32 人形制作
〜来奇殿〜
魔王が支配する地下後宮の傑女ブリジアは、与えられた部屋で澄まして立っていた。
やや高い台を置き、ふわりとした柔らかいドレスにお気に入りの小さな扇を持ち、体の前で手を重ねた姿勢を崩さずにいる。
「まだなの? 疲れたわ」
「もうすぐ、次のデッサンが終わります。そうしたら休憩しましょう」
ずっと同じ姿勢でいるブリジアに答えたのは、ブリジアの率いる美しい侍女の1人チャクである。
元々は侍女ではなく、王家お抱えの芸人だった。
いわばピエロだが、道化の化粧を落とした美しさに貴族たちから求愛されて困っていたところを、ブリジアの侍女選考を知り参加したのだ。
芸人だけあって器用で、様々な特技がある。
絵画はその一つで、トボルソ王家の宮廷画家が弟子に所望したほどだ。
「まあ……こんなものかしらね」
「はい。良い出来だと思います」
部屋の片隅で、同じ来奇殿に住む貴女のドロシーと侍女ヌディアは、意見を交わしながら別の作業をしていた。
出来上がったのは、チャクのデッサンよりドワーフ族の木彫りの人形の方が早かった。
ドロシーとヌディアは共にドワーフ族で、体は小柄だが、豊かな髭を生やしている。
「ドロシー姉さん、それはなに? まさか、それで完成じゃないでしょう?」
ブリジアが眼球だけを動かして、ドロシーが誇らしげに作り上げた木の像に注文をつけた。
ドロシーはヌディアと共に、ブリジアの部屋で木の人形を作成していたのだ。
身長、体格とも、ブリジアとそっくりである。
だが、あくまでも木を彫ったものにすぎない。
「誰が姉さんよ。さすが、コマニャス様からいただいたヒノキだけあって、木目が美しいじゃない。これに、色でもつけろっていうの?」
「言ったじゃない。大参謀ダキラ様が、私を人形と勘違いしたって。その木彫りの人形を見て、私だと思うと思うの?」
「似てないっての?」
ドロシーがブリジアの前に、お手製の木彫りの人形を見せる。
非常に良くできていた。
ドワーフ族は金属加工が得意だと言われているが、そもそも手先が器用なので、何を作らせても上手いようだ。
ただし、芸術的な感性には乏しいと言われ、実用品は作れるが、彫刻や絵画にはほとんど興味を示さなかったはずだ。
「凄いわ。まるで私みたい」
「そうでしょ」
ブリジアは、素直に感動してしまった。
「ドワーフ族って、人形は作れないと聞いたことがありましたが」
チャクが、手を止めずに横目で感想を述べた。
手には木炭と羊皮紙を持っている。羊皮紙が大きいのは、ブリジアの体格をそのまま複写しようとしているからだ。
「空想で作るのが苦手なのは認めるわ。一族全部そうだから。でも、目の前にあるものとそっくりに作るのなら、剣を作るのと変わらないもの」
「でも、ドロシー姉さん、その人形、誰がどう見ても人形よね?」
「そりゃそうでしょう」
「大参謀のダキラ様は、私が動かないので、人形だと勘違いしたのよ。その私を見て、欲しいって言ったの。その木像を渡して、満足なさるかしら?」
ブリジアは、ドロシーが理解しなかったので、同じことを、言い方を変えて繰り返した。
ブリジアに言われ、ドロシーは自作の木像を眺めた。
丁寧に編み込まれた長い髭を撫でている姿は、一流の彫物師の風情である。
「さすがに無理ね。素直に謝っちゃったら? 魔族様だって、陛下の寵妃を殺しはしないでしょう」
「陛下の部屋の棚に、人族が座っていたって知られると、陛下的にまずいらしいのよ」
「どうして、そんな状況になったのよ!」
「私だって信じられないわよ!」
ドロシーが驚いて怒鳴ったため、ついブリジアも怒鳴り返してしまった。
「ヌディア、この木像に色をつけてみて。私は、金属で再現できないかどうか、試してみるわ」
「ドロシー様、お待ちください。木像の着色なら、私がやります。ドロシー様は、こちらをお持ちください」
デッサンが終わったのか、チャクが羊皮紙をドロシーに渡した。
ドロシーが羊皮紙を広げ、軽く口笛を吹いた。
「いいわね。これなら、自分の部屋でできるわ。私の部屋から騒音が出ているのは、いつものことだから誰も気にしないし」
「だから、陛下がこないのよ」
チャクのデッサンが終わったため、宣言した通りブリジアは姿勢を崩した。
急にドロシーが真面目になったが、ドワーフは職人気質で、ドロシーが実は優しいのをブリジアは知っていた。
