4 皇后デジィの宮殿で
〜永命殿〜
皇后デジィは、来奇殿の来訪を聞いて不機嫌になった。
デジィに仕える蛇身族のパメラが、デジィの顔色に怯えた。
デジィは輝く肌を持つ。その色は普段は金だが、感情によって七色に変化するため、感情を隠すことは難しいのだ。
蛇身族は魔族の一部族で、部族名の通り体が鱗で覆われている。頭髪はなく、手足はあるが人型の標準より短い。舌が薄く、先端が二股に分かれているなどの特徴を持つ。
「ああ、今日は噂の来奇殿の謁見日だったわね。定例の長殿会の他に、宮殿単位の塊殿会などを設けるのではなかったわ」
「長殿会では、宮殿の主人方しか御目通り叶いませんから」
パメラが答える。当然、デジィは承知している。
「だからといって、会いたくもない相手にも会わなければならないわ。どうして、皇后の私が拷問を受けなければならないのかしら」
「そんなにお嫌でしたら、帰らせましょうか? 皇后様は体調が思わしくないと告げて」
パメラは気が利く。だが、間違えることもある。
「冗談はやめてよ。寿命を持たない魔族の私の体調が思わしくないなんてことが、あるはずがないじゃない。私の方こそ冗談よ。最近陛下がお気に召されている、噂の来奇殿に釘を刺すいい機会だもの。通して」
「はい」
パメラは踵を返した。
魔王領では、人族が住める環境の土地はほとんど存在しない。
逆に、魔物か魔族しか住むことができない過酷な場所だ。そのため、人族や人族に近い亜人族が、魔族を使用人とすることはない。
魔族を使用人として使えるだけで、皇后が特別な地位であることがわかる。
来奇殿の主人エルフ族のコマニャスを筆頭に、美しい娘たちが入ってきた。
一人、男子がいる。地下後宮に住む数少ない例外である。妃の産んだ子どもは、成人までは地下後宮で育てられるのだ。
コマニャスに続いて入って来たホビット族と思われる小さな娘が、より小さな子どもを抱いていた。その子どもが、男子だったはずだ。
「皇后さまにご挨拶を」
先頭のコマニャスが膝を折り、右手を胸に、左手を開いて掲げた。
上位者に対する礼であり、敬意を示すのと同時に害意がないことを示す所作だ。
コマニャスに続く者たちも、同じように礼をする。
一人、ぎこちない者がいた。
紫色の豊かな髪を波打たせた、人族と思われる少女だ。
「よく来たわね。来奇殿はまるで保育園ね。おかけなさい」
「皇后さまに感謝を」
コマニャスは礼を述べ、壁際に並べられていた椅子に腰掛けるよう、後ろに続く者たちに指示をした。
「お待ちなさい」
椅子に座るのもテンポが遅れた、紫色の髪をした少女に声をかけた。
「ブリジア、皇后様にお答えしなさい」
「私ですか?」
自分が呼ばれたのだとは思わなかったようだ。
紫の少女は驚いた顔で振り向いた。
身長は低いが、たしかに顔立ちは整っている。
大きな目がやや釣り上がって見えるが、驚いたことによる表情の変化かもしれない。
「貴女が、最近入内した人族の王女ね」
「は、はい。その通りでございまちゅ」
ブリジアが顔をしかめた。言葉を噛んだためだろう。
「年齢は?」
「は、8歳でちゅ」
「つまり、産まれてから8年ね。魔物であれば十分に成長する年齢だけど、多くの亜人ではまだ成人に至らないはずね。ディオレル公子は幾つになるの?」
「76歳です、皇后様」
コマニャスが答える。ディオレル公子はコマニャス公妃の子どもで、父親は当然魔王だ。まだ若いが、既に将来に備えて研鑽を積むため、来奇殿から出て魔王親衛隊に参加しているはずだ。
「エルフ族の基準では、成人は200歳ね」
「はい。その通りでございます」
コマニャスが答える。
「人族はどうだったかしら」
「せ、成人の年齢は、国によって違います」
