66 新妃の罰
〜馬車の中〜
シャミンは、自ら湿らせた指で開けた障子の穴から、外の様子を伺っていた。
「ど、どうしよう。どうしよう。本当に来ちゃった。どうすればいいの?」
お気に入りの侍女クリスにしがみつく。
「落ち着いてください。これは、シャミン様をお迎えするための儀式のはずです」
縋り付くまだ10代の少女を抱き寄せながら、クリスはシャミンが覗いていた穴に目を近づける。
居並ぶ妃たちは、全員何らかの生き物に乗っている。
クリスは、テティと共にブリジアの用事をこなして後宮内を歩いているため、他の侍女達より妃たちと面識があった。
真っ赤な髪で勇ましい姿をした、8本足の馬に跨ったエルモアには、よく声をかけてもらった。
白く巨大な虎に乗ったランディとは口を利いたことがない。
立派な馬に跨ったリルトを見て、クリスは眉を顰めた。
その中に、黒い馬に跨ったコマニャスを見つけ、クリスは胸を撫で下ろした。
少なくとも、ブリジアがいる宮殿はシャミンを受け入れようとしている。
クリスはさらにブリジアの姿を探し、コマニャスの隣にならんだ小さな集団の中に、本来の主人の姿を見つけた。
ホビット族のポリンが乗るポニー種の馬よりさらに小さな、2本の角を生やした馬に、姿勢を伸ばして跨っている。
緊張しているのが手に取るようにわかり、クリスは思わず頬を崩した。
「どう? 私、変じゃない?」
シャミンが、もう一人の侍女であるギエイに鏡を持たせた。
「お綺麗です。シャミン様」
ギエイ自身も、目を引くような顔立ちの整った少女である。
「髪は乱れていない? 服はおかしくない? お化粧は大丈夫?」
シャミンは捲し立てた。
クリスはその間に髪を整え、ギエイはお茶を淹れた。
その時、馬車の外から地響きのような騒音が轟いた。
「な、なに? 襲撃なの? ここ、魔王の後宮ですものね。人族が攻め入ったの?」
「シャミン様、これはきっと歓迎の音楽です」
「歓迎されているのですね」
クリスの言葉に、ギエイも安心したように頭を下げた。
シャミンは震えている。
クリスは、シャミンを再び抱き寄せて落ち着かせようとした。
馬車の扉が引き開けられた。
隔絶された空間から、広い外につながった。
シャミンの目の溜まった涙を、クリスは手早く拭った。
シャミンが震えながら頷くのがわかり、クリスは背を向けていた外を見るために振り向いた。
かつて魔王の詔を持ってきた、美しく整ったホムンクルスのガギョクが手招いていた。
「……クリス」
消え入りそうな声で、シャミンが囁く。
「はい。ここにおります」
「一緒にいて」
「承知しております。ギエイも」
「はい」
妃となるシュウ国大貴族の娘シャミンは、二人の侍女に支えられて立ち上がった。
馬車を降りる。
妃たちの視線が集まっていた。
ガギョクが巻物を広げる。
シャミンは息を飲み、ただガギョクを待った。
クリスは察した。
「シャミン様、ひざまずいてください」
「えっ? でも、下は土よ。私、妃なのよ」
「まだ違います」
「でも……」
躊躇うシャミンに向かい、巻物を広げたままのガギョクが告げた。
「これより詔を発する。陛下のお言葉である。謹んで受けよ」
「はぃ」
シャミンも理解した。声を上ずらせ、膝をついた。
ガギョクが詔を読み上げる。
「シュウ国ガバイ公爵家の嫡女シャミンは、明眸高らかにして人格穏やかであり、魔王陛下にお仕えする強い望みを叶え、ここに地下後宮への入内を許可する。すでに多くの貢献を果たしたシャミン妃を、名妃に封ずる。住まいは、耐火殿、老練殿、獣雷殿、来奇殿のうち、ふさわしい宮殿とする」
「ありがとうございます」
