59 ヤマトの国の魔族
〜ヤマト エチゴ海岸〜
エチゴの基地が近くにあり、海岸の状況は把握しているはずだが、基地からの動きはなかった。
ブリジアと侍女たちは、海岸の漂流物で竈門をつくり、火をつけて魚を焼いた。
巨大な怪獣の巣となっている海でも、小魚は棲息している。
ブリジアがお腹を空かせて海に近づいた時、大きな波と同時に大量の生魚が打ち上げられたのだ。
ブリジアは、ジーラのお礼だと理解した。もっとも、立ち上がった波の洗礼を受け、ブリジアだけが海水で水浸しになるというおまけ付きではあった。
かつて、ヤマトの国で魔王軍の一味として攻撃されていたジーラに、産卵のための上陸だと指摘して攻撃をやめさせたのはブリジアである。
その結果、ジーラが上陸後、この国のほぼ中央にある休火山に向かうルートをとる以上は攻撃しないことと決められた。
もっとも、ヤマトに上陸する怪獣は、ジーラだけではない。今後も怪獣との戦いは続くだろうが、ブリジアが関与できることではない。
勇者ナギサは目覚めず、内陸育ちのブリジアと侍女たちは、海水魚の調理をしたことはなかった。
だが、王女であるブリジアは、魚が美味しいことを知っていた。
侍女の1人に料理の名人がおり、竈門につけた火で、簡単ではあるが美味しい魚料理を楽しんだ。
蜘蛛型のアームスーツを着ている者たちの姿は、気がつかないうちに消えていた。
麒麟たちが警戒せず、ただのんびりと砂浜で横になっているのを眺め、ブリジアはユニコーンのシルビアとうたた寝をした。
太陽が傾き出し、ブリジアが本当に誰も来ないのだろうかと不安になった頃、その者は現れた。
「迎えに来たわよ」
白衣をまとった、キキョウと呼ばれる女だった。
基地には、転移の魔法陣がある。ブリシアと勇者ナギサも、エチゴの基地から転移の魔法陣で海岸に移動した。
「キキョウさん、ありがとうございます」
ブリジアが立ち上がる。
侍女たちは動かなかった。レガモンだけが、ブリジアを守るように前に出た。
「私よ。何を警戒しているの? この人たちは誰? ブリジアの知り合い? ヤマトで、私の知らない友達がいたとは思わなかったけど?」
「海を越えて来ました。私の侍女たちです」
「そう。なら、要らないわね」
キキョウが体を沈める。前屈みになった。
「レガモン、逆らっちゃだめ! この人、魔族よ!」
キキョウがブリジアに向かって突進する。レガモンが止めた。
レガモンは、魔王から与えられたという全身鎧を着たままだ。
押し戻そうとする。だが、動かない。
「キキョウさん! 侍女たちに手を出さないで! 用があるのは、私でしょう!」
ブリジアが叫ぶと同時に、勇者ナギサすら圧倒したレガモンが、横なぎに払われた。
すぐに立ち上がるが、華奢に見えるキキョウに力で負けたことに、衝撃をうけていた。
「ああ。そうだね。ブリジア、魔王が来ている。魔王がね……あなたを呼べって言うのよ」
「うん。なら……」
「だから、死んでちょうだい」
一歩前に踏み出したブリジアに、キキョウが手を上げた。
振り上げたのではなく、真っ直ぐに、手刀を叩き込もうとした。
ブリジアの体に触れる直前、キキョウの手刀がとめられた。
鋭く伸びた爪が、掴み取られていた。
「キキョウさん、何の真似です!」
掴んでいたのは、意識を取り戻さなかったはずの勇者ナギサだった。
ブリジアの指示で温かい竈門の傍で横になり、眠り続けていたはずだ。
「ナギサ! この役立たずが! 邪魔をするな!」
キキョウはナギサを殴りつけようとして、逆に投げ飛ばされた。
レガモンが力で負けたキキョウを、ナギサは逆手にとって投げ飛ばした。
間一髪で死にかけたブリジアがの体が持ち上がる。
ブリジアの股の間に、ユニコーンのシルビアが体を入れていた。
