54 巨大生物と戦う人族
ブリジアは、広い座敷にいた。
床は、草を編み込んだ不思議な高い絨毯で覆われていた。ヤマトの国では畳と呼ぶのだと、後で知ることになる。
背後に勇者ナギサがいた。
勇者ナギサに連れられて転移した先が、畳のある広い座敷だったのだ。
一面が畳で覆われているが、ブリジアとナギサが転移した場所だけ滑らかな石が嵌め込まれ、魔法陣と思われる紋様が刻まれている。
ブリジアは、これが転移の魔法陣なのだろうと推測した。
「ナギサ、遅いぞ」
座敷の奥から、年季の入った顔をした人族が言った。
「間に合っただろう? どんな状況だ?」
ナギサは普通に話しかけている。ブリジアは、その人物を凝視した。
「上陸された。すぐに出撃して、直接叩け」
「この子を頼む。頼めないなら、連れて行く」
「連れて行かせるはずがないでしょう。子どもに危害は加えないわ。あなたがブリジアね?」
ナギサのそばに立った、黒髪の細い女性が話しかけた。
ブリジアは上を向き、問われたことに女の視線で気づいた。
「……はい。あの、ここは……」
「説明していないの?」
「ヤマトだということと、魔王軍と戦うための基地だとだけ言ってある」
「そう。なら、詳しい説明はしておくわ」
「頼みます。キキョウ博士」
ナギサはブリジアの頭に手を置いた。
「ちょっと行ってくる。心配はいらない。僕のことも、君のこともね。ここにいてくれ」
「……うん」
ブリジアの返事に笑みをこぼし、ナギサが走り出した。
ブリジアは、ナギサを見送らず、首を巡らせた。
場所は広い座敷だが、壁も天井も、全て大きな画面に囲まれ、外の光景を映し出している。
画面の外側にある枠線が見えていなければ、露天と勘違いするところだ。
いくつもの人影があり、手に持てるサイズの箱に話しかけている。
ブリジアは、キキョウと呼ばれた人物を見上げた。
「どうして……」
あまりにも突然のことに、何を聞いていいかわからなかった。ブリシアは尋ねようとして口ごもる。キキョウが察した。
「この場所は、ヤマトを魔王軍から守るための前線基地で、ナギサはこの基地の最高戦力よ。ほらっ、これから出撃するわ」
キキョウが手をかざし、画面の一部が切り替わる。
その画面の中では、勇者ナギサに人族の人々が何かを貼り付けていた。
人々が離れた。
ナギサが、金属的な覆いに包まれていた。
「凄いわね。身長10メートル、人型……これまでの最高記録ね」
「目的を果たしたことが大きいのでしょう」
キキョウの呟きに、近くの画面を覗き込んで指示を出していた男性が振り返った。
何やら嬉しそうだ。
「そうかもしれないわね。これから、ナギサはまだまだ成長するわ」
キキョウが、ブリジアに笑いかける。どうして笑いかけられたのか、ブリジアには分からなかった。
「成長してもらわなければ困る。魔王は、こんなものではない」
座敷の奥に座っていた、年老いた男が評した。
「どうして……」
ブリジア再び問おうとした。さっきは、何を聞いていいかわからなかった。今度は尋ねたいことがあった。キキョウの意識は、ブリジアには向いていなかった。
「ナギサ、標的は衝撃に強いわ。100ミリ砲の榴弾で傷も付かなかった。装備は5番にしなさい。消耗が激しいでしょうけど」
『了解しました』
「それから、ナギサの前世の情報から、標的をジーラと呼称します」
『ははっ。そりゃいい』
ナギサが笑って返した。ナギサの前世は巨大生物なのだろうか。
ブリジアのことは、誰も気に留めなかった。
それどころでないのだろう。巨大生物とは、それほどの脅威なのだろう。
ナギサは、身長10メートルの巨人となって基地から飛び出した。
まるでロボットのようだとは、ロボットを知らないブリジアは思わなかった。
ただ、似ているのはブリジア人形を作ろうとして失敗した、ドワーフ族のドロシーが作成した人形だ。
「ナギサが出たわ。一斉砲撃。10秒後に砲撃やめて。ナギサ、聞いているわね」
『了解』
ナギサの答えと同時に、画面上で人型が武器を取り出した。
長い鉄の棒のように見えるが、その先に、紫色に光るヤイバが出現している。
「支援部隊、出なさい」
『支援部隊、出ます』
キキョウの呼びかけに、先ほど返事をした男が繰り返す。
ナギサの足元に、体長2メートルほどの、無数の足をもった昆虫のような物体が10体ほど、わらわらと歩いて移動している。
「あれでも、この国のエリートたちなのよ。ナギサが規格外なだけで、普通の人間では、あれ以上の形状にも、大きさにもできないわ」
「……蜘蛛型ですか?」
「ええ。そう見えるでしょうね。アームスーツって呼んでいるわ。体に埋め込んだ魔力石に魔力を流すことで、全身を覆うスーツを作り上げる。普通は、自分の体を鎧のように覆うので精一杯よ。ああして別の姿に成れるのは、一部の限られた人だけなの。普通の魔物相手なら十分な戦力でも、相手が魔王軍では、力不足だけどね」
ブリジアに教えるように、キキョウは説明する。
「でも、どうして……」
「砲撃が止んだ。始まるわ」
キキョウが画面を指差した。
