47 宮殿の主人たち
〜永命殿〜
来奇殿のコマニャス公妃は、長殿会に出席していた。
長殿会は、皇后デジィが主催する定例会で、宮殿の主人たちが出席する。
妃の数が多く、妃全員を集める意味もないため、主人たちだけを集めて定例会を行っているのだ。
妃たちの住む宮殿は皇后デジィの住む永命殿を含めて九つあり、定期的に9人の妃が集まることになる。
各宮廷の主人は皇后、王妃、公妃と呼ばれる最上位の妃たちであり、王妃や公妃は自動的に宮殿の主人になる。
皇后は1人、王妃は3人、公妃は5人というのが、現在も維持される通例だった。
皇后デジィを際奥に、各宮殿の妃が二列に向かい合って並ぶいつもの配置に座ったコマニャスは、正面の獣雷殿ランディ公妃に笑いかけた。
ランディは虎の半獣半人の亜人族で、獣雷殿の妃は全て亜人族だ。
王妃や公妃に一定数亜人族が混ざっているのは、純粋な人族と亜人族を一緒に暮らさせることによるトラブルを避けるためだと言われている。
皇后デジィは最後に顔を見せる。
それまでは、各宮殿の主人たちにより、互いの腹の探り合いをすることになる。
「ランディ、お茶会では残念だったわね」
笑いかけたコマニャスに、ランディは不機嫌さを隠そうともしなかった。
「ふん。ブリジアの移籍がうまくいかなかっただけだ。皇后様の手を頂いた。同じ重さの金よりも高値で取引される。目的は果たしたようなものさ」
「ちょっと待ってよ。皇后様の片手よ。売ったの?」
後宮を支配する皇后は、誰もが敬意を払う。その片手を下賜され、直ぐに売り払うという行為をコマニャスは責めた。
「売ったさ。そうしないと、妃たちの実家に仕送りができない。あたしらは、一族を救うために後宮にきたんだ」
「それは……」
コマニャスも同じだ。むしろ、後宮にいるほぼ全ての妃が一族を背負っている。
コマニャスが言い返そうとした時、奥の扉が開いた。
「デジィ様がお見えになります」
皇后デジィ専属の侍女、蛇身族のパメラが声を張り上げた。
人族の部分が3割以下しかない種族を一般に魔族と呼ぶが、パメラは体の全てが鱗状の皮膚に覆われている。
ただし、他の生物の特徴を持つ種族は、純粋な魔族とは見做されない。地下後宮でも純粋な魔族だと見做されているのは、皇后デジィと皇太后ミスディの2人と、魔王ジランだけだった。
皇后デジィが静かに扉から入ってきた。
各宮殿の主人が一斉に立ち上がる。
「皇后デジィ殿下にご挨拶を申し上げます」
8人の声が揃った。
皇后デジィは頷きもせず、自分の席の前に立ち、一堂を見回す。
妃たちが敬意を示すため、床の上に膝をつく。
皇后が僅かに左手を上げる。
コマニャスは、皇后の左手は、ランディ公妃への褒美として切り落とされたところを見ていた。
だが、現在は何事もなかったかのように生え変わっている。
全員が皇后への感謝を述べて立ち上がる。
「座りなさい」
「皇后様に感謝を申し上げます」
やはり一斉に口にすると、皇后が腰掛けるのを待って椅子に座る。
皇后デジィの登場から、ここまでの流れが全て毎回同じように繰り返される。
「皆、変わりはない?」
「皇后様、近頃陛下のご来訪がございません。まるで冷宮にいるようでございます」
発言した妃に対して、コマニャスは口元が緩むのを我慢できなかった。
デジィが答える。
「陛下は、あれでお忙しいのよ。数年間、後宮に一度も来なかったこともある。陛下が手を緩めると、暴れ出す魔物がまだいるわ。世界が滅びを迎えずに済むよう、陛下を煩わせてはならないわ」
「申し訳ありません」
「だけど、現在は後宮に足を運べないほどではないはずね。陛下には伝えましょう」
「ありがとうございます」
発言した妃が頭を下げる。皇后はただ伝えるとだけ告げ、その結果までは責任を取らない言い方をしたが、皇后の魔王への影響力はよく知られている。
「皇后様、ブリジアはまだ永命殿にいるのですか?」
ランディが声を上げる。
妃たちが一斉に顔を歪めた。
「いいえ。陛下の命で、来奇殿に戻されたわ。永命殿に人族を置くのは危険だと思われているようね。しかも、傑女から貴女に昇格させるおまけ付きでね」
「ブリジアといえば、皇后様に粗相をしたと話題になりましたが……」
発言したのは、真っ赤な髪をした絶世の美女エレモアだった。王妃の地位にあり、人族で最も高い位にある。
皇后デジィに継ぐ地位でもある。
「済んだことだわ」
「現在、陛下の寵愛を独占しているとも聞きますが」
リルト公妃が口を挟んだ。老練殿の主人で、かつてブリジアを監禁したことがある。
「それが本当かどうか、コマニャスに聞くのは規則違反ね。陛下がどの宮殿を訪れているのかは、全員に知らされる。でも、その中で何をしているのかは口外してはならないわ」
「コマニャス、ブリジアがいない間、陛下は一度も来奇殿に行かなかったわね?」
「はい。その通りです。エレモア様」
コマニャスは、自分より上位の妃に畏まって告げた。
周知の事実を隠す意味はない。だが、それ以上のことは推測するしかない。
皇后デジィの前で、規則を破るわけにはいかないのだ。
「デジィ様、寵愛を争うなら自ら努力すべきことで、寵愛されている妃を非難しても仕方ありません」
「よい心がけね」
デジィは鷹揚に頷いた。
「新しい妃が入内すると聞きました。また人族であるようです。人族であれば、私の耐火殿でお預かりいたします」