紫の少女が答えた。皇后デジィは、控えていたパメラに声をかける。
「様々な種族の貴賓階級が集まるこの地下後宮では、年齢で測れることは少ないわね。でも、あの子……俗女だったわね。人族にしても小さいけど、子どもが産める体なの?」
「調べますか?」
パメラが舌を出した。二股に割れた舌をちろちろと揺らす。
「な、何を……」
ブリジア俗女が、自分の体を抱くように体をくねらせた。
「止めなさい。妃の体は陛下のものよ。下手に触れることはできないわ。あなたなら、人族の成長速度について詳しいかと思ったのだけど」
「人族は、十数年で子を産むようになるはずです」
パメラが舌を引っ込めて答えた。
パメラは、生物のことに精通しているとデジィは把握していた。蛇身族だから詳しいと言うより、デジィの問いに答えるために学んでいるのだ。
人族や亜人を一括りにすること自体に無理があるとは、デジィは認識していなかった。
「十数年……早いのね。では、8歳というのは誤差の範囲でしょうね。おいでなさい」
地下後宮の規律では、主人である魔王も、子どもを成せない相手に夜伽をしてはならないことになっている。
夜伽の目的が、魔王の子孫を増やして世界を効率よく支配するためだからだ。
デジィは、ブリジアという少女は小さいながらも子どもを産むことができる体で、魔王ジランの寵愛を受けているのだと理解した。
来奇殿の妃たちは、エルフのコマニャス以外はドワーフ族のドロシー、ホビット族のポリンと、小柄な種族が揃っている。
ブリジアが人族であり、成長すればコマニャスと同等の背丈になることは知っていても、魔族であるデジィは特に小さな妃だという印象を持たなかった。
「皇后様、ブリジアは新入りです。今日はせっかくの謁見日なのですから、来奇殿の皆にお声がけください」
コマニャスが声をあげる。
呼ばれたブリジアは、すでに椅子を立っていた。
デジィのところに行っていいのかどうか分からず、ドワーフ族の貴女ドロシーの顔をのぞいていたが、豊かな髭を蓄えたドロシーは、自分の髭の手入れに忙しいようだった。
「もちろん、心得ているわ。でも、コマニャス、このところ陛下は毎日来奇殿に足を運んでいるわ。来奇殿の中で、誰と何をしているのかまでは分からないけど、ブリジア俗女が入内した時から始まったとなれば、興味を持つのは当然でしょう?」
「それは、そうですが……」
「それとも、陛下は来奇殿で毎日別の妃と夜伽をしていると言うつもり?」
「いえ」
「いいから、こちらへ」
「はい」
地下後宮の実質的な支配者が皇后であることは学んでいたのだろう。
ブリジアはコマニャスを横目で見ながら、デジィのところに歩いて来た。
デジィが伸ばした手に触れ、膝をついた。
「『魔王の嫁でございます』そう言ったらしいわね」
「皇后様、それは、ブリジアがまだ何も知らない時で……」
「お黙りなさい。私は、この子に聞いているのよ」
腰を浮かせたコマニャスを黙らせ、デジィはブリジアの目を覗き込んだ。
「はい」
「陛下の嫁を名乗れるのは、正式な妻である皇后だけだと知っているの?」
ブリジアの目が大きく開いた。
目が潤んでいるのがわかる。
口を開けたが、歯が小刻みに震えていた。
「どうしたの? さっきは声が出ていたのに、突然話せなくなったの?」
「あっ、あっ……」
膝をついたブリジアの足元に、生暖かい水たまりが広がった。
デジィは、握っていたブリジアの手を振り払った。
「もういいわ。この不快な俗女を連れて行って」
「し、失礼いたしました」
コマニャスの指示で、コマニャスの侍女リーディアがブリジアの脇を抱えて連れて行った。
「パメラ、掃除をしておいて。今日はここまでにしましょう。興が覚めたわ」
皇后デジィは、手を叩いてお開きを告げた。