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6 エルフのリンゴ

 〜来奇殿〜


 ブリジアは見晴らしの良い櫓の上で、固く丸いものを見つめて途方に暮れていた。


「エルフ族のリンゴか」


 ブリジアの頭越しに、青くごつごつとした手が伸びてきた。

 赤く丸く、硬いリンゴを鷲掴みにした。


「はい。私には、どうやっても食べられないのです」

「普通に食べれば良い」


 魔王ジランは、ブリジアの正面に腰掛けながら赤いリンゴにかじりついた。

 ブリジアは止めようとした。

 何度も挑み、歯が立たなかったからだ。

 だが、魔王は柔らかいイチジクでも食べるかのように、エルフのリンゴを噛み砕いた。


「歯が痛くなりませんか?」

「純粋な魔族には寿命がない。その意味を考えてみよ。病気もせず、怪我をしてもたちどころに癒える。噛み砕けないものは、かみ砕けるまで何度でも歯を修復させる。朕に食えぬものなどない」


 魔王は、ブリジアがついに食べるのを諦めた硬いリンゴにかぶりつき、最後には芯まで食べてしまった。


「エルフは、植物と会話できるとも言われている。本当か嘘かはわからんがな。果実も野菜も、栽培すれば限界までその力を引き出すことができるのがエルフ族だ。栄養豊富な野菜はますます栄養価が高まり、硬い果物はますます固く育てる。そういった特殊な植物の栽培が得意なのだ」


「どうして、コマニャス様は魔族の方にしか食べられないリンゴを売ろうと思ったのでしょう」

「なるほど。コマニャス公妃に売ってくれと頼まれたか?」

「い、いえ。ただ、私のせいで、皇后様にリンゴを売り込めなくなったので……」

「そのことは聞いている。粗相をしたそうだな」


 魔王は、鋭い牙が並んだ口元でニヤリと笑った。


「そ、粗相なんて……ちょ、ちょっとだけでございます」

「デジィが呆れていたぞ。小便臭い小娘だと思ったが、本当に漏らす女子など見たこともないと」

「し、知りません」


 ブリジアは、自分の顔から炎が吹き出るような錯覚を覚えた。魔王は笑いながら続けた。


「皇后の警戒を解いたのだ。悪い手ではなかった」


 魔王がブリジアを抱き寄せ、太ももの上に置いた。

 父である王より、はるかにたくましく、巨大な魔王の体は、大木にこしかけたように感じられた。

 魔王の外見は恐ろしい。王宮に飾られた鎧のように大きく、青い肌に赤い瞳を

 持ち、水牛を想像させる人相をしている。

 角は右側だけ長く伸び、左側は禍々しく螺旋を描いていた。


「私の侍女たちを、そんなに気に入られたのですか?」

「そう思うか?」


 ブリジアは魔王を見つめる。ブリジアも、王族として性教育は受けていた。王であれ貴族であれ、男であれば性欲は変わらない。それは、魔王も同じだろう。

 魔王は、ブリジアには手を出さないはずだ。

 まだ、ブリジアは子どもを産める体になっていない。


 魔王は、地下後宮にあるはずのない月を見つめていた。地下後宮に昼も夜もなく、天気の変化もない。

 だが、魔法により地上が昼であれば天井は明るく、夜であれば暗くなる。

 昼には太陽の代わりに明るい輝くスイカが移動し、夜には月の代わりに光るチーズが移動して時を告げる。

 常に球体のスイカと違い、丸いチーズは不規則に満ち欠けする。それは、天井に棲むネズミたちがかじるからだと言われている。


「違うのですか?」

「そなたが見たのは、初日の、はじまりの部分だけであろう。侍女たちが連れ出したからな。そなたの侍女たちは、生娘にしてはよく仕込まれている。朕を喜ばすためだけに仕込まれたのだ。そなたを守るためだとはいえ、楽しませてもらった。だが朕だとて、一人で寝たい時はある。望めば拒まぬと断言したため、妃は増えた。増えすぎた妃は、朕が一人で寝るのを許さん。皇后は、そなたがまだ子を産めないとは考えていなかった。朕が一人で寝たい時、ここに来るのが丁度いいのだ」


「では、陛下はずっと、一人で寝るために私のところに通われているのですか?」

「そうなるな。まあ、何日かは別だが」


 魔王が足繁くブリジアの部屋に来るようになって、一月が経過していた。

 その間、ブリジアはずっと魔王の夜伽の相手をしているのだと、ブリジアと侍女意外の者たちは思っている。


「私は、魔王様に私の祖国をお守り頂くために、祖国から貢がれたのです。魔王様のお子を産んでも、魔王様に変わって世界を支配することができるわけではないのでしょう。どうして、妃の皆様は子を欲しがるのでしょうか」


 ブリジアの問いに、魔王は笑った。


「真なる魔王は朕だけだ。だが、朕以外に四人の魔王がこの世界にいる。朕が一人で支配するには広すぎるのでな。いずれ、世界の全てを制圧したら、朕以外の七人の魔王がそれぞれの領地を治めることになるだろう。朕はその七人を統括し、支配する。七人の魔王は魔親王と呼ばれ、朕に封じられる。魔親王に封じられれば、その一族は人族の王家より強い力を持つことになる。もっとも、朕が支配し、魔親王を置く場所は、人族が住むには過酷すぎるがな」


