3 来奇殿のドワーフ妃
〜来奇殿〜
魔王の地下後宮で、最下層の妃である俗女となった人族の姫ブリジアは、自室で手紙を書いていた。
「お呼びですか? ブリジア様」
人族の国から連れてきた侍女たちは、側女となったブリジアに対しても、まだ王女として接してくれる。
ブリジアが声をかけると、近くにいた10代の美しい娘テティが戸口に表れた。
「パパにお手紙を書いたから、届けて欲しいの」
ブリジアは、書き上げたばかりの手紙を封筒に入れた。
外に出ろということではない。通常の手紙であれば、魔王領の外であっても届けることはできる。
地下後宮内の雑務を引き受ける内務庁と呼ばれる場所があり、手紙を渡せば外部にも届けてくれる。
ほとんどどんな場所でも届けられると言われているのは伊達ではない。届ける場所によっては、一通の手紙のために強力な魔物で軍勢を編成するのだ。
それだけ、地下後宮の住人は大切に扱われているのだ。
「ご実家に手紙を出すのは早すぎませんか?」
黒髪をうなじで束ねたテティは、手紙を受け取りながら疑問を口にした。
「必要なことよ」
「早すぎて、むしろ心配するのではないかと思いますが」
ブリジアの父は、トボルソ王国の国王である。
第一王女を側室として送り出すのに、血の涙を流して決断したと噂されていた。
「必要なものができたから、送ってくれるようにお願いしただけよ。泣き言なんて書いていないわ」
「そうですか。流石はブリジア様です。必要なものとはなんですか? 地下後宮では、妃に必要なものは調達されると言いますが」
ブリジアは、テティを見た。テティがやや深刻な表情で見返す。
ブリジアが真剣に言っているのを理解したようだ。
「私の侍女たちは、一日で魔王の毒牙にかかったわ。追加で女の子を送ってと書いたのよ」
「わ、私は……確かに毒牙にかかりましたが、何も追加で送らせなくてもいいでしょう」
「いいえ。初めての日から、3日連続で魔王が来たわ。こんなことは前代未聞だと、コマニャス様が言っていたじゃない。今はまだ、魔王は楽しんでいる。でも、そのうちに飽きるわ」
「飽きたら、来なくなります。それでいいじゃないですか」
「連続で通って来た魔王様が突如来なくなったら、妬んでいる妃たちに意地悪されるでしょう」
「そういうものですか? 私にはわかりませんが、承知しました」
テティは手紙を懐にしまい、立ち上がった。テティの方が倍以上年上だが、ブリジアは生来の王女として、令嬢たちの考え方を、身をもって学んでいた。
ブリジアが正しいのだと納得したのか、テティが素直に退出する。
別の侍女が入れ違いに入ってきた。テティとは違った落ち着いた物腰の美女で、クリスという。
波打つ茶色い髪と切れ長の目が印象的だ。
「ドロシー貴女が見えました」
「すぐに行くわ」
「その必要はないわよ」
やや甲高い声に、侍女クリスは横に移動する。
戸口には、ブリジアと同じく背の低い、目の大きな少女が立っていた。
「ドロシー貴女にご挨拶を」
ブリジアは、椅子から降りて膝をついた。
貴女とは、妃の位の一つで、最下層の俗女から二つ上の位に当たる。
同じく来奇殿に住む、ブリジアよりも先輩の妃である。
「立ちなさい」
「ありがとうございます」
膝をついていたブリジアが立ち上がると、ほぼ身長は同じだ。
ただ、ドロシーの方がしっかりとした体つきをして、大きな目が青く輝き、茶色い髪を大きな三つ編みにしている。
加えて最も大きく違うのは、口の周りから伸びた髭を、細かく編み込んであることだ。
ドロシーはドワーフ族であり、女性ながら長い髭をたくわえているのだ。
「ドロシー様、本日はどのような御用でしょうか?」
「しらばっくれるの?」
長い髭を揺らせて、ドロシーは顔を歪めた。
「白々しい」
ドロシーの陰に隠れるような位置にいた、ドロシーの侍女が口を挟んだ。
やはりドワーフ族だろう。背が低く、髭が長い。
その女を見ると、やはり妃の一人として送られたドロシーは、可愛らしい顔立ちなのだと理解できる。
ただし、ブリジアの侍女たちはいずれも劣らぬ美女揃いである。それは、ブリジアが成長するまで、魔王の興味を引きつけて置くためだ。
「なんのことでしょうか?」
「魔王陛下が連続でこの来奇殿に来るなんて、前代未聞よ。後宮中の噂になっているわ。だから、来奇殿にはさぞかし素晴らしい美女が居るのではないかと噂されている。それがどう? 私と同じちんちくりんじゃない。私も、お呼びにかかったことぐらいはあるわ。でも、その後は何日も陛下は来なかった。俗女のところにそんなに何日も通うなんて、おかしいじゃない」
「ちんちくりんなんですね。ドロシーさんは」
「なんですって! よくも言ったわね!」
ドロシーは外見に寄らず素早かった。
ドワーフは小さく丸い体系をしている者が多いが、鈍重ではない。
むしろ、瞬発力は人族を上回る。
ドロシーを誰も止めることが出来ず、短い指がブリジアの頬をつねりあげた。
「自分で言ったんじゃない!」
ブリジアも第一王女である。負けてはいなかった。
自ら飛びかかってきたドロシーの両頬に手を伸ばし、頬をつねりあげた。
「痛い。痛い。俗女の分際で貴女である私の頬をつねるなんて、覚えておきなさいよ」
互いに頬を引っ張りながら毒づいた。
ドロシーが手を離す。
ブリジアは放さなかった。
「貴女たち、何をしているの? 今日は来奇殿が皇后様にお目にかかる番だというのに、なんの準備もしていないじゃない」
戸口に突如表れた、来奇殿の主人エルフ族のコマニャス公妃が眉を寄せた。
「来奇殿の番って、なんことのですか?」
「そんなことも知らないの?」
ドロシーが仰け反ってブリジアを見下した。
「し、知りません。なんのことですか?」
ブリジアが尋ねると、コマニャスが肩をすくめた。
「皇后様は、この地下後宮の主人でいらっしゃるわ。でも、お一人で全てを掌握することはできないから、順番に謁見する制度を作ったのよ。各宮殿の主人たちが集まる長殿の会と、宮殿単位で皇后様に御目通りする塊殿の会よ。今日の午後、私たちが皇后様に御目通りする予定なの。失礼のないように、ちゃんと支度するのよ」
「そうよ。そのぐらいのこと、知っていて当然よ」
「ドロシー、私は確か、貴女からブリジア俗女に説明するよう、命じたはずだけど?」
コマニャスの視線が厳しい。ドロシーは、コマニャスの腰ほどまでしか身長がない。
「わ、私は伝えようとしたのです。でも、この俗女が魔王様を篭絡したと自慢するので、つい言いそびれて」
「ブリジア、本当なの?」
コマニャスが切れ長の目をブリジアに向けた。
「公妃様、私はドロシーに、突然顔をつねられました」
「ああ……たしかに赤くなっているわね。これは指のあと? そこの侍女、お化粧で隠しなさい。それから、髪と服もちゃんとさせること。貴女たちがだらしないと、私の罪になるのですからね」
「「はい」」
先程まで頬をつねりあっていた二人の声が揃った。