挿話2 ブリジア入内前 トボルソ王国にて
大陸の東方、広大な平原地帯は人族によって治められている。
かつては一国が全土を治めていたが、内乱により国は分割した。かつての大国は王都のみを残して消滅し、3か国に分割された。
王都のみが独立国として残されたのは、3か国が互いを牽制するためだといわれている。
3か国が接する中央に残されたかつての王都は、トボルソ王国と名を変えて存在している。
人族の打ち立てた、最も由緒正しく長い歴史を持つ国ではあるが、産業に乏しく自衛のための軍隊すらいない、名ばかりの独立国である。
「北にある永久凍土の大地で、凍土の女王が滅び、新しく魔親王国ができたと報告がありました」
国王ムスタフ2世は、宰相の言葉に頷いた。
「それで、国境を接しているキン国が賠償を請求されたということか。キン国は、北のシン国と長城により国境を接している。シン国が誇る五万の騎馬部隊が全滅、凍土の女王の放った呪いで国土の半分が凍結し、国民の七割が凍死したということだな」
「恐ろしいですな。魔王はどうして、そのような恐ろしい魔物に手を出したのでしょうか」
ムスタフ2世は、震え上がる宰相に告げた。
「凍土の女王を滅ぼさねば、世界が滅びると思ったのだろう。結果、人族が何万人死のうが、全滅するよりはましだと考えているのだろうな」
「しかし……シン国の被害を、どうしてキン国が肩代わりするのですか? そもそも、キン国の賠償がトボルソまで請求される理由がわかりません」
ムスタフ2世は、宰相を見つめた。
優秀な学生だったことは知っているが、まだ宰相になって日が浅い。
トボルソ王国の置かれた状況を理解できてないのかもしれない。
「我がトボルソ王国は、かつてはキン、ゴケ、シュウの領地を全て治める大国だった。力を失った現在でも、3か国の盟主として祭り上げられているのだ」
「それは存じていますが、所詮は型式だけのものでしょう」
「その型式が問題なのだ。今回の場合、我が国がシン国の救済を行うと告げれば、キン国だけでけなく、他の2国も協力するだろう。だが、余計な負担をさせたと恨まれることになる。また、シン国の救済を拒んだ場合、キン国はシン国を見捨てることはできない。あの国が滅べば、生き残った民が難民として雪崩を打って押し寄せる。それだけではない。シン国に人族が住まなくなることにより、平原を魔物が支配するようになる」
宰相は頭を抱えた。
「では、どうすればいいのですか?」
「それをなんとかするのが、そなたの役割だ」
「トボルソ王国は、まともな軍隊さえ持ちません。攻められれば、滅ぶでしょう」
「そうだな」
「では、他国……隣接するどの国も、敵対してはなりません」
「わかっている」
「ならば、助けを求めるしかないのではないでしょうか」
王は、困惑している宰相を見つめた。
「誰に助けを求める? 我が国に、差し出せる利益があるか?」
国王ムスタフ2世が尋ねると、宰相はあらぬかたを向いた。
視線を逸らしたかのように見えるが、その視線は明確に一点を捉えていた。
「却下だ」
「しかし、王、他に手段がありますか?」
宰相が見つめていたのは、王の間をぐるりと囲んでいる王の一族の肖像画だ。
その中で、一番大きく目立つ位置に、ムスタフ2世の愛娘、まだ7歳のブリジア王女の肖像画が飾られている。
生まれつき紫色の不思議な髪を持ち、抜けるような透明の肌とぱっちりとした大きな目が特徴的で、瞳は光の影で青にも緑にも見える。
国民に絶大な人気があり、現在王位継承権第一位の王女である。公爵家の嫡男と生まれた時から婚約している。
「トボルソ王国の公爵家に、そんな力はあるまい」
「公爵家ではありません」
「なんだと? 他国か? トボルソ王国の立場を考えれば、どこか一国と血縁関係になるのは、自滅することだとわかっておろう」
「はい。私がご提案したいのは、周辺3か国ではありません」
ムスタフ2世は、まだ若い宰相を見つめた。