 ブリジアはぽかんと口を開けた。

 魔王がブリジアの口を塞ぐ。


「自分の子を魔親王の一人に、というのが、大方の妃の願望だ。皇后だけは別だがな」

「皇后様は、本当に……」


 魔王をただ愛しているのだろう。ブリジアはそう言おうとしたが、魔王は頷きながら、別の反応をした。


「皇后だけが、この地下後宮で本物の魔族だ。朕と皇后の子どもだけが、寿命を持たずに生き続ける。朕が滅んだ後、魔王を継げるのは皇后の子どもだけだが、朕も皇后も寿命を持たない。朕が滅ぶ時が何千年後になるか、誰もわからん」

「今のお話は……妃であれば当然知っていることなのですか?」


「さあな。後宮のことを知るほどに、自然と理解できることだろうが……実際に知っている者がどれほどかは朕にもわからん。多くの妃が心配しているのは、実家のリンゴをどうやって売りさばこうか。そんなところだ」


 魔王の言葉に、ブリジアはコマニャスのことを思い出した。


「エルフのリンゴは、人族には食べられないのでしょうか?」

「そんなことはない。エルフ族は素材を加工しないため、人族より顎が強いが、エルフのリンゴは固すぎる。エルフ族も調理して食しているはずだ。だが、エルフ族は、エルフ以外の他種族がリンゴを生で食べることを知らん」


 そのために、コマニャスはリンゴを無償で配布したものの、食べ方までは教えなかったのだ。

 他の種族の妃たちが食べ方を知っているものだと思いこみ、あまりにも常識的なことを教えるのは失礼にあたると判断したのだろう。


「では、調理の仕方を教えれば、直ぐにでも買い手がつきそうですね」


 ブリジアは手を打った。いい考えだと思ったのだ。だが、魔王は鼻で笑う。


「生のまま食せるリンゴが簡単に手に入るのに、どうして調理しなければ食せないリンゴが必要なのだ? 調理して食べたければ、他のリンゴを調理しても味は変わらん」

「でも、コマニャス様はお困りなので……」


「そんなに困っているなら、魔族で買い上げてもよいがな。魔族なら、食えないものはない。それがたとえ、毒や石であってもな」

「それはいけません。私が魔王様に、コマニャス様のことを頼んだなんてことになったら……」


「そうだな。コマニャスの立場がなくなる。そのくらいは心得ているのか。人族の国の第一王女というのは、伊達ではないらしいな」

「はい」


 魔王は空を見上げた。月が真上にかかっている。

 実際には、空ではなく地下の天井であり、月ではなくチーズの塊である。


「エルフ族は、人族の真似をして商売を始めようとした。その結果、森の力を削り、精霊の力が弱まった。商売が順調なら、利益を精霊に還元し、それでもエルフ族は豊かになるはずだったが、現実はこんなものだ。コマニャスは、エルフ族の改革派の族長の娘だが、エルフ族を代表しているわけでもない。コマニャスに肩入れするのが、エルフ族のためにならんこともある」


「でも、コマニャス様が私に優しくなってくれれば、私は嬉しいです」

「コマニャスは、ブリジアに厳しいのか?」

「私は最下層の妃ですから。どの方も、私には厳しいです。来奇殿の方達だけでも、仲良くなれるといいのですが」

「そうか」


 頷くと、魔王は膝に抱いていたブリジアを下ろして立ち上がった。


「魔王様、どちらへ? お休みなら、侍女たちに準備させます。何人ご所望ですか?」

「いや。今日はコマニャスのところで休む。そんな顔をするな。余計なことは言わんよ。多少でも気が晴れれば、八つ当たりすることもあるまい」


 魔王は、真っ青な顔で笑う。誰もが恐れる魔王の口元から長い牙が覗いたが、これは笑顔なのだ。


「感謝いたしまちゅ」


 魔王の心遣いに感謝を伝えようとした時、魔王が自分の耳に手をあてながら、ブリジアを制した。

 そのため、言葉を噛んでしまった。わざとではない。


「何用だ?」


 魔王が、なにかと話している。

 遠方の相手と会話をする方法があることは、ブリジアも知っていた。この世界で、最も大きな権力を持つ魔王であれば、使用できないと考える方がおかしいのだろう。


「ああ。構わない」

「失礼いたします」


 魔王が許しを出した途端、櫓の欄干に影のような細い姿が現れた。

 魔王が妃と二人でいるのに、邪魔をするのは大変な失礼にあたるのだ。

 先程は、参上して構わないかどうかの許しを与えたのだろう。


「人族の国に、勇者が出ました。支給、魔王城にお戻りください」


 魔王の顔つきが、恐ろしい形相に変化する。

 世界は、魔王の元に統一はされていない。魔王を魔物たちの王であることすら、認めていない魔物たちの支配する土地はまだ多い。

 その上、人族の大勢や多種族の多くが、魔王の支配に反発している。

 その急先鋒が勇者であり、魔王そのものは勇者でなければ倒せないとまで言われている。


「ブリジア、例の件は後日としよう。至急対応が必要な公務ができた」

「はい。いってらっしゃいまちぇ。魔王様」

「無理に幼児言葉を使わなくてもよい。このシャドウテイルは、そなたを監視する役目ではない」


 魔王は言いながら、報告に来た影の魔物も指差した。


「ありがとうございまちゅ」

「頑ななやつだ」


 魔王は最後にかすかに笑い、来奇殿の櫓を飛び出した。

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