65 挨拶回り
獣雷殿の櫓近くでは、想像通り獣雷殿の妃達が様々な獣に跨っていた。
人族の馬球であれば、通常馬に乗る。
来奇殿の妃達は、馬の姿をした動物に乗る。
だが、魔球である。
宮殿の主人ランディが跨っているのは、巨大な白いトラだった。
「おや? ブリジアじゃないか。宮殿を移りたくなったのかい?」
鞍も無しで白いトラにまたがり、長い鞭を振り回して球を狙っていたランディが声をかけた。
「ランディ公妃にご挨拶を」
「挨拶はいい。慶事は、通常無礼講が許される。陛下とデジィ様を除いてだけどね」
ランディは、人族のように滑らかな肌をしている部分も、黄色と黒の縞模様である。
笑うと、肉食獣そのものの歯が並んでいるのがわかる。
「感謝します。移籍の話はなくなったかと思っていました」
「そんなはずがないだろう。コマニャスが断り続けているのさ」
「そうでしたか。しばらく後宮を不在にしていたので、皆様にご挨拶に回っていました」
「いい心がけだ」
言いながら、ランディの振り回した鞭が見事に球を打ち、はるか遠くに飛ばした。
「ありがとうございます」
「それで外はどうだった? 私が一緒なら、誘拐なんかさせやしなかったんだけどね」
「恐ろしかったです。後宮のありがたさを思い知りました」
ブリジアは、震えながら言った。
外の様子を聞かれたらそう答えるように、魔王から念を押されていたのだ。
ランディは高い鼻を掻いた。
「誘拐されたんだ。恐ろしかっただろうさ。でも、後宮に妃として戻れたんだ。大したことはなかったんだろう?」
「……はい。お陰様で」
実際には、ランディのお陰ということは何もない。
ただ、そう言うように、侍女達から念を押されているのだ。
魔王が自らブリジアの救出に向かったことも、ブリジアの侍女達全員が同行したことも、全て緘口令が敷かれている。
「殊勝な子だね。私の宮殿でブリジアを食べたりはしないし、今度入るシャミンって妃も、大事にするさ。だから、ブリジアも協力しなよ」
「私が協力したところで、結果は変わらないと思います」
「まあ、そりゃそうか」
ランディは、ブリジアの獲物である弓と矢を見た。
矢の先端には、吸盤が付いている。
その他にも、シルビアの鞍に王笏が取り付けられているが、最後まで使うことはないだろう。
ブリジアがいることに気づき、女王アリ族のブラスト傑女とフラミンゴ族のトモア名妃が近づいてきた。
それぞれ、オオアリクイとダチョウに跨っている。
ブリジアはシルビアが嫌がるかと思ったが、ブリジアにまたがられたまま、ユニコーンのシルビアは落ち着いていた。
来奇殿にいると、集まってくる侍女達が増えるたびに、シルビアは威嚇するのだ。
「獣雷殿の皆様、ご活躍をお祈りいたします。耐火殿と老練殿にもご挨拶をしてきます」
「ああ。わかった」
ブリジアは、王族の常として種族的な偏見はない。
どの妃にも平等に接することに慣れていた。
単純に、本番が始まるまで時間が足りないと判断して移動することにしたのだ。
獣雷殿から離れたところで、白馬に跨ったテティが近づいてきた。
「シルビアが落ち着いていたわ。どうしてかしら? テティが近づくと、嫌そうにするのに……」
現在、シルビアは歩きながら時折テティの乗馬を蹴ろうとしている。
「獣雷殿だからでしょう。私の馬は、ランディ公妃の白虎を怖がって近づけませんでしたが」
「……どういうことなの?」
「シルビアはユニコーンです。地下後宮の妃の皆様は、穢れなき女性達です。噂では、人族の男性を受け入れたことのある女性は、魔族との間には子を成せないと言いますから」
「へぇ……そうなの。でも……」
「地下後宮にいる妃のうち、誰と夜伽をするかは、陛下ご自身のご判断です」
「えっ? じゃあ……」