「使え!」
レガモンが、腰の剣を投げる。
ナギサは空中で掴み取り、キキョウに迫った。
ナギサの打ち下ろす剣を、キキョウは腕で受け止めた。
キキョウがナギサの足を払い、転倒させる。
ナギサの上にのしかかる。
ナギサの手が、キキョウの顔面を掴んで抵抗する。
ナギサの手がずれると、キキョウの顔が変わっていた。
アームスーツの覆いが、ナギサにむしり取られていた。
キキョウの顔は、犬そのものだった。
「コボルト?」
「ふざけるな! 私をあんな、下等な魔物と一緒にするな。犬身族のキキョウをコボルト呼ばわりした奴は、全部殺してきた!」
「なら、コボルト呼ばわりされたのは、初めてじゃないんだね」
横合いに迫ったレガモンが、背負っていた大剣を振り下ろす。
キキョウの首が飛ぶ。
だが、その首はキキョウ自身が掴み、頭に挿げ直した。
ナギサがキキョウの体を跳ね上げる。
「コボルトの親分ってわけじゃなさそうだね。あの生命力、どうやら、本物の魔族のようだ。ブリジア様をどうして殺そうとする?」
「わからない。ブリジアは、キキョウさんとも仲がよかったはずだ」
ナギサは立ち上がった。
キキョウは、首の癒着具合を確認してから、ナギサとレガモンに背を向けた。
「しまった。あいつの狙いはブリジア様だ」
レガモンとナギサが走る。
キキョウの向かった先には、ブリジアと侍女たちがいる。
「みんな、逃げて」
ブリジアを守るために人垣を作る侍女たちに、ブリジアは訴える。
だが、侍女たちは逃げなかった。
ブリジアは、またがっていたシルビアに言った。
「駆けて!」
シルビアが答え、侍女たちを飛び越える。
俊足のユニコーンより、純粋な魔族のキキョウはさらに早かった。
海岸を走るシルビアに、ブリジアがしがみつく。
その頭上、紫色の髪を掠めて、何かが飛んだ。
投げつけられたのは、犬の前足だとブリジアは確信した。
シルビアが止まる。回り込まれた。片腕を自らむしり取って投げつけたキキョウが、立ちはだかった。
「ど、どうして? どうして、私を殺すの? 私……キキョウさんのこと、好きだったのに!」
「五月蝿い! 魔王が、お前を渡せと叫んでいる。お前は魔王の弱点だ。魔王には、何度煮湯を飲まされたかわからない。あの魔王を操れるなら、この世界を手に入れたも同然だ」
キキョウはシルビアを蹴り飛ばした。
吹き飛んだシルビアは身動きできず、転がり落ちたブリジアの上に、キキョウの影が落ちた。
「なら、ブリジアを殺しちゃまずいだろう」
ナギサが追いついてきた。キキョウは舌打ちをする。
「殺したまま、生きていると思わせる方法はいくらでもある。それが発覚したとしても、今以上に悪くはならない。ブリジアが死んだと知って悲しむ魔王を見るのも一興だ」
魔王は強すぎる。そのために、魔王の寵愛を受けるということは、ただ魔王に嫌がらせをするためだけに殺すという選択が生まれるのだ。
自分の腕さえ引き抜く手刀が、ブリジアの頭上に落ちる。
ナギサの姿が遠くに見えた。
ブリジアは、逃げられないと覚悟した。
キキョウを睨み、踏ん張った。
手刀を振り上げたまま、キキョウの動きが止まった。
「ブリジア、お前は……まさか……」
迷ったように戸惑うキキョウは、やはり思い直したのだろう。
振り上げたままだった腕を、振り下ろした。
「がぁっ!」
途端に苦鳴を発する。
キキョウの腕が、砂浜に落ちた。
ブリジアに振り下ろされようとしていた腕を、黒い光が一閃した。
その直後、キキョウの腕は切り離された。
その黒い光を、ブリジアは知っていた。
「ダキラ様!」
ブリジアが、海上に目を向ける。
何も見えない。だが、ブリジアにはわかった。
魔王軍大参謀ダキラがいる。
黒い光が、さらにキキョウを貫き、数を増やす。