「陛下がこないのは、こっちの部屋に入り浸っているからじゃない。じゃあ……チャクだっけ。この人形の着色は任せたわ」
「承知いたしました」
「ドロシー姉さん、お願い」
「ええ。できるだけはやってみる。あんたがダキラ様に持ち帰られたりしたら、陛下が来奇殿に来なくなって、コマニャス様が貧乏になって当たり散らすからね」
「コマニャス様って、そんなにお金に困っているの?」
ブリジアが尋ねると、ドロシーは肩をすくめた。
「エルフは全判的にそうよ。人族相手に商売するのが下手だからね」
ドロシーが自室に戻る準備をしていると、ブリジアの侍女の1人テティが入ってきた。
「ブリジア様、陛下からの伝言が届きました」
「今日も来るって?」
ドロシーが茶化したが、テティは黙ってブリジアに手紙を渡した。
魔王は無数の魔物を従えており、伝言の仕方は様々である。
手紙で送ってくるというのは、ブリジア以外の誰かがいても、ブリジアにしか伝わらない方が望ましいという内容の時だ。
ブリジアは、テティから手紙を受け取り、顔色を変えた。
「どうしたの?」
「チャク、その木像をこの台に置いて。隠れるわ」
「だから、どうしたの?」
「私の人形を探しに、皇后様が来られるわ」
「どうして、皇后様が?」
「わからない。でも、ドロシー姉さんもすぐに帰った方がいいわ」
「うん。わかったわ」
ドロシーが侍女ヌディアを連れて部屋に戻る。
「テティはすぐに別の部屋に行きなさい。デジィ様は、以前テティを殺そうとしたわ」
侍女のテティが青い顔で部屋を退出し、ブリジアはチャクと共に、押し入れに隠れた。
「ブリジア、デジィ皇后様がお見えよ」
誰もいなくなったブリジアの部屋に、来奇殿の主人コマニャスが姿を見せた。
「申し訳ありません、皇后様。確かに、ブリジアは部屋にいると思っていたのですが……ドロシーの部屋かもしれません。探して参ります」
「ええ。仕方ないわね」
コマニャス公妃が腰を折って退出する。
ブリジアは、押し入れの扉を微かに開けて覗き見ていた。
皇后デジィは、いつもの侍女パメラを伴っている。
それ以外に、もう1人背後に人影がある。
魔王軍大参謀ダキラだと、ブリジアは確信した。
ブリジアが瞬きを我慢して見続けた、魔族としての恐ろしい外見と共に美しさを併せ持った女性だ。
確信を持ったのは、ダキラを見続けたからだけではない。
スカートを捲られ、下着を見られるという屈辱は、人族の第一王女であるブリジアにとって、忘れられない出来事だった。
「おお。素晴らしい出来の人形がありますね」
ダキラは、ブリジアがあえて部屋の中央に置いたドワーフ族のドロシーお手製の木像に興味を示した。
ドワーフ族は、見たものをそのまま再現することが得意だという。
これで、モデルより小さな人形を作ろうとすれば、うまく行かないらしい。
「本当ね。でも、ダキラが見たのは、これではないのでしょう? 確か、髪は紫だったと言っていたはずね」
皇后デジィは木像に近づいて、持ち上げた。
木像には着色しておらず、ブリジアからは木目が美しいと思えるが、本人と間違えるか言われれば否である。
「そうですね。でも、これほどの木像を作れる職人がいるのなら、私が見たあの人形も作れるのではないでしょうか」
ダキラがデジィから木像を受け取り、逆さまにした。
どうしても、ひっくり返さないと気が済まないのだろうか。
ブリジアは悲鳴をあげそうになったが、背後からチャクに口を塞がれた。
「皇后様、私が欲しいのは人形であって、モデルになった本人ではありません。ブリジア傑女と引き合わされても、どうにもできませんが」
「そう? ダキラがそれほど気に入った人形があるなら、そのモデルとなった妃を見たいと思わないの? 実物を見ることで、どんな職人なら作れるか、推測もできるでしょう」
「……なるほど」
「コマニャスは遅いわね。ブリジアがいないのかしら?」
「見てきましょう」
パメラが言うと、デジィは首を振る。
「ブリジアがいないのなら、この部屋にいる意味はないわ。一緒に探しましょう。ダキラも」
「はい」
皇后デジィが木像を元の位置に戻し、大参謀ダキラの背中を押して部屋を出ていく。
3人とも部屋から出たのを見計らい、ブリジアは押し入れの扉を開けた。
「ああ、怖かった。どうして、デジィ様が私の人形を探すつもりになったのかしら?」