「そうですね。ブラスト様とトモア様は、お呼びがかかったことはないはずです。ひょっとすると、ランディ様も……」
「テティ、秘密よ」
「はい。承知しております」
口の前に指を立てたブリジアは、テティの言葉がおそらく真実なのだろうと認めざるを得なくなった。
今回参加する宮殿の中で、最も格上のエレモア王妃が主人となる耐火殿に向かおうとして、ユニコーンのシルビアはかなり抵抗を見せたのだ。
※
ブリジアは、結局シルビアから降りて歩いて耐火殿の妃たちに近づいた。
テティの馬に乗るのも、シルビアが嫉妬したのだ。
練習をしている最中のエレモア王妃に徒歩で近づくのは危険なため、ブリジアとテティは休憩用のベンチで練習の様子を眺めていた。
「やっぱり格好いいわね」
ブリジアは、馬にまたがってハンマーを振るうエレモアの姿に、賞賛の声を漏らした。
またがっていたのはただの馬ではない。8本の脚を持つスレイプニールと呼ばれる魔獣の一種だ。
馬よりも揺れが少なく、極めて高額で取引されると聞いたことがある。
魔王領の西側が生息地とされ、魔王領の東側にあるトボルソ王国周辺では、見たことがなかった。
しかも、その馬に金属の鎧を着せ、頭部には厳つい角のある兜を被せている。
エレモア自身も肩と胴回りを覆う鎧に、頭部を守るヘルムを被っていた。
赤い髪を長く靡かせた姿は、まるで戦場を駆ける天女のようだとブリジアは賞賛した。
「そうですね。耐火殿も、妃の数は四人なのですね。全員人族でしょうか」
テティは、冷静に戦力の分析を行なっている。
ブリジアが言われて妃の数を数えようとすると、赤い髪を靡かせたエレモアが、休憩用の四阿に8本脚の馬を止めた。
「ああ。随分綺麗な方がいるから、どこの宮殿の方かと思ったら、ブリジアの侍女だったのね」
全身を鎧で覆った美女エレモアが、優雅に8本足の馬から降りた。
エレモアが腰を下ろすと、テティがすぐにお茶を淹れる。
「お久しぶりです。エレモア王妃に……」
「グラウンドでは、礼は不要よ。習わなかったの?」
「申し訳ありません」
椅子を降りて膝をつこうとしたブリジアを、エレモアは止めた。
頭部を覆っていた鋼鉄に見える兜を脱ぐと、豊かな赤髪が乱れ咲いた。
「私のところにきたら、ちゃんと礼儀を教えてあげるのにね。エルフ族なんて、野人のようなものだもの。宮殿の主といっても、優秀な猿から人族が教わることなんてないでしょう?」
エレモアは、にこやかに毒舌を吐きながらテティの入れお茶に砂糖を落とした。
「でも……エレモア様のご提案で、人族が大勢死にました」
「ええ。目の前で見ていたから知っているわ。ブリジアだって知っているでしょう。私が原因ではないし、直接手を下したのはデジィ様よ」
「はい」
その時、ブリジアは勇者ナギサによって拉致された。忘れるはずがない。
忘れられない。それほど、美しく恐ろしい光景だった。
「まあ、今となっては無理強いしないわ。称号だけといっても、『魔王の嫁』と名乗ることを許されたのですもの。私の宮殿に入ったら、主人の私が霞んでしまう」
エレモアは、優雅にカップを傾けた。
意味がわからないブリジアに、テティが意識をグラウンドに向けさせた。
耐火殿の3人の妃がまだ練習を続けている。
お揃いの甲冑を身につけているが、どことなく不恰好だ。
テティがブリジアの耳元で囁いた。
「エレモア様は、ご自分の宮殿に、自分より優れた者は置きません。耐火殿の他の妃は、人族の世界から生贄のように追い出された妃たちで、美しくもなく、才能も乏しい者達だと言われています」
エレモアが咳払いをする。テティが姿勢を正した。
ブリジアが唇を突き出す。
「以前、エレモア様は私を耐火殿に誘いませんでしたか?」
「陛下や皇后様を怒らせる妃なら、宮殿に置けば私の価値が上がるもの」
