27 ボードゲーム
〜来奇殿〜
ブリジア傑女は、同じ宮殿に住むホビット族のポリンとゲームをしていた。
ホビット族というのは、人族のサイズを子ども並みに縮小したような外見の種族で、ドワーフとは対照的に成人の男性でも髭が生えない。
体が小さく争いには向かないが、知恵が周り、ホビット族の集落を出て商人になる者が多いことで知られている。
一説では、魔王が世界を征服するのは、ホビット族が経済で征服した後になるとも言われている。
ブリジアにとっては、同じぐらいの背格好の頼れる姉といった存在なのがポリンだ。
すでに魔王との子どもも産んでおり、現在は里から連れてきたホビット族の侍女に預けてある。
来奇殿ではコマニャスに継ぐ地位で、伯妃に封じられている。
「ブリジア、取引よ。食料を兵士5枚で買うわ」
「兵士5枚では足りません。私の陣地は山岳地帯なのです。せめて騎兵でなければ」
ブリジアが断ると、ポリンは丸顔をテーブルに置いた盤に近づけた。
ブリジアとポリンが遊んでいるのは、いわゆるボードゲームである。
地上の世界に実在する地形を写した模型で、その地形を有する国や部族の実際の戦力を再現して、陣地を取り合うのだ。
魔法が存在しているからこそ可能なゲームであり、一生を地下後宮で暮らす妃たちにとって、地上を知る数少ない方法でもある。
その結果、大国対少数部族といった極端な駒の割り振りになることも多く、決して勝つことにこだわる遊びではない。
妃たちの気晴らしと気分転換だと言われている。
世界のどの場所でも再現できるため、戦争時のシミュレーションを妃たちにさせているのではないかという噂もある。
「ええい、火攻めにしてくれる」
「ポリン様、そちらは風下ですよ」
「そんなこと、兵士が団扇で仰げば」
「この地形では、吹きおろしの風で山羊さえ飛ばされます」
「あっ……ちょっと、待って」
「そう言われましても」
地形の構成や駒の割り振りだけでなく、一度指示したことも魔法的な処置で実行されるため、戻すことができない。
自分が放った炎にまかれ、ポリンの駒たちが次々に焼け死んでいく。
「ああー……また、ミルク代を稼ぎ損ねたわ」
「あなたたち、まさか盤擬で賭けをしているのではないでしょうね」
中庭に面した縁側で遊んでいた2人に、険しい顔の白く目の細いエルフ、コマニャスが影を落とした。
傍にいつも侍女に加え、ドワーフのドロシーを連れている。
コマニャスは定例の長殿会に出かけていたはずだ。
長殿会は皇后が妃たちと謁見する機会だが、招かれるのは各宮殿の主人だけだ。
宮殿の主人として、専属の侍女と、同じ宮殿の妃をひとり連れて行っていいことになっている。
ブリジアは、皇后デジィの前では口が利けなくなってしまうと思われており、連れていってもらったことはない。
皇后の住む永命殿に行ったのも、一度きりだ。
その代わり、皇后デジィ自身が何度か来奇殿に来て会っている。
コマニャスとしては、最初にブリジアがしでかした粗相をまだ忘れられずにいるのだろう。
「賭けてはいけませんか?」
ブリジアが尋ねると、コマニャスに睨まれた。
「あなたが賭け事好きだと評判になったら、賭け事に持ち込んで嫌がらせをする者が現れるわ。ポリンは別にいいでしょう。でも、ブリジアは避けなさい。賭け事を楽しんでいるなんて、知られないことよ」
ブリジアは、コマニャスが妙に念を押すのが気になった。
傍にいるドロシーに視線を送るが、ドロシーは自慢の髭を手で整えるのが忙しいようだ。
「今日は長殿会でしたね。なにかございましたか?」
「獣雷殿のランディから、お茶会のお誘いを受けたわ。断る訳にはいかなかった。デジィ様も乗り気だったから」
「皇后様がどうして関係があるんですか?」
皇后デジィは輝く肌を持つ美しい女性だが、純粋な魔族である。ブリジアのことをよく思っていないのではないかと感じており、苦手な存在だった。
「だって、長殿会の主催者は常に皇后様ですもの。会話は全てお耳に入るわ。皇后様が出たいっておっしゃったら、誰にも止められないわ」
「長殿会の場で提案されたなら、獣雷殿だけではないのではありませんか?」
流石に後宮生活が長いポリンが尋ねた。
ボードゲームの盤を片付けているのは、コマニャスが戻ってきたことでゲームは終わりだということ以外に、負けをうやむやにしようとしているのではないかと、ブリジアは疑った。
