35 皇后デジィのお茶会2
お茶会に参加する妃が全員席についたところで、皇后デジィが両手を叩いた。
魔王親衛隊第一部隊のホムンクルスたちが、次々に料理とお茶を運んでくる。
地下後宮の食料は、同じく地下で栽培されている。
人工的に作られた輝くスイカに育てられた作物や、飼育された家畜がいるのだ。
「皇后様、私の里の物をお持ちしました。お茶会に興を添えましょう」
言ったのはランディ公妃である。
ブリジアは、コマニャスもエルフの里の果物を用意していたことを知っている。
「コマニャス様も……」
「ブリジア、公妃様の言葉に口を挟まないで」
隣に座るドロシーに口を塞がれた。
「コマニャスは、エルフの里の食べ物を供してくれるの?」
怒った様子も見せず、皇后デジィが尋ねる。
「は、はい。少しでも、お役に立てればよいのですが」
「2人の用意した食べものは、料理人に渡してあるのでしょう?」
ランディとコマニャスが同意する。デジィは続けた。
「ならば、後でゆっくりいただけばいいでしょう。その前に、お茶会に参加したいという者たちがいるから、紹介しておきましょう」
言うと、再び皇后デジィが両手を打ち鳴らした。
まるで金属を打ち鳴らしたような高い音がすると、ブリジアが感心していると、皇后デジィの背後の扉から2人の魔族が姿を見せた。
ブリジアは見たことがあった。
「魔王軍大元帥ダネスと、大参謀のダキラよ。あまり地下後宮には来ないけど、名前ぐらいは知っているでしょう」
皇后の背後で、2人がぴったりと揃って膝をつく。
「お立ちなさい。2人は、ここに」
皇后が両手をゆっくりと広げた。
自分の両側に座れという指示だろう。
ダネスとダキラは、感謝を述べて椅子に座る。
ブリジアは、ドロシーの影にできるだけ隠れるように体を動かした。
2人とも、ブリジアが見た姿そのままに、角があり、牙が伸び、耳に魚の鰓があっても、美しく見えた。
肌は真っ白く、人族であれば黒目の部分が白く、白目が赤いのは、魔族としてはごく普通の部類だろう。
ブリジアは、つい2人を盗み見た。
好奇心が災いした。
ダキラが、ブリジアを真っ直ぐに凝視している視線と目が合ってしまったのだ。
「給仕係の者たち、皇后様と来奇殿のやせっぽっちと子どもたちに、私が用意した肉を配りなさい」
「ホムンクルスたち、皇后様と獣雷殿のおでぶちゃんたちに、エルフの里の健康的な果物とはどんなものか、教えてあげなさい」
ランディとコマニャスが、ほぼ同時に言った。
「おい、コマニャス。おでぶちゃんってのは、誰のことだい?」
「ランディ、子どもはとにかく、痩せっぽっちっていうのは、誰のことなの?」
「コマニャス様の『子どもはとにかく』って、どういうことよ」
ドロシーがブリジアに愚痴を言うが、今度はブリジアがドロシーの口を塞ぐ。
「しっ。このままいけば、エルフの果物は食べなくて済むわ」
ブリジアが言うと、ドロシーが小さく何度も頷いた。
「お辞めなさい」
皇后デジィの一言で、ランディとコマニャスが凍りついたように押し黙る。
コマニャスは、種族としての性格はとにかく、本人は好戦的な性格ではない。
だが、明らかに血が好きそうな、虎御前とも呼ばれるランディまでが恐怖の表情を浮かべている。
ブリジアは、皇后デジィのことは恐れて正解なのだと改めて思い知った。
給仕のためのホムンクルスが皿を掲げて入ってくる。
ホムンクルスたちは、外見の特徴は人族と変わらず、見目麗しい者が多い。
醜い外見をしたハーフノームは汚れ仕事をすることが多いが、妃たちの食欲を削がないためにという配慮で、給仕はホムンクルスが行う習わしだった。
ブリジアの前にも、サラダとスープが置かれた。
サラダは人族が好んで食べるキャベツやレタスと、大根や人参のスティック状のものが添えられていた。
地下後宮の天井を移動する輝くスイカの光で、十分に野菜が育つことはブリジアも知っていた。
魔王領は人族どころか亜人ですら生きられない過酷な土地だが、地下に造られ魔法で守られた空間は快適そのものだった。
スープは冷えていたが、柔らかくトロリとした表面を見るだけで、食欲をそそられた。
ドロシーが手を伸ばそうとする。
ブリジアがドロシーの手を叩いた。
「ちょっと、何をするのよ?」
「姉さん、まだ皇后様のお許しが出ていないのに、手を出したちゃ駄目よ」
「あ、ああ。そうだったわね」
ブリジアは王族である。作法は生まれた時から叩き込まれている。
どんなに空腹でも、目の前に美味しそうな食事が並ぼうと、行儀は忘れない。
ブリジアが姿勢を正すと、正面に座る女王アリ族のブラストが、侍女たちに押さえつけられていた。
皇后は、妃たちの反応を楽しむかのように黙っていた。
黙っていると、まるで人型の金塊のようである。
釘を刺されたばかりの両公妃も、大人しく従っている。ランディ公妃の目が血走っているように見えるのは、空腹と戦っているのだろう。
お茶会とは名ばかりの緊張した空気を破ったのは、ホムンクルスで魔王親衛隊第一部隊の総督ガギョクの配下、ゴリョウと呼ばれる魔物だった。
全員が座るテーブルの横で膝をついた。
「どうしたのですか?」
「皇后様、ランディ公妃とコマニャス公妃が持ち込んだ食材の扱いに時間がかかっております。少し、お待ちください」
