9 老練殿の三妃
翌日、ブリジアの外出禁止が解かれ、同じ来奇殿に住むホビット族のポリン伯妃、ドワーフのドロシー貴女と共に外出を命じられた。
コマニャス公妃の息子ディオレルの報告によりブリジアの疑いが解けたとは、ブリジア本人には伝えられなかった。
外出の自由を許されたことに喜び、深くは考えていなかったブリジアは、2人と並んで歩きながら尋ねた。
背後には、3人の侍女たちがそれぞれに籠を持って従っている。
「私たちはどこに行くのでしょうか?」
「呆れた。何も知らないのね。老練殿の方々にご招待されたのよ。粗相のないようにね。特に、お漏らしはダメよ」
真ん中を歩くポリンは、つんと澄まして言った。
ドロシーは顔をしかめたが、背後の侍女たちはクスクスと笑った。
「お前たち、不敬罪で鞭打ちにするよ」
ドロシーが睨みを聞かせると、侍女たちが黙る。
「あ、ありがとうございます」
ドロシーに庇われたことを察したブリジアは、小さく会釈した。
「別に……ここでは、背が低くても、本当の子どもはブリジアだけだから当然よ」
「はい」
かつては互いに頬を引っ張りあった仲である。
だが、改めて考えれば、ドロシーもポリンもブリジアと身長は変わらないが、大人の女なのだ。
「老練殿の皆さまは、恐ろしい方なのですか?」
「会えば分かるわ」
ポリンが小さく言うと、ドロシーは呟いた。
「私は嫌いだ」
「本当は、ブリジアが入内した時から誘われていたのだけど、陛下が来奇殿に入り浸った後、ブリジアの外出禁止だもの」
「外出禁止が解けたから、断る理由が無くなったの」
2人の会話を聴きながら、ブリジアはどんな恐ろしい妃たちなのかと想像していた。
老練殿に住む妃は3人で、全員が人族であり、この中でもっとも位の高いポリンよりも全員が上位の妃だという。
「テティ、大丈夫かしら」
背後にお気に入りの侍女テティを連れているのが、唯一の安心材料だ。
「何がありましても、一命に変えてお守りいたします」
「うん。でも、死んでは駄目よ」
「はい」
テティが頷いた時、老練殿の門の前に着いた。
※
おしゃまな子どもにしか見えないホビット族のポリンを先頭に老練殿に入ると、美しく豊かな肉体を持った3人の人族が腰掛けていた。
「リルト様、ハモン様、シリア様にご挨拶申し上げます」
ポリンとドロシーが揃って無手であることを示し、心を捧げる礼をすると、ブリジアが慌てて従った。
「お立ちなさい」
真ん中にいた、茶色い波打つ髪をした女性が告げた。老練殿の主人は、リルト公妃だと聴いている。
真ん中にいるのがリルトなのだろうと、ブリジアは悟った。
「感謝します」
ポリンとドロシーが立ち上がる。ブリジアが従った。
ほぼ同時に、老練殿の女たちが立ち上がった。
「やっと、来てくれたわね」
3人がほぼ同時に、同じ動きをした。両手を左右に広げ、進み出たのだ。
「ブリジア、動かないで」
ポリンが、ブリジアを見ずに囁いた。皇后との面会を思い出し、逃げ出すと思ったのかもしれない。
ブリジアは真っ直ぐに3人を見た。
真ん中のリルトが、進路を曲げてブリジアに向かってくる。
ブリジアは、暖かく柔らかい弾力を全身で感じた。
抱きしめられたのだ。
※
ブリジアはリルト公妃の部屋に案内された。ドロシーとポリンはハモンとシリアに個々に連れられていった。
「ああ。よかった。思った通り、サイズはぴったりね」
リルトはひらひらとした子ども用の礼服を、立たせたブリジアの体にあてがった。
「あの……リルト様、これはどのような意味なのでしょうか?」
「来奇殿に3人目のおチビちゃんが来たと知ってから、ずっと待っていたのよ。でも、陛下のお召しに勝てるはずもないし……ブリジアちゃんはトボルソ王国の王女なのだから、純粋な人族よね?」
「はい」
ブリジアは答えながら、服を脱がされていた。抵抗しようとも思わない。物心つかない時から、自分で服を着たことも脱いだこともほとんどない。
「この老練殿の女たちは、もう盛りが過ぎた者たちなの。一度後宮に入れば、死ぬまで出ることはできない。でも、魔王陛下は変わらぬ姿でずっと生き続けるわ。陛下に相手にされなければ、もう子どもは持てないもの。だから……来奇殿のチビちゃんたちに、たまに遊んでもらっているの」
「では、リルト様のお子さんはどうされたのですか?」
「一人いるわ。男の子で兵士としては優秀だけど、王になれる器ではないのでしょうね。現在は、魔王陛下の親衛隊として仕えているわよ。魔王親衛隊って言うのは、魔王陛下の直属部隊よ。さあ、できた。2人にも見せなくちゃ」
リルトは言うと、ブリジアの手を取って部屋を出た。
※
3人の大人の女と、子どもにしか見えない後宮の住人が一堂に介した。
ポリンはゴテゴテとした要塞のような衣装を身につけ、ドロシーに至っては兵士の礼服を着させられていた。
いずれも子ども仕様である。
ブリジアは、自分が一番まともなのだと安堵した。
「まあ、ハルトさん。やっぱりドロシーちゃんは凛々しいわね」
「ブリジアちゃんも、とても可愛らしいではありませんか」
「でも、シリアさんが用意したポリンちゃんの礼服には敵わないわね」
「いえ。リルト様こそ、ブリジアさんの紫の髪をよく生かした礼装ではありませんか」
ブリジアは、老練殿の3女が、互いに褒め合う言葉にあっけにとられていた。
その間、ポリンはむすっとしていたし、ドロシーに至っては舌打ちを繰り返していた。
「気に入ったなら、このままお食事をいただきましょうか?」
突然リルトが振り返った。ハモンとシリアも、自分たちが着飾らせた小さな者たちを振り返っている。
ポリンとドロシーが、承諾の返事をした。
だが、ブリジアは従えなかった。
「せっかくですがリルト様、ポリンさんは普段は軽装ですし、ドロシーさんは可愛い女性の服を好みます。私も、服を汚したら大変ですので、今日のところはご勘弁ください」
「嫌なの?」
明るかったリルトの言葉が、急に落ち込んで聞こえた。
「ブリジア」
ドロシーが首を振るのが見えた。ポリンは顔を背けている。
「はい。私は、着せ替え人形ではありません」
「私の可愛いブリジアちゃんは、何を言い出すの?」
「『私の』と仰られても、私はリルト様のものではございません」
ブリジアは膝をついた。頬を打たれたのだと、膝の痛みで知った。
「ブリジア様」
背後にいたテティが飛び出したが、ブリジアは制した。
「私は、おもちゃにされるために、後宮に来たのではありません」
「ブリジアを連れて行きな。テティ」
「はい」
ドロシーに命じられ、ブリジアに伸ばしたテティの手が、リルトに払われる。
「コマニャスが甘すぎるのだわ。だから、こんなことを言い出すのね。ハモン、シリア、先にお食事にしていて。私は、この子に後宮の生活について指導しなければならないわ」
「はい」
ハモンとシリアが揃って頭を下げた。
テティが倒れる。リルトに殴られたのだ。
ブリジアの肩が掴まれる。
ブリジアは、自分を見つめていたドロシーの目が硬くつぶられるのを見て、味方はいないのだと理解した。