55 ブリジア救出隊
〜地下後宮 来奇殿〜
魔王ジランは、ブリジア貴女が拐われてから初めて、来奇殿を訪れていた。
難民への配給当日の責任者であったエレモア王妃を詰問したが、事前の調査以上のことはわからなかった。
皇后デジィは、エレモアに持たせた自らの生首でその場の状況を見ていたが、ブリジアが拐われる前に生首はただの金へと変わってしまった。
もし、転移に使用した魔法陣がその場に残っていれば、同じ場所に転移することは容易だったはずだ。
だが、魔法陣は見つからなかった。羊皮紙に描かれていたらしいので、転移する者が羊皮紙の端を掴んでいれば、一緒に転移してしまう。
ブリジア貴女の行方を掴めないまま、数日が経過していた。
「魔王陛下に、ご挨拶を」
庭園で草木の手入れをしていたエルフ族の侍女リーディアが膝を折る。
「コマニャスを呼べ」
「承知いたしました」
すぐにコマニャスが出てくる。真っ白い肌に白い髪をしたコマニャスは、好んで白い服を着る。
全身白づくめの普段の出立ちで、コマニャスは魔王に膝を折った。
「ブリジアのことで、何かわかりましたか?」
「ブリジアのことで来たのなら、コマニャスは呼ばん。慶事のことで来た」
「では、正殿にお越しください。陛下が好む菓子を用意してあります」
「朕の好みを知っておるのか?」
魔王ジランが問うと、コマニャスは微笑んだ。
「ハバネロという唐辛子を岩石のように固めた焼き菓子が好きだと、ブリジアから聞いたことがございます」
「それは、ブリジアをからかっただけだ。あれは、朕が好むものと同じものを食べようとする。朕が気に入っている菓子は、人族が食べれば死ぬものだとは答えられん」
「……食べようとはいたしませんが、どのようなものですか?」
「最近よく食べているのは、高純度のプルトニウムと呼ばれるものだが、人族には毒にしかならん」
「……はあ」
魔王はコマニャスに一瞥を投げかけた。
「だが、さっき言った菓子が嫌いなわけではない。ブリジアは悶絶していたがな」
「はい。リーディア、すぐに陛下のお茶を用意しなさい」
「直ちに」
遠くから帰ってくる返事に、魔王は興味を持った。
「朕のお茶か手……妃の宮殿で、まさかマグマを用意できまい。何を準備しておる?」
「硫酸です。硫黄で香り付けをしております」
「そうか。王水であればなおよかったが、あれはデジィが嫌がるのでな」
魔王は言いながら、本殿に向かった。
王水は、金をも溶かすと言われる液体だ。
魔王の背後で、コマニャスが侍女リーディアに尋ねていた。
「冗談のつもりだったのに……用意できる?」
「できるはずないじゃないですか」
「急いで、探してきて」
「無茶ですよ。コマニャス様、魔王様に謝罪してください」
「嫌よ。ブリジアがいなくて不機嫌なのに、怒らせられないわ」
「だったら、冗談なんて言わなければいいのに……」
エルフ族の侍女リーディアは、ぼやきながら駆け出していく。
魔王は全ての会話を耳に入れながら、あえて何も言わなかった。
※
正殿の際奥の席に腰掛け、魔王は近くに腰を下ろしたコマニャスに告げた。
手元には、ハバネロを練り込んだ岩石のように硬い煎餅が置いてある。
魔王は軽く口に入れ、噛み砕いた。
「コマニャス、慶事を取りやめる」
魔王の発言に、コマニャスは耳を疑った。
「では、新しい妃の入内はなくなるということでしょうか?」
「いや。先方は、すでに魔王領に向けて出発している。今更、受け入れを無かったことにはできんだろう」
「ならば……」
「この度は、エレモアに譲れ。ランディとリルトは、すでに申し出を取り下げることに同意しておる。引き取る宮殿の候補が耐火殿だけなら、慶事にはならん」
魔王は静かに言った。
見た目にはわからない。だが、魔王は疲れているように見えた。
魔王が疲れることなど、聞いたこともない。だが、魔王は憔悴しているように見えたのだ。
「エレモア様は取り下げないのですか?」
「ああ。エレモアは、先の人族の配給所の件で功績を上げた。新しい妃を引き取りたいなら、無理に下げさせることはできない」
