45 ドラゴンの背の上で
ブリジアの周りに不思議な空気の壁を作っているのは、魔族軍大参謀ダキラの魔法だという。
ダキラが従える暗黒ドラゴンは、力強くも穏やかに、魔王城から舞い上がった。
魔王城は標高20000メートルを越える山岳地帯の頂にある。
魔法の守りがなければ、ブリジアは数分ともたずに倒れてしまうだろう。
ブリジアにとっては、地下後宮の上にあるという魔王城を見られただけでも驚きだった。
純粋な人族で、魔王城を直接見ることができる者はほとんどいないと言われている。
暗黒ドラゴンの背に乗り、背後からダキラが抱き添うように支えてくれる。
何よりも安心できる状況で、ブリジアは徐々に地上が遠くなっていく感覚を楽しんだ。
「ブリジア、トボルソ王国が見えるかい?」
ダキラが、はるかに東の地平を指さした。
すでにドラゴンははるか上空に舞い上がっている。
見渡すかぎりの雄大な大地が広がり、人族の暮らしがあまりにも小さく見える。
「あっ……見えました」
ブリジアが知るトボルソ王国の王城と、王都を囲む壁が見える。
その周囲には、広大な領地を持つ3大国が広がっている。
上空から見ると、トボルソ王国がいかに小さく、いかに広大な領地を持つ大国に囲まれているのかがわかる。
「あっちにも人族がいる。純粋な人族ばかりじゃなく、亜人族が多いのは教えたね」
ダキラは反対側を指さした。
雲が多く、よくは見えなかったが、魔王の領域である山脈地帯の東にはなだらかな大地が広がり、西には山がちの地形が広がっているようだ。
「はい。ドロシー姉さんや、コマニャス様はあちらの出身なのですね」
あまりにも高く、風が強く流れているが、ダキラの声はよく聞こえ、ブリジアも大声を上げなくともダキラは聞きとった。
ダキラの声がよく聞こえるのも、魔法の力だろう。ダキラは、魔法を使わなくても非常に耳がいいと言われている。
「それはわからないな。ドワーフ族やエルフ族は、人族に次いで各地に馴染んでいる種族だからね。私は、その2人には興味がない。南の熱帯地方にも集落があるはずだ」
「そうなのですか。でもダキラ様、やっぱり世界は平らではありませんか?」
眼下に広がる広大な大地は、どこまでも続いているように見えた。
「まだそんなことを言うのかい? いいだろう。見せてあげるよ」
ダキラが暗黒ドラゴンの鱗を叩いた。暗黒ドラゴンは、体躯だけで50メートル近くある。背中は広く、転げ回れそうなほど広い。
もちろん、ダキラの手を離れるようなことは、ブリジアには恐ろしくてできなかった。
ダキラの呼びかけに答え、暗黒ドラゴンは高度を上げた。
「わぁ……」
大地が果てしなく広がっていくかと見えた地上が、海で途切れていた。
眼下には大地と海が広がり、ブリジアが乗るドラゴンのさらに上空には、瞬く星々は手が届きそうなほど大きく輝いている。
星々は暗い場所に浮かび、ブリジアがいる周りだけが、輝く青い光に満ちていた。
「あっ……」
「あれが地平線だよ」
成層圏から見る地平線は、お椀のように緩やかなドーム型をしていた。
ドームの先端に、光が灯る。
太陽がまさに顔を出そうとしていた。
「本当に、世界は丸いのですね」
「ようやく認めたかい?」
「では……世界の反対側の人たちは、どこに落ちてしまうのでしょうか?」
ブリジアの問いは、かつて世界が丸いとダキラに教わった時にも口にしたものだ。
ダキラは笑った。笑いながら、暗黒ドラゴンの鱗を叩いた。
「見せてあげるよ」
暗黒ドラゴンが速度を上げる。魔法で守られたブリジアには、ただ景色が速く流れるだけのように感じられたが、実際にはとてつもない速度で飛んでいる。
「ここが、さっきの場所の真裏だよ」
「ここにいると、地上から落ちてくる方達と会えますか?」
「私は会ったことがないね。降りておくれ」
ダキラが言うと、ドラゴンは高度を下げた。
地上の地形がはっきりとわかる高さになり、ブリジアは異変に気づいた。
「世界の裏では、裏こそが表なのですね?」
つまり、世界の裏にいる者たちにとってもみれば、自分達のいる場所は表であり、ブリジアのいた場所が裏なのだ。