シャミンは応じると、両手を差し出した。
ガギョクが歩み寄り、差し出された手に巻物を渡す。
「入内はなされた。これより、慶事を執り行う」
ガギョクが高らかに告げると、妃達が勇ましい鬨の声を上げた。
その声の大きさにというより、一緒に発声された白虎の咆哮に、シャミンは怯えた。
並んでいた妃たちが四散する。
「……これでよかったのよね?」
「はい。問題ありません。予定通りです」
シャミンと一緒に膝をついていたクリスが答える。
シャミンが立ち上がる。
膝を払おうとした時、とても小さく見えた影が視界に入った。
「シャミン様」
「ブリジアちゃん?」
シャミンにとっては、隣国の王女だ。
さっきまで、シャミンの目には入っていなかった。
だが、クリスはずっとブリジアを見ていた。
「ありがとうございます」
特徴的な紫の髪をした少女は、深々と頭を下げた。
「えっ? どうして?」
「連れてきてくれて」
「ブリジア様」
ブリジアは、クリスの腕に飛び込んでいた。
クリスはつい現在の立場を忘れ、ブリジアを抱きしめていた。
「クリス、よかった。あっ……」
ブリジアは気づいた。クリスは、ずっと隠していた。
クリスの腹は、不自然に膨らんでいた。
だが、人族が人族の子供を宿したようなつわりはなく、体に不調もなかった。腹も膨らんでいる時もあれば、別の場所に移動している時もある。日によっては、どこにあるかわからない時まであるのだ。
ただ、自分の体の中で自分以外の何かが育っているという確信だけは、持ち続けていた。
「ブリジア様、今はまだ、秘密に」
クリスが囁くと、ブリジアは察したように頷いた。
そのブリジアは、シャミンに肩をつかまれ、引き剥がされた。
「ブリジア、私より侍女に用なの? 私はもう入内して、名妃になったのよ。ブリジアは?」
妃としての階級を聞かれたものだと、ブリジアはすぐに気づいた。
「貴女です」
「私より下じゃない。無礼は許さないわ」
「御免なさい」
「罰よ。ひざまずいて」
「……はい」
「シャミン様、ブリジア様には、やるべきことが……」
クリスが口を挟む。だが、ブリジアが手で制した。
「何よ。逆らうの?」
「いえ。申し訳ありません」
クリスが答えると、シャミンはその場に残っていたガギョクに言った。
「私はどこに行けばいいの? 案内して。それから、ブリジア貴女はしばらくひざまずかせるわ。構わないわね?」
「承知いたしました。では、ご案内します」
「あなたも一緒にきなさい」
シャミンは言うと、クリスとギエイに加え、ガギョクを馬車に乗せ、ブリジアをその場に残して出発した。
〜遊食園 急造グラウンド内 中央櫓〜
魔王ジランは、新しい妃シャミンが再び馬車に乗り、出発するのを見ていた。
慶事が常にグラウンドで行われるわけではなく、妃たちが決めた内容に合わせて、舞台は用意される。
遊食園は、普段は百花が咲き乱れる美しい庭園であり、適当な広さがあることから、会場に選ばれた。
グラウンドも常にあるわけではなく、庭園に咲き誇る花たちが、妃たちのために歩いて場所を提供したのだ。
各宮殿が独自に櫓を建てることも、今回の慶事のために決められたことだ。
各宮殿には見栄があり、粗末な櫓は建てられない。
魔王の憩休殿では櫓を用意しないが、皇后が用意する中央櫓に魔王の席が用意されていた。
各宮殿、しっかりとした櫓を作るが、豪華さで競おうとはしない。
皇后デジィが純金の櫓を建てることは容易に想像でき、競ったところで意味を見出せないからだ。
事実、魔王は純金に輝く櫓の中から、グラウンドを見下ろしていた。
名妃シャミンを乗せた馬車が中央櫓に向かって移動し、シャミンを引き取りたいと願う宮殿の妃たちが散開する。
