挿話4 勇者ナギサ、海を渡る
勇者ナギサは、ブリジアの侍女クリスを連れ去って転移した。
クリスは選りすぐりの侍女であり、妃であっても不思議ではない美人だったが、ナギサが求めた相手ではなかった。
ナギサは、ブリジアを助けるためにこの世界に転移したのだ。
トボルソ王国から転移魔法で脱出し、大国の田舎に潜伏した。
魔王一行がトボルソ王国から去るのを待ち、クリスを祖国に送り届けた後、ナギサは魔王領から遠ざかる方向に足を向けた。
ナギサは、元いた世界とこの世界の奇妙な共通点に気づいていた。
ナギサが生きた世界より、この世界は広く、過酷だ。
だが、物理的な法則はほぼ同じで、電気も火薬もある。石油や石炭も存在しており、人族はその利用法も知っている。
火力はあるし、おそらく原子力もあるが、エネルギーは魔力に依存している。電気も動力も、動かしているのは魔力であり、魔導技術と呼ばれる不可思議な技術が、科学技術以上に重視されている。
世界にどれだけの人族がいるのかわからず、世界を複数に隔てる過酷な環境は、人族に世界の支配権を渡そうとはしない。
だが、それを除けば、特に地理や地形がナギサの知る地球に近かった。
あまりにも広大な大地の東側に、海に囲まれた独立国があるという。
この世界の海には、地上よりはるかに大きな大量の魔物がおり、海に囲まれた島国の存在そのものが不自然だと、人々は言った。
この世界の魔物と戦い、海の噂を聞いたナギサも同意見だった。
だが、東に向かえば海があり、その先に島国があるのであれば、この世界での日本である。
ナギサは日本を技術大国だと信じており、資源は少ないが優れた科学技術を発展させているのではないかと期待した。
何より、どんなエネルギーよりも魔力を糧にするこの世界では、日本の資源の乏しさが、マイナス要因とはならないはずなのだ。
ナギサは、元の世界に戻れるとは思っていなかった。
だが、懐かしくなかったわけではない。
この世界での故郷日本に向かって足を向けたのは、クリスをトボルソ王国に戻した翌日のことだった。
勇者ナギサを支援する者は多い。
魔王は人族の支配地を蹂躙しようとはしないが、人族に対して決して優しくはない。
魔王軍と敵対する魔物との戦いに巻き込まれ、どれだけの人族が死んだかわからない。
勇者ナギサは、魔王を討つ力を持っていると思われている。
一度直接闘い、あの魔王をどうやって倒すのか全くわからなかったが、魔王と戦って現在でも生きていることが、ナギサをさらに特別視させることとなった。
ナギサの支援者は多いが、勇者の危険な旅に同行しようとする者は少なく、大陸の東端にある街に着いた時、ナギサは1人だった。
海岸を見下ろす高台の上に、城壁で囲まれた街があった。
十分大きな町に見えた。
ナギサは町に入り、魔物退治を生業とする冒険者組合を訪れた。
この世界は魔物で溢れている。
その中で、魔王軍に属する魔物に手を出すことは禁忌とされているが、それ以外の野良の魔物を対峙するのは奨励されている。
魔王軍に属する魔物は、組織を持ち、武装を持ち、連絡手段を持つ。
野良の魔物とは明確に違う。この世界に召喚されたばかりでないかぎり、間違うことはない。
ナギサは、顔を隠して冒険者組合を訪れた。
これまでにも、町に訪れる度に冒険者組合を訪れていた。その度に、魔王軍に狙われたのだ。
冒険者組合に、ナギサは指名手配されているのではないかと思っていた。
ナギサは組合の受付で、東の島国に渡る方法を尋ねた。
受付は、不可能だと答えた。
「この町の自慢は魚料理だと聞いている。漁はするんだろう。船があるなら、ちょっと遠くまでいけば、島国があるはずだ」
受付にいた女性は、顔を隠したナギサに胡散臭そうな視線を向けた。
「漁なんてしないよ。確かに魚はこの町の名産だけど、どの海でも一緒だよ。海は危険すぎて、船なんか出さない。魚は、気絶したまま流されてくるんだ。この街に住めば、誰でも知っている。海には、カミナリみたいなものを出す魔物がいて、狙った獲物以外も気絶させるらしい。たまたま近くにいた魚が、気絶して流されて、食卓に上がるのさ」
「東の島国のことを知っているだろう。行く方法がないなら、どうして知っているんだ。方法はあるはずだ」
受付の女性は、睨むように見つめた。
「泳げばいい」
「なっ……」
あまりにも突き放した言い方に、ナギサは絶句した。
受付の女が背を向ける。別の客の対応を始めた。
ナギサが立ち尽くしていると、肩が叩かれた。
海を渡ろうとするナギサを笑おうと言うのだろう。
振り返ると、ナギサが全く予期していない人物がいた。
ナギサに話しかけた人物は、黒いサングラスのようなメガネをかけ、白衣をまとった若い女だった。
頬がこけ、鋭い顔つきをしているが、美人でとおるだろう。
