52 黄金の惨劇
炊き出しの配給場所で声を荒げていた人族は、レガモンが飛び込んだことに嫌らしい笑みを浮かべた。
胸元に伸ばされた手を、レガモンは問答無用で弾き飛ばし、さらに男の顔面を殴りつけた。
騒然とする人族の男たちに、レガモンは指一本触れさせず、叩きのめした男たちで人垣を作った。
ブリジアの黄色い声援が飛ぶ。
「ブリジア、シリアに抱かれてご満悦のところを邪魔して悪いけど、せっかくのスープが冷めるわよ」
ブリジアが振り返ると、真っ赤な髪を肩に垂らしたエレモアが見下ろしていた。
「ご、ご満悦じゃありません」
「ブリジア、私に不満があるの?」
シリア侯妃は、ブリジアの頭に大きな胸を乗せた。
ブリジアは抗議の声を上げる。
「ち、違います。そういうことではなくて……難民の中に、文句を言う人たちがいて、混乱しているんです」
「そう? 私には、ブリジアの侍女が暴れているように見えるけど……ブリジアの侍女は不思議ね。どの子も、妃でもおかしくないほど顔立ちも姿も際立っているのに……ブリジアのことが大好きなのが、見ていてわかるわ」
「レガモンが好きで暴れているわけでは、あっ、危ない!」
難民の中に、武器を持っている者がいた。
レガモンの頭上に、大鉈のような武器が振り下ろされる。
レガモンは、背に隠し持っていた短剣で受け止める。
弾き返した。
レガモンを狙った男は大きく後退する。
難民たちは、レガモンを中心に円を描いた。
大部分は、レガモンを恐れて後退したのだ。
ただ、本格的に武器を持った男がひとり、前に出た。
先程、レガモンに大鉈で切り付けた男だ。
まだ若い。黒髪に黒い目をした、可愛らしい顔つきの男だった。
幼いようにも見えるが、筋肉は発達しており、子供ではないだろう。
「あらっ……本格的に戦い始めるのは頂けないわ。死人が大量に出たら、私の責任になってしまうわね。皇后様は喜ぶでしょうけど、難民に止めを刺しにきたわけではないもの。ああ……あれを使いましょう」
エレモアは言うと、食事が並んだ机に戻っていく。
「シリア様、エレモア様は何を使うのでしょうか?」
「さあ。皇后様から、困ったら開けるように、木の箱を預かったと言っていたわ」
シリアが答える間に、エレモアが木の箱を抱えて戻ってきた。
「皇后デジィ様から、今朝もいだばかりだと言って渡されたの。きっと、鎮静剤の成分を含む、植物の実だわ」
「ああ。それは素敵ですね。さすが皇后様」
ブリジア感心して頷いた。
「キャアッ!」
だが、エレモアは木の箱を開けると同時に、悲鳴をあげて取り落とした。
箱の蓋が開き、床に転がる。箱の中から飛び出したのは、金色に輝く、生首だった。
「エレモア、失礼よ」
「しゃ、喋った!」
エレモアはへたり込んだ。
木の箱の中に収まり、床に転がったのりは、間違いなく皇后デジィの生首だったのだ。
「皇后様、どうしてこんな姿に……」
生首は、ブリジアの足元に転がってきた。ブリジアはデジィの生首を両手で掴み上げる。
「今朝もいだのよ。ブリジア、何があったの? 説明しなさい」
「直接ご覧になった方がいいかと思います」
「ええ。わかった。任せるわ」
デジィの承諾を得て、ブリジアは黄金の生首を難民たちに向けた。
汚れた人族たちが、群れを成している。
騒動に生じ、もはや列を成してはいない。
並べられた食糧に、我先にと群がっている。
レガモンと男が戦っているが、それは全体のごく一部だ。
大部分はむしろ混乱に乗じて食糧を奪い取ろうとしている。
「見苦しい。こんな汚らしい生物でいるより、黄金に変えるべきね」
ブリジアは、両手で捧げたデジィの生首が、熱を持つのを掌の温度で察した。
何かが起こる。
ブリジアは、恐ろしくなった。だが、デジィの生首を落とすわけにはいかない。
「レガモン! 私の後ろまで下がって! 危ないわ!」
ブリジアの必死の叫びに、レガモンは即座に反応した。
レガモンが配給所にいるブリジアの背後まで戻ったのと同時に、それは起きた。
ブリジアが持っていられないほど、デジィの生首は高熱を発した。
地面が、つまりデジィが見ている景色が、金色に輝いた。
次の瞬間には、全てが黄金に変わっていた。
数十万人、被害人数はそう語られる。
皇后デジィの前に、数十万人の人族が一瞬で黄金に変わった。
「ああ……せめて、美味しそうになってよかったわね。エレモア、食糧庫に運ぶよう、ホムンクルスたちに命じなさい」
「……はい」
人族にして最高位の王妃に位置するエレモアすら、へたり込んで言葉もなかった。
デジィは言うと、形を崩した。
ブリジアの足元に、デジィの頭部と同じだけの質量の黄金がわだかまった。
「レガモン……無事?」
ブリジアは、自分の声が、どこか不自然な場所から漏れているように錯覚を覚えた。
あまりにも、現実感がなかったのだ。
「はい」
振り返る。先ほどまで激しく戦っていたレガモンまで、真っ青になっていた。
「私たち……難民を助けに来たのに……みんなに喜んでほしかっただけなのに……みんな、死んじゃった」