疑ったが、ポリンは上位の妃である。直接は何も言わなかった。
コマニャスが答える。
「長殿会自体は、たわいない世間話で終わったわ。来奇殿に相変わらず陛下がお越しになることが多いので、秘密を探られたぐらいよ。まあ、陛下の目的がブリジアのところだというのは、公然の秘密だから、表立って言うことはできないのよ」
「では、どうして獣雷殿とお茶会になったのですか?」
「終わってから、声をかけられたのよ。ランディさんとは特に親しくもなかったし……この間、ブリジアの移籍話を拒否したところだったから、嫌がらせを受けると思っていたけど、案外好意的だったわね。もう1人妃を連れていたわね。私はよくわからないけど、ドロシーは知っているみたいだったわね」
コマニャスは、長殿会に連れて行ったドロシーを見下ろした。
来奇殿ではコマニャスの身長が飛び抜けて高く、誰を見ても見下ろすことになる。
かつて、皇后デジィは来奇殿を保育園のようだと評したが、コマニャスは園児ではなく保母なのだろう。
「はい。あれは虫身族……女王アリのブラスト傑女です」
「純粋な魔族の妃は、皇后様だけではないのですか?」
ブリジアが尋ねると、いつもは快活なドロシーが小さく首を振った。
「獣身族と虫身族は、魔族に分類される方もいるけど、ごく少数よ。人族の特徴がほとんどない方だけね。生態も人族に似ていると言われているけど……女王アリ族の生態は、どちらかというと魔族よりね。私は、故郷にいる時に何度も見ました。太陽が届かない穴の中でも、鉄も溶けるマグマが流れているような環境でも、虫たちはいます。ドワーフ族にとって、天敵ともいえる種族です」
「ドロシーは、嫌なら参加しなくてもいいわ。でも、ブリジアは参加しなくてはならないわね。ランディ公妃は、ブリジアを名指しして出席するように言ってきたわ。デジィ様もお認めになっている。もし欠席すれば、皇后デジィ様の体面に泥を塗ることになるわ」
「……それは怖いですね」
皇后の普段の様子は知らないが、人族を餌としてしか見ていないのではないかというブリジアの印象は、まだ拭い切れていない。
人族にとっては猛毒となる水銀を、金箔を浮かべて飲むのがお気に入りだと知れば、より恐怖が優っただろう。
「わかりました。でも、コマニャス様もご一緒ですよね?」
「一応ね」
コマニャスは曖昧に頷いた。
お茶会に誘われたのは、直接はコマニャスのはずだ。
当日も参加するだろう。だが、ランディやデジィから守れるとは期待するなと言われた気がした。
「それで、お茶会はいつ開かれるのですか?」
ポリンはあらぬ方を向きながら尋ねた。
ブリジアにも、赤ん坊の鳴き声が聞こえていた。
ポリンの子どもが泣いているのだろう。
「一月後よ。なんだか、準備があるみたい」
「時間がありますね。これは……エルフのリンゴを用意してほしいという要請ではないでしょうか?」
「そうね。そうかもしれないわね」
ブリジアの提案に、コマニャスは細い目を見開いて手を打ち合わせた。
「じつは、リンゴの旬は終わってしまったのよ。せっかくだから、エルフの里から自慢の果物を取り寄せるわ」
「きっと、ランディ様もお喜びです」
「ええ。そうね。忘れないでね。ブリジアは参加よ」
「はい」
コマニャスは、嬉しそうに部屋に戻っていく。
「ブリジア、どうしてコマニャス様にあんなことを言ったの? エルフ族の食べ物なんて、碌なものがないわ」
舌を出したのはドロシーである。ポリンもボードゲームを片付けると、赤ん坊が心配だと言って出ていった。
「だからですよ。コマニャス様がどんな果物を用意するか。それだけで話題には事欠かないです。それに、美味しければコマニャス様の実家が潤うでしょう」
「でもねぇ……コマニャス様が恥をかいて、後で恨まれなければいいけどね。それで、ポリン様からどのぐらい稼いだの?」
ブリジアが指で数を示すと、ドロシーの口があんぐりと開いた。
「ブリジアって、盤擬は苦手じゃなかった? 私にこの間、散々負けたじゃない」
「あれは、舞台がたまたまトボルソ王国だったからです」
「トボルソ王国って確か……人族のブリジアの国じゃない。どうして、自分の国だと勝てないの?」
「自分の国のことだと、案外冷静になれないみたいです」
「ブリジアって王女でしょう? 変な王女ね」
ドロシーが言うと、ブリジアは曖昧な笑みで誤魔化した。