「一緒にいた、ダキラと呼ばれた魔族の方のためのようでしたが」
「ええ。あれは、魔王陛下の妹で、魔王軍の大参謀よ」
「とんでもない大物じゃないですか」
「そう? 普段から陛下にお会いしていると、誰が偉いのかなんて、わからないわ。だって、陛下より偉い人なんていないじゃない」
「陛下は、ただの好色な親父ですよ」
「でも、好きなのでしょう? 私たちの侍女のうち、誰も辞めたいとか思っていないのが不思議なのよね」
「お上手ですから」
「……何が?」
「ブリジア様も、お子を産めるようになればわかります」
チャクが顔を真っ赤にするのを、ブリジアは首を傾げて見上げた。
突然、扉が開いた。
眩しかった。
ブリジアは、硬直した。
「戻ったのね?」
「皇后様に、ご挨拶を」
開け放たれた戸口に立っていたのは、全身が黄金色に輝く眩い皮膚をした皇后デジィだった。
他に人影はない。ダキラもパメラも伴っていない。
ブリジアは、何事もなかったかのように片手をあげ、胸に手を当てて膝を折った。
チャクは無言で床の上に額づいている。
「礼はいいわ。ブリジア、立ちなさい」
言いながら、皇后デジィは後ろ手に扉を閉めた。
ブリジアが立ち上がる。立ち上がっても、皇后デジィの腰の辺りまでしか身長はない。
「私が今日、何のために来たのかわかっているわね?」
「申し訳ありません。存じません」
ブリジアは深く頭を下げた。
「そう。誤魔化すつもりなら構わないわ。昨日、魔王陛下の執務室に少女の人形が置いてあるのを、魔王軍の大参謀ダキラが見つけたの。魔王陛下は、多種族の作成した様々な一品を飾ることはあっても、人族を模した人形なんて飾ったことはないわ」
「さすがデジィ様、よくご存じですね」
デジィが目の前にいた。ブリジアは、言いながら足が震えているのを自覚した。
「紫の髪をした、とても可愛らしい人形で、不思議にも涙を流したらしいわ」
「そ、そうですか……」
「涙を流す人形といえば、人族を守護する女神が、人族に啓示として行う作業の一つだと聞いたことがあるわ」
デジィの金色の瞳が、ブリジアを見下ろした。
ブリジアは、恐ろしくて口が利けなかった。
人形のふりをしたのは、魔王の命令だ。
だが、どうやらデジィはそれを怒っているのではないらしい。
「ブリジアとよく似た特徴の人形に、女神が啓示を示した。しかも、その場には、人族は誰もいなかったのよ。人族を守護する女神は、陛下に宣戦布告をしたつもりなのかしら? しかも、女神の手先が目の前にいる」
「ご、誤解です。私は、女神なんて知りません」
ブリジアは、自分の声が震えていることを自覚した。
皇后デジィの視線が痛い。
だが、目を離したら殺されるのではないかと想像し、視線を外すことができなかった。
「魔王陛下は、その人形を誰かから預かったそうよ。大切な妹に人形ごときを下賜できないほど、重視しなければならない相手なのだわ」
「ぞ、存じません」
皇后デジィが天井を睨みつけた。
本当に睨んでいるのは、天井ではなく、地下後宮の高い天井の、さらにその先だろうとブリジアは想像した。
「ブリジア、私は、陛下が女神と取引をしたのではないかと思っているわ。私からの命令よ。陛下に近づき、女神と取引したのかどうか、取引の内容を探りなさい。簡単でしょう。陛下は、あなたとそっくりの人形を女神から預かるほど、あなたのことを気に入っているのですから」
「あの……全てデジィ様の想像なのですが……」
「わかっているわ」
「陛下が女神と取引するとして、何か不都合があるのでしょうか?」
「人族というくだらない存在を守護していても、女神の力は侮れない。陛下が取引したとするなら、女神の力を借りるほどの敵が存在しているということよ。後宮は政治には関われない。でも、世界が滅ぶ時まで、知らずにいるのはあまりにも寂しいわ」
「……わかりました。全力を尽くします」
「任せましたよ」
皇后デジィは、小さく頷くと背中を向けた。
デジィの退出と同時に、ブリジアは床の上にへたり込んだ。
「ブリジア様、どうするんです? 話がどんどん大きくなっていきますよ」
「……仕方ないじゃない。しばらく、皇后様に会わないようにしないとね」
ブリジアは言いながら、そもそもの発端が、魔王がブリジアを呼びつけたことにあるのを思い出し、舌打ちを堪えきれなかった。