「……ブリジアが失われたのにですか?」
「そうだ」
魔王の言葉は、重く響いた。
「助けを求めて集まった人族が、全滅したと聞きました」
「朕は魔王だ。それこそが、功績である」
「やったのはデジィ様とも」
「その機会を作ったのは、エレモアだ」
コマニャスは、組み合わせた手を固く握った。
悔しいのだ。最も早く、次に入内する人族の妃を引き取りたいと申し出たのは、コマニャスなのだ。
「……陛下、ブリジア貴女の手がかりはございましたか?」
「無いが……それが関係あるか?」
ブリジアは、立場上数多い妃の1人に過ぎない。
妃1人が誘拐されたとして、大幅に予定を変更することは通常あり得ない。
だからこそ、魔王自らが各宮殿に足を運び、宮殿の主人を説得しているのだ。
「では……決める前に、ブリジアの侍女たちをお尋ねください。もし陛下がいらしたら、必ず足を運ぶように伝えてほしいと、侍女たちから嘆願されております。もし、それでも陛下のお気が変わらないようでしたら、私も諦めます」
「……そうか。侍女たちに会って、何が変わるとも思わんが、それでいいのだな」
魔王の問いに、コマニャス公妃は静かに首肯した。
※
ブリジア貴女の侍女たちは、魔王ジランにとって特別である。
魔王と情を通じた侍女はいない。そのような侍女は、妃に昇格するからだ。
だが、実際には全員が魔王と情を通じていながら、全てを主人であるブリジアの行いとすることで、ブリジアを守ると決めた者たちだ。
そのために、ブリジアの祖国は妃に引けを取らない、才色兼備の人族を選りすぐって仕えさせた。
魔王ジランは、ブリジアに甘い自覚はあるが、侍女たちまで特別あつかいするつもりはなかった。
自らを律しながら、魔王はブリジアの部屋を訪れた。
扉を開けると、ブリジアの、現在では7人になった侍女たちが、全員同じ白い服をまとい、跪いていた。
「朕を呼びつけて、何の真似だ?」
魔王が恫喝するように声を出す。
大抵の人族は、これで心を砕かれる。
跪いていた侍女たちは、一斉に平伏した。
平伏しながら、一番前にいた侍女が言った。
魔王は、ブリジアからテティと紹介されたことを覚えていた。
「魔王陛下、我が主人ブリジア様を、お助けください」
「朕が、我が妃を見殺しにするつもりだとでも思っておるのか?」
「いいえ。しかし、本気では探されないでしょう」
「どういう意味だ?」
魔王は、侍女たちとはいえ、この場に居る全員と情を通じている。
だからといって、侍女に対して甘い態度はとれない。魔王の声に怒気が混ざる。
恐れを感じていないはずはない。だが、侍女たちは引かなかった。
「後宮のことは、魔王様の私事、地上で活動するのは魔王としての公務です。地下後宮の者が地上に出ても、陛下は本気で探すことは、立場上お出来にならないはず。かつてクリスが拐われた時、ブリジア様はそうおっしゃいました」
「……貴様たちの主人は、賢明だな」
「そこを曲げて、お願いいたします」
「魔王軍を、ブリジアを助けるためだけに動かせと申すか。貴様ら、その意味をわかっておろうな」
「全員、覚悟はできております」
「死罪を恐れぬというのか?」
全員が一斉に体を起こした。それまでは、額を床に擦り付けたまま話していた。
全員の手が、小刀を抜いた。
逆手に構えた。
「待て! 早まるな! ブリジアが戻った時、貴様らが全員死んでいたら、どれほど悲しむと思うのだ!」
テティは小刀の先端を腹に当てたまま、動きをとめていた。
目から涙が溢れ、伝い落ちた。
涙を拭おうともせず、流しながらただ口だけを動かした。
「かつてブリジア様は、私たちを救うために祖国を売り、何日も泣き続けていました。私自身、デジィ様を怒らせ、殺されるところを救われております。地下後宮にいる私たちが、ブリジア様のためにできることは他にありません」
