46 来奇殿への帰還
ブリジアは地下後宮に戻り、魔王親衛隊第一部隊総督ガギョクに付きそわれて来奇殿に帰還した。
ガギョクは特別な力を持たない人造生命体ホムンクルスだが、第一部隊総督という地位にいる。
寵妃とはいえ妃を送るために付き添うのは、特別な措置である。
ただし、ブリジア本人はそれが特別であることは理解していなかった。
ガギョクが抱えているドロシー製のブリジア人形をチラ見し、本当に見間違えるほど自分に似ているのだろうかと心配することに忙しかった。
来奇殿の正門、来奇門を潜る。
庭の掃除をしていたブリジア直属の侍女テティと目が合った。
「あっ……ブリジア様」
「ただいま戻ったわ」
久しぶりの来奇殿である。自分の家ではなかったが、我が家に帰ったような懐かしさを覚えた。
地下後宮から出られない以上、ブリジアにとっては我が家なのだ。
「ブリジア様よー!」
「えっ? テティ、どうしたの?」
ごく当たり前の出迎えを想像していたブリジアは、突然大声を上げたテティに尋ねたが、その答えは返されなくともすぐに分かった。
テティの言葉の余韻が消える前に、来奇殿のあちこちから顔が飛び出た。
いずれも、美しく整った顔立ちだった。
全てブリジア直属の、6人の侍女たちだ。
テティがブリジアに向き直り、視線を合わせて膝をついた。
「よく、お戻りになられました。あの……」
テティは両手を広げ、戸惑うようにブリジアを見つめた。
ブリジアは、テティの視線と動きの意味を理解した。
「いいわよ。もちろん」
「お帰りなさいませ。ブリジア様」
テティは言うと、両腕を広げて自らの主人を抱きしめた。
「テティ、交代」
「もうちょっと」
背後からクチャが催促するも、テティは譲らなかった。
「心配していたのは、テティだけじゃないんだよ」
レガモンがブリジアを奪おうとする。
「待って。ガギョク総督が困っているわ。荷物を受け取って」
ブリジアの背後に、ガギョクがいた。ブリジアの指示に従い、レガモンが醜い紫色の髪をした人形を受け取る。
「ガギョク、ご苦労様」
「では、ブリジア貴女、失礼いたします」
「『貴女』? ブリジア様、昇格なされたのですか?」
テティが驚く。
「ええ。正確な詔は後から来るみたい」
「おめでとうございます」
「ブリジア様なら当然だ」
レガモンが訳知り顔に言った。
「ねぇ、全員終わった?」
テティが離れてから、侍女たちが順番にブリジアを抱きしめたのだ。
「私がまだです」
ブリジア人形をテティに渡しながら、レガモンが進み出る。
「えっ? レガモンなの? つ、潰さないでよ」
レガモンは美しい容姿とは別に、元騎士団長の経歴を持つ。レガモンは豪快に笑った。
「心得ております」
「ふ、ふりじゃないわよ」
「はい」
レガモンがブリジアを抱きしめ、ブリジアは久しぶりに抱き潰される感触に悲鳴を上げた。
※
ブリジアが部屋に戻ると、コマニャスとドロシーがすぐに顔を見せた。
「ブリジア、戻ったわね」
「はい。コマニャス様、またお世話になります」
ブリジアが深々と頭を下げる。
「ええ。これでまた陛下が遊びに来るようになれば、もうブリジアが目的じゃないとは誤魔化せなくなるわね」
コマニャスが笑いながら言った。
「私がいない間、陛下はいらっしゃらなかったのですか?」
「ええ。一度もね。それ自体は、珍しいことではないわ」
ブリジアにとっては意外だった。それほど、魔王は度々来奇殿に足を運んでいたのだ。
「ブ、ブリジア。あの、ごめん……」
コマニャスの影に隠れるようしていたドワーフ族のドロシーが、俯いたまま小さく声を出した。
「『ごめん』って……私が、トボルソ王国を舞台にした盤技だと弱いって……バラしたこと?」
「……うん」
