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8 コマニャスの息子

 〜来奇殿〜


 ブリジアが来奇殿からの外出を禁じられてから、一月が経過した。

 ブリジアは何が起きたのか知らず、ある日突然魔王の来訪がなくなり、外出を禁ずるという勅命を、ハーフノーム族のバブル総督に告げられた。


 身に覚えがなく反省もしなかったため、毎日エルフのリンゴと格闘して過ごしていた。

 ブリジアには、どうやっても食べることができなかったのである。


「地下後宮には九つの宮殿があるから、10日に一度は魔王陛下がお越しになる計算ね。でも、一月以上ご来訪がない。どうしたわけなのか総督府に質問したら、一月前から陛下のご来訪の候補から外されていることがわかったわ」


 ブリジアが縁側でぼんやりリンゴを抱えていた時、来奇殿の主人コマニャスが訪れて話し出した。


「陛下のご来訪は、どうやって決まるのですか?」

「そんなことも知らないのですか? ああ……教えていなかった私の失策ね。陛下は、基本的には九つの宮殿を順番に回るわ。最も、九つというのは寵愛される妃のいる宮殿ね。それ以外にも、陛下の母君がいる宮殿や宴のためのきゅう電も含めると、数えきれないわね。陛下が回るのは、妃のいる宮殿よ。厳密に順番ではないから、事前に札で知らされるの。宮殿の中の誰を寵愛しているのかは、明確にはされないわ。例外は皇后様の永命殿ね。主人以外の妃はいないから」

「基本的に順番ですか。でも、一月前までは陛下は毎日のように来て、泊まっていかれましたよ」


 ブリジアが首を傾げる。ブリジアのとなりに腰掛けたエルフ族のコマニャスは、白く長い髪を撫で付けながら言った。


「普段なら自慢に聞こえるところでしょうけど、そうではないのでしょうね。札が外されるなんて大事よ。あなたに心当たりはないの?」

「いいえ。それよりコマニャス様、エルフの皆さんは、どうやってこのリンゴを食べているのですか? 歯も立たず、ナイフで皮を剥いても、身まで同じ硬さです」


 魔王はかつて、エルフ族は生でリンゴを食べないと言っていた。上手な調理の仕方があるのだろう。だが、ブリジアにはそれすら見つけられず、ついにコマニャス本人に尋ねたのだ。


「知らないわ。食べないもの」


 コマニャスは、積み上げてあったエルフのリンゴを手にした。

 軽く投げる。庭に植えてあった松の木に当たり、地面に落ちた。松の木には傷がついたが、エルフのリンゴには傷一つなかった。


「えっ? でも、エルフ族の栽培したリンゴで、商品として売っているのですよね?」

「そうよ。精霊への貢物を用意するために、人族と取引をする必要があったから、人族の間で好かれている木ノ実を栽培して、売買しようとしたの。だから、お金を得る手段としてリンゴを栽培しただけで、普段エルフ族が食べているわけではないわ」


「どうして、食べられないような木の実を育てたのですか?」

「もともとは、人族が食べているリンゴと同じものよ。見た目は人族の育てたリンゴと一緒でしょう。ただ、私たちエルフは精霊と会話ができるし、精霊は草木にも宿るわ。ほかの種族が栽培するよりも優れた特徴を持つリンゴを栽培できると思ったし、事実栽培したのよ。でも、その特徴がただ硬いなんて思わないじゃない。でも、ブリジアこそ、食べられないのは変じゃないの? ブリジアの祖国で50000個も買い上げてくれたでしょう。感謝しているわ。人族でも、トボルソ王国でしたっけ? その国の人たちは、このリンゴを食べられるのでしょう?」


「そうなのでしょうか? 今度、お父様に聞いてみます。もちろん、手紙でですが。でも、食べ方はあるのでしょう? 以前エレモア王妃が、リンゴのお裾分けが楽しみだとおっしゃっていましたよ」

「そうね。どういう意味なのかしら?」


 コマニャスは首を捻った。

 ブリジアは、手紙でエルフのリンゴ50000個の取引先についてトボルソ国王に相談した。

 エルフのリンゴが固いことは、すでに世界中で知られていた。まだ幼いブリジアが知らなかっただけなのだ。


 結果として、トボルソ王国が買い取ったのだという。買い取った後のことを、ブリジアは知らなかった。

 ただ、それまで敵意に満ちていたコマニャスの視線が優しくなったのは間違いない。


「それなら、知っているぜ」


 庭園の端に姿を見せたのは、白蠟のような白い肌にエルフのような長い耳を持つ痩身の青年だった。

 ただし、エルフ族ではない。エルフ族は、額にそり返るような鋭い角など持っていない。

 地下後宮にいる数少ない男性、妃の息子である。つまり魔王の息子であり、役職によって王子、または公子と呼ばれる。


 能力を認められれば、魔親王として領地を与えられる可能性もある存在だ。

 もちろん、成人すれば、許可なくして出入りはできない。母と一緒に過ごせるのは、子ども時代だけだ。


「ディオレル、何を知っているの?」

「エレモア様や後宮の妃たちが、エルフのリンゴを楽しみにしている理由さ」

「食べ方を知っているの?」


 ブリジアが尋ねると、全身を白で統一したコマニャスの息子ディオレルは、侮蔑するかのように目を細めた。


「いいや。硬すぎて食べられないことを知っているだけさ」

「ならば、それでどうして楽しみにしているの? 私も、何度か感謝されたのは覚えているわ。でも、それは無料で配布した時だけだわ。実際に値段をつけて販売しようとしたら、誰も買ってくれなかった」