今回の慶事は2段階構成である。
まず、妃たちが魔球と呼ばれる競技を行う。
その順位によって、世界のどこかにある地下迷宮、通称ダンジョンの探索順序が決まる。
決められた順番に、各宮殿に仕える侍女や下僕用の魔物がダンジョンを探索する。
最も優れた成果を持ち帰った宮殿が勝利するが、ダンジョンの最深部に巣食う魔物を討伐できれば、その時点で優勝が決まる。
魔球で競うのは妃だけだが、その後のダンジョン探索には侍女だけでなく妃が産んだ公子まで参加できることになっている。
公子とは、魔王の子供たちのうち、まだ魔王軍に参加する資格を持たない者たちだ。
魔王軍の参加する最低ラインが、自力で魔王城に到着することだ。
標高二万メートルにある魔王城に自力でたどり着くことは、人族では不可能とされている。
魔王の血を引いていても、人族としての特徴が多い者は、生涯を公子のまま終わることになる。
グラウンドで行われる魔球は直接見ることができるが、ダンジョン探索の様子は、映像で中継される。
中継するための魔道具や魔物もあらかじめ用意されており、映像を映すモニターは各宮殿に配布されている。
つまり、慶事のためにダンジョンを作成し、すべて装置を揃えたのである。
「最初の試合はどこだ?」
魔王が尋ねると、シャミンに詔を授けるために席を外したガギョクに代わり、ハーフノームのバブルが答えた。
外見が非常に醜悪であるため、肌を露出しない黒い服で全身を覆っている。
「獣雷殿と老練殿でございます」
「ランディの白虎次第でしょうね」
魔王と並んで腰掛けている、皇后デジィが率直に感想を述べた。
デジィの持つ器には、金色の液体が揺蕩っている。
水銀ではない。
慶事のために用意した、純金である。
液体となっているのは、単純に融点を超えているからだ。
デジィに金を注ぐ係として、溶鉱炉を担いだ侍女のパメラが控えている。
「魔球とは、魔物を球として撃ち合う競技だったか? 朕は、人族の遊びには詳しくないのでな」
「陛下、人族は魔物を球としては扱わないはずです。確かに、今日使うのは万年アルマジロ、メタボリックダンゴ虫、不変形スライムのうちのどれかのはずですが、いずれも調教済みです。魔球という名前は、純粋な人族が馬を使用するのに加えて、亜人族が魔獣を使用するからだったはずですよ」
デジィが事前に予習していた内容を披露しながら、器を傾けた。
喉越しよく液体を流し込むが、純金の融点は摂氏1064度である。
「では、グラウンドの中央にいるあれはなんだ? 球ではないのか?」
魔王は尋ねた。
そこに何がいるか、魔王の視力で見えていないはずがない。
だが、直接的に言うことは避けたのだ。
「誰か、跪かされていますね」
答えたのは、魔王の前にいた魔族だ。
魔王より一段低い位置に椅子を用意して、腰掛けている。
慶事を見物にきた魔王軍大元帥ダネスだった。
通常は地下後宮への立ち入りはできないが、許可を得ての慶事の見学は認められているのだ。
「ふむ。グラウンドの中央だな。あれが球でないのなら、邪魔だろう」
「支障はないでしょう。始まりました」
デジィが気軽に言った。
グラウンドの中央で跪く妃の周りで、球状になった魔物を撃ち合い、奪い合う試合が開始されていた。
ランディ公妃の乗る白虎の迫力は凄まじく、老練殿の妃たちは乗馬に目隠しをすることで対抗していた。
中央の点は動かない。
顔のすぐ先を、球が飛び交った。
「シャミン様がご到着です」
魔王が座る玉座のはるか下から、魔王親衛隊第一部隊の総督、ホムンクルスのガギョクが報告した。