「ブリジア様、これが、魔王の妃というものです」
ブリジアは、体の震えを抑えられなかった。
レガモンに抱き寄せられる。
しばらく、レガモンの胸に押しつぶされそうになりながら、震えていた。
「数万人の人族を一瞬で黄金に変えた……何かの間違いだと思いたいが……」
「あなたは?」
妃たちも侍女たちも、ホムンクルスさえ、輝く大地となった人族の姿に言葉を失っていた。
声を発したのは、レガモンと激しく戦い、レガモンと同時にどうやら避難したらしい人族の男だった。
ブリジアの問いに、男は膝をついた。
「やっと逢えた。君がブリジアだね」
男は、まだ幼いと思えるような顔つきで、はにかんだ笑みを見せた。
数十万人が一瞬で死んだ時に見せる表情ではなかった。
「……誰なの?」
爽やかな笑みを、この状況では薄気味悪く感じ、ブリジアは身を引いた。
「ナギサ……って言って、わかるかな?」
「ブリジア様に触れるな!」
名乗った男に、レガモンが殴りかかる。
レガモンも一流の騎士である。ナギサと名乗った男は避けず、殴られながら、ブリジアの腕に触れた。
「えっ?」
引こうとしたブリジアの腕が動かない。ナギサの手に、しっかりと掴まれていた。
「こいつ、離れろ!」
レガモンが蹴り上げるが、ナギサはあえて打撃を受けているように動かない。
胸元から、一枚の羊皮紙を取り出した。
「前の時は失敗した。けど、もう間違えない」
ナギサが言った。途端に、ブリジアはナギサが何者なのか理解した。
かつて、地下後宮に潜り込んだ男がいた。
生殖器を切り落とすことで、男であることを誤魔化し、ブリジアに魔法の髪留めと転移の魔法陣を授けた。
魔法の髪留めは、侍女たちと共有し、結果として勇者により、ブリジアの侍女クリスがさらわれた。
ナギサが、羊皮紙を広げる。
魔力を注ぐのがわかった。
「レガモン! 離れて!」
ブリジアであれば、どこに連れて行かれようが、魔王が助けてくれる。
そう信じられるだけの関係を築いてきた。
だが、侍女は違う。実際の伽を魔王としているのが侍女であれ、数多い人族の女性の1人に他ならない。
ブリジアは、短く弱い手で、レガモンを突き飛ばした。
ブリジアの力で突き飛ばせるはずはなかった。だが、ブリジアはレガモンを死なせたくなかった。
かつて連れ去られたクリスは、まだ戻らないのだ。
レガモンは尻餅をつき、呆けたように主人を見た。
ブリジアの胴体を、勇者ナギサが抱いた。
「ブリジア様ぁーーーーーーっ!」
叫ぶレガモンの声を聴きながら、ブリジアは勇者とともに、どことも知れない場所に転移していた。
〜憩休殿〜
魔王ジランは、魔王親衛隊第一部隊の総督であるガギョクから、奇妙な報告を受けていた。
「人族の被害、およそ30万だと? エレモアは、救済に行ったのではなかったのか?」
報告したガギョクが腰を折る。
「その筈です。食糧の配給を行い、結果として人族30万が死にました」
「毒でも食わせたのか?」
尋ねながら、魔王は湯呑みの蓋を開け、煮えたつマグマを啜った。
魔王を殺せる毒が存在するかどうかは知られていない。それ以上に、マグマの中で有効な毒が見つかっていない。
魔王が湯呑みを置くと、辛うじて形を保っていた湯呑みが、溶けて流れ出した。
「ミスリル製の湯呑みは、やはり熱に弱いようだ。つぎはオリハルコンにせよ」
「承知いたしました、陛下。人族30万人は、ことごとく金塊となって死んだようです」
「ならば、デジィの仕業か。朕を恐る人族が増えるなら、重畳だ。問題はない」
「しかし陛下、混乱に乗じて、陛下の妃がひとり、行方不明です。現場には、転移の魔法陣が描かれた羊皮紙が残っており、さらわれたものと見られます」
「今回参加した妃は、全員が純粋な人族だと聞いているが」
「はい。間違いございません」
「……ふむ。希少な種族なら誘拐するのもわかるが、どうして人族の妃をさらったのだ? 恨みを買うほど、妃たちは外の地上とは関わりがないはずだが」
「理由はわかりませんが、その場に居合わせた侍女の証言からしても、さらわれたのは間違いありません」
「転移魔法の羊皮紙と言ったな。転移魔法の設置は、寿命を持たぬ魔族しかできぬ筈だ」
魔王の問いに、ガギョクは険しい表情で答えた。
「正しい魔法陣を描く知識があれば、魔族の方でしたら設置することはできます。転移の魔法陣は、高値で取引されるそうです」
「魔族の中で、人族の金欲しさに転移の魔法陣を売った者がいるということか。嘆かわしいことだ。それで、さらわれた妃というの誰だ?」
ガギョクは、魔王ジランを見つめた。言った後の反応を心配しているかのように見える。
魔王ジランは答えを待った。
ガギョクが告げた。
「ブリジア貴女です」
魔王の使用している、この世界で最も頑丈なはずの机が、真っ二つに割れた。
重い机が左右に倒れる。
「デジィを……いや、あれでは話にならん。エレモアを呼べ!」
魔王の怒号に、宮殿全体が揺れた。