「私の国では好評ですよ。好評の理由はわかりませんけど」

「そうね」


 コマニャスは、ブリジアをディオレルから隠すかのように座り直した。

 ブリジアは、エルフのリンゴを買いたい人がいないか手紙に書いただけである。

 ブリジアを溺愛する父王が、用途も考えずに買い上げたとは考えていなかった。

 トボルソ王国では、ブリジアが知らないだけで好評なのだと、ブリジアは勝手に解釈したのだ。


「それで、妃たちが私に感謝した理由は何なの?」

「簡単だ。こんな固いリンゴを食べられるのは、寿命を持たず、歯の欠けることのない特殊な種族だけだ。その特殊な種族の内で、後宮にいるのは誰だ?」

「皇后様と……魔王陛下かしら」


「妃たちは、エルフのリンゴを持て余している。コマニャス公妃の好意で配布されたものを無下にはできない。ぜひ、陛下に来て召し上がっていただきたい。そう言って、魔王陛下を誘ったらしい」

「……確か、リンゴを配ってしばらくは、来奇殿にお立ち寄りくださらなかったわね」

「リンゴで他の宮殿に誘い出されていたからだな」

「陛下はリンゴがお好きなのですね」


 コマニャスが、口を挟んだブリジアを見下ろした。


「……そうね。もしそうなら、今度から、陛下にご来殿いただくために利用できるわ」

「その時に食べ過ぎて、もう見たくないと仰っていたそうだ」


 ディオレルが笑いながら言った。


「では、エレモア王妃が楽しみにしていると言ったのはどういうことかしら?」

「陛下がリンゴを食べ過ぎて嫌いになったのを知らないか、単なる嫌味だろう」

「そうだったのね」


 コマニャスが肩を落とす。ブリジアが白く細い手をとった。


「でも、これからは魔族の皆さんが買ってくれるのではないでしょうか?」

「ええ。だといいけど……」


 実際には、その可能性が低いことを、ブリジアは理解できていなかった。魔王にも指摘されたが、魔族がリンゴを食べたければ、普通のリンゴを食べればいいのだ。

 結局は堂々巡りである。コマニャスは解っているのだ。幼いブリジアの精一杯の好意を否定できなかったのだ。

 白い髪の公子は、コマニャスの前に座った。


「母様、母様がエルフ族の将来を担うことはないだろう。母様は魔王陛下との繋がりを作った。俺を産んだ。それだけで、役割は十分に果たしたはずだ」

「コマニャス様のお子さんなのですか?」


 首を傾げるブリジアに、ディオレルが笑いかける。


「妃の息子以外の男が、後宮に出入りできると思うのかい?」


 爽やかな笑みに、ブリジアは自分でも理由がわからずに視線を逸らした。


「もう成人した公子が、気ままに出入りできるわけではないはずよ。公務で来たの?」


 コマニャスが真面目に問いただす。ディオレルは首を振った。


「いや。陛下の許可はもらったが、仕事というわけじゃない」

「そう。許可があるならいいわ。気をつけなさい。陛下の不興を買えば、公子といえども簡単に首をはねられるわ」


「ああ。わかっている」

「お仕事でないのなら、お茶をお入れします。テティ、ディオレル様にお茶を」

「承知しました」


 部屋の中から声だけが聞こえ、ブリジアの侍女の一人があらかじめ用意していたのか、すぐにお茶を運んで来た。


「よろしければ、お召し上がりを」


 ブリジアは、ディオレルにエルフのリンゴを差し出した。


「残念だが、俺にもこのリンゴは固すぎる。仕事ではないが、調査を命じられた」

「調査って? 何かあったの?」


 テティが差し出したお茶を受け取り、ディオレルは立ったまま口に含んだ。

 テティに茶碗を返す。テティは、頬を染めながら茶碗を受け取った。


「人族の国に、勇者が出た」

「本当なの?」


 コマニャスが厳しい声を出した。


「ああ。まあ、後宮は関係ないだろうが、勇者と繋がりがある者がいないかどうか、探れと命じられたよ。外の調査は親衛隊の第一三部隊が受け持つそうだけど、後宮の中に入れる者は限られているからね。しばらくは、後宮内を出入りすることになると思う」

「そう……ブリジア、勇者のことは知っている?」

「いえ」


 最近はリンゴの食べ方だけを考えていたブリジアは、素直に首を振る。


「ああ。そうだろうな。邪魔した。母様、それでは、また」

「泊まっていかないのね?」

「後宮に泊まるには、俺は歳をとりすぎているよ。わかっているくせに」

「そうね」


 コマニャスが送り出すと、白のディオレルは礼儀正しく膝を降り、庭園から出て行った。


「……素敵な方ですね」


 ブリジアが振り向くと、侍女のテティが自分の胸に手を押し当てていた。

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