この世界が丸くても、誰もどこにも落ちていかないのだ。
「でも、どうしてでしょうか?」
「それは、ブリジアが考えておくれ」
ダキラだけでなく、魔族軍の将軍職以上の者たちは、全員ドラゴンを従えている。
この世界でも、成層圏を超えた高さまで飛べるのはドラゴンだけだ。
ダキラは何度も世界の姿を見てきた。
だが、世界にどのような力が働き、どのような法則が存在するのかまで、理解してはいない。
それは、大参謀たるダキラですらそうなのだ。
ブリジアは、ダキラに髪を撫でられるのを感じていた。
「この世界が丸いことがわかったら、魔王城に戻ろうか? それとも、もっと世界を見たいかい?」
ブリジアは背後を振り向いた。ダキラの真っ白な肌と、赤い目と鋭い角や牙は、恐ろしいはずなのに、なぜか不思議と安心できた。
「ダキラ様、もう後宮にこられないのですか?」
ダキラは即答しなかった。暗黒ドラゴンに吐かせた氷の息が、きらきらと輝いて宝石の海のようだった。
ブリジアの髪を撫でながら、ダキラは言った。
「まだ、ブリジアに教えていないことがあるんだ。本当は、人族には教えないことになっているんだけど、ブリジアだけだよ」
「……はい」
ブリジアは、ダキラの物言いに少しだけ怖くなった。
ドラゴンの上で身を固くしていると、暗黒ドラゴンは地上からわずか20メートルほどの高さまで降りた。
その場所が、世界のどの場所にあたるのか、ブリジアにはわからなかった。
わかるのは、そこが酷く荒れた場所で、生物が住めるはずがないことだけだ。
高い山と、巨大な樹々が支配する場所だった。
暗黒ドラゴンは、体長50メートル以上ある。
そのドラゴンを、森の中から伸び上がった何かが捕食しようとした。
歯が生えており、舌が見えた。
「ダークフレイル・ギガンテ」
ダキラが魔法を放つ。
黒い光が空から降り注ぎ、伸び上がった口を覆う。
「い、いまのは……」
「死んではいない。このぐらいで死ぬようなら、誰も苦労はしない」
ダキラの指示で、暗黒ドラゴンは高く飛び上がる。
再び成層圏まで舞い上がり、ダキラは口を開いた。
「魔王様が直接支配する魔王領以外に、この世界には四つの魔親王国がある。その国は、全てさっきみたいな世界を滅ぼしかねない魔物を退治した後に、その魔物が復活しないよう監視するために建国されたのさ。いずれも魔王様の親族が王を勤めている。建国当時で、最も功績のあった将軍が王に選ばれるんだ」
ダキラの言葉に、ブリジアは神妙に頷いた。
まるで、魔王がいなければ世界はいつ滅んでもおかしくないように聞こえる。
「人族には、退治できない魔物なのですね」
「魔王様すら、簡単には手出しできない。殺されはしないだろうけど……もし魔王様が魔物に捕まって、脱出できなくなったら、この世界は終わる。かつて、魔法と科学を融合させたある国で、ドラゴンよりも大きな動く機械を作ったことがあった。船で運び、さっきのような魔物を倒して、自分達の国の領土を広げようとしたんだ」
「機械の魔物では、勝てなかったのですか?」
「海を渡ることもできなかったよ。海に住む魔物に破壊された。魔王様は、あと最低、3つは国を建てるとおっしゃっている。それは、世界を滅ぼせるだけの危険な魔物が3体はいて、縄張りから動かないことがわかっているからさ。そのほかにも、実際には何体いるかわからない。私たちは、世界中を回って、どこにどんな魔物がいるか、調査しているんだ」
輝く水平線を見ながら、ブリジアはダキラの胸に後頭部を預けた。
「私たちは、ダキラ様たちに守られているのですね」
「ああ。だからブリジア、私が後宮にあまりこられないのは、仕方のないことだ」
「私を守るため……でしょうか?」
「もちろん」
ダキラは即答した。ブリジアは、つい笑みをこぼした。
「ダキラ様、もっともっと、世界を見たいです。私には何もできないけど……ダキラ様の活躍を知りたいです」
「わかった。しっかり捕まっていなよ」
暗黒ドラゴンが抗議するほど、ダキラはブリジアに世界を見せるため、世界を何周も回り続けた。




