろカレー粉入れないと、メニューを『ただの白湯~温野菜を添えて~』に変えなきゃいけなくなるわよ!」

 「呼び込みしてきたよ。」

 背中から、声が飛んできて、僕とみどりさんは飛び上がった。振り返るとそこにはモデルさんみたいにすらっとした女性と、ショートカットで切れ目の小柄な女性が立っていた。

 「あ、ど、どうも…。体験させてもらってます…。」

 お辞儀をすると、モデルさんみたいな女性はニコッと笑った。おお、眩しい…。

 「よーこそー。あたしが根本で、こっちが那須ね!よろしくっ!」

 「…那須です。どうも。」

 「さあさあ、挨拶済んだんだから、カレー粉入れよ!」

 根本さんの鶴の一声で、鍋のそばに置いておいたカレー粉を投入する。溶かしてしばらくすると、あたり一面にカレーの匂いが広がる。

 飯部の屋台付近を歩いていた人たちが、一斉に鼻をひくひくさせた。そうだよね。こんなにいい匂いがしたら、気になるよね。

 「お!ねもっちゃんと那須っち帰ってきたか!」

 「あたしと那須ちゃんの美貌で予約食券五十枚、無事完売よ!感謝しな!」

 「へいへい、さすが飯部の女神様~。」

 「分かればよろしい。分かれば。」

 蓮さんと根本さんが軽口を叩き合っているうちに、僕とみどりさん、藤田さんは巨大な炊飯ジャーから、プラスチックの皿にご飯を盛っていく。ほかほかと立ち上る湯気で、すでにおいしい!皿を手に持った藤田さんが説明してくれる。

 「このプラスチック皿、俺たちバイオマス科の学生が土に還るよう作ったものなんだ。畑に埋めれば、肥料になる。」

 「す、すげえ…。」

 「まだ実験段階だけどな。今回、二百枚分がちゃんと土に還ったら、どこかの企業と連携を図ろうという話だ。」

 「へえ。」

 皆、頑張ってるんだな。僕も頑張って早くやりたいことを見つけたいな。

 ご飯を盛っていると、屋台にぞくぞくと人が集まってきた。

 「集まってきたな。よし!開店だ!」

 蓮さんの号令で、ご飯を盛った皿にカレーをかけていく。うん、カレーといえば、このビジュアル!カレーは陽の光を浴びて、つやっと輝いた。うう、僕も食べたくなってきた…。

 それからのことは記憶にない。恐ろしい勢いでお客さんが押し寄せたからだ。僕はひたすらにカレーをよそっていたんだけど、焦りすぎて、何回かカレー鍋に突っ込みそうになった。危ねぇ…。

 根本さんが会計をしていたんだけど、五人に一人くらいの割合で、彼女に握手を求めてくる人がいて、まるでアイドルの握手会みたいだった。

 「カレーが主役なんだか、ねもっちゃんが主役なんだか。」

 蓮さんが苦笑いしてた。

 小一時間くらいすると、だいぶ客足も落ち着いてきて、周りを見回す余裕ができた。

 皿は返却してもらうから、お客さんは皆、屋台の周りでカレーを食べているんだけど、どの顔も輝いていた。皆笑って、口いっぱいに僕らが作ったカレーをほおばっている。

 あぁ、なんだろう。この充実感は。汗びっしょりなシャツの不快感も、鍋をかき回しすぎた腕の痛みもなんだかどうでもよくなってしまった。

 「皆、喜んでるみたいで、良かったね。」

 この充実感を分け合いたくて、僕は思わず隣にいたみどりさんに馴れ馴れしく話しかけてしまった。会ってそんなに経っていないのに、タメ口なんて、失礼だったんじゃないか?慌てて謝ろうとすると、みどりさんが被っていた三角巾をぱっと外して、僕のほうを見た。

 「良かったねえ。皆笑ってる。おいしいって言ってる。嬉しいねえ。」

 みどりさんの顔は汗でお化粧はドロドロだし、眼鏡もずれているし、三角巾に押し込んでいた茶色いくせっ毛はぼさぼさだ。でも、ふわーっと笑うみどりさんの笑顔は、柔らかく輝いていて、すごく、すごく素敵だった。

 多分、僕はこれからこの笑顔を見るためなら、何でも頑張るんだろうな…。…何考えてんだ。

 ものすごく恥ずかしくなって、下を向いたら、看板を片付けていた蓮さんが戻ってきた。

 「皆、お疲れさん!さあ、俺たちも食おう!俺たちは飯部特権で大盛だ!」

 歓声が上がる。僕も上げていた。

 テント内の長テーブルに並んで座る。

 「いただきます!」

 皆一斉にカレーをほおばる。口内がぶわっとカレーの匂いで満たされる。舌先にピリッときて、でも、ほんのり甘い。じゃがいもはほっくりしてるし、玉ねぎのトロトロ具合が最高だ。予想できる味なのに、何でこんなに美味しいんだろう!

