挿話1 ブリジア入内前 第4魔親王国の設立
魔王ジランが陣を敷く黄金の大聖堂に、魔王軍全8軍の司令官である魔将軍と、全体を率いる大元帥、大参謀が勢揃いしていた。
魔王直轄領の北に位置し、永久凍土の大地に住み着く氷原の者たちを眼下に見据えていた。
大参謀ダキラが口を開く。
「ただいま、東の原野に居を構える躁馬王カーランから報告がございました。『氷原に向かって進軍中、援助を請う』とのことです。西の大地に住むテポドン騎士隊からも同様の申請がきております」
「いずれも人族ではありませんか。我が軍に協力して戦勝後のおこぼれを預かる算段でしょう」
大元帥ダネスが唾棄する。
魔王ジランが口を開く。発言しようとしていた将軍職の者たちが、一斉に口をつぐんだ。
「人族が囮になってくれれば、我が軍が進撃しやすくなろう。全軍、出撃せよ。人族を援護する必要はない。奴さえ倒せば、永久凍土の者たちは朕に従う」
「御意」
黄金の本陣に集った10人の声が揃う。
「行け」
「はっ」
黄金に彩られた場所から、勇猛な将軍たちが飛び出していく。
魔王ジランは立ち上がった。
「朕も行く。付き合え」
「難儀なことだ」
魔王ジランが足を踏み鳴らすと、黄金の本陣が波を打った。
魔王が陣を敷いていたのは、巨大な黄金の鱗をもったドラゴンの上だった。
※
魔王軍の将軍たちは、いずれもお気に入りのドラゴンを従え、騎乗している。
逆に言えば、ドラゴンを従えられないのであれば、魔王軍の将軍は務まらない。
魔王ジランがまたがるのは聖ドラゴンと呼ばれる黄金の鱗を持った一体で、人族の城ほどのサイズがある。
さっきまで、ドラゴンの上で会議をしていたのだ。
本陣である聖ドラゴンの上から飛び出していった将軍たちは、すでにそれぞれが従えるドラゴンに跨って戦場に向かった。
聖ドラゴンが悠然と翼を動かし、ゆったりした動作からは想像もできない速度で戦場の上空を移動し始めると、翼のある馬に乗った大参謀ダキラが魔王の横、つまり聖ドラゴンの背の上に乗り付けた。
「ダキラ、貴様まだそのような脆い物に乗っておるのか」
「全員がドラゴンに乗れば、巨大すぎて話ができません。魔王様の耳となる私であれば、この方が都合がよいのです」
ダキラは、翼のある馬、ペガサス種の純白の馬に跨ったまま、魔王に答えた。
平時なら馬から降りて平伏してから話すところだが、現在は戦場に向かっている最中である。
礼を省略するようにとは、魔王ジランの勅命である。
「人族の軍に引き寄せられ、魔王軍全軍が永久凍土へ範囲に入りました。戦闘を開始してもよろしいですか?」
「構わん。蹂躙せよ」
「承知しました。ダネス大元帥、初めて」
大参謀ダキラが、誰かに向かって話しかけた。
長距離で話す方法は、念話という形で実現している。
複数が同時に使うことで混乱が生じるので、戦場での使用は全て大参謀ダキラを経由することになっている。
「第二軍、飛龍部隊が特攻します」
「突っ込ませるな。氷の魔物たちとは相性が悪い。第一軍、巨獣部隊で踏み潰すまで待て」
魔王が告げると、ダキラはすぐに命令を変更していた。
永久凍土の魔物たちは、世界を滅ぼせるだけの力をもつ魔物によって統率されている。
魔王は、長い時間をかけて永久凍土の魔物を殺す準備をしてきた。
人族の協力を取り付けたのもその一つだ。
永久凍土の魔物たちが勢力を増すことで、隣接する人族の国が被害を受ける。
人族の軍隊は自分達の領地と同族を守るため、魔王はこの世界を滅ぼさないため、利害は一致した。
人族の軍が永久凍土の魔物たちを引き寄せている間に、魔王軍本体が永久凍土に巣食った魔物を攻めたのだ。