ナギサがこの世界で見てきた一般的な服とは違う素材だと感じていたが、何より女の持つ奇妙な雰囲気に、ナギサは警戒した。
「海を渡りたいの?」
「ああ。方法があるのかい?」
女は、ナギサを食堂に誘った。
食堂に場所を変える。
魚料理が並んだ。
女は、切り身になった魚を箸で摘んだ。
「海には、奇妙な生き物がいるものね。でも、食べると美味しいわよ」
「まさか。こんな形で海を泳いでいるわけはないでしょう。これは、大きな魚の切り身ですよ」
つまり刺身だ。漁をしないと言われたが、魚は大量に取れるらしい。
ほとんどが大型の海棲魔物のおこぼれだとしても、新鮮な魚が大量に食べられるのはありがたい。
女は笑った。
「これが魚の切り身だと知っているのは、料理人だけよ。あなた、この街にきたばかりでしょう。どうして知っているの?」
ナギサは、口に入れた刺身の新鮮な口当たりと食感に感動しながら言った。
「だって、ぼくの世界では、海に魔物なんていないから……あっ」
ナギサは口を閉ざしたが、すでに手遅れだった。女は笑みを深める。
「私は運がいいわ。こうして時々、大陸の偵察に来るのだけど、たまたま勇者様に会えるなんてね。この海の先に、ヤマトという国がある。あなたの故郷に近いと思うわよ。異世界の勇者を案内したのは、初めてじゃないもの」
完全に正体を知られている。ナギサは頷いて言った。
「ぼくはナギサ。日本という国から転移した勇者だ」
「よろしくね、ナギサ。私はキキョウ、研究者よ」
「研究? 例えば?」
「たとえば、これね」
キキョウは自分の胸に手を当てた。
体を覆う肌色が薄くなり、その下から、まるで二本足で立つ犬のような体が現れる。
ナギサが驚いて立ちあがろうとしたところで、キキョウはナギサの腕を抑えた。
「この技術は、戦いにも応用できる。ナギサ、魔王と戦ったのでしょう。今のままで、勝てるつもり?」
ナギサはあらためて問われ、大きく息を吐いた。
「無理です。でも……ぼく目的は、魔王を倒すことじゃない。ぼくは、ブリジアという女の子を助け出すためにこの世界に来たんです」
「その願い、魔王に手も足も出ないまま、叶えられるのかしら?」
ナギサは、小さく首を振った。
※
勇者ナギサは、おそらく魔族だろうキキョウに連れられて食堂を出た。
キキョウが見せた犬の姿が、研究の結果形作られたのか、あるいは隠しているのか、ナギサにはわからなかった。
ただ、魔族かと聞いた時、返事をしなかったのだ。
人通りのない場所に来て、キキョウは言った。
「魔王に妃となっている誰かさんを助けたいのなら、最低でも魔王を出し抜く必要があるわね」
「転移の魔法陣を使って連れ出そうとしたけど、失敗した」
「転移の魔法陣。魔族なら作れるけど、それ以外にも、魔王城に行きたいなら求められる能力は多いわよ。魔王軍の連中は、最低でも自力で魔王城までたどり着ける力を求められるそうよ」
「途中までなら、行ったことがある。かなり高い山だけど、そんなに大変なのかい?」
ナギサの問いに、キキョウは嘲笑するような笑みを見せた。
「魔王城は、ある山脈の頂にある。その場所は、標高にして20000メートル。人族では到達不可能よ」
「……そうだな」
ナギサは認めた。ただ、絶句していた。
ナギサが知る世界の最も高い山脈で、八千メートル級だ。
それでも、登山は命懸けなのだ。
2万メートルを上るということに、もはや言葉もなかった。
キキョウが地面を蹴った。
白衣をひらめかせ、一瞬で間合いを詰めた。
ナギサは、咄嗟にキキョウの足蹴りを止めた。
後退し、剣を抜こうとした。
さらに前に、キキョウがいた。
手刀が繰り出される。
ナギサがその腕の動きを剣で止めた。
キキョウの爪は、ナギサの剣と互角の強度を誇っているようだった。
キキョウの攻撃は止まらない。
休む必要がない。つまり、呼吸せずに動き続けられる。
ナギサは防戦一方に陥り、疲労が溜まった挙句、キキョウに打ちのめされた。
「ぐっ……」
「私は、魔族の中では最も弱い部類に入るわ。でも、これのお陰で体は守れている」
キキョウは、再び胸にある青い光を放つ物体を操作した。
直立する犬のような姿が現れる。
「まだまだ研究中よ。人族でも使えるように……ああ、人族が使う場合は、別のタイプのものになるわ。どう? 勇者様なら、使いこなせるようになるかもしれないわよ」
「……ヤマトの国にはどうやって行く?」
「決まっているでしょう」
犬の姿が消え、再び人族の女性の姿に戻ったキキョウは、懐から羊皮紙の巻物を取り出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
続きは、「私が悪役令嬢にならないと、人間が滅亡するらしいので」完結後の予定です。
しばらくお待ちください。