「……あなたたち、2人揃って何を持ち込んだの? まあいいわ。公妃たちの特別な食材はなくとも、贅を凝らした料理はすでに並んでいるのだから。これ以上引き伸ばすと、特に獣雷殿の者たちが倒れてしまう。いただきましょう」
言いながら、デジィはゴリョウに下がるよう手で払う仕草をした。
デジィの言葉に、快哉を上げかけたフラミンゴ族のトモアが、やや突き出た自分の口を塞いだ。
ランディが不作法を嗜めるように睨んだが、ランディの右手が嬉しそうに握り拳を作っているのは見逃さなかった。
ブリジアの正面に座る女王アリ族のブラストは、額から突き出た触覚で拍手を送っていた。
全員が食事を始めた直後、食べる以外で口を開いた者がいた。
「皇后様、少し気になることがございます。席を立ってよろしいでしょうか?」
「中座するの?」
「いえ」
皇后に答えながら立ち上がったのは、魔族軍大参謀の肩書きで知られるダキラだった。
まずはお茶で口を湿らせようとしたブリジアは、思い切り飲み込んでしまい、しばらくむせっていた。
ブリジアが狼狽えたのは、立ち上がったダキラがまっすぐにブリジアを見つめていたからである。
ブリジアには、見つめられる心当たりがあった。
「私、ちょっと……」
「ブリジア様、お食事の最中に用を足しに行かれるのは、お行儀が悪いですよ」
席を立とうとしたブリジアを、侍女として付いてきたレガモンが止める。
普段は豪快で、食事の作法にこだわったことのないレガモンが止めたのだ。
ブリジアは、席を立とうとしたことを恥じた。
「ドロシー姉さん、大参謀がこっちに来るわ」
ドロシーには、ブリジアが人形と間違われた経緯を話してある。
人形制作で協力してもらい、どうしてその人形が必要になったのか、ドロシーは知っている。ダキラの動きに気づいて、助けてくれるのではないかと期待した。
「なに? 美味しいわよ、このスープ。飲まないのなら、もらってあげてもいいわ」
「お嬢様、流石にそれはいけません」
ドロシーも、連れてきた侍女に止められた。
ブリジアのスープに伸ばした手を押さえつけられる。
「私の分もあげるから、こっちに来るダキラ様を止めて」
「私のことかな?」
ブリジアの声を聞かれたのだろう。まだ自分の席から立ち上がっただけだったのに、ダキラ本人にブリジアの囁きを聞き咎められた。
「い、いえ。ダキラ様、お初にお目にかります。魔王軍の大参謀にお目にかかれるなんて、感動しております」
ブリジアは慌ててまくし立てた。ダキラは微笑んで、自分の席を離れた。
大股で歩き、すぐにブリジアの目の前に立った。
「これは驚いた。あの人形に瓜二つだ。いや、あの人形は、この子をモデルにしたに違いない。デジィ様、私が見た人形とは、この子にそっくりでした」
ダキラが言いながら、ブリジアを指し示す。
皇后デジィは笑って言った。
「そう。でも、その子は陛下の妃よ。お人形にして、二度と生意気な口を効けないようにすることはできるけど、陛下がお許しにならないわ」
「承知しております。妃の方を人形にしようなんて思っておりません。それに……私の見た人形は、これほど太ってはいませんでしたし」
「し、失礼です。い、いえ。私にそっくりな人形があったのですね。わ、私も見てみたいです」
ブリジアの言葉に、ダキラが明らかに失望を見せた。
「そうか。あなたがモデルなら、制作した人形師のこともわかると思ったのだけどね。モデルとなったわけではないのですね」
「ブリジア様は、王位継承権第一位の正当な王女です。肖像画も数えきれないほど描かれましたし、人形も作成されましたので」
侍女レガモンが口を挟んだ。
「それは確かだろうな。俺も、ブリジア殿に似た人形を持っている」
双子の兄妹だけに耳がいいのだろう。
自分の席にいながら、大元帥ダネスが懐から小さな人形を取り出した。
汚れているが、布で作った人形だ。人族を形どり、髪が紫色をしている。
「ダネスに、そんな趣味があるとは知らなかったわ」
皇后デジィが笑ったが、ダネスは首を振る。
「これは、戦利品だ。持っていたのは勇者だった。大事そうにしていたから、持っておけば、いずれ取り戻しにくると思って持っているだけだ。勇者とブリジア殿の関係を疑いたいところだが、ありふれたものだったか」
人形を懐にしまうダネスに大参謀ダキラは頷き、ブリジアに対して腰を折った。
礼をしたのかと思ったが、ダキラはブリジアの耳元で囁いた。
「私はしばらく地下後宮にいる予定だ。今度、永命殿に遊びにおいで。私から出向いてもいいがね。ゆっくりと聞かせてほしいな。どうして、あなたから、私の匂いがするのかをね」
ダキラが姿勢を正す。ブリジアが視線で追った。
まるで何事もなかったように、ダキラは背を向けた。
「……レガモン、聞いていた?」
ダキラに囁かれたことを理解しきれず、ブリジアは侍女レガモンに助けを求めた。
「魔王軍の大参謀ダキラは、戦場では魔王の目と耳となるそうです。それほど五感が優れているのでしょう。おそらく、嗅覚も」
「さすがは、魔王軍でもっとも美しく、戦場の華と讃えられるお方ですわね」
ブリジアがつぶやいたとき、席に戻ったダキラがわずかに照れたような笑みを浮かべた。
ブリジアは、自分の呟きは全て聞き取られているのだと理解した。
「ダキラのことをそれだけ褒めるのに、俺は?」
皇后を挟んで反対側に座っていた魔王軍大元帥のダネスが頬を膨らめていた。