「しかし、魔王軍を全軍動かしたところで、ブリジアが見つかるとは限らん。もとより、親衛隊に捜索させておる。魔王軍全軍を動かせば、世界を滅ぼせるのだ。そのような戦力でブリジアを探せば、か弱いブリジアは、ただの巻き添えで焼け死ぬかもしれん」
魔王がブリジアを探すために、大参謀ダキラを動かせずにいることは事実だ。
世界を覆う魔力を有する魔女シレンサが見つけられない以上、ブリジアはかなり遠い場所か、魔法的に隠されている可能性が高い。
大参謀ダキラであれば、世界中の音を聞き分けることができる。
すでに、ダキラ自身から、ブリジア捜索を許可してほしいと申請されている。
魔王は、それを却下した。
迷いがなかったわけではない。だが、魔王と魔王軍は、そう簡単に動かすべきではない。
「……すでに、シルビアは主人が連れ去られたために死にかけています。ブリジア様がもし戻られないなら……私たちも、同じように……」
「早まるな。ところで……シルビアとは誰だ? ブリジアの侍女に、そのような者がいたか?」
ブリジアの侍女で、魔王の手がついていない者はいない。そのはずなのに、聞き覚えがない。魔王は、そのことから違和感を持ったのだろう。
「魔王様から頂いたと、ブリジア様は嬉しそうに話しておりました。ただ、ブリジア様からしか餌を食べないので……ブリジア様の日課が増えましたが」
魔王は、しばらく思い出せなかった。
ブリジアからしか餌を食べない。そう言われて、突如思い出した。
「ユニコーンか!」
「……ユニコーン……で、よろしいのですか?」
「いや。バイラコーンだ。角が2本あるだろう。ユニコーンではない。だが……ユニコーンは、一度主人を決めると、主人が死ぬまで尽くす。主人が困っていれば、どんな時でも駆けつける。主人の居場所を感じ取る能力に長けておる。地下後宮では無理だ。岩をすり抜ける能力でもなければ、主人の元に行くことはできない。テティ、シルビアを連れて……できないのだったな。案内しろ。外に出す」
「陛下、お待ちください。シルビアを外に出して、誰かが後を追わなければ、また同じことです」
「朕が追う」
「では、我々も同行いたします」
魔王は、驚いて侍女たちを見つめた。
侍女たちは見つめ返す。誰も、引き下がりそうにない。
「馬車の操作ができる者は?」
ブリジアの侍女たち、全員が手をあげた。
「戦闘の訓練を積んでいる者」
同じく、全員が手をあげた。
「魔法に対して抵抗がある者」
結果は同じだった。
「……さすがは、選りすぐりの才女たちか。3時間後に後宮を出る。馬車は朕が用意する。荷物をまとめよ」
「はい」
7人の声が揃う。
魔王は苦笑し、外で待っていた魔王親衛隊第一部隊の総督を呼びつけた。
「ガギョク、朕は地上に行く。私事である。干渉は不要。ダネス、ダキラ、デジィに、あとは任せると伝えよ」
「承知いたしました」
ホムンクルスのガギョクが走り去る。
荷物をまとめ始めた侍女たちをそのままに、魔王は部屋を出た。
「陛下、侍女たちはどうしました? まさか、全員死なせたのでは?」
心配していたのか、外で待っていたコマニャスと出くわした。
魔王はエルフの肩を叩いて言った。
「新しい妃がくるのは、何日後だ?」
「予定では、15日後でしたが……」
「それまでには戻る。ランディとリルトの申請は却下する。エレモアに、予定通り慶事の支度をするように伝えよ。内容は、妃たちに任せる」
「えっ? それは……ブリジアを、見限ると……」
コマニャスが青い顔した直後、ブリジアの部屋の扉が、蹴破られる勢いで開いた。
「陛下、シルビアのところに案内いたします」
全身を鎧で包んだレガモンだった。
「おお。勇ましいな」
「コマニャス様、全員、陛下のお供で不在となります。ブリジア様の荷物、盗まないようにお願いします」
「盗まないわよ。失礼な! 待って。ブリジアの居場所がわかったの?」
「ああ。生きていればな」
魔王は笑った。だが、今まで魔王の怒声に耐えていたレガモンが、その声に怯えた表情を見せる。
魔王は、もしブリジアが死んでいたら、周辺にいる生物を全て滅ぼすだろう。レガモンはそう確信していた。