エレモアは悪びれもせずに微笑み、立ち上がった。
「シャミンはまだ子どもでしょう? ブリジアほどではないにしても、引き立て役にはちょうどいいわね」
「シャ、シャミンは、渡しません」
「いい宣戦布告ね。楽しみにしているわ」
エレモアが兜を被る。目元まで隠すが、頬から下の顔は露出したままだ。
手にしているのは、さっきまでは木の槌だったが、現在は鉄球がついた鎖だった。
「あれで撃たれたら、私死ぬと思うの」
呟くブリジアの背を、テティは優しく撫でた。
※
再びシルビアに乗り、ブリジアはテティと共に老練殿の櫓の近くに向かった。
老練殿の3熟女が汗を流していた。
胸元が露わになり、豊かな胸を強調しているようだった。
老練殿の妃たちを前に、ブリジアがシルビアを止める。
「そろそろ時間ね」
「戻りますか?」
「うん」
テティの呼びかけに答え、シルビアの馬首を変えさせようてしていたブリジアの前に、老練殿の主人リルトが立ち塞がった。
「お待ちなさい。さっきから、参加する宮殿の主人に挨拶しているのはわかっているのよ。ようやくこっちに来たと思ったのに、直前で帰るなんて酷いじゃない」
「でも、リルト様は私がお嫌いだし……」
「ブリジア様を、泣かせましたよね」
ブリジアとテティの言葉に、リルトは唇を噛む。
他の二人の妃、ハモンとシリアも馬に乗ったまま近づいてきた。
「シルビアは嫌がっているけど、逃げ出そうとはしないわね」
「陛下の寵愛から遠ざかって久しいのでしょう」
「……なるほど」
「二人とも、なんだか失礼なことを言っていない?」
「なんでもありません」
リルトの問いに、ブリジアは曖昧に笑った。
「私が誘拐されて、お騒がせしました。今日はよろしくお願いします」
「ええ。勇者に酷い目にあわされたのは、ブリジアも一緒だもの。以前は、ブリジアと勇者に繋がりがあると勘違いしたのよ。私も悪かったわ」
リルトは笑った。だが、上位の妃であるリルトは、ブリジアに頭は下げなかった。
ブリジアは安堵した。ブリジアと勇者は、現在本当に繋がりがあるのである。
だが、誘拐されたことで、勇者に酷い目に遭わされたのだと解釈することが普通のようだ。
「どうして、シャミンを宮殿に入れたいのですか?」
「シャミンっていう、新しい妃のためよ。同じ人族ばかりの宮殿のほうが、落ち着けるでしょう。それに……陛下だって、たまには来てほしいしね」
「なるほど」
「なんで納得したの?」
ブリジアより先に頷いたテティに、ブリジアが尋ねていた。
「女ですから」
テティが顔を背ける。ブリジアの股の下で、シルビアが苛立つようにいなないた。
「あっ……そろそろ時間みたいです。皆様、対戦の時にはお手柔らかにお願いします」
「ええ。軽傷で済むよう、うまく逃げ回ってね」
「怪我はさせるつもりなんですね」
「テティ、いいから」
声を荒げそうになったテティの服を引っ張り、ブリジアは来奇殿の櫓に向かってシルビアを走らせた。
最も高い櫓は皇后デジィの櫓であり、同じ櫓に魔王がいるのを、ブリジアは見上げていた。
際奥に位置する皇后デジィの櫓の正面、グラウンの反対側から、八頭もの馬が引く馬車が静かに入ってきた。
ブリジアは知っていた。
トボルソ王国の隣国の一つ、ショクの国の大貴族が使用する馬車だ。
新しい妃シャミンが乗っているのだろう。
「来たわ」
「そうね。ブリジア、早く」
「はい」
来奇殿の近くに来ていた。
コマニャスに命じられる。
地下後宮のほとんどの妃たちが櫓の上から見下ろしているが、シャミンを迎えようと名乗りをあげた四つの宮殿の妃達だけが、グラウンドに並んだ。
コマニャスに手を引かれ、テティと別れて整列した妃の列に、ブリジアも並ぶ。
シャミンを乗せた馬車がその中央で止まった。