キキョウの足が、首が、肩が、砂浜に落ちる。
「ブリジア!」
叫びながら、勇者ナギサがブリジアを抱きしめ、さらに増える黒い光から守ろうとした。
「ナギサ、大丈夫。ダキラ様!」
ブリジアが大きく手を振った。
その背後に、一体どこから落ちてきたのか、魔王軍大参謀ダキラが地響きと同時に降りてきた。
砂浜にクレーターができ、砂埃で視界が消える。
だが、ブリジアはダキラが手を伸ばすのがわかった。
さっきまで、ダキラがいると思っていた方角に向かって振っていた手を、ブリジアは伸ばした。
掴んだのは、ダキラの手に間違いない。
ダキラは、ナギサの腕から引き抜くように、ブリジアを抱き上げた。
「遅くなってごめんよ。魔王様から、ヤマトの周囲を巡回しろとか言われていないんだ。私はこれでも、魔王軍の大参謀だからね。魔王様も、私的な命令をするわけにはいかない。放っておいても私ならブリジアを見つけられるし、ブリジアを見つけたら、保護するはずだって考えたんだろう」
「お、おのれ……」
5体をばらばらにされ、砂浜の上でキキョウだった犬の頭部が呻いた。
犬の頭部のうち、焼砕かれた半分ほどしか残っていない。
それでも、吠えている。
「んっ? ひょっとしてお前……勇者か?」
ダキラはブリジアを腕に抱き、勇者ナギサに視線を向けた。
勇者ナギサはたちあがる。
「ああ。あんたのことも、見たことがいる」
「ブリジアをさらったのはお前か?」
「ブリジアのためだ。ブリジアは、魔王の後宮になんかいちゃいけない。ブリジアは、人族を導く使命を持っている。特別な存在なんだ」
「ブリジア、ああ言っているが」
ダキラが、立ち上がったナギサを指差す。
指差しながら、逃げようとしていたキキョウの頭部を踏みつけて妨害した。
「……なんのこと? 私は……知らないわ」
「だそうだが?」
「そ、それは……まだブリジアが……」
ナギサの言葉を遮り、ダキラは言った。
「一つ聞く。勇者の多くは、魔王様の首を狙う。どうして、お前はブリジアを狙った? 魔王様の後宮にいる、数多い妃の1人にすぎないのだぞ」
ダキラは、ブリジアが特別な存在ではないことを強調したが、ただの妃をダキラがしっかりと抱きしめて離さないということはあり得ない。
「魔王は……敵だ。でも、それは、ブリジアを地下後宮に閉じ込めているからだ。魔王自身に恨みはない。ぼくは、ブリジアを守りたいだけだ。ブリジアが生きているだけではだめだ。ブリシムを守って、幸せになって欲しい。ぼくは、そのために異世界に来た」
「なら……」
「私が幸せではないかどうか、ちゃんと確かめるといいのでは?」
ダキラの言葉をさえぎり、ブリジアが言った。ダキラが言いかけた言葉を飲み込むのがわかった。言葉を選ぶ。
「……そうだね。私としても、ブリジアを守るために全てを投げ出すような奴は、多い方がいい。魔王様がブリジアを苦しめているかどうか……どうやって確かめさせる?」
「ソフィ、あれを」
「はい」
ブリジアの侍女ソフィが進み出た。
魔女の血を引く美女で、自らも魔術に傾倒している。
ブリジアの侍女になったのは、宮廷魔術師だったのを引き抜かれたのだ。
ソフィが差し出した小瓶を、ナギサは受け取った。
「……これは?」
「私を守ってくれるんでしょう?」
「ああ。命がけで」
「なら、飲んで」
「わかった」
ブリジアに言われ、ナギサは魔法の小瓶を飲み干した。
「……なるほど、そういうことね。ああ。ちょうど陛下がお迎えにいらした。陛下がいらした方向から、随分煙が上がっている。ひと暴れしたようだね」
ダキラは犬身族のキキョウを消し炭に変えた。
ナギサに対して興味を失い、豪炎を背負って現れた魔王ジランを、ブリジアに示した。




