68 中央櫓の魔族たち
〜遊食園 臨時グラウンド〜
ブリジア貴女の侍女テティは必死だった。
「ちょっと、退きなさいよ。ブリジア様に何かあったら、あなたたち、責任を取れるのでしょうね!」
普段は滅多に大きな声を出さないテティが、人垣を作るホムンクルスたちを怒鳴りつける。
テティの目の前で、主人であるブリジアは跪かされていた。
来奇殿、獣雷殿、老練殿、耐火殿の四つの宮殿が競合した魔球の大会のほぼグラウンドの中央で、小さな点のようなブリジアは、膝をついたまま身動きもしなかった。
ブリジアに襲い掛かろうとした魔獣もいた。
目と鼻の先を球状の魔物が飛び交った。
ブリジアの周囲には、愛馬であるユニコーンのシルビアがおり、小さな体を目一杯につかってブリジアを守っている。
ブリジアが動かないのが気がかりだった。
テティは怒鳴り続けたが、グラウンドに乱入すればテティの身に危険が及ぶのは間違いない。
ブリジアの侍女たちは、いずれも妃たちを凌駕する才色兼備の令嬢たちだ。
ブリジアが子を成せる年齢になるまで、魔王からブリジアを守るために身を投げ出した女たちだ。
ただの侍女と違って、魔王と直接的な身体の接触がある。
ホムンクルスたちは言葉少なだったが、テティと魔王の関係を知っているかのようだった。
テティの体には自分からは触れず、ただ背中で立ち塞がった。
決して、グラウンドに出そうとはしなかった。
まるで、テティが傷つくのを恐れているかのようだった。
「ブリジア様、ブリジア様が! 退いてよ!」
テティは、他の侍女たちからブリジアを託された。
魔球の試合に出られるのが妃たちだけであり、多くの侍女を従える必要はない。
むしろ、魔球の結果を受けて行われる、侍女と公子たちによるダンジョン攻略に注力すべきなのだ。
元騎士団長のレガモンはもちろん、多くの特技を持つ芸人のチャクや魔女の血を引くソフィなどが準備をしている。
ブリジアに同行したのはテティだけだ。
それは、テティが戦う能力を持たないことと同時に、ブリジアに信頼されていることも意味していた。
だからこそ、テティはなんとかしてブリジアを助けなければと必死だった。
だが、何もできない。
レガモンのようにホムンクルスを蹴散らすことはできない。
まさか、試合が始まる前に跪かされることになるとは想いもしなかった。
ブリジアは、魔球を楽しみにしていたのだ。
だから、球を打つ道具として王笏を持ち出したのだ。
他の宮殿の妃たちに挨拶に回りながら、代わりに武器とした吸盤付きの弓矢を何度も練習していたのだ。
「退いてよ!」
テティが喉を枯らしながらへたりこんだ時、魔球の全ての試合が終わった。
黄金に輝く中央の櫓から、一人重々しく着飾ったホムンクルスが降りてきた。
魔王が来るときによく同行している。
「ガギョク様!」
テティの掠れた声が響く。
「おや。そこにいるのはブリジア貴女の侍女殿ですな。いかがしました?」
「お願い。ブリジア様を助けて。あのままじゃ、死んでしまうわ」
テティが指差す先で、跪いたままのブリジアが、身動きすらせずにいる。
「ああ。ちょうど、デジィ様が召されたことをお伝えに行くところだったのです」
「えっ? じゃあ……」
「聞こえたであろう。往ね」
ガギョクが手にしていた采配の棒を振ると、ガギョクの配下なのか、ホムンクルスたちがわらわらと動き出した。
「テティさん、それでは、ブリジア貴女を連れてきていただけますか?」
ガギョクは、のんびりと中央の櫓を見上げた。
「わかった。連れて行きます」
「頼みましたぞ」
ガギョクはひらりと踵を返した。
テティは走り出した。
ブリジアが跪いている場所に、牛の頭をした筋骨逞しい魔物が、平らな石板を担いで通ろうとしていた。
頭部が牛なので、目が左右に離れているために正面が見にくい。
牛の頭をした魔物が担ぐ石板が、ブリジアの頭部を打とうとした。
シルビアは、別に方向から近づくリスの魔物を威嚇していた。
テティは足をもつれさせながら走った。
「ブリジア様! 伏せて!」
ブリジアの頭上を、石板が通過した。
ブリジアが、ゆっくりと倒れる。
テティは転んだ。
転びながら、腕を伸ばした。
伸ばした腕の中に、ブリジアの小さな体が治まった。
「ブリジア様、お怪我はありませんか?」
ブリジアは答えなかった。
気絶しているのか、あるいは寝ているのか、ただ静かに寝息を立てていた。
※
〜中央櫓〜
ブリジアは、黄金に染まった建物の中で目覚めた。
「ブリジア様、お目覚めですか?」
優しい声は、耳元で聞こえた。