「ドロシー姉さん、トボルソ王国の守備に大規模な仕掛けがあるって知っていたわけじゃないんでしょう?」
「うん。私の一族の集落は、南のベタン王国の中にあるの。トボルソがどこにあるのかも知らない」
「ならいいわ。ドロシー姉さんだって、脅されたんでしょう?」
「うん」
ドロシーは頷くが、コマニャスの後ろに隠れたまま動かなかった。
コマニャスがドロシーの背中を押した。
「ドワーフ族は実直だから、ずっと気にしていたのよ。ブリジアが戻ってくれてよかったわ。ずっと、私の部屋で泣き言を聞かされていたのよ。ドロシー、あなたを許していないなら、ブリジアがドロシーの作った人形を持ち帰るはずがないでしょう。あの人形、陛下の部屋にあったのよ。わざわざ、ガギョクが運んできたんだもの。ブリジアが所望したに違いないわ。それに、ブリジアの推挙で、ドロシーは名妃に昇格することが決まっているのよ」
「……本当ですか?」
ドロシーが驚いてコマニャスを仰ぎ見た。
「そもそも、ドロシーを恨んでいたら、いつまでもあなたのことを『姉さん』なんて呼ぶわけないじゃない」
ドロシーがコマニャスからブリジアに視線を向けた。
ブリジアは、小さく笑いかけた。
ドロシーが進み出る。
ブリジアは、両手を開いて見せた。
ドロシーが飛び込み、ブリジアを抱きしめた。
詫びを口にしながら、ブリジアを抱きしめた。
ドワーフ族は、小さい体の割に力が強い。
ブリジアは、レガモンにだき潰された時と同様の悲鳴を上げた。
コマニャスは一つ間違えていた。
ブリジアがドロシーの作った人形を持ち帰ったのは、その人形が気に入ったからでも、ドロシーのためでもない。
魔王やコマニャスが何度もブリジアと間違えるため、できるだけ他人に見せないようにしようと決意したためだった。
※
〜憩休殿〜
魔王の前に、魔王軍大元帥のダネスと大参謀のダキラが揃い、膝をついた。
「皇太后とは無事、面談できたか?」
「はい。ようやく、我らを子どもとして認めてくださいました」
2人は立ち上がり、ダネスが笑いながら言った。
「魔族の女にとって、強い子どもを産むことは何よりの誉れだからな。2人の姿に、皇太后も喜んでいただろう」
「すでに陛下を産んでいるのです。十分ではないでしょうか」
ダキラが首を傾げる。今度は魔王が笑った。
「長い時間をかけて妊っていれば、子どもが強く産まれるのは魔族にとって当然だ。2人のように短時間で出産した子どもの方が、強く育てば誇らしいのだろう」
「500年孕られていたというのは、魔族としても長いほうだと聞いておりますが」
「まあ、そうだな。とにかく、2人が無事に皇太后との面会を終えたのであれば心配もない。戻るのか?」
「はい。将軍たちから、いくつか相談も受けておりますので」
ダネスは魔王軍の将軍たちを束ねる立場だ。
「私もおとなしくしていた魔物たちの動きが気になります」
「ダキラ」
「はっ」
「お前が所望していた人形だが……」
「陛下、それならば、もういいのです」
「そうか? かなり近い出来のものを揃えたが」
魔王の部屋の一面の壁は、魔王の妃の1人ブリジア貴女の人形で埋め尽くされている。
それは、ダネスの希望を叶えるために取り寄せたからだ。
「人形のモデルとなったであろう妃に会いました。どのような人形でも、本人には及びません。そのことがよく分かりましたし、陛下の後宮を守る理由が増えました。私としては、もう十分です」
「そうか……これなどは、そっくりなのだが」
魔王は言うと、箱の中から動くブリジアを取り出した。
「動いていますよ」
ダネスが口を挟むほどに、魔王の手の中にのものはもがいていた。
「まさか、本人……ではないようですね」
「ドッペルゲンガーだ。動いているのが不自然であれば、石化や物質化の呪いで動かなくすることもできよう。こんな具合にな」