ジーラと呼称された巨大生物が、砂浜に上がろうとする。
勇者ナギサが身につけたアームスーツは、銀色の肌をした人型で、10メートルほどの巨人だという。モニター越しでは、大きさまではわからない。
巨人には亜人と魔物がいると言われている。亜人としての巨人は身長が3メートル近いが、それ以外は人族と変わらず、文明を持ち魔王領の西側の集落にいる。
魔物としての巨人は身長10メートルを超え、人族に似た風貌をもつが知能は猿に劣ると言われている。
魔王領の低い場所に住み着いており、巨人の集落は魔王領の難所の一つとなっていると、ブリジアは聞いていた。
変化したナギサの周りに、数十を数える蜘蛛型のアームスーツが展開した。
ナギサが持っているのは、長い棒だった。
アームスーツの一部なのだろう。先端がヤイバではなく、赤い光が明滅していた。
ナギサが突進する。
巨人級の大きさになっといっても、ジーラの体高は50メートルある。
ナギサが砂を蹴った。
ジーラの頭部に迫る。
空中で姿勢を変え、ナギサが巨大生物に持っていた棒を叩きつける。
ジーラの皮膚が裂け、血が流れる。
ジーラが口を開けた。
「あっ……危ない」
「ブリジアちゃん、どうしたの?」
ジーラが大きく口を開けた。ナギサが立ち向かう。
その瞬間、ジーラの口から吐き出された青白い炎に、ナギサが貫かれた。
『うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
「嘘! 火を吐いた? 生物じゃないの?」
キキョウが絶叫していた。
「ナギサの生命維持を最優先だ」
「了解。生命維持に全魔力を回します」
奥に座っていた年嵩の男が命じ、石板で操作していた若い男が応じる。
『待って下さい! 僕は大丈夫です』
画像の中のナギサが答えた。ブリジアがいる部屋の音声が聞こえているかのようだ。
「危険よ。一旦下がりなさい」
キキョウが命じる。どうやら、本当に聞こえているらしい。
だが、ナギサは下がらなかった。
ナギサの接近に、ジーラが足を止めていた。
蜘蛛型のアームスーツが、3人まとめて吹き飛ばされた。
ジーラが長い尾を振り回したのを、ブリジアは見ていた。
ナギサは尾を回避する。
背中に回り込んだ。
ジーラはナギサのみを敵と狙い定めたようだ。
ナギサの動きを追い、首を動かした。
「ナギサ、炎が来るわ!」
「ううん。こないよ」
「ブリジアちゃん、どうしてそんな……」
ブリジアが答える前に、ナギサをジーラが噛みつこうとして、空振りした。
上下の顎がけたたましい音を立てる。
「スパイダー部隊、目標に張り付きました」
「始めろ」
「注入開始」
男たちのやり取りの意味を、ブリジアは画面で理解した。
ジーラの体表に、蜘蛛型のアームスーツが張り付いていた。
しかも、一体ではない。
出撃した蜘蛛型が、ほぼ全てジーラの体表に張り付いたのだ。
蜘蛛型たちが大きく尻を振り、しがみついたジーラの皮膚に叩きつける。
「何を注入しているの?」
叩きつけた尻の先端に、針が見えていた。本物の蜘蛛であれば、糸を出しているのだろう。
「毒よ。どんなに大きな生物でも、致死量はあるはず」
キキョウは冷酷に言った。
ナギサがジーラから離れる。
ジーラは動きを止めていた。
遠くを見ているように動かない。
ナギサは、武器を変えた。
持っていた棒を真ん中で折り、2本の光のヤイバに変化させた。
「ナギサ、やめなさい。決着はついたわ。無理をする必要はない」
「いえ。やらせて下さい。毒で死ぬ前に逃げるかもしれない。ここで殺しておかなければ、いつまたチャンスがくるかわかりません。司令、お願いします」
「許可する」
奥に座っていた男が言った。キキョウが振り返って睨んだが、男は表情を変えなかった。
「トウヤ、ナギサに魔力を注入」
「やっています」
どういう仕組みか、現在のお座敷から魔力を注げるらしい。
ナギサの持つ光の剣が、剣の光が、眩いほど輝き出す。
ナギサが砂浜を蹴った。
ジーラは動かない。
ナギサの剣が、ジーラの腹部に吸い込まれる。
血が飛び散った。
ナギサは、突き立てた剣をさらに動かそうとした。
ジーラが向きを変える。
海に飛び込んだ。
「全員離脱!」
キキョウが叫ぶ。
ナギサが飛びすさり、ジーラに張り付いていた蜘蛛型スーツが離れた。
ジーラが飛び込んだ海面が暴れる。
アームスーツは水に浮くらしく、海面に蜘蛛型が浮き上がっていた。
「勝ったな」
司令と呼ばれた男の声が、座敷に響いた。
「……ねぇ、どうして……」
全員が安堵していた。その空気を察し、ブリジアは何度も尋ねようとして、遮られていた質問を投げかけた。
「どうしたの、ブリジアちゃん。さっきから、何を聞きたかったの?」
先ほどまでの厳しい表情とは別人のように、キキョウが柔らかく尋ねた。
ブリジアは聞いた。
「どうして、魔族の方が人間のふりをして、魔物でもないただの生物と戦っているんですか? 魔王様にお願いすれば、すぐに片付くのに」
「ブリジアちゃん、ちょっと、お話しましょうか」
キキョウの笑みに、ブリジアはなぜかデジィを思い出していた。