声の主を探すまでもなく、目の前に侍女のテティの美しく整った微笑が見えた。
暖かく柔らかい寝床は、テティの腕の中だったらしい。
「私、どうなったの? おっきなムカデに襲われそうになって……真っ暗になっちゃった」
「ブリジア様にお怪我はありません。シルビアが飛び出して、ずっと守っていましたから。いまは、下でコマニャス様たちの愛馬たちと一緒に休んでいます」
テティの言葉に、ブリジアは首を巡らせた。
「下ってどこ? ここは?」
「皇后様の櫓の中です。皇后様がブリジア様を召したから、下のグラウンドからお助けできたのです」
「……そう。私、何か悪いことをしたのかな? 覚えていないけど……」
「ブリジア様は、何も悪いことはしていません。悪いことをしていなくても、罰せられるのが後宮です」
テティの言うことはよく理解できた。
妃の身分次第で、どんな理不尽も起こり得るのだ。
「じゃあ、デジィ様がお呼びなのね」
ブリジアは起きあがろうとした。だが、動けなかった。
テティが抱きすくめたのだ。
黄金の櫓の中には、魔王ジラン、皇后デジィを初め、魔親王と魔将軍が居並んでいた。
さながら宴会である。
世界最強の魔族たちは、遊食園に設られた巨大モニターに映る映像を肴に、盛り上がっていた。
ブリジアはテティに抱かれたまま、黄金の櫓の片隅にいたのだ。
「魔球は?」
「終わりました。一位が耐火殿、その後、老練殿、獣雷殿、来奇殿の順です。いまは、次のダンジョン攻略の様子を堪能しているようです。順位の高い宮殿から優先してダンジョンに入って、最も成果をあげたと認められた宮殿がシャミンを獲得することになります」
テティの視線を追うと、皇后デジィの前で震えているシャミンがいた。
目の前に豪華なご馳走が並んでいるが、シャミンは手をつけていない。
背後にクリスと、ギエイと呼ばれていた侍女がいた。
「……デジィ様がお呼びなら、行かないと。叱られてしまうわ」
『必要ない』
ブリジアは、突然頭の中に響いた声に驚いたが、声を抑えるように口を塞いだ。
「しかし、この妃は美しいですな。我が後宮にもこのような妃がいてほしいものですが」
魔族の一人が、ブリジアに視線を向けながら言った。
「お前に、人族の見分けがつくのか?」
「何を仰います。陛下に見習い、妃の半分は人族です」
「選りすぐりの?」
「というより、生き残りのですな。ですから……見た目などは期待できないわけでして」
笑いながら言うのは、全身を鱗で覆われ、肩から蛇のような首の長い生き物を生やした魔族だった。
後宮を持つのは、魔親王国を立ち上げ、魔親王となった者だけだとは、ブリジアは知らなかった。
「もっとも、お前が言っているのは妃ではない。妃はそっちだ。お前の言うのは、侍女だ」
「なんと! でしたらこの侍女、下賜いただけませんか?」
魔親王のひとりは、震えるシャミンの背後に手を伸ばした。
その手が届こうとした時、魔王が打ち払った。
「ならん。後宮に入った以上、侍女といえども朕のものである」
「それは残念」
魔親王は、おそらくヒドラと思われる魔獣が載った肩をすくめながら、器から何かを飲んだ。
魔族の場合、それが酒である可能性が極めて低いことは、ブリジアも知らない。
「少し外す。向こうのモニターを見たいのでな」
魔王が席を立った。
「陛下、あちらのモニターから見えるのは、来奇殿の侍女たちです。お目汚しでしょう。ダンジョンに転移したばかりですし」
「ああ。そうかもしれんな」
魔王は言いながら行動は変えず、ゆっくりとブリジアに近づいてきた。
テティも、魔王を恐れていない。
おそらく、ブリジアより侍女たちの方が恐れないだろう。
魔王がテティの前にかがみ、外を覗き見た。
「デジィは、グラウンドにいるブリジアが作業の邪魔だから召しただけだ。用があったわけではない。静かにしておれ。ちょうどそこのモニターから、侍女たちが見える」
「……はい」
魔王の視線を追うと、ちょうどグラウンドに置かれたモニターの一つが正面に見えた。
映し出されたのは、洞窟の中だ。
魔物と戦っている。
トボルソ王国の聖騎士の姿で大剣を振り回すレガモンに、最年少宮廷魔術師のソフィ、どんな的もはずさないソブリンに、魔道具づくりの天才シテンの姿が見える。
その周囲を守るのは、侍女となったばかりのナギサだった。
ナギサが放つイカヅチが、魔物たちを薙ぎ払った。
「ふむ。さすがは勇者だな」
魔王は楽しげに笑うと、ブリジアたちへ背を向けた。
ブリジアは、テティの腕の中で静かに声援を送った。