魔王は、同じ箱の中から、ブリジアの姿のまま動かなくなったドッぺルゲンガーを次々に取り出した。
「いえ。あの……私が次に後宮に戻り、ブリジアに会いたいと言った時に、許可していただけるなら、それ以上は望みません」
「そうか」
魔王は、生きて動いているドッぺルゲンガーを握りつぶすと、動かない同族が入っている箱に放り込んだ。
「しかし、人族の寿命は短いぞ。次に会いにくる間に、ブリジアは成長しているだろうし、歳をとって死んでいるかもしれん。それでいいのか?」
ダネスが尋ねる。ダネスとしては、ダキラと一緒でなければ後宮内の散策も許されず、ダキラがブリジアと一緒に部屋にいるためにつまらない思いをしていたはずだ。
ダキラが思い悩んだ。魔王が首を振る。
「そうかもしれんが……あるいは、ブリジアは特別かもしれん」
「陛下、ブリジアが特別とは、どのような意味でしょうか?」
ダキラが真剣に尋ねた。ブリジアの名が出ると、聞き逃さないようだ。
「朕は、勇者を釣るために出身国であるトボルソを訪れた。その時、王と王妃を見たが、人族にしては珍しく、全く両親の特徴を引き継いでいなかった。朕は人族の見分けは不得手だが、映像を記録して魔女シレンサに分析させたから間違いない。それに、ブリジアに対する国民の態度は異常なほどだ。まるで信仰しているかのように崇拝し、ブリジアの人形が飛ぶように売れるという」
「ブリジア貴女の人形が、トボルソの財源の一つになっているというのは本当だったのですね。だから、陛下の部屋にあったような人形も作られたのでしょう」
ダキラは、最初に魔王の部屋で見たブリジアが、人形ではなく本人だったことにまだ気づいていないようだ。
魔王は咳払いして続けた。
「ああ。あれほどの人形は、どのような人形師によっても、二つとは作れないものらしい」
ダキラが納得したように頷く。魔王は続けた。
「人形のことは置いておいても、侍女たちのブリジアに対する忠誠も度を越している。朕は、このような現象を見たことがある」
ダネスとダキラは互いに視線を交差させた。魔王の言いたいことがわからなかったのだろう。
「それは、なんですか?」
口を開いたダネスに答え、魔王は頷いた。
「人族の女神は、神々を殺す能力を持つ我ら魔族を滅ぼすため、特別な力を持つ勇者を召喚することがある。だが、いかに勇者でも、朕らを容易に殺せるものではない。女神の切り札も一つではない。そのうちの一つが、女神自らが受肉し、地上に降りるというものだ」
「では……ブリジアがそうだと仰るのですか?」
「今は違う。受肉と言っても、魔法で作ったような肉体で、長く維持することはできない。女神は、いずれ地上に降りるため、地上に依代となる肉体を用意する。女神自身の体となるわけだから、その肉体には最大限の祝福と呼ばれる女神の力を注ぎ込む」
「つまり……」
「女神の器。そう呼ばれる人族がいるのだ」
「もしそうだとしたら、陛下は、ブリジアをどうなさるおつもりですか?」
ダキラが魔王を真剣な表情で見つめていた。
「もし女神の器であれば、ブリジアの成長は一定のところで止まる。いかに受肉した女神でも、人族の寿命のような短期間で朕らを滅ぼせるはずがないからだ。ダキラとしては、そのほうが良いのではないか?」
「問題は、陛下がどうなさるかでは?」
「仮に女神の器であったとしても、ブリジアには非がない。非が無い者を殺すほど、朕は血に飢えてはおらん。むしろ、せっかく力を注いで作り上げた自分の器が、朕の後宮に入ったのだ。女神はさぞかし焦っていることだろう。突如勇者が召喚されたのも、当然かもしれん。だが、このこと、デジィには知られるな。デジィは、嬉々としてブリジアを殺すだろう」
「心得ました」
ダネスとダキラが腰をおり、魔王の前から退出した。