「エレモア様、おっしゃる人族の妃がシャミンという名でしたら、来奇殿でお預かりすると陛下にお約束いただきました」
エレモアに対し、コマニャスが告げる。新しい妃と聞いて、各宮殿の主人たちが動揺した。
引き受けることにより、厄介ごとを招くことも多い。むしろ嫌がることが多いが、ブリジアのように魔王に愛されることもある。
特定の妃を目当てに魔王が通うことになければ、宮殿に対する俸給が跳ね上がる。
「つまりコマニャスは、後宮の妃の配置について、陛下に直接奏上したということになるわね」
「出過ぎた真似をいたしました」
皇后デジィの言葉に全員が押し黙り、コマニャスが慌てて謝罪した。
「それ自体は禁じられていないはずですね」
ずっと黙っていた3人いる最高位の妃、王妃に該当する美女が口を挟む。
背にふわりとした白い羽衣をまとっている。天人族と呼ばれる亜人族である。
「ええ。わかっているわ。禁じられてはいない。私がどう思うかは、別でしょう」
デジィの言葉に、ふたたび緊張が走る。
「皇后様、コマニャスとエレモアさんが求めているのであれば、慶事ではないですか?」
もう1人の王妃、獣人族の美女が笑いながら言った。三角形の長い耳が頭上にある。3人目の王妃は、狐と人族の特徴を併せ持っている。
「コマニャス、エレモア、2人とも、新しい妃を自分の宮殿に迎えたいというのね?」
確認するように、デジィが尋ねた。2人は次々に同意する。
デジィは両手を合わせた。人間の手ではあり得ない、金属を打ち鳴らしたような音がする。
「では、慶事ね」
妃たちが顔を見交わした。
本来、新しい妃が入内することは、古参の妃にとっては不利になる。競争相手が増えるからだ。
そのため、新しい妃の入内は凶事として扱われる。
ブリジアが入内した時も、むしろひっそりと行われた。
例外がある。
それは、二つ以上の宮殿から、妃を引き取りたいという申し出があった場合だ。
その場合、妃の入内は非常にめでたいこととして、祭りをやるのだ。
「では、どの宮殿に住まわせるか、この場では決めないことにしましょう。せっかくの慶事、ただ飲み食いして騒ぐだけでは興醒めだわ。希望する宮殿で勝負なさいな。勝った休殿に住まわせることにするわ。せっかくだし、コマニャスとエレモア意外の希望はある?」
デジィが楽しそうに尋ねた。楽しそうにしているデジィの機嫌を誰も損ねたくはないらしく、妃たちが一斉に目配せしあった。
「新しく入る子が若い子であれば、私も参加します」
手を上げたのは、老練殿のリルト公妃だった。
「まだ若いわよ。たしか、生まれてから14年と聞いていたわ」
デジィが答える。
「コマニャスは、ブリジアを引き取るのは嫌がっていたよね。今度は引き取りたいってのは、裏があるんだろう。あたしも参加します」
獣雷殿のランディが手を上げた。
「私は遠慮します。人族とは馬が合いません」
「私もです。人族は臭くって」
天人族と獣人族の王妃が、揃って辞退する。
他の公妃たちも、自分から名乗りを上げようとはしなかった。
4つの宮殿が参加するのなら十分だと思ったのだろう。デジィは満足そうに頷きながら言った。
「ああ。それから、新しい人族の子の名は、さっきコマニャスが言った通りシャミンで間違いないわ。ブリジアといえば、来奇殿に戻ったわね」
「はい。先日、侍女たちととても嬉しそうに抱き合っていました」
突如思い出したデジィの意図を不安に感じながら、コマニャスは報告した。
「陛下がお決めになったことだし、私に異存があるわけではないのだけれど、私の決定ではないわ。確か、ブリジアを永命殿に引っ越させたのは、コマニャスに対する罰だったわね。ブリジアに対する罰ではなかったのだから、それはいいのだけれど……コマニャスに対する罰は、それで足りていたのかしら?」
「あたしは皇后様から、十分な褒美をいただきました。それと対となる罰としては、生ぬるいかと」
「ランディ、余計なことを言わないで」
「なんだい。俸給を独り占めしやがって。たまたま、ブリジアが陛下に気に入られたからって」
「黙りなさい」
デジィが机を叩く。力加減を誤ったのだろう。デジィが叩いた場所から、机が崩れた。
慌てて抑えるデジィの手元を、魔族の侍女たちが修復する。
デジィは机を抑えるのに忙しかったため、コマニャスは言った。
「皇后様、あれは誤解です。エルフの柿には、きちんとした食べ方があるのです」
「皇后様すら食べられないような渋い柿に、食べ方なんかあるもんか」
ランディ公妃が文字通り牙を剥く。顔の部分は人族の特徴を持っているが、口の中には鋭い犬歯が並んでいる。
「ランディ、『私すら』って、どういう意味?」
「し、失礼いたしました」
皇后は悪食で知られる。ゲテ物食なのではない。金属や陶器など、人族には食べられない物を平気で食べてしまうのだ。
だが、それを悪いことだとは、皇后は思っていない。妃たちも指摘できないでいた。
「皇后様、こんなこともあろうかと、準備したものがございます。皆様に供させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。そうなさい」
皇后デジィの言葉に、コマニャス以外の7人の宮殿の主人たちが、非常に嫌そうに顔をしかめた。