「南方諸国か? 獣人の集落も多く、純粋な人族だけでなく亜人族を味方につけることができるかもしれんが、トボルソの立地を考えると、得策とは言えん」
「いえ。そうではありません」
「北のシン国か? 凍土の女王討伐に協力し、多くの被害を出して隣接するキン国に支援を求めていることは知っておろう」
そもそも、王が相談を始めたのは、キン国からの協力要請にあるのだ。
「違います」
「東の海のヤマトか? かなりの技術力を持つ国らしいな。亡命先としてはよいだろうが、王が国を捨てることはありえん」
「違います」
「……では、どこのことを言っておる?」
「あるではありませんか。最強の軍隊を持ち、世界を滅ぼせる魔物や敵対勢力を潰し、全世界に影響力を及ぼす国が」
「……魔帝国か? 永久凍土の地に、四つ目の支配国を建国したと聞いたが……どこのことだ?」
「魔王ジランの治める魔王領が最も近く、権力も大きいでしょう」
「却下だ。魔王の庇護を得られれば、確かに人族の兵隊などものの数ではなかろう。だが、魔王が望むなにを差し出せる?」
トボルソ王国は、かつての大国である。現在では分割され、都市も王都しかない。
長い歴史の上に築かれた魔法技術をはじめとした技術力で遅れを取ることはないと自負しているが、決して裕福ではない。
だが王は、内心で安堵していた。魔王が相手となれば、ブリジアの出番はない。愛娘に辛い思いをさせるより国が滅んだほういいとは、まだ口にはしたくなかった。
「魔王ジランは、普段の生活は魔王城の地下に造られた後宮で過ごしているとか」
「後宮だと?」
トボルソ王国はじめ、周辺各国は一夫一婦制である。王とはいえ、側室を持つことはない。
愛人を持つことはあっても、それは非難されるべきことだ。
「はい。その後宮は美しい妃たちで溢れ、半数以上は人族で占められているそうです」
「魔王が妃狩りをしているとは聞いたことがないが……」
「ほとんど、望んで後宮に妃として入るそうです。後宮の妃として地位を築けば、魔王に対して意見できる立場になるでしょう」
「ふむ。だが、後宮は女たちの闘争の場であろう。望んで魔王の側室となるのであれば、皆腹に一物あることだろう。その中で、魔王の寵愛を勝ち取れるような者がいるか? 下手をすれば、ただ人質をとられるだけということになる」
「一人だけ、心当たりがございます」
「……誰だ?」
王は、祈るような思いで尋ねた。それだけは、避けなくてはならない。
宰相の目が、王の背後に向かった。肖像画であろうと、指差すことすら許されない。
それほど、尊く大切にされてきた存在だ。
「駄目だ! ブリジアちゃんを、魔王の手になど渡せるものか!」
「陛下、冷静になってください。ブリジア様はまだ7歳です。後宮の規則では、子を成せない者に夜伽を命じることはできないそうです。ブリジア様が後宮に入っても、数年は魔王のお手つきになることはありません。その間、魔王の力で周辺諸国を弱らせられれば……」
「夜伽できない妃が、どうやって寵愛を勝ち取る?」
根本的な問題である。宰相は、答えを用意していたのだろう。即答した。
「美しく、優秀な侍女をつけましょう。その侍女たちに、命にかえてもブリジア様を守るようお命じください。ブリジア様のためであれば、喜んで命を差し出す者たちも大勢います」
「……そうだな」
魔王に差し出そうという2人も、ブリジアの可愛さは絶対だという意識だけは共通している。
「宰相、侍女の人選を急げ。余は、魔王領に手紙を書く」
「ブリジア様には、どう伝えましょうか?」
「8歳の誕生日までに、余が伝える」
「まだ半年は先ですが」
「そのぐらいの時間は必要だろう。ブリジアを魔王に差し出すのであれば、余は王位継承者を失うことになる。ブリジアが子を成せる体になるまでに、なんとしても奪い返す。そのための策も用意しなければならん」
「承知しました」
ブリジアの知らないところで、魔王の後宮に入ることは決められたのである。