 皆、食べるのに必死で会話はない。でも、目が合えば、美味しいねとアイコンタクトを交わす。誰かとご飯を食べるのってこんなに楽しいことだったのか。

 あっという間に完食し、水を飲み干して、横を見ると、那須さんがスマホを見ていた。僕の視線に気が付いたのか、那須さんがスマホを見せてくれる。

 「部活のSNSに載せる写真を撮ってたから、確認してるの。あ、顔は隠すから、載せても大丈夫かな?」

 「あ、僕は全然大丈夫です。」

 「おお、よく撮れてんじゃん。これなんか、めっちゃいい!」

 見せられた写真は、お客さんの笑顔を見た僕とみどりさんが笑い合っている写真だった。

 あの時、僕はみどりさんの笑顔に気を取られていたけど、僕もすごく明るく笑っている。自分がこんなに笑うことができるなんて知らなかった。眺めていたら、なんだか目が潤んでしまった。

 「いや~、それにしても、期待の新人が二人も入ってくれるなんてねえ~。」

 蓮さんの眼がキランと光った気がした。いや、喜びで輝いたとかじゃなくて、獲物を見つけて補足した感じ。

 「へ…!?」

 たじろぐと、蓮さんは僕にぐっと近づいた。

 「だって葉山君さあ、じゃがいも剝いてた時に藤ちゃんと仲良くしたいって言ってたよね!?てことは、入部してくれるってコトじゃない!?やーん、うっれしーーー!」

 言った。確かにそうは言ったけど…!

 「やったね栗ちゃん!葉山ちゃん~?こき使ってあげるからねぇ~?」

 待て待て待て。なんかそのまま入部の流れになってないか!?いや、すごく楽しかったけどさ…。蓮さんと根本さんはもうノリノリだ。この人たち、酒飲んでないよな…?

 「え、あ、えーっと…。」

 困っていると、藤田さんが呆れながら加勢してくれた。

 「蓮!根本!葉山君を困らせるな。俺と仲良くするのと入部するのは別問題だろ。」

 「そうですよ。無理強いはパワハラですよ。サーハラ…?」

 「葉山さん、無理しないで!兄は物事を都合よく解釈することに関しては右にも左にも出る者はいないから。」

 那須さん、みどりさん、意外と手厳しいのね。

 僕が苦笑いしていると、蓮さんは

「えーー!葉山君が来てくれたら百人力なのにぃ。」

と唇を尖らせた。

 そして、僕のほうを見ると、打って変わって、真剣な表情で僕に語り掛けて来た。

 「いや、ノリノリになっちゃって悪かった。でも、みどりとの会話で君が言ってたこと。食わず嫌いは勿体ない。縁ある色々なものを試してみたい。それは料理にも通じることだ。君のその理想にこの飯部は寄り添えると思う。ここでは、料理のことなら、何でも試す。飯を通して、色んな人と繋がる。嫌いかもしれないものも、味付けを変えたり、誰かと食べたら好きになるかもしれない。試行錯誤しているうちに、自然に自分がやりたい事も見えて来る。だからさ、俺らと一緒に、全部食ってみないかい?」

 全部食う。その言葉に顔を上げると、そこにはひたすらに真っすぐな目をした蓮さんがいた。茶化す声なんて一つもない。

 目を閉じて、少し考える。

 辛いのにどこか優しい、舌に残ったカレーの味。爪の間に残るじゃがいもの土のにおい。汗まみれで働く飯部の人たち。カレーを食べているお客さんたちの笑顔。それを見て、心から笑えた僕。

 そして、なによりもそれを見て嬉しいねぇと心から笑ったみどりさん。

 うん。ここに居てみよう。全部食ってみよう。

 「…入部します。よろしくお願いします。」

 わぁっと歓声が上がった。照れて下を向く。ふと気配を感じて横を向くと、みどりさんが僕に右手を差し出していた。

 「よろしくね。創さん。」

 そっとその手を握る。

 「うん。よろしく。」

 「よおし、早速洗礼だ!一年共!洗い物地獄だ!」

 「鍋の焦げは腕がもげるくらいこすらないと落ちんのよ~。」

 やいやい言いながら、皆で流しに向かう。

 ふと空を見上げると、優しい夕焼けが僕らを包んでいた。

皆さんの今日のご飯は何ですか?


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