寺山鉱泉
保険のおばちゃんに翻弄される若者のお話
寺山鉱泉
騙されたと思って一度行ってごらんなさいよ
私なんかもう20年近く通ってるんだけどね
医者要らずってのはこの事ですよ
私が世間話のついでに先月ぎっくり腰になった話をしたものだから 山崎のおばちゃんは自分がよく行く鉱泉宿に行けと食い付いた
山崎のおばちゃんは保険の外交員だが 顧客のところへマメに顔を出しては あそこの食堂が旨いとか どこのじいさんが死んだとか?たわいもない話いつもしていく
鉱泉て言ったってそこいらの鉱泉と同じと思ったら大間違いですよ
私が口でいっくら説明したってあの鉱泉の良さは入ってみなきゃわかりませんからね
一度行ってごらんなさいな ねぇ
その話があんまり長くなりそうなので 今度行ってみますよと誤魔化したら おばちゃんは詳しい場所を教えると言って紙に鉱泉までの地図と電話番号を書きはじめた
寺山鉱泉と言ってね バスを降りてから少し歩くんだけど 途中の景色でも楽しみながら行けば直ぐですよ
親子二人でやってるこじんまりした宿でね
こんな事言っちゃなんなんだけど そこの娘さんっていうのがとてつもない美人さんなんですよ 常連さんなんかの間じゃ寺山小町
なんて呼ばれててね
私は とてつもない美人さんと寺山小町という響きに少し興味がわいてきた
私が行くたんびに娘の旦那を世話してくれってしつこく言われるですよ 私も顔は狭い方じゃないから 良い人がいたらいろんな人に声をかけてるんだけど こればっかりは縁てものがありますからね 男と出逢うったって湯治に来るのは爺さんばかりだからねぇ
どっちにしてもあんな引っ込んだ所に
居たんじゃ可哀想ですよ あの子も
あんな美人さんがもったいない話だわ
あんたみたいな男だったらちょうどお似合いなんだけどね?
どうですか?湯治がてら
娘さんを一度見に行ってきたら
それと もし行くんなら保険の山崎の紹介だっていえば良くしてくれますよ
と言っておばちゃんは話すだけ話すとさっさと帰っていった
寺山鉱泉。とてつもない美人さん。寺山小町
私の頭の中で想像が果てしなく膨らんでいった ひなびた鉱泉でとてつもない美人と静かに暮らす人生も悪くない
出逢いといえば湯治客の爺さんばかり
秘境に咲く可憐な花一輪
哀れ寺山小町
一週間もすると 私はまだ逢わぬ寺山小町にすっかり恋をしてしまった
二日後私は寺山鉱泉行きのバスに乗っていた
駅から電話で今晩泊まる予約をするとおかみさんが丁寧に道順を教えてくれた
寺山小学校前でバスを降りて小一時間ばかり田舎道を歩いた 山崎のおばちゃんがいうように景色をみながらだと苦にならずに寺山鉱泉に到着した 二階建ての田舎家で思ったよりも立派な造りだった 私はまだ見ぬ恋人との運命的な出逢いに胸が高鳴った 私は大きく深呼吸をしてから 玄関を入り呼び鈴を鳴らした しばらく待っていると奥から返事がして母親が出てきた
愛想がよく感じの良い母親だった 将来的に自分の義理の母親になったとしても
うまくやっていけそうだと私は思った
部屋は大きくはないが私一人なら十分な広さだった 母親は鉱泉風呂の説明をしてくれた
鉱泉は温泉と違って沸かし湯なのでぬるい時にはブザーを鳴らすと 薪を燃やして風呂を沸かす ちょうどよい湯加減になったらまたブザーを鳴らすと火を消すらしい
私は早速鉱泉風呂に入った
湯は茶色く ぬるめだが体の芯から温まり汗がなかなかひかない
部屋に戻ると母親がお茶を淹れてくれた
私が保険の山崎さんの紹介できたというと
母親は一瞬ビックリしたような顔をした
あら まぁ そうなんですか 山崎さんのね
あの方は面倒見が良いし顔が広いでしょう 私もいろいろわがままな事をお願いしてしまってと言った
娘の婿を世話する話だなぁ?と私は察した
山崎さんが言ってましたよ
娘さんはとても綺麗な方だって
と私が言うと母親は笑いながら顔を赤らめ
皆さんそうおっしゃるけどね ただの田舎娘ですよ たいしたことありませんよ
と話を濁した
夕方になっても客は私一人だった
娘はどこかに出掛けているのだろうか?
それとも恥ずかしがり屋で奥の部屋に引っ込んでいるのだろうか?
夕飯の時間になっても娘は現れず
母親が食事を運んできた
うちは湯治のご年配客ばかりだから若い方の口に合うかわかりませんが
と言って謙遜した
たしかに山菜煮物が中心だが ひょっとして奥の台所で娘が作ってくれたのかと思うと おいしく感じた
夕食後 風呂に入るついでに帳場の方を覗いてみたが娘の気配はなかった
結局朝になっても娘を見かけなかった
多分急な用事で出掛けているのだろう
残念だが仕方がない 湯も良いし来週も来よう 私は前向きに考える男なのだ
今回は母親に会えただけでも収穫としよう
それから数日後 山崎のおばちゃんが訪ねてきた
行ったんだってね?おばちゃんは第一声そう言ってニヤニヤした どうでした?
かなりいい鉱泉でずいぶん腰の調子もいいと
私が言うと おばちゃんは手を振って
そっちじゃなくて と言葉をきった
何の事です?意味がわからないなと
しらばっくれるとおばちゃんはヒソヒソ声で
娘さんの事ですよと言った
実を言うとね 今まであそこには何人もお婿さん候補を紹介したんだけど あそこの娘さん面食いだから一度も良い返事もらった試しがないんですよ それが珍しく今回はわざわざ あちらさんの方から連絡がありましてね
なんでもあんたの事ずいぶんと気にいったって言うんですよ 是非あんたを旦那にしたいって
やはり娘はどこかで私の事を隠れて見ていたのだ なんだか私は嬉しくなって舞い上がった
先方への返事はどうします?とおばちゃんは聞いてきた 私はどうしようか?少し考えるふりをしたが とりあえず来週また行くつもりなので私の方から直接伝えると言った
それが良いですよ!とおばちゃんは言った
とりあえず肩の荷が降りました
でも ここだけの話 あんたの気持ちはどうなんですか?参考に教えてくださいよ
とおばちゃんは、冷やかし気味に言った
実を言うとこの間はお母さんとしか会えなかったから 次回娘さんにちゃんと会ってから返事をしたいと思いますと言うと 山崎のおばちゃんは妙な顔をした
母親?母親の方は、はたしか?痴呆がひどくて去年から施設に入っているはずなんですがね…‥…
終わり