その魔物は、多頭ワームと呼ばれる醜悪で巨大な外見を持つ。
あらゆるものを食い荒らし、温度変化に強く、絶対零度から摂氏一万度までを耐える。
ホースが絡まり合ったような外見は、醜悪そのものだ。
魔王ジランは、地形としては平原だったはずの永久凍土の地に、不自然な山ができていることに気づいた。
その山から、次々と魔物が飛び出している。
いずれも、人族の民家を超えるような巨大な氷巨人や氷マンモスと呼ばれる魔物だった。
人族であれば簡単に壊滅しているところだが、魔王の軍にいるのは、魔王が従える強靭な魔族と魔物たちだけだ。
突出してくる氷の魔物たちを次々に処理し、盛り上がった山に迫っていくのを、魔王ジランは聖ドラゴンの背中で見ていた。
※
魔王軍全8軍の将軍たちが乗るドラゴンが、次々に猛烈なブレスを吐きかける。
魔族軍の将軍にあたる魔族たちが、得意の魔法を次々に打ち込み、最後にとどめを刺したのは、魔族軍の大元帥ダネスの乗る暗黒ドラゴンの一撃だった。
魔族軍の将軍には、自力でドラゴンを従える力がなければ、なることはできない。
より強いドラゴンに乗ることが、魔族にとっての力の象徴であり、ドラゴンの力は魔族の力だとみなされている。
氷結平原を脅かしていた多頭ワームは、断末魔を上げながら凍りついた大地に倒れた。
「陛下、戦勝おめでとうございます」
相変わらず天馬に跨った大参謀ダキラが、金色の鱗に降り立った。
魔王自身は、何もしていない。
ただ、配下の魔族将軍たちに任せて見下ろしていただけだ。
だが、魔王が上空から見下ろしていたことが、全軍の士気を高めたのは間違いない。
「まだ、終わってはおらぬ。多頭ワームは番犬にすぎぬ。現れたぞ」
「……あれは……」
ダキラが赤い瞳で凝視する。
多頭ワームが倒れた場所を中心に、まるで透明の壁が出現したかのように、接近していた魔王軍の魔物たちが弾かれた。
第一軍の巨大な魔獣たちが空を舞う。飛来する巨体に、飛ぶことのできない魔物たちが逃げ惑う。
「氷の城だ。相変わらず、食えん女だ」
魔王は言うと、聖なるドラゴンの背中を蹴った。
空中に飛び出し、そのまま落下する。
「陛下、何をなさるのです?」
直滑降で魔王を追いながら、ダキラが叫ぶ。
魔王は笑った。
「生半の攻撃では、氷の城は破れん。必要なのは、絶対的な力だ」
言った途端、魔王の強靭な肉体に落下の衝撃が加わり、将軍たちを弾き飛ばした氷の城の壁が崩れた。
攻撃手段は、ただ高い場所から自分が弾丸として飛び出すというだけものだ。
「魔王陛下に続け!」
大参謀ダキラが叫ぶ。魔王が破壊した氷の城の一部は、すでに透明ではなかった。
魔王に襲い掛かろうとしたのだろう。城の中に潜んでいた魔物たちが、くびり殺されて血の痕を残していた。
「陛下、お供を!」
1人で進もうとする魔王に、ダキラが天馬を乗り捨てて追い縋った。
「そなたは全軍を統率せよ。奴は朕が仕留める」
「しかし、お一人では……」
「朕が負けると言うのか?」
「いえ。ご無礼を」
大参謀ダキラが背を向けて去る。
魔王ジランは、氷の城を破壊しながら進んだ。
半透明の氷の城は、まるで何もない空中を歩いているような錯覚を与える。
侵入者に錯覚させ、死角から氷の魔物たちが襲い掛かるのだ。
魔王は歩みを緩めず、次々に襲いかかってくる雪のように白い魔物たちを薙ぎ倒していく。
魔王に遅れまいと、武装した魔族の猛者たちが追いついてくる。
「陛下、お一人では危険です」
声をかけたのは、魔王軍第四軍、精霊部隊を束ねる魔王の従弟の1人だった。
「ならば、遅れるな」
魔王は笑いながら答え、追いついた王子は再び離される。
どれだけ強い軍団を持とうと、配下に猛者を従えようと、最強なのは魔王である。
それは、魔王が魔王であった5000年間、変わったことはない。
行き止まり、透明の壁が出現する。あまりにも透明度が高く、その先にいる白い女がはっきりと見える。
「朕が来た。凍土の女王、朕に従う機会を与える」
魔王が言う。氷の壁の厚さは、10メートルを超えるだろう。
生物の耳では聞こえないはずだ。
だが、凍土の女王は答えた。
「下がれ魔王よ。貴様が可愛がっている人族共の大地を、永遠に凍らせたくなければ」
魔王ジランも、はっきりと女王の言葉を聞き取った。
「どうして朕が、人族共が支配する大地のことを気にかけねばならんのだ?」
魔王は問うと、拳を透明の壁に叩きつけた。
景色が一変する。
透き通る透明の世界は、魔王の拳を中心に白くひび割れ、視界を奪った。
「何十万の人族が飢えて死ぬ。貴様は、それでも構わないというのか」
凍土の女王が立ち上がる。
魔王の指示で、魔王軍第四軍の指揮官が炎で氷塊を溶かす。
氷が溶けるのも待たず、城で最も頑丈で分厚い氷の壁を破壊されたことで崩れ始めた城の中を、魔王は大股で闊歩した。
「貴様が力をつけ、朕を打倒すれば、この世界は氷に覆われよう。全ての生物が死滅する。数十万が数百万であっても、安い代償だ」
魔王は崩れる壁を乗り越え、凍土の女王の前に立つ。
手を伸ばして、振り払われる。
殴りつけた。
「妾を従えたいなら、打ちのめすがいい。決して、貴様に臣服はせぬ」
「構わぬ」
魔王は告げると、凍土の女王が原型をとどめなくなるまで殴り続けた。
※
城を失った永久凍土の氷原で、魔王が将軍たちを睥睨した。
玉座はないが、背後に控える金色のドラゴンが椅子の代わりとなった。
魔王の前に、八軍の将と大元帥、大参謀が揃う。
「皆のもの、よく戦った」
「魔王様に栄光を」
「魔王様に祝福を」
「魔王様に永遠を」
将軍たちが声をそろえて魔王を讃える。
魔王が片手を上げ、静かに下ろすと、声も静まった。
「特に、第四軍、精霊部隊はこの凍てつく大地をよく御した。今後、この地を統治する者が必要だ。また無法地帯にしては、いずれ凍土の女王が復活し、世界に災厄を撒き散らそう。第四軍将軍、グスタフ」
「はっ」
名前を呼ばれた将軍が立ち上がる。
長い一本の角を持ち、右手は流動する岩石、つまりマグマでできている。
「そなたは朕の従弟である生粋の魔族だ。出自としても問題ない。この地を魔王領の族領、魔親王国と定め、そなたを魔親王に封ずる。4番めの魔親王国である。統治はまかせる」
「光栄に存じます」
新たに将軍から魔親王となったグスタフが膝をつく。
魔親王は、魔王領の属領を治める者で、自領での権限は魔王と変わらない。
魔族にとっては、魔王に継ぐ地位である。
将軍から魔親王になるのが、魔族としては最上の出世であると言える。
「陛下、凍土の女王が使用した魔法の影響により、近隣の人族の国で被害が出ております」
戦場での耳である大参謀ダキラが報告する。
「当然、承知しておる。凍土の女王は、人族を人質に、朕に撤退を要求した」
「では……人族の救助はいかがなさいますか?」
「捨て置け。此度の戦は、人族も承知しておる。我が軍に協力を申し出たのだ。全滅したとしても、覚悟の上でのことだ」
「承知いたしました」
「では、第四軍を除いた全軍で帰還する。現在の第四軍は、第四魔親王国直属の兵力としてこの地に残す。ダキラ、ダネスは、新たに第四軍の編成と、将軍の選定を進めよ」
「御意」
大参謀ダキラと大元帥ダネスの声を合図に、魔王と将軍たちが立ち上がった。




